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悪魔の微笑を消す呪文  作者: 林 りょう
【王城】編
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一夜の始まり(3)





 全ての支度が終わる頃には、夕陽の名残がかろうじて遠くの空で夜に抵抗していた。

 正面には心なしか顔色の悪い自分がおり、着飾られたことよりも女性陣の相手に疲労困憊し、全身を眺めると眉間を揉んで深いため息を吐いていた。

 いつもなら私の感性が可笑しいのかと一瞬ぐらいは悩むものだが、今回ばかりはそうせずとも常識外れではないはずだ。

 だというのに、アデラ嬢やカティアさん、あろうことかジョゼット様までが満足そうに手を叩いていて、消えたはずの逃走欲がむくむくと再熱し始めた。ベディーナは最初から論外なので、語るに及ばない。

 ひとまず、一人で悶々としても意味が無いので、なんとか顔を上げ鏡越しで主犯を睨みつける。


「――おい」

「いやぁ、まさに渾身の出来だわ。カティアさんのおかげか、残念過ぎた肌とか髪の質も普通ぐらいにはなってるし、さすが私!」

「黙れ、変態。とりあえず話を聞け」


 自画自賛で忙しいベディーナは、私の態度がえらく気に食わなかったようだ。両手を腰に置き睨み返してくる。

 だが、こっちだって引くわけにはいかない。

 ゆっくりと鏡を指さし口を開くと、自分でも驚くほど低い声が出た。


「これで出ろと?」

「なによぅ、まさか文句があんの? あんたが私に、服に関して?」

「やっぱりヴィーナちゃんに任せて正解だったわ!」

「ほら、奥様もこう言ってるじゃない」


 しかし、伝わらなかったらしい。

 それどころかジョゼット様がベディーナの援護をし、黙ってはいるがカティアさんとアデラ嬢も頷いている。まるっきり四面楚歌だった。

 だからこそ可能性は皆無でも、もう一度だけ自分の格好を確認してみるが、やはり錯覚ではなかったと思うばかり。

 ほんっとーに、頭が痛い。文句というか、これはどう考えても不味いだろう。

 まず目に飛び込んでくるのは、二色が織り成すコントラストだ。全体を少し鮮やかめなワインレッドが占め、二の腕までの手袋と背中の編上げに使われている太めのリボンの黒が派手さを上手く抑えている。手の甲に咲く同色のバラもまた、印象を落ち着かせるのに一役買っているだろう。

 ここまでは良い。問題はドレスのデザインにある。

 背中がかなり見えているのを除けば、上半身は胸が露出しすぎているというわけでもなく常識的と言えるだろう。

 だが、下半身は違う。なんというか、長いのに短いのだ、丈が。

 太ももの中間で生地が止まっていながら、別の生地が正面を除いて腰から足首まで伸びている。しかし、如何せんそれが薄い。透けまくりだ。

 なので、どう見ても足が露出している。正面なんて透けてすらいないのだから、確実にアウトだ。娼婦ですらここまで前衛的ではない。


「確かに動きやすくはあるだろうけどな、これは攻めすぎだろ」

「後ろの布は三重にしてるから、短剣ぐらいなら隠せるようにちゃんとしてるわよぅ。手のコサージュも使えるでしょ」

「ちげーよ。足だ、足」


 だが、ここまで言っても、ベディーナは首を傾げるだけである。まさかこの私が、真っ当なことを理解させるのに苦労する日が来ようとは……。

 しかも「非常識すぎる」そう呟くと、途端に高笑いが響き渡る。


「あはははは! 非常識の塊からそんな言葉が聞けるなんてね」


 こちらを指差しながら、ベディーナはしばらく腹を抱えていた。

 が、いきなり拳を握るとそれを頭上に掲げ、なぜか睨んでくる。


「でも、あんたは何も分かっちゃいない!」

「何がだよ」

「自分の魅力よ!」


 中身がこんなんでなければ、国随一の仕立て屋として成功していてもおかしくないってのに、ほんと残念な奴だ。逆を言えば、この性格のせいで客との衝突がしばしばあり、消されかけたりしている。

