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悪魔の微笑を消す呪文  作者: 林 りょう
【王城】編
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一夜の始まり(4)




 開始時刻前だったにも関わらず、会場にはそれなりの人の姿があった。反逆以降、国王陛下が主催となっての夜会はこれが初めてなのだそうで、色々と語ることが多いのかもしれない。

 しかし、私が登場した途端、彼らはそれまでの行動を中断する。思わずたじろぎそうになるほどの視線が一斉に向けられ、外へまで聞こえていた騒めきすら掻き消えて静まり返った。

 皆して、こうもジョゼット様の罠に引っかかるとは。まあ、それだけ私の格好が非常識なのだが、にしては驚きが過ぎるような気もしなくはない。

 ともかく、まずはこちらから一手先んじようと、可能な限り優雅さを心掛けてゆっくりと腰を落とし頭を下げた。

 そうして体勢を元に戻す頃には、予想していた通りの反応が生まれていく。

 貴婦人方は眉を顰めてはしたない格好だと囁き、紳士方は私の噂や今回の出世を話題にそれぞれの憶測を巡らす。

 ただ意外だったのは、これらがあからさまに行われない事だ。会場自体どこか洗練された空気が流れていて、それこそ物語に出てくるイメージにぴったりだった。

 よくよく考えてみれば、これが当然なのかもしれない。反逆が起こる前ならともかく、今はすっかり掃除がされているのだから。

 それでも数が多ければ目につくもので――

 ある貴婦人は、扇で口元は隠せても瞳が侮蔑をありありと映している。ある子息の集団など、本人たちは柱の陰に隠れているつもりでも、もはやわざとか言いたくなるほど足を凝視していた。

 それらを無視し、会場の中心へと歩く。私の一挙手一投足へ注目しているのが分かり、なんだか楽しくなってくる。そういう趣味はないはずだが、どうせなら時間ぎりぎりで登場すれば良かったと思うほどだ。

 反面、これでは一時も気を抜けないなと肩に力を入れる。ほんの少しでも粗を見せれば、すぐさま飛びついてくるハイエナがいくらでも居るだろう。

 そして、周囲に溶け込むことなく、夜会はスタートした。

 明るく早めなテンポの曲が流れる中、後からやって来た者も必ず一度は私へと視線をくれる。しかし、誰も話しかけてくることは無く、殊のほか静かに時間は過ぎていった。

 と、本人としては言えるのだが、外野はそうでも無いようだ。いつまでたってもパートナーらしき人物が現れない私の様子を訝しみ、ついでに誰から接触するかつつき合っている感じもする。

