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悪魔の微笑を消す呪文  作者: 林 りょう
【王城】編
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召喚状と拉致(3)




 国王陛下との謁見は、驚愕する私を放置したままで幕を閉じた。

 それから、詳しい説明をするからと問答無用で城の一室へと案内され、ほぼ押し込められた状態だ。

 けれど、一人きりになったことで、なんとか状況の整理が可能となった。

 その結果、冗談抜きに床で両手をついて項垂れている。

 紅騎士団なる新たな組織の発足自体にも驚いたが、それは国の政策ならば仕方ない。だが、そのトップが私など、青天の霹靂を通り越してトチ狂っているとしか言えないだろう。

 答えを出すのは簡単だった。考えるまでもなく断固拒否。その一択しかない。

 だってのに、せっかく味方となって反対してくれていた方々を、私は自分でねじ伏せてしまったのだ。国王陛下とイースに、見事乗せられた形である。

 止めの一撃は、逃げ道がもはや残っていないのを知ってしまったこと。謁見の際に最も質問を浴びせていたアシル様似の老紳士が、玉座の間を退室後、わざわざ追いかけて来てそれを教えてくれた。

 あの方自体は、あれだけ態度が悪かったにもかかわらずとても友好的で、しかも似ているのも当然、アシル様の父親――つまり侯爵様――だったらしい。

 けれど、そこでの会話が必然的に絶望を生んだ。

 バリエ卿はさすがと言うべきか、私が国王陛下の命令を喜んでいないのを見抜き、さらには自身の息子が王太子殿下と共に動いていたことを把握していたことにより、少しばかりの助言をしてくれる程度には同情してくれたのだという。

 「愚息に振り回されているのではないのかい?」と、アシル様と違って胡散臭くはない自然体な笑みで尋ねられた時は、取り繕うのも忘れて頷くだけに留まらず、「しかも王太子殿下が主導なんです」と言ってしまった。

 するとバリエ卿は、「なんと哀れな……」そう呟き、追い込まれたこの状況で唯一の突破口となる手段を教えてくれたのだが――


「先程のやり取りで、私としても君ならばと思っている。けれど、こればかりは嫌がる相手に無理強いできるものではない。だから、もし本当に辞退したいのなら、剣だけは授かってはならないよ」


 それを聞き、バリエ卿の良い人具合への感動は瞬く間に消え去った。

 頬は引きつり、視線が泳ぐ。


「上級騎士にならないという道は……」

「それをすると、君は国王陛下からの名誉ある直々の命を達成できなかったとして、おそらくは責任を取らされるだろうね」

「責任……」

「今度こそ退団かな」


 嫌味のない苦笑を浮かべながら、暗にやはり今回、私は退団でも可笑しくなかったのだと伝えてくれる。

 とにかくバリエ卿は優しかった。だから、結果として言葉を失ったのは、何から何までイースのせいだ。次いで、この方の血が変色してしまったのだろうアシル様。ここは、ジョゼット様も入れるべきなのかもしれない。

 腰へと落ちてしまった視線には、忌々しさが乗っていたはずだ。

 私につられてバリエ卿もそれを視界に入れ、深いため息を吐かれる。


「…………遅かったようだね。まったく、いつの間に」

「半年も前には……」

「これはもう、流石としか言い様が無い」


 そして、私の肩に手を置き、申し訳なさたっぷりで慰めをくれた。


「私が出来るのは、今の助言だけだった。うん、諦めなさい」


 そのくせはっきりとそう言うのだから、やはりバリエ家の血は赤くないのだろうと思ったものだ。

 バリエ卿は、声を掛けて下さった時は優しさに溢れ、最終的に地獄の使者となって、乾いた笑いしか出ない私を怒るでもなく去っていった。

 感情に任せ、その場で剣を外して床に叩き付けなかった自分が信じられない。

 赤い鞘の意味が、まさかこんな事だとは誰が気付けるかよ。てっきり、国王の証であるマントに合わせてるんだと思ってたっての。

 そうして、バリエ卿との一部始終を思い返しながら、しばらく押し寄せる苛立ちと絶望感で存分に打ちひしがれる。それが限界を突破すれば、次第に冷静になっていく。

 体勢を柔らかい絨毯の上で胡坐を組むものに変え、爪を噛んだ。昔の癖が出てしまうぐらい、さすがに混乱もまだ残っているらしい。

 だからといって、これからの行動が暴挙だとは思わない。誰が来るのかも分からないまま待機させられている部屋で、自分の声がやけにはっきりと響いた。


「どう考えたって無理だな。よし、逃げよう」


 逃げ道がもはや残されていないのなら、取れる手段はそれを作り出すことのみ。

 けれど、相手は国そのものにまでなってしまった。だったら、譲れない一つを決めて、それだけの為に動けば良い。そうすればまだ、望みはある。

 そして私が選んだのは――自分だった。

 もちろん、騎士でいられるのもならいたいさ。けれど団長になど、この私がなれるわけがない。自分の命さえ捨てようとしていた人間に、どうすれば他人の命まで背負えるというのか。

