淡く点る紅い魂(2)
十分温まった身体は、弾む心のおかげでかなり軽く感じる。頭ばかり悩まされた一日の疲労など無問題だ。
だが、周囲を見渡せば苦笑を禁じ得なかった。
「レオが負けるに一票だな」
「馬鹿野郎! それじゃあ、賭けが成立しねぇだろうが」
「おー、それもそうか。んじゃあ、5分で」
「いいや、さすがにここは俺らの面目を保つためにも、10分は頑張ってもらわなきゃならんだろ」
左右に分かれた集団の黒い方は、このように堂々と賭けを始めており、内容もさることながら口汚い野次を遠慮なく飛ばしている。
もう一方の白い方は、全くの逆で私語すらせず静かに佇んでいるので、行儀の悪さがここぞとばかりに際立っていた。これが味方というのだから、なんだか恥ずかしくなってしまう。
さらには、今日を無事に生き残った女性騎士と、どこで嗅ぎ付けてきたのか騎士ではない者も混じっているので、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。
そんな人々に挟まれる形で、私はエドガー様と相対していた。
「これでは、どっちにしろ悪役ですね」
「どういう意味だ」
「稀代の天才な方の綺麗なお顔に傷をつけるんですよ? 当然でしょう」
「そっちこそ、保護者が黙っていなさそうだ」
減らない口を動かしながらお互いに肩を竦め、わずかに後ろを振り返って苦笑し合う。
エドガー様も、ここまで事を大きくするつもりはなかったはずだ。こればっかりは、こういったことが大好きな黒騎士に非がある。
「つっても限度があんだろ。うるせーよ!」
「おい、言葉遣いがひどすぎるぞ」
「レオ! おめぇ、負けたら全員に驕りな」
「ふざけんな、誰が頷くか」
「……先が思いやられる」
そして私も、仲間が見ているせいか、どうにも猫を被りきれずにいた。
まともな応援があまりにも聞こえないので、うっかり素の状態で怒鳴ってしまい、エドガー様から心底呆れられてしまった。
対象は違うが、その呟きには同意です。
「んじゃ、勝敗は俺の判断で。殺すのは無し。レオは暗器もな」
「俺は別に構わないが……」
「だめだめ、これは試合だからな。針とか使った日には、掠っただけで痺れて終わり。そんなん嫌だろ?」
ともかく、剣を抜いて待機すると、審判役のロイドが一歩前に出て私たちの注意を引く。
抜擢理由はもちろん、私の戦い方を熟知しており、なおかつ最も正確に先の行動を読めるからだ。要するに、誰よりも正しく制止が出来る。
基準が私寄りなのはお察しで。弱者が手加減するとか何様って感じだし、本気でいくつもりだからむしろ助かる。熱が入れば、絶対に自分じゃ止まれない。
ただ、それだけでは不公平だろうと、白騎士側からもジャンが副審として選ばれている。
「お前は良いのか?」
「試合では、普段からこの条件ですよ」
エドガー様としては制限が掛かることに納得がいかないらしいが、私の場合、実戦と試合での万全が異なるってだけだ。
現に、新調したマインゴーシュは使う気満々である。
「ですから、暗器が無いから楽勝とは思わない方が身の為かと」
「だったらお前も、それを負けの理由にするなよ」
ロイドの右手が静かに上がり、冷笑と微笑をお互いに送りながら剣を構えた。
すると、エドガー様が感心した様子で片眉を上げる。
気付いてくれたか。私の構えは以前に比べ、かなり綺麗になったはずだ。正面で真っ直ぐ、切っ先を僅かに前へ倒し狙いを定める。
そこで大きく息を吸えば、鬱陶しかった周囲の雑音がさざ波となり、今度は浅く短く繰り返すことで完全に消えていく。
「本気で来い」
「言われなくとも」
「――――始め!」
そして、視界の中へロイドの腕が振り下ろされた瞬間、世界は私とエドガー様だけになった。
挨拶代りとして、まずは長剣だけで一気に距離を詰める。
当たれば致命傷となるが、首めがけて繰り出した突きは、こちらが心配せずとも案の定流された。
キーン――と、前回とは違って奏でられる音はとても澄んで響く。
私の剣は、エドガー様の頬の横を通り、空気だけを貫いていた。
叩き落されぬようすぐさま腕を引き、邪魔をしてきた力に対抗すれば、私たちの剣が綺麗に交差する。
その間から見えた表情に胸が躍った。
何度見ても美しいと思ってしまう瞳には、もはや嘲りや侮りがない。あるのは、私と同じ昂揚感。楽しんでいる。
「最初から飛ばして、途中でへばっても知らないぞ」
「いつまで余裕でいられるか、見物ですね」