 ちなみに、国王陛下ならびに王族方はまだ現れていない。

 空くグラスの数だけが増えていった。それがそろそろ二桁になろうとした頃だろうか。とうとう暇な時間も終わりを告げる。


「楽しんでいるかい?」


 気さくな声を掛けてきながら颯爽と姿を見せたのはバリエ卿だった。

 瞬間、軽く周囲が度肝を抜かれる。なにせ相手は侯爵様で、私は突飛な新参者。しかも悪評しかないような相手だ。

 そもそもこの方も含め、玉座での一幕に立ち会った者ならば、普通は好感を抱かない。

 だとすれば、周りはどう思うか。私が今の立場を頂くのを認めたと判断するのが一般的だろう。

 ジョゼット様からのお叱りが無ければ、その裏に何があるのか分からず、私だって何の用だろうと不思議に思ったはずである。

 やはりジョゼット様は、食えない人だ。おかげでこれが、周囲を煽っているのだと気付けた。おそらくこういった事が、この先何度も起こるのだろう。

 ああ――本当に、嫌な役目を負わされてしまったものだ。


「このような場は初めてなので、柄にもなく些か緊張しております」

「それにしては随分と、喉が潤っているようだ」

「……お恥ずかしい。観賞用の人形とするには、私では役不足でしょう」


 もしくは、これは煽りでもあり私を試すバリエ卿の意地悪なのかもしれない。

 皮肉染みた言葉に同じ皮肉で返せば、面白そうに眉を上げて笑っている。

 そうして誘われるがまま、四大侯爵が集う場に案内されてしまった。

 政治の頭文字も知らない小娘が、だ。そりゃ令嬢の輪に入るよりは、立場的に正しいけども。

 方々は皆、私がどういう理由でこの世界に来てしまったか正確に知っているので、敵ではない。だが、味方にもならない。

 むしろ不要と断じた途端、真っ先に後始末へと動く立場な分、最も脅威とすべきだろう。

 そんな相手との談笑。自分の肝の太さに感服だ。


「いやはや、女性が一人混じるだけで、普段と違い随分と華やかになる」

「御冗談を。奥方と比べることも失礼なほど、私には気品というものがありませんので」

「確かに、愛でるには幾分棘がありそうだ」

「棘どころか、毒があってもおかしくはあるまい」

「むしろ、周囲の水を根こそぎ吸い尽くすかもしれんぞ」


 ……うん、談笑だ。談笑ったら談笑だ。

 くそおやじども。バリエ卿以外は初対面だったが、段々とここで生き長らえるコツが分かってきた。

 とにかく必要なのは、忍耐力と物事を流す力。

 今だって、だいぶ手加減してくれているのだろう。誰一人、格好に大して嫌味を言ってこないし、こんな面子に学ばせてもらえる機会など二度と訪れないかもしれない。


「おお、そうだ。君に紹介したい者がいたのだった」


 そうやって私が、手の扇を折ってしまわないかひっそり心配していると、唐突にバリエ卿がそう言って周囲を見回し始めた。

 そして、お目当ての人物を見つけたのか、しばし場を離れる。戻ってくる際、バリエ卿の背後には二人の男性がいた。

 彼らを見て、思わず舌打ちをしてしまうところだった。やはりバリエ卿は、人の血を有していないアシル様の父親だったと認識を改める。


「君なら言わずとも分かっているだろうが、一応紹介しよう。レヴィ卿とそのご子息だ」

「お初にお目にかかります。この度、奇特な縁あって、レオ・サン・シールと名乗ることを許された者にございます」


 本日、四度目となる挨拶を述べて頭を下げながら、その前に見た二人の容姿を振り返った。

 どこか暗さの混じった青い短髪に、海を宿した瞳。鋭い視線に白い肌、どれもがもはや身近となった人物と似ている。一人は私より歳が上の青年から男性と称す境の者で、もう一人が初老の御仁だ。バリエ卿が仰った通り、紹介されずともエドガーさまの父親と兄だと気付けるほどには血を感じさせる顔だった。

 けれど、最も同一と見なされるだろう瞳が、私には違うように思えた。確かに澄んでいる、とても深い。けれど、吸い込まれるほどの美しさは無く、別に違う色でも彼らの整った顔立ちに影は差さないだろう。

 顔を上げると二人はそれぞれで名乗り、そしてレヴィ卿が微かに鼻で笑った。


「シール卿とは違い、最低限の礼儀を弁えているようで何よりだ」


 おおっと、何かこの感じ覚えがあるぞ。ありまくりだ。

 さすが親子。侯爵連中もこの対峙を見たかったのか、高みの見物を決め込んで楽しそうにしている。

 聞くところによれば、シール家とレヴィ家の犬猿の仲さ加減には、相当の歴史があるらしい。エドガー様がシール卿の愛弟子になれたことを奇跡と呼ぶほどに。


「私はあくまでレオンハルト・サン・シールの孫であり、御二方と対等にお話が出来るような教養がまだ不十分ですので。その理由は、説明せずともお耳に挟んでいらっしゃると思いますが」


 とはいえ、期待には応えられないだろう。

 なにせこの一年間で、この手の辛辣さには十分な耐性ができている。

 ただ、エドガー様の時と違って家同士の問題が生まれてくるので、出来ればこの対峙はシール卿が居る時にしておきたかった。遜りすぎればなめられるだろうし、かといって強気が過ぎると余計な争いを招くかもしれない。

 さて、どうしたものか。


「我々と対等になれると思っている時点で、些か認識に差がある様ですね」


 悩んでいると、今度は兄君が攻撃をしかけてきた。

 こちらの方がよりエドガー様とそっくりだな。というか、これこそただの嫌味である。

 レヴィ卿は、なんとなくだが言葉に棘よりも裏がある気がしてならない。それこそ試しているような、見定めようとしているような、そんな感じだ。

 そういえばレヴィ卿の地位を考えると、私の事情を知っていても何らおかしくないんだよな。

 ……ま、ここは、私が一般的な女性とかけ離れていることを認識させておくのが無難な対応だろう。

 というわけで、いつものごとく微笑みを浮かべて兄君と視線を合わせる。

 肩慣らしをするなら、どう考えてもこっちだ。


「御冗談を。私がレヴィ卿と対等になれるなど、たとえ爵位を賜ろうとも不可能なことだと思っております」


 すると予想通り、兄君はわずかに眉を寄せる。

 自分の言葉に対して引き合いに出されたのが父親のみ。つまり、お前とならそうなれると暗に言ってやったのだ。

 もちろんそれは、とても限定された条件下でのみ可能な話だが、わざわざ詳しく説明してやる必要はない。

 貴族としての経験はもちろん、教養に於いても敵わないのは当然。しかし、それでも私と兄君の立場は現在ですら同じである。同じ、跡継ぎという立場だ。

 そして私は、上級騎士になったらの話だが、二年後にその相続が約束されている。

 レヴィ卿はどう見ても、何らかの不幸が訪れない限りはまだまだ現役でおられそうなので、そうなるといずれ私は伯爵としての経験に於いて兄君より優位に立てるだろう。例え彼とは違って、領地経営などの責務がないのだとしても、だ。