 そうやって私が呆れから意識を外している間、ベディーナは何やら力説していた。


「乳だけが全てじゃないってのを、男はいい加減気付くべき! どうして、腰からお尻までの流れるラインの色っぽさ、うなじ、背中に目がいかない?! 特にあんたは、足よ、足! 鍛えてるだけあって引き締まってるけど、かといってムッキムキなわけじゃなく、なにより長さと太さのバランスが良い。これで中身が捻くれてなければ最高なのに!」

「悪かったな」

「そもそも、そもそもよ? 乳だって、でかさだけが重要じゃないでしょう。どいつもこいつも、寄せて上げて谷間作ってそれを見せるだけ。つまんないのよ、下乳のチラリズムのが断然そそるってのに!」

「どっちにしろお前は絶壁だけどな」


 本人にとっては熱い語りへ適当に相槌を打つ私と違い、ジョゼット様とカティアさんは口を挟まず微笑ましそうにしながら傍観し、アデラ嬢が自分の胸に手を置いている。第三者からすれば、さぞ可笑しな状況だろう。

 どちらにせよ、私はこの格好で出席するしかなさそうだ。


「だから良いわね、レオ」


 しばらくして落ち着いたのか、少しだけ息を乱しながらベディーナが私を呼んだ。我に返ってくれて何よりである。

 ただ、鬱陶しいから両腕は掴むな。私はお前の美学に付いていけない。


「あんたは、存在そのものが免罪符なのよ」

「頼むから、理解できる言葉を喋ってくれ」

「不本意だけど、私は自分のデザインが今の常識内じゃ奇抜すぎるのは分かってるわ。だけど、伝統ばっかで新しさを拒絶する今に納得もしてない。だから、あんたのドレスを作るのは好きよ。工夫があって、遊びがあるもの」

「そりゃよかった。でもな、さすがに限度ってものが――」

「祖父や王太子殿下へ取り入って、半端者の分際で地位を得ようとしている奴の限度ってなによ」


 しかし、ベディーナの言い分にぐうの音も出なくなってしまった。

 そして、確かにとうっかり思ってしまった隙を見逃さないのがこの女だ。

 厚めの唇をいやらしく歪め、目の前でふんぞり返ってくれる。


「普通の奴がこのドレスを着たら、恥知らずだって非難されてそれで終わり。でも、あんたならそうならないって思ってるし、保証もあるって奥様から聞いてるわよぅ」

「それで?」

「このヴィーナ様が誂えたドレスよ? 似合ってるのは間違いないの。ただ、今はまだ非常識なだけ。だったら、常識になるよう浸透させれば良いだけだわ」

「つまりお前も、私を良い様に利用するってことか」


 もはや怒る気にもならず呟けば、鼻で笑われた。

 さらに「馬鹿じゃないの」と一蹴され、人差し指を立てて横に振る。


「ただの持ちつ持たれつでしょ。あんたには戦えるドレスが必要で、私は名を売りたい。かといって、ただの腕の良い仕立て屋で終わりたくない」

「物は言いようだな」

「あんたを荒ませてる奴が誰かは知らないけどね、少なくともあたしは利用じゃないわ。選んだだけよ」


 それからベディーナは、おもむろに自分の荷物を取ると歩き出した。

 そして、扉に手を掛けて開いてから、首だけ振り返り片目を瞑る。


「絶好の機会で、確かにラッキーだとは思ったけど、そう思えたのはレオ、あんただったからよ」

「おい!」


 引き留めようと声を張るが、ガン無視だ。


「まったく……。私が誰にでもドレスを作る安っぽい職人じゃないのを一番知ってるくせに。――それでは奥様、私は帰りますね」

「えぇ、ご苦労様。またよろしくね」


 結局、やりたいことをやり、言いたいことを好き勝手言って、ベディーナは去っていった。

 だからといって、不完全燃焼で終わった憤りを押し殺しはしない。本当に話し合うべきは、最初から別にある。

 しかし、それもまた先手を打たれることになった。


「嵐のような子よね。レオちゃんのお友達はみんな個性的だわ」

「……どこまであいつに話したんですか」


 同じように、けれど私とは違い常識的にドレスアップしたジョゼット様は、あくまで暢気に恍けてくれる。だが、さすがにベディーナが居なくなってまで付き合う必要はない。

 カティアさんだってそうだ。私だけならばこのドレスでも平気だが、まさしく最初の一悶着で出てきた通りシール卿の顔に泥を塗りかねない。

 だというのに、なぜわざわざ騒動を起こそうとするのか。ロイドのように誰かを巻き込むのはもうごめんだ。


「ヴィーナちゃんが知っているのは、民衆に広まっているレオちゃんの大出世と、あくまで何も知らない貴族間の噂だけよ。ただそうね……、あなたと身近な分、わたくしの依頼で少なからず察するものはあったのかもしれないわ」