二度、重なったことのある唇が三度目を経験しそうなほど近付き――――歪む。
さあ、来る。来い。受けて立とう。
「なら、次はこちらからだ」
そして、交差していた銀の一本が離れたと思った瞬間、小細工なしに頭上から振り下ろされた。
なんつー大胆な。
普通ならば、そのような動作には大きな隙が生まれる。
いや、それは確かにある。あるには、あるのだ。
しかし、あまりの素早さに活かす暇がない。
急ぎ横へと転がり避ければ、空気を切ることで生まれた風が腕を撫ぜた。
まさしく雪を孕んだ冷たい風だった。ほんの数秒前まで自分が居た所から吹いてくる。まだ序の口だと告げている。
だから私は、油断なく体勢を整え、さらに後ろへと下がった。
けれど、怖気づいたりはしない。
「その微笑み……。本格的に火が付いたか」
「最初から、あんた相手に本気にならない理由がねーよ」
「だろうな」
「後は、そっちにもそうなってもらうだけだ」
剣を両手から片手だけに持ち替え、再び攻める。
薄い唇は余裕を形作っていたが、切り込む間際に左手の中身を投げつければ、小さな舌打ちが聞こえた。
次いで、振られた剣が鈍い音をたてる。
「相変わらず器用な」
私自身の攻撃は軽々と避けられてしまったが、先程転がった時に拾っていた石には、そこそこ驚いてくれたらしい。
してやったりと笑えば、細い眉がみるみる内に寄っていく。
「いつまでも小細工が通用すると思うな」
攻めれば、攻められ。防げば、防がれ。
けれど、一進一退と呼ぶにはまだ足りない。
だから私は、敢えて攻撃を避けるのではなく受け流した。
受け流しながら、タイミングを計る。短剣を抜く絶好の機会を待ちつつ、時に蹴り技を繰り出しせり合った。
「お前っ――」
「どうだ、ちったぁやるだろ?」
「どこまで猫に近付くつもりだ!」
すると、少しずつだが、エドガー様から余裕が消え始める。
強者と弱者の試合から、限りなく実戦に近い空気へと変わっていく。
かといって、どちらが上位かは変わらない。
一度距離を取ると、私の額からは汗が滴り、対してエドガー様は涼しい顔を保っている。
しかし、納得のいかない評価の後に、聞きたかった言葉が飛び出てきた。
「やりにくいにも程がある」
その一言だけで、努力が報われたように思う。
私のスタイルは型破りだ。それは自分でも分かっているし、だからこそ今まで生きてこれた。
しかし、効果的に使えていたかと言えば、そうではない。
ただ戦えていただけに過ぎず、だからウィリアム副団長は、正統派をより忠実に身に付けられるよう扱いてくれている。意外性を極めさせる為にだ。
しなやかに、強かに。お行儀が良いと思ったら、いきなり突拍子のない攻撃が来るのだから、相手からすれば相当先が読めないだろう。
まだまだ完成と呼ぶには不十分だが、それでもエドガー様にそう言わせたということは、十分通用している。
必要以上の警戒は、精神的な疲労を及ぼす。
現にほら、対峙していても呟くぐらいで喋りかけてこない。
鋭利な視線はこちらから微塵も逸れず、片足を少し下げると一気に警戒を濃くする。
その変化は、まるで一面の銀世界に足跡を残していくようだ。
だが、私の知るエドガー様は、そんなことを許しはしないだろう。
だったら、どうするか。全てを一瞬で消し去る――呑み込む吹雪がきっとくる。
そして、それこそが待ち望んでいたもの。
「――後悔するなよ」
「何を今更。望むところだっての」
この試合で、私たちが会話をしたのはこれが最後だった。
まるで瞬間移動をしたかのように、瞬きをする間でエドガー様が目の前に移動していた。驚きの声を出す暇さえない。
とにかくやられないよう、剣で剣を研ぐ。そのままひらりと身を翻し、すぐさまこちらを向く顔めがけ、地面を蹴って砂を掬い飛ばす。
効果としては微妙だった。片腕で目を護ってはいたが、迫る剣は正確に私を狙い定めている。
とはいえ、込められた力そのものは弱い。エドガー様にしては、だが。
「っ、こん、の!」
なんとかそれを受け止め、緊張しながら力を抜く。タイミングを間違えばそのまま弾き飛ばされるので、かなり紙一重だった。
そこからエドガー様の剣を中心に、自分の剣で半円を描き、上から押さえ付ける状態へと持っていく。
「くっ――――」
焦ったような声が聞こえた。
ここだ、と魂が叫ぶ。
せっかく捕まえた剣が逃げないよう片足を加えながら、即座に短剣を抜き切りかかる。