 それは、真実を知ったとしても変わらない。だって私を利用しての策略には、騎士や文官の垣根もへったくれも無いのだし。むしろ、対等に扱わなければならない立場になるだけだ。


「これは、これは……。我々特有の言葉回しでは、些か分かり難かったようですね。気が利かず申し訳ない」

「いえ、こちらこそ。何分、奔放な育ち方をしているものでして、本心を隠し切れず素直に言葉を発してしまい……。お気に触らなければ良いのですが」


 しかし、会話の一つ一つに頭を使わなければならないのは疲れる。

 今のなんて、ただ単に「馬鹿には嫌味が通じないか」「こっちも、ついうっかり本音が」と言い合っていただけだ。

 そんな私たちを、バリエ卿など口元を痙攣させて眺めている。私がどういう人間か、少なからずアシル様から聞いているが故の反応だろう。他の方々は、意外というか珍獣を見るような視線を向け始めていた。

 ちなみにレヴィ卿に関しては、挨拶を交わしてから今までずっと安定して無表情だ。

 そういやエドガー様も、出会った当初は不機嫌な顔しか見たことがなかったな。血筋的に表情が変わりずらいのかもしれない。

 あの頃は大変だったとつい懐かしくなっていれば、唐突に視界の中へ白い手袋が乱入した。

 

「立ち話も何ですし、よければ一曲お付き合い願えますか?」


 何を思ったのか、兄君からダンスのお誘いをもらってしまった。

 ……いや、どうやら結構腹が立っているようで、確実に伝わる形で罵るつもりらしい。

 意図が分かったのは、弟とは違って大抵の女なら完敗するような温かみのある表情の奥、涼やかな目が一切笑っていなかったからである。


「おお、これは面白……、いや何、歴史的にもめったにない組み合わせですな」

「あのレヴィ家とシール家の者が手を取り合う様子など、果たして過去にあったのか」


 おい、おっさん。わざとらしく言い直してまで煽ってんじゃねぇよ。

 侯爵連中め、完全に遊んでやがる。どうせ文句を言ったところで、老人の戯れだとでも返してくるんだろうな。

 でも残念。私は、綺麗な顔だけの男になど興味はない。どんだけ男に囲まれて生活してたと思ってんだ。強面だろうが地味顔だろうが、本当に良い男がどういうものか知ってるし、むしろ私の周りにいる整った顔は、こぞって碌でもないんだぞ。絆されるどころか、逆にそれだけで警戒できる。

 ま、一夜のお誘いだったなら、大歓迎だけど。

 あー……でも、兄君は顔以外、目の保養にはならないだろう。文官一族らしい身体つきで、服の上から見ても筋肉が足りない。これは死活問題だ。

 なので、差し出された手を眺めながら扇を広げ、口元を隠して目を細めた。


「せっかくのお誘いですが、遠慮させて頂きます」

「……は?」


 おっと、さすがに予想外だったらしい。

 これはジャンと同じく、自分の顔の造りの良さを自覚していて、なおかつ女性との接触も拒絶していたわけではないようだ。

 はっ、ざまぁない。だから顔だけの男は底が浅いんだ。


「さすがの私も、このような場でこのような格好をしていれば夢を見たいのですよ。失礼ですが、あまり運動が得意ではないのでは?」

「っ――! 何分、机の上が職場ですからね」

「ええ、そうでしょうとも。私が剣を持つように、ペンを武器に戦われるのが文官の方々ですから。しかし、さすがに男性をリードするのは……、ねぇ?」

「これは手厳しい」


 かろうじて表情を保ちながら――それでも目元は引きつっていた――兄君は手を引いた。

 しかし、視線が完全に私から外れる。

 その反応に、思わず声を出して笑ってしまう。


「……何か?」

「ふふ、失礼。しかし、あまりにも弟君と仕草が同じだったものでして」


 私としては兄弟だなと思っただけだったのだが、なぜかその言葉を口にした途端、兄君の表情がこんどこそはっきりと不快感を浮かべ、周囲もやってしまったなと失言さを伝えてくる。

