一時休戦ってことでどうよ?
宿のある町へ着いた頃には、ちょうど空が茜色に染まっていた。宿を見つけたメイベルがエリナーの手をひいて駆け出す。
「すみません」
そう言って宿のなかへ入ると、なかでは宿屋のおかみさんとおぼしき女と一人の年老いた男が困ったように唸っていた。
「どうかしたんですか」
メイベルが訊ねると、おかみさんがこちらを見た。
「あらあら、お客さん?いらっしゃい。部屋は空いてますよ」
「四人で二部屋お願いしたいんですけど……大丈夫ですか?何か困ったことでも?」
「森へ薬草を摘みに行った息子が戻って来ないんですよ」
年老いた男が困ったように答えた。
「昼前に出ていったから、いくらなんでも遅すぎるわ。私ちょっと見てきて構いませんか」
そう言ったおかみさんのお腹は大きかった。
「あ、じゃああたしが行って来ます。大丈夫です。あたしと連れの人たち、これでも騎士なんですよ。この子、見てて貰ってもいいですか」
メイベルはそう言ってエリナーを預けようとしたが、エリナーは咄嗟にメイベルの腰にしがみついた。
「わ、わたしも連れて行って……下さい。邪魔に、ならないようにします……」
「わかった。じゃああたしから離れないでね」
メイベルがおかみさんにカンテラを借りて、エリナーの手をひいて再び外に出る。ちょうど追い付いたノアとウィルフレッドに事情を話し、四人で森へ向かった。ノアもエリナーを置いていこうとしたが、エリナーはメイベルから離れなかった。知らない人のところに一人で残るのはどうしても気が進まなかった。
「薬草取りに来たんだって。どこかで迷ってるのかなあ。マークスさーん!」
メイベルが声を張り上げる。
「メイベル、マークスさんを探すのも大事だけど、足元気を付けろよ」
ノアが注意すると、メイベルは眉をつりあげて振り返った。
「大丈夫だよ!ノアはいつも子供扱いする。ひとつしか違わないんだよ」
「わかってるけど、メイベルはそそっかしいから」
「あー、ひどい!ノアだって結構慌て者だし、泣き虫だし、喧嘩だって弱いじゃない」
「……泣き虫と喧嘩は今関係ないだろ?」
「関係ないけど、事実だもん。ほらノア、ちゃんと来た道覚えといてよ」
「ちょっとは自分で覚える努力してくれよ」
「そういうのはノアの得意分野でしょ。……なに、ウィル。変な顔して」
「こんないい男つかまえて、変な顔とは失礼な。微笑ましいなあと思って見てたんだよ。なあ、エリナー?」
「……自分で自分のこと褒めてるんですか」
「あ、そこに食い付く?」
そんな話をしながら、どんどん森のなかへ入っていく。途中、ノアがカンテラに灯りをいれた。
「しかし、人の気配がまったくしないな。足跡もないし……。マークスさん、どこに行ったんだろう」
「薬草取りに来たんだろ?その薬草はどこに生えてるんだよ」
「森の奥に泉があって、そこに生えてるって言ってたよ。貴重な薬草だから、あんまり生えないらしいけど」
ふと、ウィルフレッドが耳をすませた。
「……狼の声がする」
「もう、ウィル。またそういうこと言う」
メイベルが眉をひそめる。
「いや、本当に」
「え?」
ノアも耳をすませた。エリナーには何も聞こえない。しかし、本当だとすると相当恐ろしい。
エリナーの頭に、ウィルフレッドが手をおいた。
「大丈夫だよ、お姫様。俺たち、狼より強いから」
「ウソ。食べられちゃいます……きっと」
「何だよ、恐いのか?先に戻るか」
「戻りません。狼がいるなら、マークスさん早く見つけてあげなきゃ……」
そう言うと、ウィルフレッドはにやりと笑った。
「たいした心意気だな」
「でもウィル、本当に聞こえた?俺聞こえないけど」
ノアの問いに、ウィルフレッドがまたウソをついたのかとエリナーは顔をしかめた。
ウィルフレッドもウィルフレッドで、本当だと言い張るわけでもない。
