マイ・ロード
それから国王陛下が現れ、夜会はより盛り上がりを見せていった。
その中でもとにかく注目されたのが、二年後に戴冠が確定したエイルーシズ王太子殿下の動向だ。
逆に暗黙の了解として、誰もがルードヴィヒ殿下の生母が正妃へ繰り上がったことには触れなかった。
もちろん私もだ。嫌々ながら挨拶をしに行って持った印象としては、心労で簡単に身体を崩しそうな感じで、正直なところ好感を抱いていない。
しかも、死んだ当時の母より若そうだった。思わず陛下をジト目で見て得意満面な笑顔を返された時には、本気の冷笑を浮かべてしまっている。若干青ざめられていた気もしなくはない。
それはともかく、ルードヴィヒ殿下の正装姿にだけは、出会った時の事が思い出されて懐かしさを感じ、すごく和んだ。堅苦しい言葉を交わさなければならなかったのが残念である。
でもって、背後で控える近衛が実に壮観だった。閣下にアシル様はもちろん、白騎士団の副団長にそのほか近衛部隊の熟練組、さらにルードヴィヒ殿下の背後に居たのがエドガー様だ。この全員とたった一年で出会っているなど、自分でもびっくりである。
そして、王族方に挨拶をしたことで最低限の礼儀は尽くしたことになり、そそくさと身を隠させてもらった。出来るなら帰りたいが、さすがにそれをするには早すぎると、気を遣わなければならないのが面倒くさい。
ちなみに選んだのは、会場の様子がぎりぎり聞き取れる庭園の外れである。そこで一本の木に腰かけ、くすねた酒瓶とわずかなツマミを隣に置いて月見としゃれ込む。この国一番の庭で、城お抱えの楽師が奏でる音楽が淡く届く中でなど、贅沢ここに極まれりって感じだ。
鼻歌の一つや二つ出てきたとしても、まったくもって不思議ではないだろう。
「貴族としては落第だろうけどな」
自嘲を零しつつ、こんなにもリラックスするのは何時振りかと考えてみた。派手なドレスを脱ぎ、素っ裸で寝ころびたいぐらいだ。
そういえば、男とも随分とご無沙汰な気がする。最後にヤッてから、もう一年ぐらい経つかもしれない。
「うっわ、このままだと枯れんじゃないか。酒だけが生きがいの女とか、ストレスもあって速攻老けそうだ」
さすがにそれは、ちょっとなあ……。
今夜あたり抜け出してみるか。
「いや、待てよ。しまった、相手がいない」
そういう目的の知り合いは数人いたが、連絡を取らなくなって久しいし、今の状況では口が堅い相手でなければならないだろう。となると、だいぶ信用が足りない。
この夜会で漁るのが宛てもなくぶらつくより余程手っ取り早いのだろうが、あいにくとそれは論外だ。リスクが高すぎる。
他にまだ候補はいるだろうか。あっという間で、酒瓶の半分ほどを消費しながら思い悩む。
今なら黒騎士を選択肢に入れても良いのだろうが、散々その肉体を見てきているのでいまいち盛り上がりに欠けると思うし……。
ああ――でも、ウィリアム副団長ならいけるかもしれない。向こうもプライベートは随分と爛れているようだし、声を掛けたら意外にすんなりいけるかも。
「……無いな。あの人は清楚で従順なのがタイプだから、私が対象外すぎる。しかも、あしらわれるだけじゃ済まない気がするし」
同じく軽い男だとジャンが居るが、あれは私と母さんを重ねそうで嫌だ。あいつとセットであるエドガー様の顔が浮かぶも、こっちはこっちで冗談を混ぜても怒られるだろう。
あの人、頭固いし。さすがに未経験だとは思わないが。というか、もしそうなら全力で引く。
どうしよう、本気で候補が見つからない。
まさかこういった面でまで苦労する羽目になるなど、おそらくイースですら予想外だろう。
「かといって、あいつはなあ……」
あれとの関係こそ、もう終わらせなければならない。
違うか。私にシールの名が付いた時点で、もうそうなっているのだ。
肝心な時に役立たずな奴め。疫病神にでも改名すれば良いと思う。
しかし私も、随分と寂しい女である。一晩の相手すら見つけられず、しかも今や自由に恋愛すらできないとは。
「ま、してこなかった人間が言えたセリフじゃないけどな」
それでも諦めきれず、誰かいないか探していた時だった。
目の前でふと影が差し、弾かれたように顔を上げる。
