連続する予想外(4)
なにかに呪われてやしないか? 今の状況にかなり本気で考えてしまう。
これまで普通ならば経験しないような苦労こそありはしたが、それでも順調な騎士生活を送れていると思っていた。それがこの一週間弱でひっくり返ったかのように、面倒なことばかりに直面している。
「聞いているのか!」
「もー、エドガーってば、なんでレオにはそんなに怒鳴り散らしてばっかなのさー。いつもなら、ブリザードを発生させるだけで無視するくせにぃ」
とりあえず、目の前ではエドガー様が鬼の形相で人の胸倉を容赦なく掴んでいた。そして、さすがにこれはやりすぎだと思ったのか、ジャン様が必死になだめようとしてくれている。しかし、効果はまったくない。
そもそもなぜこんなことになっているのかというと、……不明としか言えない。今の怒鳴り声から説明か何かをしていたようだが、あいにくと遠い目をしてしまっていたので微塵も聞いていなかった。
なにせ、ほぼおさらいだけとなった朝一のダンスの授業で、出合い頭にこうなったのだ。挨拶すらすっ飛ばし腕が伸びてきた。
一応避けることは可能だったが、明らかに怒っているのが分かり、余計に悪化させるのが嫌で委ねた結果がこの状態。現実逃避して何が悪い。というか私が何をした。
「レオも笑いながら怒らないでよー。目が怖いから!」
「ですから、私はこれが地顔なんです」
「だったらせめて苦しそうな顔して。お願いだからさー。どう見ても今、苦しいでしょ」
「否定はしませんが、上司に比べればまったくですね」
「あー、もう! とにかくエドガー、手を離せ!」
おお……、まさかジャン様が声を荒げる姿を見れるとは思わなかった。
などと暢気に考えていれば、ほぼ引き剥がされる形で拘束が解け、反動で近くの椅子に軽くぶつかる。小さな咳が数回、気まずい雰囲気の室内で無駄に響く。
ボタンが一個取れてしまったらしく、俯いた視線の先で床を転がっていた。
「少しは立場を弁えて大人しくできないのか」
やれやれとため息を吐いていれば、少しは冷静さを取り戻したらしいエドガー様が、それでも地を這う低い声で告げてきた。
そうか、謝るつもりはないと。
もちろん欲しくも、受け取るつもりもないので構いません。ただし、売られた喧嘩は買わなければ、二度と黒騎士とは名乗れなくなる。
「何に対してそんなにもお怒りなのかは存じませんが、私はあなたのご希望通り大人しくしていましたよ?」
毎朝の日課も訓練も、まともに出来ないのをひたすら耐え、酒すら飲まず良い子ちゃんを演じていたつもりだ。たとえ態度そのものは最悪でも、私は立場を弁えながらやれることをやっている。
だというのに、それをしていない奴に偉そうに言われる筋合はない。
「抜け抜けと……! 平民の、しかも親なしの分際で」
「はい。ですから、あなたと違って教養も身分もない頭の足りない私に、ご教授頂きたいと願い出ております」
どれだけ恐怖を抱こうとも、己自身にさえ屈するな。黒騎士は、なによりもまずそれを魂に刻み込まれる。
だから、今にも殴ってきそうなエドガー様から、一切の視線を外さなかった。彼の隣でジャン様がドン引いている気もしなくはないが、無視だ無視。意識して薄い笑みを浮かべる。
空ではなく澄みきった大海原を連想させる深い青には、いっそ殺意さえ込められている気がした。
「何が目的で殿下に近付いた!」
しかし、そう怒鳴りつけられた瞬間、ひどく腹を抱えて笑いたい衝動に駆られた。
なんだ、そういうことか。整ったというよりも美しいと評するのが相応しいお顔を歪められているところ悪いが、そうなると途端にこの方が可愛らしく思えてくる。
これは反則だ、うっかりエドガー様から視線を外してしまった。それでも私としては全力で耐えたつもりだったが、どうやら肩が震えていたらしい。
するとどうなるか。ものの見事に、笑いを堪えようとして失敗している姿を相手に見せつけているわけで、挑発にしかならなかった。
「エドガー! さすがにそれはまずいって!」
「文句ならこの女に言え!」
そうして、白騎士の中でも特に人気の二人による、世にも珍しい攻防が繰り広げられた。
しかし、どちらも視線は私に注がれており、特にジャン様は非難の色を濃く映している。煽るんじゃねえ、ってところだろうか。
