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悪魔の微笑を消す呪文  作者: 林 りょう
【王城】編
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一夜の始まり(5)





 ロイドから聞いていた通り、エイプリル嬢は美人と評価するにはどこか派手さの欠けた顔立ちをしていた。

 けれど、ジョゼット様と同じような低い背は庇護欲をくすぐり、親しみのある丸顔やたれ目な部分も、ロイドには勿体ないぐらい可愛らしく映る。何より纏う空気――今は本人なりに切羽詰っている――に、人を安心させる魅力があった。私とは真逆と言ってもいいタイプである。

 父親の方だって人の良さそうな感じで、物腰は柔らかでも貴族然とした覇気が全く出ていない。

 なんというかもう、二人してとにかく温かそうだ。私とは見える世界がきっと違う。

 だが、それでも今は修羅場なのだ。内心で全然そうは思えないとしても、先程はっきりと「私の男を取らないで」的なことを言われたわけで、つまりエイプリル嬢の中の私は、いわゆる泥棒猫なポジションにいるらしい。

 さらに彼女は、理由が分からず首を傾げるしかない私へ切実に訴える。父親の制止などお構いなしだ。


「こんなことを言われてご迷惑なのは重々承知です。身勝手なのも分かっております。でも、それでも……! どうか、ロイド様と一緒にいさせてください!」

「いい加減にしないか!」


 しまいには両手で顔を覆って肩を震わせ始めた。

 これはさすがに無言で眺めているわけにはいかず、バルコニーの手すりの上にグラスを置き、胸元からハンカチを取り出しつつエイプリル嬢の前へ移動した。

 そして、片手をそっと取る。


「ひとまず深呼吸を。大丈夫、お話は全て伺います」

「レオ殿、誠に申し訳――」

「お気になさらず。幸い人目はありませんし。ですから、さあ涙を拭いて」

「えっと、あの……、ありがとうございます」

「どういたしまして」


 男爵が冷汗を流しながら謝罪してくれたが、まずはエイプリル嬢だと俯いた顔を覗き込む。

 どうやら私がこんな態度を取るのが意外だったようで、半ば呆然と握らせたハンカチで頬を拭く。涙も一瞬で止まったようだ。

 しかし本当に、人目が無くて良かった。でなければ、彼らにひどく恥をかかせなければならなかっただろう。

 民に対して使う笑みを浮かべながら、再びエイプリル嬢の手を取れば、恐る恐るながらそれでもしっかりと顔が上がる。

 涙を流したせいで赤くなった瞳が私とかち合った。


「落ち着いたかな」

「……はい。あの――」

「なら聞かせて欲しい。エイプリル嬢、あなたが私に抱えている気持ちを」


 逸らさず告げれば、しばしの逡巡の後に口が開いていく。

 背丈の差のせいで中腰にならなければならなかったが、私が見下ろす形では威圧感しか与えないだろうと思い頑張って維持した。


「ロイド様が、」

「うん、ロイドが?」

「お会いした時に、良くご自身のことをお話しして頂けるのですが、そこにはほとんどレオ様がいて……」


 そして、話を聞いてすぐ大体の理由を掴めた。

 やはりあの馬鹿がやらかしていたらしい。

 本人はエイプリル嬢を楽しませたかっただけで、きっと他意はない。というか何も考えていない。

 確かに私は話題の宝庫で、驚かせるには良い選択だ。しかし、大事な点をあいつは忘れている。

 私は女だ。エイプリル嬢にとっては同性なのだ。

 少し前までならば名前を出しただけでは分からなかっただろうが、悲しいかな今や王都での知名度は魔女にも負けない。

 会う度、自分の男が別の女のことばかり口にしていれば、そりゃ不安になって当然なこと。しかもそれを笑顔で語られでもしたら――

 不本意ながら、はっきりとその様子が目に浮かんでしまう。

 しかもエイプリル嬢は、確か十七だったか。ロイドとも私とも、歳の差が七もある。色々と悩む部分があるはずだ。


「とても嬉しそうに、自慢げで……。私、レオ様のことがとても大切なのだろうと思いました。思いたくなかったけれど、そうとしか思えませんでした」


 ……やっぱりな。とりあえず、ロイドは殴る。十発は殴る。

 男爵がもう十分だろうと間に入ってきかけたが、それは首を振ることで止め、しっかりと目を合わせながら一つ問いかけた。


「ロイドには聞いてみたのかな」


 たとえばエイプリル嬢が、私に決闘を申し込んでくるようなタイプであったなら、本人に聞かないまま勝手に思い込んで、勝手に敵とみなして喧嘩を売ってきてもおかしくはない。