「暢気で羨ましいことしてるくせして、随分と湿気た顔してんなあ」
視線の先に居たのは、今まさに浮かんでいた人物だった。
慌てて周囲に人の目が無いか探り、条件反射で取り出しかけた暗器を手放す。
それから、当てつけるつもりで深く嘆息した。
「欲求不満なものでね。というかお前、気配消して近付くなっての」
「悪い悪い。で、何を悩んでんだよ」
「だから、どっかのどいつが肝心な時に使えない上、貴重な息抜きの時間さえ邪魔してくるのに困ってんだよ。せっかくの月見がぶち壊しだ」
すると、正面から楽しそうな笑い声が響いた。
突然現れたイースは、当たり前だが正装をしているので、見た目だけなら最高に煌びやかだ。なのに王太子の仮面を脱いで素を出しただけで、その印象は激変する。
はっきりいって胡散臭い。あくまで口調や雰囲気だけで、顔が違って見えるわけではないというのに、相変わらず残念な男すぎていっそ感心してしまう。
そしてなぜか、腹を抱えるその手には、空のグラスと酒瓶が握られていた。
「おまっ、言うに事欠いて、王太子を使えない男呼ばわりするか? あー、腹いてえ!」
「というかイース、お前なんでここに居んだよ。仕事しろ」
「その言葉、そっくりそのまま返すぞ。良いから、少し横にずれろ」
言っても聞かないなど今に始まったことではないので、大人しく身体を動かせば、イースが隣へ腰かけてくる。
諦めを滲ませながら飲んでいた酒の瓶を取れば、向こうも当然な態度でグラスを突き出した。
「入れすぎだろ」
「そっちの方が良い酒だから、さっさと空けるんだよ」
軽い笑いを合図としてグラスをお互いに傾ければ、しばしの沈黙が落ちた。
素を出せる場で会ったら、言いたいことは沢山あった。もちろん全てが文句で、その権利は十分すぎるほどあるだろう。
けれど、こうしてあまりにも平然とされれば、そんな心も一気に萎む。いつもそうだ。仕方がない男だとして、私はいつも受け入れてしまう。
許しているつもりはないし、許すつもりもない。ただ、理解が出来てしまう。それは他人が思うよりずっと面倒で、必ずしも良い事柄ではないのだと最近は感じている。
付け込まれていると気付いていて、それでもどうしようもない辺り、自分でも馬鹿だとしか言い様が無い。
「なあ、口が堅くて後腐れが無い奴、誰か紹介しろよ」
「ここに丁度良いのがいるだろ」
「そんなにお前は、私を国一番の悪女に仕立て上げたいか。今ですら、シール卿を懐柔して、王太子を毒牙にかけようとしてるって言われてんのに」
「なんだ、弟王子を弄んだってのはまだバレてないのか」
衝動的にグラスの中身をぶつけようとするがなんとか堪え、これでもかと睨みつけた。
なのにイースはお構いなしで、美味そうに酒をあおっていた。
「んなこと言ったら俺だって、周辺諸国からすでに粛清王って呼ばれてんだぜ? まだ王にもなってないのによ」
「それでも可愛い方だと思うけどな。私なら残虐王か、いっそ魔王って呼んでやる」
「レオならそう言うと思ったわ。まー……実際、王妃と腹違いの弟を処刑したの俺だし? 剣でスパッと」
そして、さらりととんでもないことを暴露してくれる。
しかもこの男、私が驚きで目を丸くしている間で「あ、これ超極秘事項な」などとのたまいやがった。
そりゃそうだろう。この事実は国の威信にも関わる。たとえ相手が反逆者であろうとも、次期国王が直接手を下したなど知られれば、口さがない者は平気で王妃殺し・王子殺しと囁くはずだ。
普通は、自らの手で毒を煽らせ、責任を取らせ、そうして今回の場合でいけば、王家の名誉を守らなければならなかった。
けれど、そういった常識的な事を考えた後、生まれたのが苦笑だった。
「お前らしいな」
「だろー? やっぱ直接区切りつけねぇと気持ち悪いし、十年も好き勝手してくれた分、やり返してやんないと気が済まねぇよな」
私が道を踏み外した十年は、イースにとって足踏みさせられた十年だ。
そこには私なんかより、よほど唇を噛む場面があっただろう。
なによりこいつは、明確なビジョンの下、自分の力でそこまでこぎ付けた。私なんかとは違う。
「ちなみに、だ。ブラウン家は、城の奪還時に死んだ一人を除いて、ハルトが全員殺ってるぞ」
おまけのようにもたらされた情報で、さらに笑った。
