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悪魔の微笑を消す呪文  作者: 林 りょう
【王城】編
76/79

マイ・ロード(2)





「エドガーってさ、レオに惚れてるよね」


 ルードヴィヒ殿下が唐突にそう仰ってきたのは、紅騎士団に関する些事も落ち着き、これからの変化へ城内が少しずつ用意を始めた頃だった。

 休むことなく続けている稽古の最中の言葉は当然ながら複数人が聞いており、構えることなく受けた衝撃はより威力を増している。

 しかしながら周囲の反応は、予想に反してほぼ無いに等しい。

 それがさらに、俺から声を奪った。


「殿下、エドガーが冗談の通じない男なのはご存知でしょー? ほら、見事に固まっているじゃないですか」

「ジャン、つまらない誤魔化しは止せ。お前のそれは、親友の恋路の相手を自分が認めたくないだけだと、俺はちゃんと分かってるぞ」

「うわー……。なんか殿下が、日に日に可愛くなくなってるんですけど」


 耳はしっかりと、殿下とジャンの会話を拾っているが、頭はそれを処理しきれていない。


「ジャンと違って、エドガーは素直だからな。髪を伸ばすようになったのは、どうせレオの好きな色が黒だからだろ? 俺が話題に出しても、以前と違って不機嫌じゃなくなったしな」

「そうですかねぇ」

「しかも兄上に、宣戦布告というか、わざわざ伺いを立てたらしいな。嬉しそうに話してくれたぞ」

「え、何ですかそれ。エドガーってば大胆ー!」

「なんでも、見込みがなさそうだから奪っても良いかって言ったらしい。兄上相手に凄いと思いたいところだが、俺としてはレオは物じゃないって釈然としなかったりする」

「それはですねぇ、殿下がもう少し成長すれば分かりますよ。でもってですね、俺としてはかなーり楽しい話題ですがそろそろ勘弁して頂かないと、銀雪の騎士が雪解けを通り越して蒸発してしまうかと思います」


 そして、割って入るどころか呼吸も忘れていれば、その場にいる全員の視線が集中すると共に、先輩から肩を叩かれ我を取り戻す。

 だが、喉を出かけた抗議の声は、言い逃れのできない指摘によって飲み込まざるを得なくなった。


「あっはっはっは! エドガーってば、顔真っ赤!」

「な、素直だろ? これだけ分かりやすいのにまだ告白してないのが不思議すぎる」


 顔面で感じる異様な熱は、やはり気のせいではなかったようだ。

 ジャンからは指をさして笑われ、殿下には本気で首を傾げられる。これはもう、何を言っても自滅するだけだろう。

 かといって今は職務中で、心のままに立ち去ることも出来ない。殿下のことをこんなにも恨めしく思ったのは初めてだ。

 先輩からのとってつけた様な慰めに、ため息で返すのが精一杯だった。


「しかも不憫なのが、これだけあからさまなのに、レオってば気付いてないんだ」


 さらに殿下は、なんとか平静を保とうとする俺の努力を、これでもかと邪魔なされる。

 にしても今気付いたが、レオの話となると一気に言葉遣いが崩れるようだ。

 こうして意識を逸らすでもしない限り、口は悪いが子供に心配されている事実に対し、本気で落ち込みそうでならない。

 そして案の定、ジャンは悪乗りし始めていた。


「レオの場合はたぶんですけど、未だにエドガーが自分のことを嫌いだと思ってるんじゃないですかねぇ」

「あ、そっか。ということは、エドガーって完璧に対象外ってこと?」

「そりゃー、あれだけ罵詈雑言浴びせて観衆の中で叩きのめしてたら、勘違いも出来ないと思いますよ」


 しかもその言葉で、先輩方も忘れられない二週間の事を思い出したのか、とうとうフォローも忘れ同調して笑い出す。

 先程に続いて弁明も何もできず、せめてもの訴えとして視線を外した。護衛は一人ではないのだから、俺ぐらい周囲への警戒に専念しても構わないはずだ。

 それでも耳は塞げないので、その行動も結局のところあまり意味を持たなかった。


「なんか俺、今の関係ですら奇跡みたいなんだと思えてきた」

「あ、それは同感です。というか俺としては、どうしてこうなったのかも不思議というか?」

「だから納得できないのか」

「かもですねぇ。だってあのエドガーが、深夜にこっそり病室を見舞ったりとか、さらには恐る恐る髪や頬を撫でたりしてたものだから、もうびっくり。知り合いが変態だったとか、俺の悲しみ分かってくれます?」