 なんだ、仲が悪いのか。そういやアークが、一族から見放されていると言っていたっけ。

 黒髪なことが原因っぽかったが、私の印象ではレヴィ卿がそんなことで見限るようには思えないので違和感がある。

 考えられる理由としては、この方は国政を補佐する立場な中でも同じ役割を担う侯爵の方とほぼ同等らしいから、色々と先を見通して物事を考えるのに長けているのかもしれない。

 でもって効率主義そうだからな、面倒事は嫌いと見た。加えて、文官であることの誇りが高ければ、自分の子供から騎士が出るのはあまり喜ばしい事ではないだろう。

 シール家と不仲なら尚更だ。あまつさえエドガー様は愛弟子なのだし、バリエ卿のように私との接点として話題に出さない辺りでも、やはり家族関係が良好とは言い難そうだ。

 とはいえ、他人な私がしゃしゃり出るのは無粋なだけなので、ここは流しておくに限る。少なくともエドガー様は、既にお一人でも生きていける力を持っているのだし。


「なるほど。全てが筋肉で出来ているような彼奴と違い、娘だった者の小賢しさも少なからず受け継いでいるようだな」


 空気が悪くなった場で、しばらくして沈黙を破ったのはレヴィ卿だった。

 彼奴とはシール卿で、娘は母さんのことだろうか。棘どころか針の山だと思う程の鋭さがある。

 そしてレヴィ卿は、唐突に言った。


「私は武力に先を見出さん。それでもお前は剣に誇りを乗せるか」


 無表情で、しかも射抜くような鋭い視線で放たれた声に感情は乗っていない。

 なのに背筋が伸びる。

 ああ――私は今、計られている。今度は確信を持ってそう思う。

 だから扇を閉じ、軽く目を伏せて言葉を整理してから、顎を引いてレヴィ卿と向かい合った。


「若輩ながら否であると答えさせて頂きます。あなた様の仰る通り、我々は今ある時の為に血を見ます。剣よりペンの方が、よほど人を護れるでしょう。百を失っても、千を選ぶことで万を生むかと思います。あなた様の背中には、今より先の未来が大きく乗っておられる。たった一つのサインが、一瞬にして万を殺すこともあるのですから」


 返答しても、特に反応は見られなかった。

 代わりとしてか兄君の方が、当然だとでも言うように口元を歪める。

 それを私は、ヒールで床を軽く叩いて消してやった。

 ただし視線は、一瞬もレヴィ卿から外さない。


「それでも私は、目の前の悲しみを未来の為と割り切れません。百の為に一を見捨てる度、己の無力さに打ちひしがれます。そのくせ、私が切るのは人です。未来です。それが剣です。ですから私の誇りとは、血に濡れた己ではない。切った先で救えた未来にある、そこで生まれる個々の幸福であり、罪を責任へと昇華してくれる存在そのものです」

「その存在を口にできるか」

「はい。私にとってそれは、エイルーシズ王太子殿下その人です」

「この国そのものでも国王陛下でもなく、か」

「私は近づきすぎましたから。そして、国と口にするには、あまりにも傷が深い。数も多い」


 するとレヴィ卿は、聞くだけ聞いてきたくせに、何の評価も下さずに背を見せる。

 なんというか、シール卿と馬が合わないのが良く分かる。たぶんあの人なら、ここでハッキリせいと苛立つのだろう。

 私はといえば、黙ってその背へ頭を下げた。

 私も感覚派な人間だけども、その感覚をもってしてもこの方の行動には本人なりに意味があって、他者へ理解を求めないだけなのだと思う。私と同じくらい敵は多そうだ。誤解なんて日常茶飯事な気がする。

 ああでも、一つだけ言い返させてもらおうか。


「私は確かにレオンハルト・サン・シールの孫であり、貴族にあるまじき行いをしたレオナ・サン・シールの娘ではありますが、父という存在があることもどうかお忘れなく。あなた様の指標の項目に、その点を付け加えて頂ければと願います」

