協会にて
「クレメンス先生」
振り向くと、ニコラスの弟子・ダニエルが立っていた。
「あの……。うちの師匠、どこへ行ったかご存知ありませんか?」
クレメンスは怪訝顔でダニエルを探るように見つめる。
昨晩、よく眠れなかったのだろうか。
ダニエルの顔は生気に乏しく、目は充血していた。
「急に仕事だと出かけてしまわれて・・・・・・。僕、なにも伺っていなかったんで、事務局に確認してみたんですが」
ダニエルは大きく息を吸う。
「出張するような仕事は入ってないって・・・・・・」
声の震えを懸命に抑えるように言った。
瞳は今にも泣き出しそうに揺れている。
「ああ、それは私が個人的に請け負った仕事をニコに頼んだのだ」
クレメンスはなにげない風を装って答えた。
ダニエルは驚いたように目を見開く。
「どうしても抜けられない案件があってな。急遽、ニコに代わってもらうことにしたのだ」
クレメンスはダニエルの様子を観察しながら、それっぽい理由を付け加えた。
「そうなんですか。良かった」
ダニエルの緊迫した雰囲気が一気に和らぎ、強張っていた頬にも明るい色味がさした。
「すまんな。突然のことだったから、あいつも言い忘れたのだろう」
クレメンスは優しく微笑む。
「いえ」
ダニエルは軽く視線を落とし、首をフルフルと横にふった。
「何か気にかかることでもあるのか?」
「いえ……」
ダニエルは視線を落としたままだった。
クレメンスはダニエルの次の言葉を待っていた。
ダニエルの慌てぶりから、ニコラスとダニエルの間に何かがあったということは、容易に想像できる。
だが、その詳細はクレメンスにはわからない。
昨日のニコラスからは、そのような様子は微塵も感じられなかったし、今日はニコラスの姿をみていない。
今の情報源はダニエルしかいない。
ダニエル本人から聞き出すしかないのだ。
しかし、ダニエルは黙ってうつむいているだけだった。
どうやら、話したくないようだ。
無理に口を割らせることもできるが、相手はニコラスの弟子だ。
そこまで踏み込むわけにもいかない。
「まったく。あいつはしょうがない奴だな。ペラペラとよくしゃべるわりに、たまに肝心なことを言い忘れる癖がある」
しかたなく、クレメンスはダニエルを安心させることのみに焦点をしぼる。
「え?」
ダニエルはキョトンとして、顔をあげた。
「気にするな。あいつは昔から、そういう奴だ」
クレメンスはダニエルにニッコリと微笑みかける。
「そうなんですか?」
「うむ。お前たちの前では気取っているようだが、ニコは昔から少々抜けたところがある」
「えええ。知りませんでした」
ダニエルは目を丸くして、少し大げさなくらい驚く。
「だろうな。ああ見えて、私に劣らず、かなりの意地っ張りだ」
クレメンスはしたり顔をしながら、腕を組みニヤリと笑ってみせる。
「先ほどあいつに会ったが、機嫌は悪くなかったぞ。と、いうよりは上機嫌だった」
ダニエルの表情が見違えるほどに明るくなっていく。
「今回の仕事は厄介なので、少し時間がかかりそうだ。訓練ならば私のところに来なさい」
「ありがとうございます。でも、師匠からディミトリアス先生の元へ通うように言われてますので」
「そうか。あいつも、そこは忘れてなかったんだな」
クレメンスは「フフフ」と楽しげ笑ってみせる。
ダニエルの顔に笑みが浮かんだ。
クレメンスは心の中でホッと一息つく。
「また何かあったら、遠慮なく相談に来なさい」
ダニエルは「はい」と元気よく返事をすると、深々とお辞儀をする。
クレメンスは「うむ」と頷くと、向きを変え歩き出した。
背後でダニエルが去っていく気配を感じながら廊下を進み、角を曲がったところで立ち止まった。
意識を集中し、ニコラスの気配を探す。
先ほど、ダニエルと会話をしながらそれとなく探ってみたが、ニコラスの気配を見つけだすことができなかった。
クレメンスはありとあらゆる方向に意識を向け、探ぐる。
しかし、ニコラスの魔力の気配を感じ取ることは出来なかった。
ここまで探っても見つからないということは、ニコラスが意識的に魔力を消しているか、もしくは、この世であってこの世でない場所に居るかだ。
通常、任務以外の局面で魔力を消すことは有り得ない。
おそらくニコラスは彼の地に居るに違いない。
残念ながら、クレメンスは彼処に入ることができない。
神域なのだ。
神に愛された者しかたどり着くことができない場所。
きっとニコラスはひとりになりたくなったのだろう。
ダニエルとの間に何があったかはわからない。
だがそれは、単なるきっかけに過ぎない。
おそらく、ニコラスはダニエルに対してどうこう思ってはいない。
ダニエルに対して怒りをおぼえたならば、その場で叱り飛ばすはずだ。
それをしないどころか、仕事だと嘘をつき、自分が居ない間のことまでしっかり指示してから姿を消した。
これはダニエルの問題ではなく、ニコラス自身の問題なのだろう。
今、ニコラスは、師・レイラとの思い出深い場所で、自身の問題と正面から向き合っているに違いない。
「はやく戻ってくればいいがな……」
クレメンスは深いため息をついた。