「まあ何かあっても対処できるように心構えはしておけよ」
わかった、と答えたメイベルの身体が傾いだ。
わっ!という悲鳴のあとに、身体が茂みのほうへ傾いていき、そのまま消えた。
茂みの向こうは、崖になっていたのである。その下には川が流れていて、メイベルの身体が落ちる水音が聞こえた。
「メイベル!」
叫んだノアが、躊躇いなく地面を蹴ってそのあとを追った。
予想外の行動に、エリナーはもちろん、ウィルフレッドも動けない。
ノアの着水する音がして、そのあとはしんと静まり返った。川の流れる音のみが響く。
「メイベル!ノア!」
呼んでみたが、返事があるわけでもない。
思わず身を乗り出すと、首根っこを掴まれた。
「おまえまで落ちるぞ。気を付けろ」
「でも、メイベルとノアが……」
「下流の方へ行ってみるしかないが……クソ、あいつカンテラ持ったまま飛び下りやがった」
幸い月明かりはあるが、少し頼りない。
「朝まで休めるところを探そう」
ウィルフレッドが手を差し出してきた。怪訝な顔で見返すと、彼は困ったように笑った。
「一時休戦ってことでどうよ?」
「わかりました」
頷いて手をとると、ウィルフレッドはそのままエリナーの手をひいて歩き出した。
ウィルフレッドの手は大きくて温かくて、泣きそうだったエリナーの気持ちを鎮めてくれた。
一方的に握られていた手をきゅっと握り返すと、ぎゅっと力強く握り返された。
しばらく歩くと、川岸の少し開けたところに出た。
「よし、このあたりで休もう」
ウィルフレッドは薪を集め、火をおこし始める。
何だか落ち着かない。誰かに見られている気がする。
「ウィル……フレッド、さん」
「何だ?ウィルでいいよ」
「あの、ウィル……誰かに見られている気が……するんです」
ウィルフレッドは眉をあげた。
「怖いのか、お姫様?」
からかわれたと思い、エリナーは休戦も忘れてぷいっと横を向いた。
「怖くありません」
「そっか。それは勇ましい。狼が数匹、様子を窺ってるだけだよ」
さらりと言われて、ぎょっとして振り向く。
「ウソ、ですよね?」
「いや、本当」
火がついた。
ウィルフレッドが松明を作り、上に掲げる。
「三匹、かな。あんたはちょっと寝ておきな」
「無理……ですよ」
ウウウと低い唸り声がして、エリナーの身体が粟立つ。
ウィルフレッドが自分のマントをこちらに放った。
「それ被って百数えてろ」
「ええ!?」
「いいから、お兄さんの言うこと聞け」
エリナーは渋々、ウィルフレッドの言うとおりにした。ぎゅっと目をつぶり、数を数え始める。
キャウン!と甲高い鳴き声がして、数を数えるのが中断された。
次は、七十……三?
そう思った時、ばさりとマントが取り払われた。
「終わったぞ」
「え!?」
「狼さんたちは行っちゃったぞ。良かったな」
「ど、どうやって……」
「丁重にお願いしたの。聞き分けのいい奴らで助かった」
答えたウィルフレッドの頬に、切り傷ができて一筋血が流れている。
思わずそこに手を伸ばすと、ウィルフレッドがばつの悪そうな顔になった。
「またウソついたんですね」
「ごめんごめん。ばれた?」
「ばれます」
エリナーはハンカチを川で濡らして、傷を拭いてあげた。
「狼より強いっていうのは、本当……だったんですね」
「一応現役の騎士だからな」
現役の騎士がすべて狼に勝てるかどうかはわからないが、反論はしない。
よく見ると腕にも傷があって血が流れている。エリナーはその傷をハンカチで縛った。
「ありがとな」
ウィルフレッドが空いた手で頭を撫でてきた。
「朝になったらノアたちとマークスを探しに行こう。焚き火があれば獣もなかなか寄ってこないだろ。少し寝ておいた方がいい。それ、貸してやるから」
ウィルフレッドがマントを指して言った。ありがたく借りることにして、草の上で丸くなる。疲れていたのか、すぐに瞼が重たくなった。