 けれど、彼女は違うだろう。どちらかといえば気弱で、ロイドへ尋ねる方がよほど楽で、こうして私へ訴えてくるのにはとてつもない勇気が必要だったはずだ。

 返ってきた答えは案の定、肯定だった。


「まさか、とそう仰っておられました。けれど、お二人には共有された長い時間があって、強い絆があって……。レオ様がもし窮地に陥れば、ロイド様は命を投げ打ってでも助けに向かわれてしまう」


 取った手は震えていた。私の甲に滴が落ちてくる。

 だから不謹慎だと思ったが、それでも頬が緩まずにはいられなかった。


「分かってはいるのです。本当なら身を引くべきなのだと。否定して頂けたけれど、ロイド様を真に想うのであれば、その幸せを願うべきだと。でも……!」

「でも、それでも好きだから、こうして私の所へやって来られたのですね」

「っ、はい、はいっ……。自分勝手なのは――」


 続く言葉は、唇へ人差し指を添えることで封じさせてもらう。

 そして、驚いている間で離し、空いていた手も取る。しっかりと両手を握り、背筋を伸ばした。

 エイプリル嬢は真正面から本気でぶつかってきたのだから、それと同じものを返さなければならないだろう。

 だから素直に、今思っていることを口にする。


「幸せですね」

「え……、幸せ、ですか?」

「はい。あなたからそんなにも想われて、ロイドは妬ましいぐらい幸せ者だと思います」


 あまりにも一言で凝縮してしまった為、初め貶されたと思ったのか眉を寄せていたが、言い直せば目を丸くしていた。

 私が微笑んでそう言うものだから、なおさら不思議なのだろう。

 けれど、こちらにしてみれば、怒る理由も無ければ適当にあしらう必要だってない。なにせこの子は、親友の大切な人であり、ただただ全力で恋をしているだけのただの女の子。今回は、少し空回りしてしまっただけだ。


「確かにエイプリル嬢は、私に対して礼儀を欠いた。お父上の制止も無視し、令嬢にあるまじき行いをしました。いくら私の出生に事情があれど、今やそれを蔑ろにはできませんからね。そもそもこれは、ロイドと話し合わなければならないことだ」

「もう、し、わけっ――」

「けれど私には、エイプリル嬢がそこまで浅慮だとは思えません。普段のあなたはきっと、配慮深くて控えめな、私と比べるまでもなくお淑やかな女性でしょう。これがどれほど重い行為なのか、あなたはしっかりと理解している」

「いえ、そんな――」

「現にあなたは、私が一人になるまで事を起こさなかった。中でいくらでも機会はあったでしょうし、私の噂を利用すればご自身が恥をかかなくても済むというのに。ですから私は、あなたの愚かしい行為を愚かだと断じません。これは気を遣ったわけでも、ロイドが理由なわけでもない」


 ゆっくりと、はっきりと、説明下手なりに言葉を紡ぐ。

 申し訳ないが、途中の謝罪や否定は無視させてもらった。今は私の番だ。

 それから落ち着かせる意味を込めて軽く首を傾げ、バラバラで掴んでいた手を右手にまとめ、その上に左手を置いて包み込む。


「エイプリル嬢は、ロイドのその行動の意味をご存じない。もちろんそれはあいつの落ち度なだけですが、これを聞けばあなたはきっと、もっとあいつのことが好きになりますよ」

