連続する予想外(5)
ざわつく周囲を尻目に、上着を脱いで軽くストレッチを行う。
今の私には、卑しいだとか身の程知らずなどの陰口すら、ファンファーレのように聞こえてくる。
久し振りの手合わせ! 今日はなんて良い日なのだろう。
「あのさ、レオ。こう言っちゃなんだけど、色々と面倒なことになるから勝つのはまずいと思うよー」
すると、あからさまに浮かれている私へ、ジャン様が釘を刺すかのように囁いた。
しかし、あまりに予想外な言葉に驚き、動きが止まる。足を伸ばしていたので見上げる形で視線を合わせれば、ジャン様は軽い口調とは裏腹に思いのほか真剣だった。
「なんでそこでレオが驚くのさぁ」
「ジャン様があまりに見当違いなことを仰るので」
首を傾げられてもこちらが困る。
それにしても、私が乗り気なのは勝てると思っているからだと捉えられていたのか。なんという勘違い。
あまりのことに忍び笑いしてしまっていれば、なおさら怪訝な顔で無言の追及を受けてしまう。
だから、当然のことをきっぱりと告げてやった。
「私ごときが勝てるわけがありません。ですから、心配は無用です」
「はあ?!」
「むしろ、私が勝てると思われていたジャン様に驚きです」
ついでにその大袈裟な反応にも。私はおかしなことなどまったく言っていないぞ。
ストレッチを再開し、向かい側で同じように身体を動かしているエドガー様をこっそりと窺っていれば、現実へと戻ってきたらしいジャン様が理解出来ないとぼやいていた。
「だったら何で、そんなに嬉しそうなの? たぶんエドガーは、手加減なしに甚振るつもりだけど」
そんなの決まってる。相手がいる形で剣が振れるからだ。私にとっての日常が、たとえ一時でも戻ってくる。
しかも格上との勝負。そこにはいつだって強くなれるヒントが隠されている。
「今よりも強くなれるかもしれないからです」
「えっと……、レオってば、実は被虐趣味があったりとか?」
「違います」
やはり理解はしてもらえなかったか。それどころか最悪な誤解すらされている。これが仲間内ならば、激しい争奪戦が繰り広げられるってのに……。
いつだったか、勝てないと悔しがる私たちに対し、上司が笑いながらくれた言葉がある。実戦で負けられないのだから、訓練でぐらいこてんぱんに負けておけ。それがさらに自分を強くしてくれるはずだ、と。
ただし、許されるのは上司に限った話で、万に一つでも部下に負けるようなことがあったなら、それこそ容赦なく怒鳴られた上でしこたま痛めつけられる。しかも、立場が同じ者たちの前でだ。あれは見ている方もきつい。
ちなみに、それを最もやらかしているのが私で、あまりの頻度に一度だけ団長直々にお相手をして頂いたことがあった。
あれは本気で死ぬかと思った。情けなさも悔しさも通り越し、だったらなぜ二年目で小隊長にしくさってくれたのかと怒りが湧いたね。さすがに今では半年に一度ぐらいになったので、部隊長止まりで済んでいるが。
「どうもジャン様は勘違いされているようですが、私は自分の事を強いと思ったことなど一度もありません。たとえ、本当に女性騎士の中では最強なのだとしても、です」
「それって、相手によっては嫌味にしかならないけどねぇ」
「馬鹿馬鹿しい。私は娯楽で剣を持っているつもりはありません。とはいえ黒騎士は、これでもかと弱い事を自覚させられるので、強さには貪欲ですよ」
大分身体がほぐれたので、傍らに置いていた刃の潰された剣を手に取り数度振った。
やはり自分の物と比べれば、かなり重く感じる。これでは普段の半分も動けはしないだろう。
でもまあ仕方ない。木刀で許されるのは、私のスタイルを知っているからこそなのだから。
顔を上げれば、エドガー様も準備が整ったのか、素晴らしい眼圧で早く来いと命令してくれていた。ぶちのめす気が満々で、暇人らしいギャラリーもまたその様を見れるのを楽しみに待っている。