どいつもこいつも、周りに居る男共は……。月だけでも十分だったのに、どんどんと酒が美味くなって困る。
それから、またしても暫く、無言の時間が過ぎた。
あっという間で私が持って来ていた分の酒が無くなり、次の一本を飲み進める。
だが、静かで穏やかな空気も、イースが再び口を開いたことで終わってしまう。
「なあ……。なんで俺がレオを選んだか、分かるか?」
顔を向ければ、翡翠は夜を仰いでいた。
「そんなの、私が幸せじゃなかったからに決まってる」
「はは、自分で言ってりゃ世話ねーな」
いつになく饒舌に、イースは語る。
曰く〝生贄〟の候補は、王都のみでも結構な数が居たそうだ。最低条件が庶子やそれに準じる出生であることなら、まともな貴族の方が少なかったのだから当たり前である。
しかしその中で、イースを満足させた人間が私だけというのだから、心底笑える。もちろん、こいつの甘さに対してもだ。
一人一人と直接会って判断していったらしい。相手が独り身の場合の選別方法など、最低にも程があった。男であれば酒を酌み交わし、女であれば寝てみたと、事もなげに言ってのけたのだ。
ただ、分からなくはない。内面を見るのに、これほど手っ取り早い手段もないだろう。
貧しさは関係なかった。イースにとって重要だったのは、巻き込んでも罪悪感を抱かず、ある程度の自衛が可能なこと。
そうして、結果的に白羽の矢が立った私は実に都合が良く、色々と手間が省けるどころかオマケまで付けられたってわけだ。
「ま、俺個人が気に入ったのは予想外だったけどな。そのせいで自分の器の小ささを、嫌というほど思い知ったわ」
「何を今更。お前が最低な男だってのは、会った時から知ってる」
「言うねぇ。だったらレオ、俺が私欲でお前を今の位置にのし上げたとしたら?」
至宝の瞳が、ゆっくりとこちらを向いた。
その顔に表情は無く、限りなく王太子殿下に近いイースが存在している。
けれど私は、鼻で笑ってやった。
「お前が私に対して、私欲以外を見せたことがあったかよ」
きっかけや理由は打算まみれだったかもしれない。
けれどこいつは、いつだって思惑を明かして何かを命じたことが無い。利用して、ずるい方法で選択させたくせに、強いてはこなかった。
「だから私は、理不尽さを感じて腹を立てられる。こうして口悪く物が言えて、隙あらばお前を殴りたくなれる。でもこれは、私が望んだからじゃない。お前がそうさせたんだ」
「いやー、性格じゃね?」
「さすがの私でも、王太子殿下に口答えできるほど短絡的じゃないんだよ。それにな、最初の一夜以降は視界に入らなければ誘われることも無かったって、私もちゃんと分かってるんだからな」
それから私は、酒瓶をひっつかんで上を向くと、中身を豪快に喉の奥へと流し込んだ。
いつになく胸中を明かしてくるのは、肩に乗っていた無駄な荷物をやっと下ろせたからなのだろう。
だったら私も、この機会に告げてしまおう。酒は、意気込みの現れだ。
甘い空気が微塵も漂わないのが、ひどく私たちらしいと思った。
「おまっ、俺の分!」
「私だって、この身体を抱かせてやってたんだ。勘違いするなよ」
「分かった、分かった。ほんとお前、俺には容赦ねーわ」
結局のところ、私たちは共通点が多いくせに正反対だった。だからいつまでも交わらないし、良くて交差するだけ。
恵まれながら恵まれず、苦労を強いられたのがイースだとすれば、不必要な物を持って生まれたが為に理不尽を与えられたのが私だ。
その先で、イースは悲観することなく抗ってきた。しかし私は、楽な方へ楽な方へと逃避した。
だから、笑みの使い方が違うのだろう。ありのままの自分を出した形と、自身を誤魔化す手段とで。
未だに思う。私たちの髪色が逆であれば、もっと世界は優しかった。――羨ましいと、劣等感を抱くことだってなかった。
「でもま、その理屈でいえば、俺がレオを手放せなくても、その責任はお互いにあるってことだな」
「ふざけんな。それに関しては、私は被害者で、お前は加害者だ」
その言葉に、答えは返ってこない。
丁度この時、微かに聞こえてきていた曲が新しいものへと変わる。
すると、イースがいきなり目の前へ立ち、静かに右手を差し出してきた。