「……え?」


 私の発言でお互いに首を傾げる形になったが、残念ながらその可愛さには越えられない壁がある。

 ああ――もう、まじでロイドには勿体ない。本気で攫ってしまおうか。


「騎士といえば、あなたにとっては白騎士――近衛が真っ先に思い浮かぶでしょう?」

「えっ……と、はい」

「ですが、ロイドや私――黒騎士は、護るのではなく攻めるのです。その分、敵も多い」


 私が唐突に物騒な話題を出しても、驚きはするが真剣に耳を傾けてくれる姿だって、好感度を高くする。というか、さっきからだだ上がりだ。


「私たちにとって自分の事を語るのは、時として弱味をさらけ出す行為になる。家族、友人、恋人……。ほとんどの人にとって、それは当たり前で平和な日常の一幕ですが、私たちは違うのですよ。どうしても慎重に、神経質にならざるを得ない」

「けれど……!」

「そんな風に見えませんでしたか? あいつのことだから、無駄に笑顔で口にしていたかもしれません。しかし、それはエイプリル嬢、あなただったからだ。あなただったから、ロイドは口にすることを覚悟した」

「う、そ……」

「まあ、覚悟なんて言葉を用いましたが、そこまで禁忌なことではありません。それでも、信頼していなければ起こり得ない事ではあります。特にあいつは、馬鹿なほどお人好しで、呆れるほど家族想いな奴ですから」


 そして、そう語り終えてから、ここでやっと男爵へと声を掛けた。


「貴殿は、ロイドが騎士を続けることをどう思われているのでしょう」

「は……? いえ、失礼致しました。私共は、彼の意思を尊重するつもりです」

「そうですか。それは良かった」


 直接この二人を見て、とっくにロイドを何かに利用しようとしているだとかの疑惑は消えているが、こうして本人から告げてもらえればやはり安心するものだ。

 うん、今こそはっきり思える。ロイドとエイプリル嬢は、今までの誰よりもお似合いで、その未来には幸せが必ずや待っている。

 だからこそ、この場で確実に誤解は解いておくべきだ。


「エイプリル嬢」

「はい」

「ロイドと私が異性である以上、この言葉はあまり信用がないかもしれません。確かにお互いが窮地に陥れば、私たちは命を懸けてそれを打開しようとする。けれど、それでも私たちは友人で、親友です。それ以上にも、それ以下にもならない」


 自分で口にして、なんと薄っぺらいと思う。

 しかもロイドに至っては、アークとの一件で前例がある状態だ。それでも私は、今の発言に自信が持てた。

 なにせ私には、エイプリル嬢が抱いている感情の経験がない。ロイドに対しても、他の男に対しても。どうしても傍にいて欲しいなど、そんな想いなど抱ける気がしない。

 枯れているわけではないのだろう。むしろ私は、下手な女性よりも男と肌を合わせている。人の温もりというものを知っている。

 だが、それと反比例するように、心が動かない。一番近いのはイースだろうが、それもまた恋心にならず内に忠誠心へと変化している。

 それですら、全てを捨ててでも成し遂げようとはしなかったのだ。

 想いは重い。私には、重すぎる。だからきっと、両親の死と向き合うことも出来なかったのだろう。


「ロイドは……、あいつは、あなたを愛しているからこそ、私を話題にするのです。弱味であるからこそ、弱味になり得るからこそ、今の家族である妹と天秤にかけ、私なら万が一の時にそれを打破すると信じて。私がその心を汲めると理解して」