 それにたぶんこの話は、もっと面倒なものも含んでいる気がする。

 女性騎士の割合は、圧倒的に白騎士団が多かった。今はただでさえ少なかったものがさらに激減しているだろうが、それでもだ。それでも女性騎士は、白騎士団で主に必要とされている。

 つまりその出身は、大半が貴族となるわけだ。そんな者たちを率いるのが〝半端者〟では、粛清によってまともな者たちばかりとなった状態でも正常に機能するだろうか。私には到底そう思えない。

 だったら、無駄に未練がましく保証された二年を過ごすより、一度国を出て、外から役立てるよう地盤を固めることに費やすべきだろう。

 騎士上がりのフリーの密偵。ここはあえて、野良騎士としようか。うん、けっこう格好良いかもしれない。

 脱走兵として手配されたとしても、適当に手柄を立ててイースを納得させられればなんとかなるはずだ。


「そうと決まれば、実行するのみだな」


 ゼクス団長には少しばかり迷惑をかけるが、こればっかりは自業自得だと思う。

 玉座の間に居なかったのは、私側の人間として判断の邪魔になるとされたからだと予想できるし、最も人となりを知る者として事前に話しが通っていて当然だ。

 ウィリアム副団長もまた然り。だからこそあの二人は、謁見という一大事を直前まで教えなかったのだと今なら分かる。

 私なら、提示された日時までに、その理由をどうにか探っていただろう。でもって知っていたら、また半年ほど療養することになっても、なんとかして回避しようとした。

 なので、せいぜい後悔するが良いさ。イースもアシル様も、私をハメてくれた全員が、そのせいで状況が悪化したとな!

 そして私は、腰の剣を部屋のテーブルの上に置き、バルコニーへと足早に向かった。

 扉を開け、涼しい秋風を浴びると共に、新たな決意を込めた力強い一歩を踏み出す。

 しかし、それが二歩目に続くことは無かった。


「うわー……。王太子殿下の言った通りだし。ここまでくると理解っていうよりも、取り憑いてるようにしか思えないわぁ」

「こら、言葉を選びなさい」


 バルコニー側の扉の両端、まずは左から間延びした声を久しぶりに聞き、響きが似たより落ち着きのある声がそれに答える。

 全身から冷汗が流れると共に、すぐさま身体が踵を返した。

 残された逃走経路は扉のみ。だが、渾身の疾走は、顔のすれすれを横切って扉に刺さった剣により止められる。

 そして、響きは変わらず雰囲気だけ地を這う器用な声が背後から響く。


「レオ、どこに行く気かな」


 かつてなく身の毛がよだった。これが白騎士団団長の本気かと感動する余裕もない。

 たぶん今、指一本でも動かせば、次は身体のどこかに何かが刺さる。間違いない。


「ぷっ、いい気味」


 とりあえずジャン、お前は変わらないようでなによりだ。もう建前でも気を遣わなくて良いから、敬称は必要ないよな。

 ――本日二度目の糞親子との対峙とか!