「気が向けば覚えておこう」


 レヴィ卿はそっけない一言を残し、侯爵方へ挨拶をして去っていった。

 ちなみに兄君からは、器用にも私だけに聞こえるよう「厚かましい女だ」と舌打ち交じりに頂いている。

 やはり兄弟そっくりだ。これで令嬢方から目の敵にされる理由がさらに増えたことになるのだろう。


「いやはや、シール卿と会話が成立する者を久方ぶりに見たぞ」

「前途ある若者が振られる姿を見て胸がすくのは、私もまだまだ男として現役な証拠かな」

「それは逆に、歳を取った証拠なだけではないのか」


 ともかく、難が去ってホッとする。

 その周りで好き放題言い合って笑っている侯爵方は無視だ、無視。

 しかし、そんな私を目敏くバリエ卿が突いてきた。


「我々の前で、国に忠誠を誓っていない同然な発言をして良かったのかね」


 だから、これでもかと表情を作って言ってやった。

 戦闘が終わっても、すぐに警戒を解かないのは基本中の基本だ。


「そんな相手の手綱を握ろうとしているのは皆様方の勝手であり、私の責任では無いでしょう。お節介かと存じますが、先の一件の二の舞にならないよう、国王陛下ならびに王太子殿下へも機会があればお伝えください。ちなみに私には、甘い餌も高価な寝床も無意味ですので」


 すると全員の表情が一瞬だけ固まったので、してやったりとさらに口角が上がる。

 そして次には、盛大な笑い声が場に響いた。


「そうだったな。君が〝微笑みの悪魔〟と呼ばれていることを失念していた」

「甘言が武器の悪魔にとって、それは諸刃の剣か。我々も心しなければ」

「これは一字一句違わず、正確にお伝えせねばなるまい」

「では我々も、しっかりと聖水を用意しておこう」


 普通なら侮辱とも取れる発言だったが、最初に御しやすいと判断されれば骨まで残さずしゃぶり尽されるかもしれない。なので、これぐらいしておくのが丁度良いだろう。

 最後に国の栄光を祈ってグラスを合わせ、それぞれ夜会の人ごみの中へと消えていった。


 ――それからは、侯爵方と近しい者や私を美味い汁だと判断した者がそれなりに接触を試みてきて、なんだかんだ忙しい時間を過ごした。

 それをなんとかさばき切り、もう少しすれば国王陛下ならびに王族の方々が現れるだろうと皆が囁き始めた頃、休憩をしようと騎士として培った技術を全力で行使して、人の居ないバルコニーへと退避する。

 不快感を抱くほどではなかったが、様々な香りが混じった室内から外へ出ると空気がやけに澄んで感じられた。前髪を揺らす程度の風も、人ごみと酒で火照った身体には心地良い。

 それに月が綺麗だ。欠けた部分のない丸々とした満月。人生で何度も遭遇しているはずだが、それを王城で見上げていると考えれば不思議な感慨深さがある。

 馴染みない騒めきと高度な音楽が背後にあって、上へ向けていた視線を下げれば巨大な王都が広がっている。ついこの間まで、星の様に瞬く地上の光の一粒に過ぎなかったというのにな。


「確か、因果応報だったか」


 記憶にあるどこかの国の言葉を思わず呟いていた。

 そのこと自体にも意味に対しても苦笑し、全てを呑み込むように手元のグラスを傾ける。

 その時だ。すぐ後ろから物音がして、人の気配を感じた。

 邪魔が入ったと内心でうんざりしながら振り向けば、そこには覚えの無い者が二人立っており、私に用事があると伝える態度で恭しく頭を下げてくる。

 一人は四十代前半の紳士で、もう一人はおそらく娘なのだろうご令嬢だった。


「お寛ぎの所、申し訳ございません。レオ・サン・シール様とお見受け致しますが、少しばかりお時間を頂いてもよろしいでしょうか」


 その態度から地位的にシール卿より下位だと分かったが、用件に皆目見当がつかない。

 とりあえず了承の意を伝えれば、改めて自己紹介をしてくれた。

 そしてその名を聞いた瞬間、心当たりがあってハッとする。その間で娘の方にも挨拶をするよう促していたが、彼女は俯いていた顔を上げると、そのままの勢いで一歩こちらへと近づき言い放った。


「あの、あの……! どうかお願いでございます。わたくしからロイド様を奪わないで下さいませっ!」

「エイプリル、なんという無礼を!」


 私とは雲泥の差がある可憐な声で、瞳一杯に涙を浮かべながらの訴えには鬼気が迫っており、切羽も詰まっていた。父親が慌てて窘めるも、聞いてすらいないだろう。

 デート中に嫌がらせをしてやるつもりで、結局は忙しくて今まで叶わず、惚気話の中でのみ知っていたロイドの彼女は、そうして私の前に現れたのである。

 何故か私を、恋敵と認定して。


「…………ん?」


 あまりの事に現状が把握できず、しばらくしてやっと首を傾げることが出来た。私には、それが精一杯だった。

 いやもうまじで、何がどうしてこうなった。というか、誰か今すぐあの馬鹿をここに連れて来い! できれば馬で引きずって!

 やはり夜会なんて碌なものでは無い。




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