しかしその瞬間、右からの予期せぬ衝撃が身体を襲った。
「いっ――?! くっそ!」
最悪な事に長剣を離してしまい、地面を滑ってから受け身を取るのが精一杯。肘から手首の間の痛みと感じた衝撃から、どうやら私は蹴られたらしい。
まさかエドガー様が、剣技以外も使ってくるとは……。
心底びっくりだが、それを指摘している暇が無かった。
最も警戒していた連撃がくる。
上から、横から、さらには下から――
ルードヴィヒ殿下へ贈ったものより、今の短剣は少しばかり長く変わっているが、この攻撃を凌ぐにはやはり心もとない。
それでもなんとか防ぎつつ長剣を探した。
「――あった!」
「させるか!」
柄に黒い布を巻いていて良かったと心底思う。おかげで、しっかり捉えずとも見つけることが出来た。
とはいえ、当然ながら簡単には取らせてもらえない。進行方向を読み、悉く邪魔をしてくれる。
しかし、忘れてもらっては困る。私の得意技は回避だ。一瞬の隙を突いて腕を掴むと、相手の力を利用する体術でエドガー様の身体を地面へ投げ、目的の場所へと走った。
あまりにも綺麗に決まったので深追いをしたくなったが、身体を離すのが少しでも遅ければ、足払いを掛けられ素っ転んでいただろう。
やばい、超楽しい。才能や力量で言えば、まったく互角ではないというのに、対抗できていることがすごく嬉しい。
そして、暢気に寝ていた長剣を掴み、勢いそのまま引き返す。
エドガー様は、身体を起こし終えた直後だった。剣を構えきれていない。
さっきのお返しだ。前回は後ろを取るのが精一杯だったが、今度は追い詰めてやる。
勝てると慢心はしない。その代わり、負けるまでとことん食らいつく。
容赦なく薙ぎ払うと――後方へ下がることで避けられた。
だったらと、そのまま下から上に切っ先を動かせば――斜めに身体を動かしてきて空振る。
じゃあ次は、そこに回し蹴りをお見舞いしてやろう。
しかし、吹っ飛んだのは私の身体だった。
「うあっ――――!」
まさか、同じことを考えていたなんて。さすがにダメージが大きい。
私の蹴りはエドガー様の長い足に阻まれ、そうなると脚力など腕力以上に敵いやしない。
でも、一瞬の飛行の間で投げた短剣が、見事に白い上着の脇腹あたりを破っていた。
あー……、やばい。さすがに、そろそろ体力の限界かも。まだやるけどさ。
痛みをこらえ再び向かっていけば、そうでなくてはと言いたげに待ち構えてくれる。
最終的にはやはり、避けて攻める形になるが、私が背後を狙って動けばエドガー様も身を翻してと、なんだかダンスでも踊っているようだ。
どんだけ激しいダンスだよと思いながら、でも、剣と剣が心地好い音楽を奏でるのだから仕方ない。
青いリボンで飾られた黒い尻尾も、犬のように喜んで揺れている。舞い散る汗が、シャンデリアに代わって夕陽で煌めく。
剣筋は使い手を表すとは良く言ったものだが、だとすればこの人は、どこまで高みに昇っていくのだろう。
初めて剣を合わせた時は、融通の利かなさそうな気難しい印象だった。それでも美しく魅了してきたが、どこか足りなく勿体なさが拭えなかった。
でも、今は違う。
お手本のような剣さばきが素直さを表し、繊細ながらも力強い技の中には熱意が隠れている。
そして、そこに加わった自由さが、真っ白な雪だけが広がる景色を鮮やかにした。
――些か、乙女チックすぎたか。
とにかく、頼もしいと素直に感じる。
それと同じくらい、負けたくないと対抗心が芽生える。芽生えて、芽生えて、天まで届きそうなぐらい育っていく。
けれど、強くそう思うのに、心ばかりで身体がついてきてくれない。
「まだまだぁ!」
諦め悪く叫ぶが、もはや攻撃を受けることは無理だろう。腕が限界だ、簡単に押し負ける。
それどころか、横から伸びてきた手に気付くのが遅れ、情けないことに柄を掴まれてしまった。
「――ここまでだな」
ああ――嫌だ。終わりたくない。まだ戦いたい。
そんな大人気なさが伝わってしまったのだろうか。エドガー様は、手首を剣ごと捻ってくれながら言う。
「だが、良くやった。次はもっと楽しませろ。俺はいつでも、受けて立つ」
最初は、情けをかけるなと怒鳴りたくなった。
しかし、こちらを真っ直ぐに見つめてくる青い海の中には何もなく、本心だと分かった。はっきりと浮かんだ笑みが、それを後押しする。
そして視界が回り、背中が地面について首筋へ剣が添えられると同時に、世界に音が戻ってきた。
「止め! 勝者、エドガー!」