 だが、今のはさすがに聞き捨てならない。

 羞恥が振り切れてただ慣れただけなのかもしれないが、自然と怒鳴ることが出来ていた。


「なぜお前がそれを知っている!」

「だって俺もその場にいたもーん。捕縛するべきか、本気で悩んじゃった」

「ふざけるな、お前にだけは変態と呼ばれたくはない!」


 ジャンは軽くそう言って笑ったが、こちらは無意識に剣を抜きかけていて、慌てて先輩に止められる。

 しかしここで、頭に血が昇っていて気付かなかった点を、ひとり冷静なままだった殿下が指摘してきた。


「なんだかんだ言って、ジャンもしっかり心配はしてたんだな。エドガーばかり弄れないと思うぞ」

「…………あ」


 そういえばそうだ。その場に居たならばジャンもひっそりと見舞っていたということで、俺としてはどうしてそこで鉢合わせしてしまったのか自分の不運を恨みながらも、からかわれたことに対して正当な非難が可能となる。

 するとジャンは、失敗したといった様子で額を押さえた。


「あー……、今の無しってわけには」

「誰がするか」

「だよねぇ。うっわ、最悪。殿下ってば、人を油断させるのうますぎですって」

「この事を本人にバラされたくなければ、金輪際この件で俺を冷やかすな」


 大げさに項垂れるジャンを殿下が笑い、俺はしっかりと約束をさせる。

 否定はしないのかという最後の足掻きにも似た言葉には、鼻で笑うのを返事とした。

 ここまできてしまえば今更だ。それに俺はもう、流されるだけの人生には戻れない。繰り返さないと決めている。

 どうせあいつは忘れているのだろうが、押しつけがましいと言ったのは本人だ。

 そう――気付かない方が悪い。


「ということは、エドガーもそろそろ我慢の限界なんだな。自分はバレても良いってことだろ?」

「……そうですね。もう後戻りは出来ないですから」

「もしかして、レヴィ卿の機嫌がさいきん悪いって兄上が愚痴を言ってたけど、その原因ってエドガーだったのか」


 殿下の勘は、人を良く見るが故のものか、それとも天性の才能なのか。

 そのことに関しては、さすがにこの場で明かすのが憚られたので頷くに留めると、それ以上の詮索はされなかった。

 ただ、子供らしからぬ口出しは止めて頂けないらしい。


「レオと次に会うのは、父上が催す夜会の日?」

「おそらく」

「レオのドレス姿かあ……。楽しみだな」

「どちらかといえば、不安の方が大きいですが。大人しく参加するはずがありません」


 俺の言葉に同意して笑う声は軽快で、けれどその瞳は何かを推し量っていたようにも思う。


「エドガーはさ、レオに剣を向けられる?」


 昔の自分では、それを感じ取ることなど不可能だったはずだ。

 でなければ、唐突で物騒な質問に対し、怪訝さを露わにせず答えられなかっただろう。


「止める方法が、それしか残されていないならば」

「……切れる?」

「同じく。しかし私は、都合の良いものしか見れない盲目さも、ただ美しいものだけを認める純粋さを是とすることも、もはや必要としません。ですから、その結果に至らないよう、二度と役立たずなどという罵りを受けないよう、それこそ往生際が悪くとも足掻きたく思います」