当たり前ながら、貴族に楯突いたことになる私の明日は、生命的にか社会的、もしくは両方において抹殺される運命になる。ただし、所属が黒騎士団でなければ、だが。
白はもちろんのこと、緑と最後の一つである青の騎士団のトップは、全て貴族位の者が担っている。それは、それぞれの役割が全て、何らかの形で政治にも少なからず関わってくることが理由に挙げられるからだが、黒騎士団のみ仕事の内容が民へと向いているためその限りではなく、だからこそ理不尽な圧力によって職務に支障をきたさないよう設立当初からとある権利が認められていた。
血ではなく剣を見よ。つまり、身分よりも騎士に重きを置いて良いということだ。
もちろん向こうは中級騎士で上位におり、反抗的な素振りが限界で命令には従うしかないが、この権利があれば私は何の遠慮もなくいられる。そこに順位がつけられるのだから。
「殿下とは、第三王子であらせられるルードヴィヒ殿下のことで?」
「まじでレオ、これ以上エドガーを刺激しないでくれないかなー」
「では、ジャン様が場を収めてくれるのですか?」
全然できていないくせに。言外に含んでやれば、諦めた様子のため息が深く吐き出された。
内容はどうであれ、私はエドガー様の許容範囲を超えたのだ。作戦に響かないよう敵意を消す必要があった。
しかし、素直に納得してくれるとは思えないのが面倒なところ。
さて、どうしようか。
「なんにせよ、お目にかかったのは偶然の出来事です」
「そんな言い訳が通じると思ったか」
だったらせめて、まともに尋問しやがれ。
……危ない、思わず本音が出てしまうところだった。
このままでは埒が開かないと見切りをつけ、エドガー様から彼の肩を全力で押さえるジャン様へと視線をずらす。というか、またしても白騎士相手に暴言を吐いてしまう自信しかなかった。
すると、幸運にも意味が通じ、やっとのことで詳細を知ることができる。
「実は昨日、殿下が稽古の時間に駄々をこねられてねぇ。普段の教師が不在だったからエドガーが臨時で教えることになったんだけど、嫌だ、レオが良いって」
「…………それはまた」
「でもほら、君と接点があるはずないでしょ? だから殿下にそれとなく伺ったら、秘密って可愛く言われちゃってさあ」
脱力してしまうところだった。
それは、怪しんでくれと言っているようなものだ。どうせなら出会ったことから全てを秘密にして欲しかった。
「しまいには、エドガーとレオが仕事を交代すれば良いとまで言ってくれちゃって。殿下の護衛を担当してる先輩たちは、わけ知り顔だったっぽいけど教えてくれないし、エドガーはこうでしょ? もう俺、泣きそう」
だというのにさらに、殿下はとんでもない爆弾を放っていたようで、ジャン様の言葉を聞いた私はたまらなく頭を抱えたくなってしまった。
ただでさえエドガー様は私が気に食わないっていうのに、それは怒って当然だろう。むしろ、悪意なしにこの状況を作り出した殿下が凄い。子供の無邪気さは危険すぎる。
「そうでしたか。納得しました」
「どういう意味だ」
「そのままの意味ですよ。可愛いなあと」
「不敬罪で死にたいらしいな。それとも、そんなにも殴られたいか」
「エドガーって、たまにとんでもないボケをかますよね……」
なんだかなあ、一緒になって腹を立てるのも馬鹿らしくなってきた。
嫌味すら通じなくてほら、お仲間にも呆れられていますよ。今のは殿下にじゃなく、あなたに言ったんです。子供染みていますね、と。
高すぎる自尊心は、視野を極端に狭くする。この人はきっと、心を折られたことなどないのだろう。一度でも経験があれば、少なくともいきなり人に掴みかかってきたりはしないはずだ。
「私はアシル様の指示通りにしたまでです。その真意は分かりませんので、ご本人へお尋ね下さい」
どうせ教えてもらえないだろうが。
アシル様め、こうなることが分かっていたからこその、あの魔法の言葉だったのか。だとしても、一体私に何をさせたいのやら。
ともかくきっぱりと告げれば、理不尽な言いがかりがやっと止まってくれた。
かつてない冷気に晒されようとも、気付いていないフリをしておく。睨み返せばふりだしに戻ってしまうだけだろう。
「……こんな傲慢なだけの女が必要不可欠だと、アシル様はなぜ言える」
と思っていれば、予想を裏切り不穏な発言がエドガー様の薄い唇から零れた。
蒸し返すどころか悪化してやしないか?