「今なら、地面にまで頭下げれば許してくれるかもよー?」
「白騎士の方々は優しいですね。我々ならば、一度敵と認識した相手に慈悲など与えませんよ」
「うん……、そろそろ黒騎士のことが分かってきた気がする」
「それは助かります。外野はどうでもいいですが、ジャン様にまで私が負けて傷心すると勘違いされ、楽しまれては癪ですから」
この期に及んで人をおちょくってくるジャン様に、とうとうはっきりと言ってやれば、つまらなさそうに眉を顰めていた。まさか気付いていないとでも思っていたのか。頭が幸せそうで何よりだ。
かといって、ただで負けるつもりもない。この状態でどれだけ立ち回れるか、ひとつ試してみることにしよう。
「ただ、そうですね……。いくら弱いと言っても、最低一回は背後を取れると思います」
「は…………?」
「おや? 先ほど理解されたと仰っていたではありませんか。私とて、腐っても黒騎士ですよ」
とりあえず、ジャン様への仕返しを二つほど済ませ、待ち飽きているエドガー様の前へと立つ。
なんとか気を引き締めようとするが、どうしようもなく口角が上がってしまう。
全てが終わったら、同期に自慢してやらなければ。噂の天才に相手をしてもらえたと。
「遅い!」
「申し訳ございません。お優しいジャン様から、大変ためになるアドバイスを頂いていましたので」
「それで勝てると勘違いし、笑っているのか」
「まさか。負けますよ、確実に」
「なんだと……?」
「ですから負けると言ったんです。ご期待に沿えず申し訳ありませんが、残念ながら私は馬鹿じゃない」
遅れて私たちの傍に立ったジャン様が審判をされるらしく、エドガー様が訝しげに視線を投げれば、彼は面白くなさそうに肩を竦めた。
そして、開始の合図を送るために片手を挙げる。
だから私は、姿勢を正し深く頭を下げた。
「よろしくお願いします」
たとえ複数から変な目で見られようが構わない。理不尽に付き合わされるといっても、こっちは教わる側なのだから当然な姿勢だ。自分の心情を優先して怠るわけにはいかない。
真正面で剣を構えると、一拍置いてからエドガー様が続いた。
視界の端で、ジャン様が腕を振り下ろす。
「負けを認めたら終わりにしようか。じゃあ、始めー」
なんて気の抜けた合図なことか。条件は私へのあてつけだろう。
まあ良い。最近では相手が迫ってくるのを待ってばかりだったが、今日は違う。懐かしさと共に、躊躇なく地を蹴った。
とはいえ、こんな真正面からの責めは防がれるに決まっているので、力はまったく込めていない。
「はっ! これのどこが実力者だ。聞いて呆れる」
ガンッ! ――と、鈍い音が響き至近距離で嘲笑を浴びるも、それすら楽しさを湧き起こさせる。
会話は邪魔だ。私はただぶつかるのみ。余裕は圧倒的強者にのみ許された特権だろう。
すぐさま距離を取り、再びエドガー様の右肩めがけて剣を振る。
しかし、それも簡単に反応され、くすんだ刃が立ち塞がった。
だから、わざと添えるだけだっだ片手を離し、腕を振り子のようにして身体を捻る。一瞬で目標を逆側へ変えた。
「っ――! 器用な真似を」
くそっ、今のはおしかった! 奇跡的に一撃を入れられるとすれば、開始直後の今しかないというのに失敗した。
それでも、エドガー様から本気を引き出せたとすれば、十分な成果だ。
「良いだろう。お前の顔から、その腹立たしい仮面を剥いでやる」
そして、容赦のない猛攻が始まった。
エドガー様の剣さばきは、それはもう美しかった。スッと伸びた背筋と無駄のない動きは繊細すぎるほどで、なるほどこれは銀雪だと初めて納得する。
一面に広がる雪の上には足跡の一つさえ無く、ただただ光り輝く。そんな情景が浮かびそうなほど。真剣での勝負であれば、余計にそう思えるだろう。
かといって力がないわけでもなくて、一度受けてみると腕が強い痺れに襲われた。