 すると殿下は、なにやら満足そうに頷いた後、エイルーシズ王太子殿下とそっくりな形で口角を上げられた。


「役立たずって言われたのか」


 意地の悪い、それでいて人間味溢れた表情と共に放たれる言葉。それを大抵の者は、冷やかしと呼ぶ。

 こればかりは返答できず、眉間に皺が寄ったのは言うまでもない。




 □□□




 そうして迎えた、夜会当日――

 ルードヴィヒ殿下付きの護衛として参加することになっていた俺は、開始時刻となってもすぐには移動せずに居た。

 こういった催しでは普段から遅れて登場するのが王族であるが、今回は反乱後はじめての主催であるからと、いつも以上に時間を取るらしい。

 とはいえ少し経ってから、国王夫妻やエイルーシズ王太子殿下と合流して待機することとなった。

 その部屋では、王の剣といえど護衛な限り空気として扱われるはずのお爺様が、随分と話を振られていて賑やかだ。話題はもちろん、レオについてである。

 たった二人減っただけで、これほど空気が変わるとは。職務上、王族が揃う場面は幾度と見ているが、以前は冷え冷えとした空気ばかりが流れていたものだ。

 お爺様の渋い表情と、話される内容が内容なこともあるのだろうが、にしても真逆すぎる。

 とはいえこれを素直に喜ぶには、お爺様の苦労を察する上、こちらまで頭が痛くなってくるので難しい。

 にもかかわらず陛下とエイルーシズ王太子殿下は、それぞれでさすがレオナの娘だ、さすがレオだと笑うばかりで、しまいにはまだ時間があるからと様子を見てくるようお爺様へ命じる始末。ご丁寧にも、サボっているだろうこととその居場所まで予想をたて助言されている。

 それに従うしかなく、ため息を何度も吐きながら部屋を出ていく背中には、心の底から同情してしまった。

 その後はしばし落ち着いた空気が流れるも、お爺様が戻られれば、再び同じ光景が繰り広げられる。

 そして、頭どころか胃まで痛くなりそうになった。


「で、レオは何をやらかしてた?」

「……あの偏屈と一戦交えたと」

「なんと!」

「侯爵四家からも、随分な褒め言葉を頂いて来ましたぞ」


 ほんの僅か会場へ行って戻っただけだというのに、お爺様のくたびれ方がひどい。爆笑できるお二人がどうかしている。

 ちなみにルードヴィヒ殿下は、正妃となられた母君が居られる手前、そこには加わらずに無知な子供の振りをされていた。

 しかし、父上と会ったか。もし兄上も同席していたのなら、余計な事を言っていなければ良いが……。


「それにしても、アシルよ。お主はもう少し、ジョゼットを抑えられなかったのか」

「レオナを親友と豪語し、レオを娘のように可愛がる彼女に我慢させるなど、とてもとても。なにせ私は、愛妻家ですから」


 護衛として失格だが、先程の会話で少しばかり物思いにふけっている間で、なにやら別の事も語られていたらしい。

 エイルーシズ王太子殿下付きとしてこの場にいたアシル様も会話に加わっており、実に白々しい言葉を吐いていた。それを忌々しそうに受けた時のお爺様の反応がレオとそっくりだと思ったことは、黙っておくべきなのだろう。

 分からなかった意味もまた、会場へ赴けばすぐに明白となる。

 移動したのは、それからしばらくして。探さずとも、心配の種は見つけることが出来た。


「うわっ、レオってば大胆」


 ルードヴィヒ殿下の呟きを、俺はその背後から拾った。

 なにせ、王家の方々が並ぶ檀上からは会場の全てが見渡せる。皆様方が座られているので、視界を遮るものは無い。

 そんな状態で、人がひしめく中で不自然に空いた空間があれば、嫌でも目を向けてしまう。その中心にレオは居た。

 淑女にあるまじき格好だ。そういった事に無頓着なのは知っているので、用意したのはジョゼット様やカティアだろう。お爺様が恨みがましく言っていた嫌味にも納得する。

 にしても、あれは足を露出し過ぎだ。どれほど図太ければ、あれほど遠巻きにされて平然としていられるのか。

 しかも、パートナーも居ない状態で。本人が拒んだのか、それとも相手の方か。これについては、どちらもが正解かもしれない。

 なにせジョゼット様が選んだのは自身の息子。つまりジャンだ。あいつはその為に、今日は夜勤だったというのに……。対外的な理由や、レオの性格を知っていなければならないという条件があったとしても、人選を間違っていた感が否めない。