どうやったって私は、この男にとって目障りならしい。
長い付き合いなくせしてすっかり油断していたジャン様の緩んだ拘束を突破し、エドガー様がおもむろに腕を伸ばしてきた。
こうなったら一発ぐらいなら殴られてやるか。そう考え、衝撃に備える。
しかし、いざ襲ってきたのは、腕を取られる感覚と前方へ引っ張られる力だった。
「来い!」
「エドガー?!」
反動でたたらを踏めば、そのまま引きずられるようにしてどこかへ連れて行かれる。
ほとんど扉を蹴破る形で廊下に出され、背後から慌てたジャン様が追いかけてくる。幸い付近の人の出入りは制限しているため、この異様な様子だけは目撃されずに済むが、今度は何に怒っていらっしゃっているのやら。
これのどこが銀雪だ。ただの短気で、雰囲気だってどこか炎じみている。無表情が標準装備だと噂ではいっていたが、出会ってからこの男の眉間に皺が寄っていないところを見たことがない。
「レオ、大丈夫?」
「大丈夫ではないと言えば、ジャン様がどうにかしてくださいますか?」
「無理だねぇ。エドガーってばぶち切れてるし」
「……そうだと思いました」
「レオと比べられたのがよっぽど嫌だったみたいだねぇ」
ほんと、殿下はとんでもないことを言ってくれたよ!
ジャン様も、よくもまあいけしゃあしゃあと。心配そうな表情の奥には、ばっちりと本心が見え隠れしている。表に出すだけまだエドガー様の方がマシだろう。
この際だからはっきりさせておこう。私だってこの二人が気に食わない。仕事だけをさせてくれ。どうしても逃げられない面倒事は、さっさと終わらせるのが普通じゃないのか。
そして思い出したのは、団長の言葉だった。
――貴族のお坊ちゃん。
そうか、知っている横暴さから比べればマシだっただけで、そうなれば馬鹿じゃないだけむしろ性質が悪い。
私は、自分の為だけにあるくだらないプライドに付き合わされているってことだ。
前言撤回、可愛いどころか心底笑える。
「自分で歩きますので、目的地をおっしゃって下さい」
足で床を叩き大きな音でこちらに意識を向けさせ、エドガー様が振り返るのに合わせ断言する。
いい加減掴まれた腕と肩が痛いんですよ。任務に支障が出たらどうするんだ。
ほぼ同じ高さにある青い瞳は、怯んだのか僅かに揺らいでいた。
「……望み通り相手をしてやる」
「ということは、訓練場でよろしいですね?」
それを聞き、頷くのを待って腕を払って自由を得ると、二人を置いてさっさと歩く。スキップをしなかった自分を褒めてやりたい。
しかし、気配には滲み出てしまったのか、ジャン様の呆然とした呟きが聞こえた。
「え? あれって絶対喜んでるよね」
「なんなんだ、あいつは……」
現金な奴ですいません。
だけどそれって、つまりは手合わせしてくれるってことですよね。これを喜ばないはずがないでしょう。
忘れかけていたが、エドガー様は稀代の天才とまで言われている方だ。図々しくもお願いした時に一刀両断されたので、完全に諦めていた。
だから、たとえ向こうが痛めつけるのを目的としていても、こんなチャンス逃すわけにはいかない。
そうして、私は喧嘩も怒りも放り捨て、訓練場へと足を進めた。