「凄い…………、凄い!」
思わず心が躍って騒ぐ。握力まかせじゃこうはならないだろう。安定感のある足にぶれない軸、最適な持ち方。全てが揃っているからこそ、この威力。こんなにも整った剣を使う人は初めてだ。
たぶん、あと二回受けるのが精々だろう。元々私は、最低限しか剣を合わせない。どうやったって力比べでは負けてしまうので、出来ないと言った方が正解か。
ついでに小柄でもないので、取れた手段といえばとにかく避けること。避けて、倒す。
言うだけなら簡単だが、失敗すればあっという間であの世行きとなるので紙一重な戦法でもある。なんとか物にできるまで叩きのめされるのがお決まりで、付き合ってくれた同期からは、私のおかげで人を殴るのも骨を折るのも慣れたと言われたほどだ。
それでも普段なら受け流しつつなので、まだ余裕を持てる。しかし、あいにくと今日の得物は、自分に合っているとはいえない。精一杯鍛えた握力は、残念ながら黒騎士の平均の半分以下だ。
頬や腕、肩に腰と、統一性もなく次々と襲い来る攻撃を避け続ける内、いたるところで鈍痛を感じるようになっていった。
「負けると分かっているなら、大人しくやられておけば良いものを」
頼むから、そんなつまらないことを言わないでくれ。
あんたの性格は大嫌いだが、その剣はとても綺麗でいつまでだって見ていたい。せっかくそう思っているのに。
まだ……、まだ続けたい。
けれど、エドガー様の剣のスピードがさらに上がり、避けるのもかなり際どくなってきた。
いっそ剣を捨てて肉弾戦でいってやりたいが、さすがにダメか。
「ちょこまかと……。体力馬鹿が!」
「はい! 良く言われます」
「嬉しそうにするな、褒めてない!」
しまいには怒られてしまった。
けれどそれが、はからずもリズムを崩すことになったらしい。
強気に言った手前、一度は背後を取らないと死ぬに死に切れないこともあり、ほぼ反射的に身体が動いた。
気合を原動力に片手で脇腹めがけて攻撃をし、剣がぶつかる前に開始直後と同じような動きで身体を回転させる。
流れる視界の中で隙を見つけた。しかし、左手には何もない。これが試合なことが、負けることよりも悔しかった。
仕方なく、エドガー様の背中を肘で叩く。
「――――卑怯な」
「失礼な。身体も立派な武器ですよ」
大したダメージは与えられなかった。意外にも鍛えられた身体をしていたらしい。
むしろこっちの腕が、痺れてダメージを受けている。勢いまかせで急所を狙えなかったのが痛かった。
そして、反撃の重い一撃をくらってしまう。
慌てて防いだから良いものを、間に合わなければ肩が砕けていたかもしれない。
それでも耐え切れず、横倒しとなり地面を滑った。そこかしこから嘲笑が聞こえてくる。
「なにが腕があるだ、笑わせるな。まともに剣を振ることすら出来ない雑魚が」
「その雑魚に一発浴びたのは誰で――――っ!」
立ち上がりながら減らず口を叩けば、頭上から剣が降ってきてなんとか凌いだ。腕が限界を訴え悲鳴を上げる。
情けない。ここまで動けないとは思わなかった。せめて、その憎らしいほど青い瞳に困惑ぐらいは浮かべさせたかったのに。
「ここで急所を蹴り上げたら、血祭り確定です、よね?」
「安心しろ、させはしない」
「……残念。下品だとか言って怒るかと思ったのですが」
「いい加減、貴様の性格は理解した」
「それはどーも。しかしまあ、仮面は健在です。完敗は免れたということで、良しとしますか」
「そういった態度が気に食わないと言ってるんだ!」
これ以上は本当に、ただ当り散らされるだけになるだろう。
親の仇のごとく睨み付けてくるエドガー様を無視し、剣を下げる。
そして一言。
「参りました」
外野を含めこの場の全員が不完全燃焼となるだろうが、ルールはルールですから。
「じゃあ、残念だけどそこまでだねぇ」
「少しぐらい本音を隠して下さい」