「嫉妬する?」

「いえ、呆れ果てております」


 すると、殿下が前を向いたまま聞いてこられた。

 俺も、出来るだけ口を動かさずに答える。陛下のお言葉を賜っている最中なので、是非とも黙っていて欲しい。

 イタズラ好きなのは年相応でも、殿下の場合はその内容が色々と性質が悪い。


「でも、似合ってるって思ったでしょ」


 なので、次の呟きは聞こえない振りをさせてもらった。

 無言は肯定と捉えられるだろうがやむを得ない。事実、そうなのだ。悔しいが、そこは認めよう。

 だから余計に腹立たしくなる。陛下とエイルーシズ王太子殿下を呆れた手前、らしいと言えるはずがないのだから。

 非常識な装い故、美しいとは思わない。その代わり、想像を確信にさせるような姿だ。派手さばかり抱かせる赤ではないその色は、いずれ身に纏うであろう制服を連想させる。

 赤ではなく、紅――

 なぜそうしたのかは、美しいだけでは勤まらないからだそうだ。女でありながら、女なだけではいられない。騎士と名乗るならば、そう生きろという国の意思が含まれている。

 そんな中、ああしてはっきりとした黒を身に付けるあいつは、仲間内でもきっと異端なままだろう。ただ一人、負う責任が違う。

 だから混ざらない。身勝手さが招いた咎と頑固な在り様が、アクセントとしてある黒なのだと俺の目には映った。

 しかし、だ。陛下のお言葉も終わり、挨拶に来られる方々の話を聞いていると、やはりただ馬鹿なだけだと思えてくる。

 どんな態度を取れば、侯爵家の当主全員から、陛下が忠告を受ける状態になるのだ。温厚で有名なバリエ卿ですら、「他人事として笑っていられるのも今の内ですよ」と仰っておられた。そう口にした側も楽しそうな表情を浮かべていたので、説得力は皆無であったが。

 とどめは、話題の中心であり続けた本人だった。

 儀礼的に来ただけだ、面倒でたまらないといった空気を明らかに醸し出しながら現れたレオは、王妃陛下へ挨拶をした後、あろうことか国王陛下を軽く慄かせていた。その時の視線は、睨んだとというレベルで済ませられるものではない。まるで蛆虫を見るかのようだった。

 おかげで、どれだけ俺が怒鳴るのを我慢しなければならなかったか。媚び諂いを耐える理由以外、夜会で拳を握るなど思いもしなかった。

 挙句の果てには、挨拶が終わると早々に姿を消すときた。あの様子では一生、貴族社会に馴染むことがないだろう。その気が無いのだから当然だ。

 それきり戻ってくる気配もなく、俺は檀上を降りたルードヴィヒ殿下から付かず離れずで、夜会の喧騒に身を投じ続けた。

 護衛の立場なおかげで、本来ならば必要な挨拶も無く、話しかけてくる者もいない。毎回こうであればと思ってしまう。

 その代わりと言ってはなんだが、親族からの視線が厳しいのが分かる。特に兄上だ。父上は今まで以上に、俺を空気としているらしい。

 しかし、これに限っては、一概にあいつのせいだとは言い切れないので、しばらくは耐えるしかないだろう。

 それはそうと、先程から殿下が相手にしている者は、全てが白々しくてならない。

 粛清で取り除かれたのは、国にとって毒でしかない輩ばかりだった。王家の周囲は強固になり、随分と貴族の数が減ったとはいえ、残った中には日和見な意識が変わらない者も多い。