「ですが……。ですがそれでは、レオ様のお気持ちはどうなるのですか!」


 けれど、恋する乙女は強かった。今度は私が、驚きで制止してしまう。

 終始こちらが取っていたはずの手が、瞬く間にエイプリル嬢へ主導権を移す。

 そして彼女は、第一声のように詰め寄ってきた。


「私はまだ、レオ様のお気持ちを伺っておりません。私が知りたいのは、ロイド様とのご関係ではなく、あなた様がどう思っておられるかです!」


 呆気に取られるとは、きっとこういうことだ。

 エイプリル嬢は、はどう考えてもこのような大胆さが通常な人ではない。似合わない。

 勝手な思い込みだからこそ、似つかわしくない。それなのに、怒ってくれたのだ。聞きたくない答えが返ってこようとも、私の事を考えたくれたが為に。

 しかしそれは、ただの取り越し苦労である。


「ご安心を。私は、ロイドを男として見てはいません。お互いにいい歳なので、周囲が煩わしくなれば一緒になるかとその様な冗談は言い合っていましたが、それだけです」


 ただ、エイプリル嬢にとっては一番な相手を魅力なしと断言してしまうのもアレなので、フォローだけはしておくか。


「もちろん、良い人間ではありますよ。ただしそれは、友人として、同僚として、そして部下としてです。普段のあいつは、些か抜けているというか頼りなく感じるかもしれませんが、ああ見えて結構強いんですよ?」

「それは、はい。存じております」

「ああ、そういえばそうでしたね」


 出会いが浮かんだのか、ほんのりと頬を赤らめる姿に癒される。

 だが、ロイドがこの顔をさせていると思うと、なんだか悔しい気もするな。あれだ、私とあいつが、好敵手な関係でもあるからか。

 ならば少しぐらい、悪ふざけさせてもらおう。

 というわけで、一度手を解いてから左手を恭しく取り、ゆっくりと腰を屈めた。


「え……、レ、レオ様?!」


 これで制服だったら最高だったのに。私もドレス姿では、いまいち締まらない気がする。

 それでも、エイプリル嬢は焦りに焦り、わざとらしく発てたリップ音に息を呑んでいた。


「騎士と添い遂げることには、きっと多くの不安や苦労があるかと思います。それでも決断してくれたこと、友人として心から喜ばしい」

「あの、えっと……、その」


 それから一歩下がり、今度は騎士の礼を取った。


「ありがとう、あいつを――ロイドを見つけてくれて。このような事を他人な私に告げられても困るでしょうが、それでもお伝えすることにどうかお許しを」

「頭を! 頭をお上げ下さい!」

「そうです! 詫びなければならないのはこちらなのですから!」


 すると、男爵までもが慌てふためき始めたのだから、イタズラは成功したようだ。

 笑いが堪えきれず声を漏らしながら姿勢を戻すと、目の前には呆気に取られた二人がいて、余計におかしくなる。

 私としては、これで不作法な態度をチャラで良いと思うのだが、たぶんそれでは納得しないだろう。

 どうするかと考え、そういえばと気になるものが生まれた。なので、何かの道具のように頭を上下させる男爵へ尋ねる。


「ロイドとエイプリル嬢の件で、周囲の反応はどうなのでしょう? 私が言うのも何ですが、あいつは平民な上に親を早くに亡くしていますし、口さがない者がいるのでは?」

「いえ……。いや、取り繕っても仕方がありませんか。しかし、それも承知で、私は声を掛けました」

「なぜと窺っても?」

「大層な話ではありません。娘には幸せになって欲しい、ただそれだけです。貴族の端くれとしては、些か暢気な理由ではありますが」


 やっぱりな。商人としての才覚は良いらしい男爵は、場合によっては彼より上位の者より金銭的に勝っている。下らないやっかみや、噂好きの良い餌だ。

 そして、それで一番苦労するのはロイドだろう。

 それは男爵も分かっているようで、申し訳なさそうに言葉を続けた。


「ロイド君にはかなりの苦労を強いるでしょうが、幸いにして彼も娘へ好意を抱いてくれている。そして私は、それでも娘を守ってくれるだろうと、全てを含めて信用しているつもりです」


 どうやら余計な世話だったようだ。

 まあ元々、ロイドについては心配していないが。普通の神経では、私と友人関係を築くなど、ましてや親友になどなれるはずもない。

 というわけで、ここで先程の疑問と共に浮かんでいた案を口にすることにした。


「では、今回のお詫びとして、一つだけ助言させて頂きたい」

「助言……ですか」

「ええ、助言です。お父君の心情としては複雑でしょうが、婚姻を結ぶのは二年後……。正確に言えば、私が爵位を継いでからにするのをお薦め致します」


 私の発言の真意が分からなかったのか、少しばかり男爵は首を捻っていたが、すぐに思い至ったのか驚いた様子で答えてきた。


「それではまるで、レオ殿を利用する様ではありませんか!」

「まさしく利用しろと言っているのですよ。エイプリル嬢を待たせてしまう形にはなりますが、そのタイミングであれば多くの目は私へと向いていますので、せっかくの祝い事に水を差す存在が減るでしょう」

