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短編

こいのおわり

作者: 片桐ゆかり

諦めると、そういっても。

世の中にはたくさんの人が居ると、言われても。

それでも、あの時の私には、あの人だけが男の人だったのだ。



***




「まだ好きなのか?」



話の合間にまるで、今日のご飯はなあに、と聞くかのように紡がれたその言葉は空気のように私の中に溶けて消えた。

何と応えたらいいのか、素直に答えるべき言葉を私は持ち合わせていないことに気付く。


ご飯に誘い、夜景を見に誘い、構ってくださいと誘い、その誘いを断られることなく仕事が終わるたびに行動を共にし。そのあといいように体を弄ばれ、そしていつだって優しさに触れるたびに慣れない私の思いは加速して止まらなかった。

抱きしめられる相手の温度。一緒に転寝してしまうわずかな時間。名前を呼ばれることもなく、ただうまくいっていない彼女との代わりだったのだとしても。私はあの時何もかも見失うくらいばかげた、そしてかわいそうな、恋をしていた。

相手が悪いのではないと、私は思っている。私が悪いのだ。誘ったのは、私。

誘いに乗った相手も悪いのかもしれないけれど、良い悪いで判断することができない。私の気持ちは宙ぶらりんでどこかに置き去りにされたままどこかへ出かけてしまったので。


もしかしたら、欲しかっただけなのかもしれない。今冷静になって思う。ただ、抱きしめてくれる相手が欲しかっただけなのかもと。

誰かと一緒に過ごす自分を私は想像できない。壊れてしまう、壊してしまうと思っているからか。憧れはあっても、欲しいと思っても、私には釣り合わないのではないかと思ってしまうのだろう。

あの時間、ただの4~5時間、あの時だけがあればよかった。

好きだった。それは確かだ。

恋をしていた。でも最初から諦めていた。

高望みをしてもきっと終わるだけ、そう感じていた。だからこそ私はフラれてからもフラれる前の中途半端な優しさを甘受していた時も、泣くことなどなくぼんやりと過ごしていたのだ。


--それも終わりを告げた。私がひたすらに思いを相談していた女性とその男は付き合いだしたらしい。

そうなるのでは、と思っていたので、聞いたときはああやっぱりとしか思わなかった。

そうか、やっぱり。そうなったのね。

気持ちはそれだけ。笑ってしまうくらい滑稽で惨めで、一人だけ恋に浮かれていた私が浮き彫りになったことに少しだけ悲しんだけど。



「わからない。でも、もやもやは消えないね」


「……思い出さないようにすると、人は逆にその事柄を忘れられないものらしいよ。いっぱい思い出して忘れてしまえ」



目の前の男は読んでいる雑誌から目を離さないままに言い放った。

淡々と、それでも私のことを思いやってくれているこの気の置けない友人は、もう終わりにすると何度も言った言葉をいつものように呆れたようにはいはい、とあしらった。

今度はほんとなの。駄々をこねるように、言い訳をするように微かにつぶやいた言葉を友人は目を細めて聞いた。



「構ってもらえる人を早く見つけなきゃね。いつも言われてた言葉を昨日も言われたの。

悲しかった思いを、それを聞いても感じなかったの。いつも感じていたかもわからないけど。嫉妬も嫌なことを考えてしまうのも、いや。全部がいや。忘れてしまえば楽になる?

わたし、今自分が悲しいのかもよくわからないのに」


「……」


「馬鹿みたいだなって思う?」


「恋は人をばかにするらしいよ。俺は、お前のこと馬鹿だなとは思わないけど」



目の前の友人はゆっくりと雑誌を閉じて私を見据えた。

何か食べよう。

眼鏡の奥の瞳が柔らかく私を見つめる。こくんと頷くと、よし、と言うように目を細めた。



「何かに迷った時、哀しい時、辛い時、温かなご飯を食べるといい。生きる行為を続けていかなければならないんだ、俺たちは。

下は底なし沼じゃない。いつだって底はあるものだ。でも、上に制限はないんだよ。上にあがるには体力がいる。温かなご飯を食べて体力をつけて少しずつ上がっていかないとな」


「ごはん、そっか、ごはん。私、どうでもいいと思ってしまってた」


「それこそバカだ。いいか、命の重さとか生きる大切さとかそんなこと偉そうに言うのは大嫌いだが。

俺たちは生きてきた分を返してから死んでくんだ。いろんなものに世話になってるんだから。たかだかあんなちっぽけな男のことでお前が全部を背負い込む必要なんてない。

わかったか?わかったら何がいいか言え。作ってやる」


「……翔ちゃん、男前だねえ」


「お前な、」


「うん、そうだねえ。私、ちょっとだけ自分をほめたくなってきたよ。私、人を好きになれたんだなって」


「アホかお前は。あいつを好きになるより前に俺のこと大好きだろうが。人を好きになれた?そんなのとっくの昔に出来てるだろう」


「……あのね、翔ちゃん。私が言ってるのは男女の好きのことだよ」


「でも愛里、あの男と俺とだったら俺を優先するだろう」


「ん、うん、そうだねえ。翔ちゃんの方が大事だねえ」


「それならそれでいいだろう。で、何を食べる?」



唐突に初めて唐突に終わった私の恋の話は、この男の中でもうなくなったらしい。

そんな話などしていなかったかのようにご飯の話に変わる。

オムライス、と答えた私の声は、つい昨日終わりを決意した人と会っていた時よりもはるかにはしゃいだ声を出していた。


翔ちゃんは大学時代からの友人である。

男女ではあるけれどなんともよく馬があい、四六時中一緒にいた。そしてお互いが社会人なった今も、定期的に私は彼の家を訪れ、彼もまた然り。



「当分いらないなあ、というか、私はやっぱり付き合うとかそういうの向かないんだよ」


「都合のいい女が卒業できてよかったじゃないか」


「いやみだなあ、翔ちゃん」


「――…ふん」



あっさりとそういって、鼻で笑ったあと肩を竦めた翔ちゃんはオムライスだな、と言いながらキッチンへ歩いて行った。

そのあとを追いながら私はふと振り返る。

私はどうも薄情なのかしらと思いながら、相手の顔が記憶からぼやけ始めているのを窓ガラスに映る自分の顔をみた。

――でもそうだな、もう二度と会いたくないや。自分の顔がひどく歪んでしまう前に消してしまおう。

スマートフォンの画面を操作して連絡先を削除する。機械のデータなんてあっけないものだ。ボタンを押すだけで、消えてしまう。

私の端末の中にはもう、あの時焦がれた相手の名前すら、残っていない。




「ここが一番楽だねえ、翔ちゃん」


「当たり前だろう。……いつだって帰ってくるように仕向けてるんだから」



後半が良く聞こえなかったが、ちゃんと返ってきた言葉に満足して私もキッチンへ向かう。

ふわふわの卵で包まれた絶品のオムライスが私を待っているはずだ。

そうして私は失った恋の痛みをすぐに忘れてあたたかなおいしいご飯を食べる。

どうやら、それだけで捨ててしまえるほど私は回復することができたらしい。



「おいしいねえ、翔ちゃん」


「お前はいつだってなんかあるたびに俺にオムライスばっかりつくらせるからな」



恋の終わりはいつだって唐突で、そしてあっけない。

終わってしまったのも、私が感じているだけで向こうは全く感じていないだけだったのだとしても。

ああなんて滑稽な!笑えてしまうくらいには、なれたのなら。

次はもっともっと幸せな日々を送れるようになりたいと思う所存である。











***


















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