 それを煽り、逆に牽制したりするのがレオの役割だが、王太子殿下に対する態度とは大違いだ。あちらは蔑ろだったのが、腫物扱いに変わっただけである。手のひら変えて媚を売る者の方が、肝が据わっていると見えるほど。

 そうすると、レオと王太子殿下――いや、エイルーシズ様は、変わらず立場が似通っている。行動もだ。

 こうして俺が考えているところ、ふいに視界へ入った為そのお姿を追ってみると、それがレオと同じ道筋を通って消えていった。

 主役の一人にも関わらず、アシル様もなぜ止めずに付き従っているのか。気のせいでなければ、王太子殿下の手には酒瓶があった気がする。

 戴冠された際には、奇行が鳴りを潜めることを願わずにはいられない。


「追わなくて良いのかしら。二人きりは不安でしょう?」


 すると突然、隣に立つ者が現れ、気安くそんなことを言ってきた。

 視線を移さずとも、声だけで誰かは知れる。

 なので俺の意識は、なぜ彼女が口を出すのかという疑問に絞られる。


「ルードヴィヒ殿下もほら、こちらを気にしておられるわ。まるであなたを責めているご様子よ」


 それは言われなくとも気付いた。

 人の間から見えるあれは、明らかに追いかけろと訴えかけている。

 こちらもこちらで、何を考えておられるのか。護衛が傍を離れるはずがない。


「相変わらず、愛想が無いのね。からかい概の無い男」


 理不尽な非難でやっと目だけ隣へ移動させれば、そこには予想通り、ベール付きの黒いヘッドドレスで顔の右半分を覆った知人がいた。


「フロレンツィア、職務中だ」

「存じていてよ。それにしては、意識が散漫なご様子だけれど」


 嫌味を込めてすげなく放った言葉は、より辛辣になって返ってくる。

 才女にして、女性の中では社交界一の変わり者。もっとも、後ろの称号については、上をいく者が現れたわけだが。

 とにかく、侯爵家の長女でありながら、二十三になった今でも全ての婚約を撥ね退け続けているこいつとは、家同士の関係と歳が近いこともあり、不本意ながらもっとも交流のある女性として分類されている。

 もちろんジャンもだ。幼馴染とまではいかずとも、気心は知れているだろう。


「それで、何の用だ」

「ですから、追いかけなくてよろしいの? あなたらしくもない大胆な行動に出たことは耳にしていてよ」

「父上がそんなヘマをしたと? あり得ない」

「そうね。けれど、知っているわ。ですから、未だにお父君と呼ぶこと、わたくしは腹立たしくてよ。やるからには徹底的にやりなさいな。中途半端は嫌いよ」


 口元で広げた扇の下から飛んでくる声は、ことごとく俺を小馬鹿にしている。

 なぜこうも、周りに居る年下は生意気なのか。昔はもっと可愛かったはずだ。なまじ頭が良すぎるせいで、よけいに鼻について感じる。

 とにかく、適当にあしらうつもりだったが、それは次に放たれた言葉で不可能となった。


「わたくし、やっと結婚することになったわ」

「は……、お前がか?」

「そう、わたくしが」


 反射的に動いた視線の先で、フロレンツィアは真っ直ぐに前を向いていた。そして、横顔から見える左目は、王太子殿下が消えた方向を定めている。

 それは全身で、相手が誰かを聞くのが愚かな行為だと訴えていた。


「しかしお前は――」

「ええ、今でもお慕いしておりますわ。だからこそ、願ってもないお相手よ」


 ただ、フロレンツィアが今まで結婚しなかった理由を知る者にとっては、驚愕ではすまされない。

 こいつは、どれだけ明るい色のドレスを纏おうとも、常に黒のヘッドドレスを欠かさなかった。

 喪に服し続けているからだ。幼い頃からの婚約者であり、八年前に病で亡くなったジャンの従兄にあたるバリエ家当主の長男を忘れられないが為に――

 だから、その後の縁談を全て、親の説得も撥ね退けて白紙に持ち込んでいた。

 しかし、報告には悲壮感が見られない。それどころか、晴れ晴れとした表情さえ浮かべている。

 そしてフロレンツィアは、職務を思い出して視線を戻そうとした俺と向き合いこう言った。


「だって、愛さなくて良いのですもの。あの御方が買ってくださったのは、わたくしの頭。そして、女の機能。女性の地位向上を目指すわたくしにとって、断る理由が一体どこにあって?」