「レオに気を使うだけ無駄だって分かったし?」
確かに。それは否定しない。要望にも答えられそうにないので、仕方なく口を噤んだ。
エドガー様の剣と渡り合うには、色々と足りなさ過ぎた。自分でも、もったいないと思う。こんなレベルの相手をするなど、もったいないと。
それでも楽しかった。たとえ、立ち上がって汚れを掃い顔を上げた先にあったのが、深く苦々しい怒りと敵意であったとしても、私はすごく楽しかった。
「――ありがとうございました」
だから、心から礼を取れば舌打ちで返され、エドガー様は荒い足音を響かせながら去っていく。
その背中が遠くなってから頭を上げると、遠慮が無くなった罵詈雑言の嵐だ。
しかしながら、私にとっては十分にお上品で遠まわしなので、むしろ良い感じにやる気を補充してくれる。中身が下劣な盗賊どもと互角な陳腐さなのがまた面白い。
「手当ているー?」
「結構です。こんなかすり傷、唾も必要ありません」
「おっとこまえー。にしても、手加減が苦手なエドガー相手でかすり傷だけかぁ」
「女相手というだけで、大抵の方は無意識に情けを持ちますから。実力者なら尚更でしょう」
「ふーん……。女扱いされるのは嫌がるくせに、そういうところは利用するんだ」
しかし、後片付けをする私に纏わりついてきたジャン様だけは違った。
何が言いたいのか。一々言動が鼻につく男だ。
「私は、騎士である女と一般の女性を混同されるのが納得できないだけです。たしかに、男であればと思ったことは何度もありますが、だからといって女な自分を否定するつもりはない。それとも、相手の逆手を取ってはいけないとでも?」
「いんや。可愛くないとは思うけど、良いんじゃない? それよりも、レオってばなんだか騎士に固執してるみたいだけど、どうしてこの仕事を選んだのかって方が気になるなぁ」
可愛くなくて結構。元よりそんな態度が取れていれば、悪魔など呼ばれはしない。
剣を片付け置いていた上着を取り、背後で答えを待つジャン様へと振り返る。今の自分は、かなり悪印象な笑みを浮かべていることだろう。
「もちろん、人の役に立ちたかったからです」
そう言っておきながら、心の中の自分が嘘だとすぐさま返す。
本人でそうなのだ。ジャン様とて、馬鹿正直に信じてはくれない。
「それなら別に、征伐部隊じゃなくてもよかったんじゃない? もっといえば黒騎士より青騎士の方が、女性にしか出来ない仕事も多いはずだし」
そしてこの男は、遠慮なく痛いところを突いてくる。
しかし、その通りなのだ。四年前も、学校の教官や団長に何度も聞かれた。はっきり無理だとすら言われ、しまいには怒鳴られたこともある。
それでも私は一貫して、その答えを言い続けている。この本心だけは、認めてはいけない。まだその時はやってこない。
だから、お得意の微笑ではぐらかし、話を変えてしまう。
「それよりも、お願いがあるのですが」
当然ながら、納得出来ない様子で渋い顔をされてしまったが、無視してやった。この男だって、人の内側に土足で入って来れるほど、良好な関係を築けているとは思っていないはずだから。
「……まあいいや。それで、お願いって?」
「宿舎から、私物をいくつか持ってきて欲しいんです。いつもの遠征道具をと部下に言えば伝わりますので」
「遠征道具?」
「はい。あと、紫と赤はお気に入りだから忘れるな、とも」
とりあえず引いた感は拭えなかったが、それでもジャン様はしつこく追及をせず、便宜をはかると約束している手前もあって頷いてくれた。
ただし、勘ぐってはいるのだろう。
それで良い。所属の違う団員は宿舎に入れないので、用意する場面を見られなければこちらのもの。
「分かった。夜には届けるよ」
「お願いします」
やはり今日は良い日だ。大分すっきりできたので、これならなんとか乗り切ることができるだろう。
そして、早く夜が来る事を願い、私は訓練場を後にした。