「一曲、お付き合い頂こう」
そこには、今までにない笑みがあった。泣きぼくろが印象的な目を微かに垂らし、閉じた唇を淡く上げる。
私の瞳には、それがエイルーシズでありイースでもある男の姿に見えてならなかった。
この誘いを断るのは無粋なだけだ。こいつからこんなことをしてくるのだから、見られる心配は無い。
そしてこんな事は、最初で最後。ここで何が終わり、ここから何かが始まるのだと思う。
なので、小さく噴き出してからグラスを草の上に置き、そのまま大人しく右手を乗せる。引っ張る力はひどく乱暴だった。
どちらともなく身体を密着させれば、最初の一歩が同時に生まれる。
ゆったりと身体を揺らす中、イースの声が耳元で響いた。
「……悪いな、レオ。お前を一番に選んでやれなくて」
相変わらず、言葉だけは甘い奴。
けれど、声にも瞳にも、どこにだって熱はこもっていない。
「頼んでもいないことを謝るな。それに、言ったはずだ。最低な男だって」
「んー? これでも一応、引く手余多だぞ」
「地位と顔のおかげだろ」
「またそうやって、身も蓋もないことを」
肩の震えが、置いた手から伝わってきた。
お互いに酒臭くて、私も笑えてくる。
合わさった視線を少しずらせば、今の空と同じ色をした髪が星を遮っていて、リズムに合わせて景色を変化させる。
それがあまりに綺麗すぎて、気付けば言葉が口を出ていた。
「例えばそこに私とイースしか居なくて、現れた敵がお前よりも強かった時――」
「んだよ、急に」
「いいから聞け。その場合、私は必ず前に出る。けれど、逃げる時間は稼げない。そしたらお前は、どう動く?」
「さあな。そもそも俺なら、そんな状況にまず持ってかないな」
視線を戻せば、見慣れた不敵な笑みが広がっていた。
つられて微笑む。何かを誤魔化しているつもりはないが、反射的に浮かぶのがこの表情だ。
そうして私は、悪魔の様な行為に及んでいく。
「それが生き残る最善の方法だとすれば、お前は躊躇なく私ごと敵を貫くんだよ。そんな奴に、私は背中を預けたりしない。けれど、そこにある想いを理解して、納得している限り、何度だって背中を向ける」
すると一瞬だけ、翡翠が揺れた。
笑みもまた、苦いものへと変わる。
その隙に私は、足を止めて絡めていた手を離した。
しかし、感じる温もりに差が出ることはなく、音楽もまた変わらず響き続ける。
「だからイース、お前はこの先も、国と、唯一家族と認めたルーだけを愛せば良い。そして私の事は、そうだな……。鞘か剣帯とでも思っておけ」
「色気もへったくれもねぇな」
「無いと不便だが、緊急時には無いなら無いでどうとでもなるだろ?」
ここで一度言葉を切り、肩を竦めながら一歩下がった。
そして、再び口を開く。勘違いなどしようが無い、はっきりとした言葉を伝える為に――
「私を民だと思うな。目の前に居るのは、この国をあっさりと捨てれる人間だ。お前にとって、そんな奴を護る価値など無いし、もう十分、私は多くに護られた」
「とことんレオは、耳に痛いことを言ってくれる。でもって男前すぎるだろ」
「どこが。ただ自分勝手なだけだ。心底悔しいが、居場所を与えてもらった。でも、生き方は私が決める」
それから私は、ゆっくりと跪いた。
夜の空気を浴びた草が膝に潰され、抗議するように冷たさを伝えてくる。
けれど、頭は下げない。そのくせイースを見るのは控え、その背後の庭園に植えられた花々へ視線を送る。
それらは闇夜の中ですら、美しく咲き誇っていた。
「私は、イースとも王太子殿下とも生きたりはしない。なぜならお前は、けして私を止めないからだ」
「……ああ、だから傍に置く」
「危なっかしいもんな。自分で思う。でも、やっぱり私は、現在を選ぶよ。未来を生きるお前にとって、それは近すぎれば目障りになるだけだ」
大きく息を吸う。なんだか泣きそうだ。
肌を合わせれば情がわくと良く言うが、まったくもってその通りだと思う。
だからこそ、私は欲張りなのだろう。女としてではなく、人としての縁を望んだのだから。
静かに空を仰ぐと、月と翡翠が並んでいた。
「明日を見れるようにしてくれたところ悪いが、これはもう性分だ」
「俺が、愛情を望まない様にか?」