「依頼ですか」

「ええ。ヴィーナちゃんの好きなように、うんと綺麗でうんと目立つデザインをお願いしたの」

「その意図が分かりません」

「あら、今日は随分と意地悪なのね。そこまで説明させるなんて」


 上品に微笑みながらも、厳しい空気を放ったジョゼット様の姿に、カティアさんとアデラ嬢が息を呑んだ。

 どこからどう見てもか弱い女性にしか見えない分、威力が倍増でもしているのだろう。どういった意味であれ、母さんが任せられると言ったのも頷ける。

 ただ、私は怯まなかった。無言で唇を歪める。


「レオちゃんに課せられた責務は何かしら?」

「良くて礎、はっきり言えば、わざと意思を残された傀儡といったところでしょうか」

「それが分かっているのなら、与えられた役割も理解しているはずでしょう?」


 否定をしないジョゼット様もジョゼット様だが、自ら傀儡と認める私も私だ。かといって、駒で済ますにはあまりにも重責すぎる。

 気持ちとしては、試合に勝って勝負に負けたといったところか。なんだかんだ逃げ道を用意してくれていて、それを私は選ばなかった。だから、この身一つが巻き込まれるのであれば、悪態を吐きながらでもとことん付き合える。

 その保証があれば良いだけなのだ。

 なので、長々と茶番を繰り広げるつもりは無かった。


「それは王太子殿下が目指す改革の矢面に立つことであって、着飾ってお貴族様を満喫しろという事ではないはずですが」

「ええ、そうね。でもそれは、求められる立場なだけで役割とは言えないわ」


 けれど、どうやら答えは私が出さなければならないらしい。考えるのは苦手なのに。まあ、そのままでは駄目だと改善させたくて、ジョゼット様もこんな意地悪をしているのだろう。

 降参して肩を竦めてから、私はもう一度、奇抜な格好をしている自分を鏡越しに眺めた。

 常識をどこかに置けば、確かに似合っていると我ながら思う。だが、確実に顰蹙を買う格好だ。ただでさえ目の敵になっているところにこれなのだから、ますます私の評判は下がるはず。というか、上がる要素が何もない。

 そこまで考え、すとんとピースが嵌った。


「……ああ、なるほど」


 そして、ジョゼット様へと向き直り、重いため息を零す。


「要するに私は、こんなことが許されてしまう立場って訳ですね」

「そこは是非とも、立役者と言って欲しいわ」


 満足気に頷かれているところ悪いが、結局はただの囮で目くらましなだけだろう。

 なにせ、とにかく私は何に於いても都合が良い。今までにしても、これからにしてもだ。

 その筆頭として〝都合が悪く〟なれば、いつだってこれまでの違反行為を理由に切り捨てることが可能だ。それは私自身が擁護できないのだから、誰が罪悪感など抱こうものか。

 少なくともイースには無いだろうし、それどころか良心すら微塵も存在しないと思う。

 でなければ、たった一人に数多の敵意を集中させようなど考えるはずがない。


「こうやって私は、一生あいつに振り回されるんだろうな」

「そしてわたくし達は、それを許してしまうレオちゃんの心を利用するの。……最低ね」


 思わず零れてしまった独白に、ジョゼット様が自嘲する。

 否定はしなかった。けれど、責めるつもりはない意思を込め、首だけは振っておく。


「ともかく私は、とことん嫌われ役を担う必要があるってことですね」


 そしてジョゼット様も、私の答えを否定しなかった。

 王太子殿下が女伯爵という地位を用意した真意はここにあったということだ。それがどれだけ形だけであろうとも、私が自分自身で対処できるようにという意味があろうとも、これもまた餌として存在している。