ロイドが終了を告げ、剣はすぐさま引かれるが、起き上がる気力がない。
やはり勝てなかったか。全てを出し切ったので達成感に似た清々しさがあり、そこまで悪い気分ではない。
「凄い……」
女性騎士だろうか、誰かの呟きが聞こえた。
ほんとにな、まじでこの人凄いわ。
心の中で同意し、こちらを覗き込みながら差し出してくる手を見つめ、乱れる息をそのままに額へ腕を乗せる。
「おーい、生きてるかー?」
すると、そこにロイドがひょっこりと加わった。
私が負けたのが嬉しいのか、ついでに笑顔なジャンも続く。
「くはっ! ロイド、お前! だめだ、笑える!」
「はあ?!」
しかし、こちらを気遣ってくれるところ悪いが、途端に笑いが込み上げてきてしまった。
でも、これは仕方ない。
だって、整いすぎるほど整っている顔に混じり、地味顔があるんだぞ。しかも、それに一番ホッとする自分がいるんだから、そうなったらもう我慢できるはずがない。
けして不細工ではないからこそ笑ってしまうというか、この並びは反則だ。
「おまっ、全部口に出てるからな! つーか、こんなんと比べんな!」
「やばい……、息、できねぇ……」
「これだけ動いて、まだ体力が残っているなど。呆れ果てるな」
「馬鹿なだけでしょー。というか、元気なのはエドガーも一緒だよね」
だらしなく寝ころんだ私を囲み、三人は好きなように口を開く。
これがまた、それぞれで個性を滲ませているのだから、笑いが強くなる一方だ。
そのせいで油断し、言葉にするつもりのなかった本心が零れてしまったのだろう。
「あー……、また負けた。悔しい、まじで悔しいわ」
すると、全員が私を見て、ロイドが徐に腕を引っ張り立たせてきた。
酸欠でふらふらする。
「やっぱ負けたなぁ」
「レオが勝ったら勝ったで、稀代の天才が嘘っぱちってことになんだろ」
「おめーのせいで、俺の酒代がパーじゃねぇか!」
良くはやれたと自分で思う。
だが、どれだけ善戦しようとも、勝たなければ意味はない。
それが信条である以上、当然ながら仲間は容赦のない叱責をくれた。半分と言わず8割方、私情が混じっているのはご愛嬌だ。
ともかく、礼儀だけは尽くさなくては。
剣を収め、短剣を拾い、エドガー様と向き合う。
そして、頭を下げた。
「――ありがとうございました」
声は二つ。私だけではなかった。
だから、負けはしたが、しっかりと試合が出来たと満足感で満ちられたのだろう。
おもわず口角が上がり、そんな私を何故かロイドが凝視する。
「なんだよ」
「いやー……。なあ、あんた。まだ体力残ってるよな?」
「残っていると言えば、残ってはいるが……」
すると、ロイドはいきなり私を押しのけ前に立つと、静かに剣を抜きやがった。
その瞬間、慌てて他の仲間を見やる。
で、疲れとは違うため息を零す。首を捻っているのは、黒騎士以外である。
そりゃ、そうだよな。普通は、こっから両者の健闘を称えるとか、助言をしたりだとか、そんな流れになるはずだ。
そうならないからこそ、黒騎士はガラが悪いと言われる。
とにかく、ロイドを止めればまだ何とかなるかもしれないと思い、肩を掴もうと手を伸ばす。
そして私は、固まった。
「俺の屍を越えていけ!」
エドガー様へ剣を突き付け、あろうことかそんな事をのたまったからだ。
これには、さすがの仲間もポカンと口を開け、あほ面を晒す。
そのせいで、救いようのないお人好しの暴走を止められなかった。
「………………は?」
うん、エドガー様の反応は尤もだ。私も意味が分からない。
とりあえず、いくらかロイドの馬鹿さ加減に耐性のある私が真っ先に我を取り戻せたので、中身の詰まっていない頭をこれでもかと叩いておいた。
「いてっ!」
「黒騎士が全員、お前みてぇな馬鹿だと思われたら、どう責任取るつもりだ。ああ?」
「なんだよ。俺はただ、レオの為を想ってだな!」
「この奇行を私のせいにすんじゃねぇよ」
「お前が自分の男運の悪さを分かってねぇから、代わりに俺が見定めてやるんだろ?!」
……だめだ、こいつ。何言ってんだ。
私はてっきり戦うのを我慢できなくなったと思っていたが、予想の斜め上をいっている。つーか、理解不能だ。
「俺は、こいつと十年来の付き合いで、親友だ。でもって、まったくの素人だった時から、何かと世話してやったわけで、いわば兄!」
「お前はジョゼット様か!」
「男運が悪いのか」
と思ったら、エドガー様が変なところに食いついた?!