「しかし……」


 男爵と伯爵。そこには大きな差がある。本来ならば許されるようなことではない。

 それは理解しているが、おそらく私はロイドの婚儀にすら出席できないだろう。あいつがこの世界へ入れば、今まで通りに馬鹿をやって、気軽に呑みに行くことすらままならなくなる。

 直接的に助ければ、私を敵視する者がそっくりそのままこの男爵家にも目を向けてしまうのだ。それは防がなければならない。

 だからこれは、私なりの手向けである。かなり早いが、貴族になって唯一良かったと思える事だろう。


「今はまだ私自身がそれを望みませんが、いずれ御二方とも良好な関係を堂々と築けるよう、その為の恩だと思って頂きたい」

「……レオ殿」

「もちろんロイドに泣かされた際は、遠慮なく頼って下さって構いませんよ。物理的にも精神的にも、お仕置きの手段がたくさんありますから。ただし内密に、ね?」


 最後は結局、ズルい言い方で無理やり納得させる形になってしまったが、私は満足だ。

 そして、複雑な顔をする男爵と、なぜか目を輝かせ始めたエイプリル嬢へ室内に戻るよう薦めた。


「そろそろ陛下方もいらっしゃるでしょう。これ以上は、あらぬ噂を招きかねない」

「畏まりました。何から何までお気遣い頂き、感謝のしようもございません。レオ殿も、ご入り用の際は、ご遠慮なくお声掛け下さい。私共も誠心誠意、対応させて頂きます故」


 ありがたい言葉には、明確な返事をせず微笑むに留めておく。

 けれど、もしもの際は甘えさせてもらおう。貴族としてはともかく商人としての人脈は、この先の職務で何かしら役立つかもしれない。

 男爵はそんな私に深く頭を下げ、エイプリル嬢を促した。

 すると彼女は、一度は大人しく従うも勢い良く振り返る。


「あの、あの! お姉様とお呼びしても宜しいでしょうか!?」


 どうやら、少しばかり独特な感性を持っていたようだ。

 悪い気はしないので、自分の唇へ人差し指を添え、茶目っ気が出るように心がけて返しておく。


「今夜のことを含め、しばらくはロイドにも内緒にしてくれるなら喜んで」

「はい!」

「では、素敵な夜を。可憐な乙女を狙う狼には気を付けて」


 そうして二人は、バルコニーから去っていった。

 けれど、やっと肩の力を抜けると思ったというのに、入れ違いで思わぬ人が姿を現す。手すりの上のグラスの中身は、すっかりぬるくなってしまっていた。


「風邪を引くぞ」

「盗み聞きとは頂けませんね」


 まさかのシール卿の登場だった。

 今夜は国王陛下の護衛なはずで、実際に騎士服を身に纏っている。

 当然の指摘には、ばつが悪そうに頬を掻き、胸の前で腕を組んでいた。


「陛下なりに、お前のことを気にかけておられる。少しばかり様子を見てくるよう命令されれば、儂は従うしかない」

「にしては、よく見つけられましたね」

「あー……、それはだな、エイルーシズ殿下の助言のおかげだ。今頃は、愛想笑いに飽きてサボっているだろうと」


 まだ文句を言い足りなかったが、仕方なく矛を収めてため息を吐く。

 陛下やイースに対して、余計な事をと思うぐらいは許して欲しい。


「まあ、良いでしょう。あなたのおかげで、邪魔が入らずに済んだのも確かなのでしょうし」


 居心地の悪さで、意味もなくグラスに残っていた中身を外へ垂らしながら、自分でも可愛げがないと思う言葉を口にする。

 かといって、心配してくれてありがとうと言えるわけもなく、微妙な空気が辺りを支配した。

 どうしようもないので、さっさと戻れと念じておこうか。

 しかしシール卿は、またしても突拍子のない発言をしてくれる。


「あー……、お前は、その、あれだ。先程の令嬢のように、好いている相手はいないのか」