「…………そうか」

「ええ、そうよ。とはいえ、あなたであれば愚痴っても良いかしら。このお話を頂いたのは四年前なのだけれど、あの御方ったら夜中に寝室へ不法侵入されてきたのよ。挙句、日付の確約は出来ないと仰った上で、それまでの間、お見合いの嵐については自力でどうにかしろ、誰にも悟られるなと……。無茶苦茶すぎて、笑ってしまったわ」


 ああ――王太子殿下なら仰りそうだ。それも平然と。

 その要求を受け入れるフロレンツィアもフロレンツィアである。この国の未来へ不安を抱きかけてしまう。

 それでも、こいつなら素晴らしい王妃になると思えた。特に、大きな変化が待っているならば。

 ただ――


「フロレンツィア。これは俺の願いなだけで、聞き流して構わない」

「あら、珍しい。良いわ、聞くだけ聞いてさしあげる」

「親がどうであれ、子供にまで強いれるものは無い。ちゃんと愛してやれ」


 ルードヴィヒ殿下を見ながらの声は届いただろうか。

 すると隣から、あからさまな嘲笑が返ってきた。


「わたくしを誰だと思って? そのようなこと、言われるまでもなくてよ」

「なら良い」

「わたくしの仕事は、未来を創ること。あの御方のお守りは契約外ですもの」


 さらに、フロレンツィアの舌は止まらない。


「ここ十年ばかりのあなたが、わたくしは嫌いで嫌いで仕方なかったわ。何度、ろくでなしと罵りそうになったことか。犬にも劣るとはこういうことなのだと、一つ勉強にはなったけれど」

「……そうか」

「けれど、今はまあマシに戻ったのでしょう。ですから、また呼んでさしあげてよ」


 そして、懐かし呼び名を聞いた。


「ねぇ、エド兄様。生より死を尊ぶ者は、どうしてああも腹立たしいのでしょうね。わたくしにとっては、ただズルくて恨めしいだけだわ」

「理解する必要はないだろう。だからあの二人は、手を取り合わずに終わる。始まってすらいない上、伸ばしたところで届かない場所をそれぞれが歩くのだから当然だ」

「あの御方はまだマシだけれど、どちらにせよ愚かなことに変わりはないわね。死を命じるより生を強いる方が、よほど残酷でしょうに」

「それを分かっていて仰るからこそ、俺たちは付いていくのだろう」

「それも計算の内であれば、憎たらしくてたまらないわ」


 思わず笑ってしまったのがいけなかったのだろう。

 終わっていたはずの愚痴が再開してしまった。


「あの御方ったら、わたくしと彼女が似ていると仰るのよ。信じられて?」

「まあ確かに、気が強いという点は正しいな。それに、共通点が多ければ多い程、違和感が強くなるだろう。逆であれば、些細な事で共感する。そういうものだ」

「あら……。ならばエド兄様も、そう思うってことかしら」

「いや、似ているどころか真逆だな。お前が嫌いそうなタイプだ」


 俺が断言したのが意外だったのか、フロレンツィアは毒気を抜かれたようだ。

 その隙に、そろそろ殿下が先んじて退場されるなと確認をしておく。

 そうして、話しを終わらせる為に口を開いた。


「ただな、フロレンツィア。託すならば、あいつが一番適している。それだけは覚えておけ」

「託す?」

「お前やあの御方は、どうやったって柵に囚われる。しかしあいつは、その行為がたとえ悪であれ、自分の信念を犯さない限りは動じないだろう。国として信用できないからこそ、信用できるものもある」