ちょっと、誰か止めろよ。私、すっげー疲れてて、そんな体力残ってないんだって。
しかし、周囲を見ても、黒騎士は腹を抱えて笑っており、白騎士は生暖かい眼差しで見守っていて、他は未だに首を傾げたまま。
一抹の望みをかけてジャンを見るも、こっちはこっちで傍観の準備が万端である。誰一人、止めるつもりがないらしい。
「そりゃ、こいつが彼氏っつー奴に、碌なのが居た試しがないね。そもそも本人が、恋より肉欲を取ってきたんだぞ? 信じられるか」
「貞操観念はどこにいったんだ」
「うわー、引くわぁ」
でもって、どいつもこいつも言いたい放題だな。大きなお世話だ!
「そもそもほら、あんた等もイースで通じるか? あいつに捕まった時点でお察しだろ」
「……ああ」
「あははは! 確かに!」
「ちなみにレオの初体験は――――」
「お前、いい加減にしろよ!」
しまいにはとんでもないことを暴露しようとしたので、容赦なく口を塞いでやった。
が、目の前の二人はなぜ、さも私が邪魔者のような視線をくれるのか。
あまりの理不尽さに、これ以上喋るなと脅すためロイドの背中へ当てていた短剣を刺し沈めてしまうところだった。
「ともかく! 俺があんたを見定める」
「だから! なんでそうなるんだよ!」
さらには、意識が逸れた隙に口を塞いでいた手を外され、またロイドが騒ぎ出してくれた。
「さすが、レオを制御してきた男!」
「黒騎士の良心!」
「まじでロイド、嫁に来い!」
駄目だ、もう収拾がつかない。
エドガー様もなぜ剣を抜く。あんた、こういう馬鹿騒ぎ、鼻で笑って相手にしないだろ。
「どうせなら俺たちも混ぜろ!」
「お好きにどうぞ。俺は構いませんよ」
「何言ってんだ、トチ狂ったか?!」
「こういうのも悪くないと、最近になって思い始めただけだ」
あまつさえ、黒騎士の誰かが言った冗談を本気にするどころかたきつけ、臨戦態勢に入ってしまった。
そして、次々に剣を抜いていく音がする。
「なら、せっかくだ。白と黒の模擬戦といこうか。どうだい? マクファーレン」
「こっちは大歓迎だが、良いのか? 恥の上塗りになるぞ」
ゼクス団長とアシル様も居たのかよ。居たなら、止めろよ!
今日一日で、何があったんだ。白騎士まで好戦的になっている。
「レオのお婿さんは大変そうだね」
「アシル様も、笑ってる場合じゃねーだろ。そもそもロイド、お前ふざけんな! どーすんだよ、これ!」
「大丈夫だって、俺に任せろ」
……よし、こいつの馬鹿は一度死ななきゃ治らないな。
せめてもの情けだ、私の手で逝かせてやる。
「あ! レオ、なんでそっち?!」
「うるせぇ、黙れ。大丈夫だ、痺れ薬の針しか使わねーから、変なところに当たらなければ死にはしねーよ」
「いや、お前……。喉とか心臓狙う気満々な目してるから」
なに、生きたければ避ければ良いだけだ。
せっかくの機会だし、日ごろの恨みを晴らさせてもらおう。
「私もお供させて頂いてよろしいですか」
「ん? ああ。ただ、痛い思いしても知らねーからな」
「はい。分かってます」
二つの陣営が衝突する間際、見覚えはあるが名前をまだ憶えていない女性騎士から声を掛けられるという事がありつつ、そうしてもはや訳の分からない乱戦は始まった。
結局、これを止めたのは、どこに消えていたのかウィリアム副団長の一喝である。
よって、勝敗ははっきりせず、ゼクス団長どころかアシル様まで始末書を書くはめになったそうだ。
この件で一番大変だったのは、黒と白の相当数から提出されたその始末書をチェックしなければならなかった人間だろう。
ちなみに、初の合同訓練ということで、責任者は王太子殿下だったそうだ。
――――ざまあみろと思ったのは、きっと私だけではない。