「確かに似てるのかもしれない。……お互い、もっと素直に生きれたら、周りへ苦労を掛けずに済むと頭では分かってるのにな」
「ははっ! でもま、分かってても止められないもんってあんだろ。そこはもう諦めてもらうしかないわ」
「ああ、だからお前も、そろそろ私を諦めろ。……って言うのは語弊があるな。今ここで、はっきりとそれを言葉にしてくれ」
イースの顔に笑みは無かった。
私はやはり、微笑んでいる。
一生埋まることのないその差から目を逸らせば、頭上で小さく息を吐く音が聞こえた。
「さんざん利用されているくせして、女としては落ちない……か。やっぱ、レオはおもしれーわ」
そうだな、と心の中で同意する。
「分かった。もう二度と、お前を抱かない」
そして、イースは失笑を零してから、似合わない言葉を続けた。
「ただ……許せ。それでもお前に、恋しさだけは求め続ける。だから、目の届く範囲で自由に生きろ。色々とやらかすお前が居ないと、王なんてつまらねぇ仕事はやってられん」
「はっ、仕方がないな。幸い、お前の目は広い。窮屈に思うのは立場ぐらいだから、まあ……我儘の代償だと思えば何とでもやってけるさ」
どれだけ説明しようとも、私たちの関係はずっと誤解され続けるだろう。主従にしては近すぎて、男女としてはすれ違いが多く、人としては似ているくせに正反対。なにより私は、騎士でありたいと願いながら、国の為にこの身を尽くすことが出来ない。
何もかもが中途半端で主張ばかりを訴える、つくづくどうしようもない人間である。
ただ、だからこそ、イースのような人間に中てられるのだと思う。だからこいつの手助けに、こんな私でもなりたいと願うのだ。
どうしようもない人間のなけなしの尊重を刺激し、卑しさを自覚させるから。その瞳が見つめる先にある景色を、遠目で良いから眺めたくさせてくるから――
「私は中途半端な騎士で、分かりやすいように、そして面倒を避ける為に忠誠心という言葉を都合よく使う。お前の剣として生きるには、力量も足りない」
「ああ、俺はお前を使いはしない。一生な。……一生俺は、お前を利用するだけだ」
「それでもイースという人間は、私には眩しくて、羨ましくて、どうしても出会わなければ良かったとは思えない。……困ったことにな」
いっそ、私とこの男が一つであれば良かったと感じてしまう。
特に私は、両親がくれた愛を本当に知り得た今でさえ、そういう想いを抱かずにはいられない。
だから――
「だから仰ぐよ、この夜空の様に。仰ぎながら、お前が歩む道を邪魔する小石を、可能な限り取り除こう。剣を握る……、命を奪う者として。それが、私に出来る精一杯だ」
そう言うと、小石と限定する辺りが私らしいと、イースは無理に笑った。
せっかくの美形が台無しになるほど、笑みと言うにはあまりにも崩れた表情だった。
それに対して、罪悪感より安堵を抱く私は、よほどひどい女だ。
それでも、敢えて言いたい。口にはせず、心の中で。
愛さないと常々明言していたが、そこには確かに想いがあったよ。伝わっていた。イースは認めないだろうし、私も受け取りはしないけれど。
だから、お前は今まで通り、私に遠慮はしなくて良い。応えられなかったこの心に、全ての責任と咎はある。
それからイースは、静かに言った。ある種の決別の言葉を――
「レオ・サン=シール。お前の剣は、何の為に揮われる」
答えは明確だ。
空が赤く燃えた日から、すでにそれは決まっている。
「何も。ただ、誰の為に問われれば、私の為と答えましょう。私の為に、この剣は血を生む。私はただ切るだけです。人を切り、命を切り、未来を切る。そうして無責任にも希う」
「希う?」
「はい。その先を、王としてではない、イースという人間が開いてくれることを。私は身勝手な人間であり、ただ一人へ全てを強いて生きることを望まない」
「つまり?」
「いざという時は、お前から貰ったこの剣でお前を殺そう。そうして、未来を切り開く」
自覚するほど清々しい表情でそう言うと、愛情を拒絶しながらも大きな愛を持つ男は、私が心を奪われた屈託のない表情を見せる。
――見せながら手のひらで目元を覆い、その隙間から数滴の涙を零した。
だから私は、頭を下げる。その滴を視界から消し、自分の為に生きろとしか命じられない男へ、ちんけな首を捧げる為に。