 この決定が私以外にとっても結構な横暴さだったのは、たとえ国王陛下であっても否定が難しい。しかし、このぐらいの非常識さに付いていけないようでは、今後の国の変化に対応できないだろう。貴族以外にも役職を与え、国政に参加させる実力主義な方針は、国にとって前代未聞な初めての試みだ。

 つまりは私という存在そのものが揺さぶりであり、選別の判断材料となる。先立っての反乱の残党がいないかどうかの確認を取る意味もあるだろう。


「でもって今回は、そんな私の初陣となるわけで、ここで手を抜くわけにはいかないと」

「ええ、そうね。その通りよ」

「ああ、もう……。納得しました、しましたよ。一発目だからこそ効果は抜群でしょうし、私も奇襲は嫌いじゃありません」


 そこまで頭の中を整理し、今度こそ降参の意を示した。

 すると、ジョゼット様とカティアさんが笑い出す。アデラ嬢がそんな二人へひっそりと首を傾げていたが、これだけは聞かずとも理由が分かった。

 言葉だけなら諦めとやさぐれを感じさせるが、私の口角がこれでもかと上がっていたのだ。それも強がってではなく、自然と。


「本当にレオちゃんは、ハルト様とレオナにそっくりね」

「旦那様の弟君は、まだお顔を合わせていないにも関わらず、お若い頃の旦那様の再来だと嘆いておられたそうですよ」

「まあ! それは興味があるわ。昔のハルト様といえば、国一番の美丈夫として有名だったそうじゃない」


 話が微妙に逸れていく二人はともかく、喉の奥で隠れて笑う。

 窮屈ばかりだと思っていた未来で自由でいて良いのだとはっきりと分かったのだ、これが笑わずにいられるか。

 もちろん最初からそのつもりだったが、自分で勝手に事を起こすのと元から望まれているのでは、心構えに雲泥の差がある。

 売られた喧嘩は買って良い。取り繕わなくて良い。私であるからこそ意味がある。

 適任だとの言葉は、ただ我慢強いだとかそんな理由ではなかった。

 だとしても、責任だったりなんだりは永遠に重苦しくて分不相応だと思うが、遠慮をしないことが望まれるなら存分に楽しんでこの状況を受け入れられるだろう。不自由なのはどこにいたって当たり前なわけだし。

 これなら堂々と、非常識を纏って背筋を伸ばし飛び込める。


「ジョゼット様」

「あら、何かしら?」

「そういうことであれば、私はとことん敵として(まと)として、役目を全うしたいと思います」

「え?」

「ですから、誰をご用意されているかは知りませんが、パートナーも必要ありません」

「あ、ちょっと、レオちゃん待ちなさい!」


 背中で聞こえる声は無視させてもらい外へ出る。

 扉を閉めた時に軽く細工をしたので、すぐに追いかけてくるのは無理だ。今頃ジョゼット様は、いつものリス顔を作っていることだろう。

 それにしてもやばいな、どうしようもなくにやけてしまう。すれ違った文官が、私を見て青ざめながら足早に通り過ぎていくぐらいだから、相当な悪人面になってしまっているようだ。


「まったく、やってくれる」


 敵がいる。それは分かっているのに、正体も人数も、何もかもが不明瞭。そんな状態で、資格がないのも素質がないのも自覚しながら、上辺だけを真似て必要な環境に身を置き、目の前の任務に従事て過ごす。

 それはどう考えても、今までと――復讐を望んでいた時とまるで変わらない。立場と責任が大きくなった分、むしろ悪化したか。

 散々私を翻弄したくせして、最終的に用意していたのがこんなものだとは、イースもつくづく最低な男だ。好意を覗かすくせに、けして甘やかしてはくれない。

 なのに、私が私らしくいることをいつだって望んでくる。崖から突き落としながら、生きろと無責任に言うのだ。


「ただ一つ、違うとすれば……」


 扇を広げて口元を隠した先で零した独り言は、城の長い廊下のどこかへ消えていく。

 これだけは、誰にも聞かれたくない。聞かせてたまるか。未来が見えるようになったなど、そんなことを思っていると知られれば、つけあがるに決まってる。


 そうして私は、単身で煌びやかな会場へと到着した。

 最初の一歩に躊躇などしていられない。してやるものか。

 変わったのは、その心構えのみ。



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