「はぁ?」


 この人は毎度毎度、どうしてこうも中途半端な介入をしてくるのか。

 下着の件は、結局のところ好き勝手させてもらったままだが、どうにも何かが間違っている気がしてならない。

 ……いや、しかしそうか。これに関しては家にも関係してくるので、有耶無耶には出来ないだろう。

 だとしても、なぜこのタイミングなのかという複雑さは拭えないが。


「あなたに対して誤魔化す必要もないので言いますが、私は誰とでも寝れる女ですよ。まあ……生活する上で、過ごしやすくしたいという思いから相性の良さは望みますが、そういった一族ぐるみの問題は全てお任せします」

「いや、しかしだな……」

「それにですね――」


 月が綺麗だ。そんな関係のないことを考えなければ、そしてエイプリル嬢に感化されなければ、これを口にするには後二年は必要だっただろう。

 別に、シール卿のこのような態度を煩わしく思ってはいないのだ。何かきっかけが無ければ素直になれない点は、否定のしようもなく似ていると最近は思えるようになっている。

 つくづく夜会は面倒だ。けれど、せっかくの機会だし、エイプリル嬢の勇気を少しばかり分けてもらおう。


お爺様(・・・)のお眼鏡に敵う相手ならば、信用は置けるでしょうし。この件に関しては、そこらの令嬢より、そして母よりも、余程物分かりが良いと自負しておりますよ」


 そして私は、とうとうその単語を口にした。

 けれどこれは、ジョゼット様を想ってだとか、シール卿に同情したわけではない。余裕が生まれた。ただそれだけだ。


「今……、何と」

「お好きにどうぞと」

「違う、その前だ!」


 とはいえ、照れくさいと言うか、複雑なままではあるのではぐらかそうとすれば、驚くほどシール卿は詰め寄ってきた。

 なので、伸ばしてきた腕を全力で避けつつ繰り返す。


「お爺様、と」


 その瞬間、垣間見た表情を脳裏に刻みながら思う。

 少しは両親の墓前で胸を張れるようにはなれただろうか、と。

 笑っているというのに眉間で皺が出来るとか、この人はどこまで不器用なんだろう。でも、鼻の穴がわずかに膨らむのは、まるっきり母さんと一緒だ。


「儂を、そう、呼んでくれるの、か」

「どなたか程は頑固ではないつもりですから」


 その表情は、私が生意気な返しをしても消えることが無かった。

 ただし数年は、ここぞという時の必殺技にさせてもらう。反応を見る限り、中々の効果を望めそうだし。

 この一夜で、なんだかんだ駆け引きというものが分かってきた気がする。

 シール卿は、全力でエイプリル嬢へ感謝すれば良い。あの子のおかげで、私の機嫌は最高だったのだから。


「そろそろお戻りを。陛下方には、心配せずともご期待通り、存分に傍若無人な振る舞いをさせて頂くとお伝えください。さっそく、侯爵方やレヴィ卿に喧嘩を売りましたとも」

「なっ、あの偏屈と会うたのか!」

「偏屈ねぇ……。私はああいう方、嫌いではありませんよ。あなたの愛弟子の方が、よほど厄介な存在です」

「あ、待たんか、エレオノーラ! カルロと瓜二つなそのふてぶてしさ、少しはどうにかならんのか!」


 そうして私は、頑固爺の無駄に迫力のある怒声の横を通り過ぎ、再び煌びやかな場所へと歩を進めた。

 いい加減、喉が渇いて仕方がない。酒が私を待っている。


「レオナの奔放さも加わり、手の付けようが無いぞ!」


 そりゃあ良かった。金獅子の再来のお墨付きならば、大抵の貴族に地団駄を踏ませられるだろう。

 返事の代わりに掲げた空のグラスには、頭上の満月がすっぽりと収まっていた。



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