「……ウィル?」
「ん?」
「ウィルは……寝ないんですか。見張りから、わたしも…………」
「俺は夜行性だから平気なんだよ」
「ウソ、ばっか…………」
その先は言葉にならなかった。
意識が急速に遠のいていく。
ウィルフレッドがそれを見て、微笑ましげに笑ったのも、マントの他に上着をかけてくれたのも気が付かなかった。
「………ナー。エリナー、起きろ」
ゆさゆさと揺すぶられて、エリナーは思わず呻いた。
「んん、もうすこし…………」
「俺もできれば、しばらくお姫様の寝顔を見ていたいんだけどさ」
笑いながら言われて、エリナーはがばっと跳ね起きた。
「おはよ」
「お、おはっ、きゃあ!」
頭が状況を思い出さず、目の前のウィルフレッドに思わず悲鳴をあげてしまう。それから、現在の状況を思い出した。
「ご、ごめん、なさい……」
「よく寝れたか」
「はい……ごめんなさい」
「謝らなくていい。ほら、朝飯」
ウィルフレッドがどこから採ってきたのか、キイチゴを掌に載せてくれた。甘酸っぱくておいしい。
「じゃあ行くか。下流で合流できたらいいんだが」
エリナーの仕度ができるのを待って、ウィルフレッドが立ち上がった。エリナーもネコリュックを背負う。
「マークスさんがいるかもしれない泉、この川沿いにない……でしょうか」
「さあなあ。それだと手間が省けるけどな」
ウィルフレッドのあとについて、エリナーも歩き出す。
無事にメイベルとノアに会えるかな。
マークスさん、無事かな。
このままみんなに会えなかったらどうするんだろう。
もし、森から出られなくなったらーー……。
「お、見ろよ。あそこの崖に鷲の巣があるぞ」
ウィルフレッドが指差した。エリナーは鷲も見たことがない。
「気を付けろよ。鷲は鳶なんて目じゃねえぞ。大人もさらわれちまうからな」
「……また、そういうこと言う……」
「今度は本当かもしれねえぜ?気を付けねえと、俺も鷲には勝てねえからなあ」
「……鷲は、狼より強い……んですか」
「もちろん。こーんなでっかいのが空から襲ってくるんだぜ。俺でもさらわれるよ」
エリナーはぎょっとした。
「ウィル、も?」
「ああ。エリナーなんて朝飯前だよ。二人揃ってあいつらのメインディッシュとデザートになる前に、さっさと……あ、帰ってきた」
ウィルフレッドの言葉と、上空の羽音にエリナーはまたぎょっとして空を見上げた。
たしかに大きな鳥が崖の巣に向かって飛んでいる。だが、その大きさは「こーんなでっかい」とウィルフレッドが広げた両腕よりだいぶ小さかった。
「……ウィル……」
「ん?」
「また……ウソ、つきましたね」
「さっきのか?あれは、俺たちがリスだったらと仮定した話だ」
「そんなのひどいです!」
「あれ、俺リスだったらって言わなかったっけ。悪いな。でも、油断したらダメだぞ。森にはまだ危ない奴らがいっぱいいて、例えば巨大なイノシシとか……」
「もうウィルの話は聞きません!」
「いや、イノシシは本当にいるぞ。昔俺がでくわしたヤツはこーんなにでかくて……」
「ウィルなんて、イノシシに食べられちゃえばいいんです」
「奴らは固い男の肉より、柔らかい女の子の肉の方が……」
「ウィルの……バカっ!」
エリナーは気付いていなかった。ウィルフレッドの話のおかげで、先ほどまでの恐ろしい不安を忘れられている。
ウィルフレッドはそれからもイノシシやクマや、はたまた巨大なチョウやカマキリの話まで持ち出して喋っていた。
エリナーはそれにぎょっとしたり怒ったりしていたが、突然ウィルフレッドに後ろから腕を引っ張られ、段違いに驚いた。
「何、です……か……」
「しっ」
ウィルフレッドはエリナーを黙らせ、背中に庇った。
ガサッと茂みが音をたてる。
ウィルフレッドの手が、剣の柄にかかった。