 すると意味が通じたのか、涼やかな声を転がした。

 音からして扇を閉じたのだろう。向こうも会話を切り上げてくれるようだ。


「エド兄様がそこまで仰るのであれば、もし子供を逃がさなければならない状況になった時は、彼女を選びましょうか。けれど、一人では戦力的に不安ですから、わたくしの為にも是非、猫の様にふらふらと落ち着きのない手を掴んでくださいませ。もちろん、その後も離してはなりませんよ」

「ああ……、そうか。情報源はあの御方か」

「その鈍感も、いい加減どうにかして下さいませ。さあ、エイルーシズ殿下がご退場の様です。怠けるのも大概にして、命をかけて職務を全うなさい」


 絡んできた身でありながら、どの口でそう言えるのか。そう思いはしたが、口にはせず殿下の元へと歩を進めた。

 そして去り際、さりげなく告げた。


「お前がこれで幸せだと思えているのなら、心からの祝福を」

「でしたらわたくしも。エド兄様方の場合、特に少ないでしょうから。とはいえ、玉砕しては目も当てられませんので、今は応援に留めておきますわ」


 最後の最後まで素直な物言いは無かったが、深まる溝があれば溶ける蟠りもある。そう思っておこう。

 護衛として些か怠慢が過ぎたことは反省するも、悪くない時間だった。

 しかし、ルードヴィヒ殿下は違ったらしく、自室へと到着しジャンに引継ぎと夜会で見かけなかったことを指摘した後、待っていたのは無言での催促であった。

 上目遣いで睨みながら扉を指差し、それで俺が動じないとなると、今度は顎を使って訴えかけてくる。


「殿下、お行儀が悪いです」

「エドガー!」

「私は、そうまで気を遣われなければならないほど、頼りなく見えますでしょうか」


 だとしたら情けなさすぎる。

 なので、そろそろ応援とお節介の区別ぐらいは付けて頂きたかった。

 しかし、どうやら俺は、殿下にはとことん勝てないようだ。


「俺だって、最近のエドガーなら、少しぐらい何を考えているか分かる。でも、今の俺が望むのは、エドガーじゃなくてレオの幸せだ」


 浸り続けた驕りや自惚れの底からは、そう簡単に抜け出せていなかったらしい。

 殿下の主張は当然だ。この方はこの方なりの形で、あいつを想っている。

 兄弟でありたかったとすら言っていたことを、俺だけが聞いていた。

 なのに――


「勝手でも、俺や兄上は二番目にしか置けない。俺の一番は兄上で、兄上の一番はこの国で……。だけど! エドガーだけが違うだろ?!」

「……はい」

「レオが男だったらって思わないだろ?!」

「もちろんです」

「だから俺は、エドガーならって思った。それに応えるつもりがあるなら、いつまでここに居るんだ!」

「そうですね」


 ありし日の様に自然と跪いていれば、同じように殿下がしがみついてくる。

 そして、絞り出すように囁いた。


「レオに……、もう一人で泣かなくて良いんだって、教えてあげて。俺には出来なかった」


 しかし、その声は震えていようとも、濡れてはいない。

 子供の成長は早いのを分かってはいるが、駆け足で大人にならなくても良いのだと、背中を撫でた手から伝わってくれればと思う。

 とはいえ、こればっかりは同じ男として答えなければならないだろう。


「言われなくとも。その役目も譲りません」


 ただ、俺が望むのは、その居場所になることでも、慰めを許されることでもない。

 仮面を必要としない相手になることだ。

 そして俺は、含みのある言葉へ首を傾げる殿下に礼を取り、部屋を辞した。

 そろそろ意識してもらわなければ、立つ瀬がなくなってしまう。

 でもって、思い知れば良い。お前が負った責任はもう一つあるのだと。

 惚れた方が負け? 笑わせるな。だったらこちらも、そうさせるまで。

 俺とあの捻くれた女は、対等でなければならない。

 そうして生きていきたいと、強く思った――




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