イースはその行動を、正しく理解してくれた。
「ほんと、馬鹿な女だわ。お前って」
「男運の悪い女は大体そうだろ。分かってて、それでも引っかかる」
「弱いくせに、俺を殺すって言ってんだぞ」
「その可能性が一番高いと、アシル様を動かしたのはどこのどいつだ」
二重の意味で震える声にあるのは、安堵と歓喜。
対し、私の返しには皮肉が溢れている。
そして、深い――深い吐息が届いた後、肩の上で刃が光った。
イースが腰に下げていた、装飾の多い豪華な剣のはずだ。それは、重くて軽かった。
「誓え。俺自身が、目指す未来を阻む存在となった時――」
「この紅剣は揮われる。その代償として――」
「その身が抱く死を俺に捧げ」
私たちの間を、計ったかのように風が通る。草が、花が揺れ、それらがいつの間にか止まっていた夜会の音楽に代わって音を奏でた。
短い会話から間をおかず、ゆっくりと肩の重みが引いていく。その動きに合わせて顔を上げて翡翠と視線が交わると、先程の行為があまりに演技染みていた事を実感し、どちらとも無く吹き出した。
「似っ合わねー。っつーかレオ、よくよく考えたら、これって愛より重いよな」
「でも、王妃にするより満足だろ?」
自信満々で言ってやったのだが、同意を得られなかった。
けれど、眉間に皺を寄せているのが明らかだったので、どうせ負けを認めるようで嫌だとでも思ったのだろう。
分かりやすい男だ。しかもいきなり、それも結構な強さで胸を小突いてくる。
「ともかくこれで、お前の命は俺のもんだ」
「無駄遣いさせやがったら、確実に呪い殺すからな」
本気の忠告は、残念ながら大した威力を持たず、イースは最後にこう言って背中を向けた。
「人としての自由、しかと貰った。俺が命令する時、それがお前の死ぬ時だ。光栄に思えよ。お前だけに、俺の為に死ぬ権利をやったんだからな」
「そっちこそ、酔狂な人間がいたことに感謝するんだな。それに、私は安くない。せいぜい殺されないよう気を付けろ」
しかし、去りゆくイースがふと振り返る。
まだ何かあるのかとこちらが首を傾げると、なんとはなしに問いかけられた。
「――レオ」
「まだ何かあるのか?」
「お前、俺の何が不満だったんだ」
「はあ? 諦めの悪い男だな」
「いや、普通に気になるだろ。ちなみに、男としてだからな。立場は理由として受け付けない」
本気で呆れたが、そういやこいつ、普通に自意識過剰な奴だった。
なので、盛大に鼻で笑ってやってから、腕を組んで尊大に告げてやる。
「お前のキスは冷たすぎんだよ。せっかくの火照りが台無しになる」
「は? …………ははっ! 確かにそれは納得だ」
そう答えて、ふと覚えのある真逆のものを思い出し、無意識に唇を撫でてしまった。
けれど、誰が相手かまで意識する前に、イースが言う。
「そういや俺、結婚するわ」
それには一瞬の間も置かず、誤魔化しのない本心を返した。
「それは良かった。お前が認めた女性なら、きっと最高の王妃になるだろうよ」
「本気でそれを言ってるのが分かるから、余計にへこむわー」
「とりあえず、泣かされた時は私が殴って差し上げるからご安心をと、祝いと一緒に伝えといてくれ」
「はいよ。こっちも頑張れって、アイツに伝えといてやるか」
だが、最後のは意味が分からず反応が出来なかった。
それをイースは、苦笑しながら誤魔化してくるが、余計に理解できなくて最後は流すことにする。
「レオに付き合う男は苦労するって話だ。てなわけで忠告な。自分の事に無頓着すぎるから、お前の場合は気付いた時には逃げ場が無くなんだよ」
「分かった、分かった。気を付けるから、いい加減戻れ」
そうして、一夜の誓いはなされた。内容に反してどこまでも締まらないのだから、救いようがなさすぎる。
ともかくこれで、私たちが熱を分け合うことは二度とない。そうしなくとも、もう孤独がこの身を蝕む恐れは消えた。
さらに私の場合、最期の言葉は決まったようなものだ。無いに越したことはないが、いずれ再び、今夜と似た状況が生まれるとも限らない。
その時も、微笑んでいられることを心から願う。
「仰せのままに――」
試しに呟いたその言葉は、夜の中へひっそりと溶けていった。