 声、せめて声だけは出しても大丈夫であって欲しい。


「まさか国王陛下からのご命令を放棄して、逃亡を図ろうとしていたわけではないよね?」

「……とんでもない。少しばかり風を浴びようと思っていただけですよ」

「賜った剣を置いてかい?」


 問いかけられたことで自然と発言は許されたが、その言葉は何もかもお見通しだと言っていた。

 たとえ振り返られたとしても、このタイミングでは絶対に出来ないだろう。

 バリエ卿に会いたい。同じ血が流れているとしても、私の前では良い人を演じていただけだとしても、アシル様に敵う存在だろうってだけで縋りたい気分だ。

 そしてやはり、私はとことんイースに振り回される。


「騎士団長はすべからく国王陛下より剣を賜り、それを何よりもの名誉とするんだよ。さて、これ以上の説明が必要かな? 前倒しになっただけで、それも同じ意味を持つと」

「決意を新たにするにあたって、改めてその重みを感じようと思いまして……」

「ああ、なるほど。それは殊勝な心掛けだね。さすがレオだ」


 アシル様の白々しい声と、バカ息子の笑い声を聞きながら、私は完全敗北を受け入れるしかなかった。




 □□□




 恐怖の魔王が降臨し、限界だと思っていた絶望のさらなる上を経験した後、私は渋々アシル様とジャンと向き合い説明を受けることと相成った。

 どちらも童顔に爽やかな笑みを浮かべていたが、その両方が別々の意味で私の心をささくれ立たせる。


「さてまずは、快気祝いとしてこれを」


 アシル様は、先程投げ飛ばし扉に突き刺した剣を何事もなかったかのように回収すると、懐から一通の手紙を取り出す。

 受け取ってみれば、封筒の表には人柄を映しているかのような可愛らしい文字で、私の名前が書かれていた。

 正直に言おう。嫌な予感がまた増えた。


「これは……」

「レオが考えている通り、私の愛しい奥さんからだよ」


 ああ――ここで追い討ちをかけてくるか。ジョゼット様本人へは、憎らしく思えないことがまた憎らしい。

 内容など見なくても想像がつく。どうせ、碌でもないお誘いに決まっている。

 なので、封を切らずに懐へとしまった。


「母さんったら、レオのお婿さん探しにやる気満々だからねぇ。万が一見つかったとしたら、俺は全力で相手に同情するけどー」

「私などより、まずはご子息のことを案じるよう進言しておきましょう。まあ、見つかるはずがありませんけど」


 このムカつく野郎と会うのは、私が密書を持ち帰ったあの晩以来だが、相変わらずのようで何よりだ。入院中に飾ってあった花は、やはり気の迷いだったらしい。

 お互いに表情だけは取り繕い、視線での剣を交える。


「それってどういう意味?」

「男が身体だけでも満足する生き物で良かったということですよ。女は、どれだけ我慢したところで、最後には心を求めずにはいられない生き物ですから」

「喧嘩売ってる? それ、俺だけじゃなく男そのものを馬鹿にしてるよねぇ」

「おかしいですね、事実を言っているだけだというのに。あとはそうですね……。同じ女として、どこぞの歪んだ男の被害者が出ないよう全力で祈っておきましょうか」


 売り言葉に買い言葉で上等だ。むしろ今は、良いはけ口になってくれて助かる。

 しかし、私とジャンの一戦は、問答無用の横槍で中止となった。


「レオ、ジャン。少し黙ろうか」


 今日のこの人に逆らうのは自殺行為だ。いつもと違って感情をあまり隠しておらず、しかもそれが怒りで、さらにはその矛先が私に向いている。

 アシル様は、視線だけでテーブルに置いた剣を戻すよう促し、口を開いた。


「国王陛下は退位をお決めになられ、とうとう二年後、王太子殿下が王となるよ」

「そうですか。喜ばしい限りです」


 かろうじて、知ったことではないと言いたい気分を殺す。

 そんな私の態度がお気に召さない様子で、アシル様が眉を顰めた。


「正直に言いなさい、レオ。君はさっき、全てを捨てて逃げようとしたね?」

「それ……は……」

「王太子殿下は、初めから予想されておられたけれど、正直私はがっかりしているよ」


 そして、そう言われた瞬間、我慢できない本音がこぼれる。


「勝手に期待して、勝手に失望しておきながら、さらにその責任を本人へ求めるのですか? こんな騙し討ちのようなことをしておいて!」

「なら君は、謝罪を求めるのかい? 違うだろう? 私もそうだ。人を騙すのなら最後までそうするし、そしてそれを非難されればこう言うよ」


 するとアシル様は、初めてそのお顔から笑みを消した。

 何も感じさせない王太子殿下の無表情とは違い、心の底から人を小馬鹿にした冷めた目で私を見下ろす。


「騙される方が悪い」


 それは確実に、アシル様の本性を現している。

 よくぞ母さんは、こんな恐ろしい方と付き合えていたものだ。父さんを選んで大正解だと、同じ女として思う。


「容赦のない父さんもそうだけど、それに微笑んで対峙できるレオもレオだよねー」

「どなたかのおかげで身についた、私の最たる武器ですから」

「んじゃあ、お礼に一晩付き合ってよ。レオナだと思って抱くからさ」


 ジャンの挑発が鬱陶しい。内容そのものは、どうせ本気ではないと分かっているので痛くも痒くもないが、存在自体が邪魔だ。

 そう思ったのはアシル様も同じなようで、一睨みして黙らせていた。相手は肩を竦めるだけで、たいして効いていないようだが。


「王太子殿下がなぜ君を選んだのか、本気で分からないとは言わせないよ」

「いいえ、言わせて頂きます。私になど、到底勤まるはずがない」

「力量を理由にかい? それとも心構えの問題かな」

「どちらも。そもそもとして、二年で上級騎士になれとは無理も良いところです。その難しさは私より、アシル様の方がよほどお分かりではありませんか」


 自分の主張は適切なはずだ。

 特に最後。上級騎士になる為には、教養や実力はもちろんのこと、団長と副団長の他に所属する団の全部隊長から推薦が認められなければ試験さえ受けられない。

 しかし皆、国王陛下の命令を理由に認めてはくれないだろう。むしろ、より厳しい目で見てくるはずだ。試験もまた、筆記も実技もかなりの難易度だと聞いている。

 機会は毎年用意されているが、上級への昇格に有する時間の平均が四年と言えば、どれだけ無茶ブリか分かるというもの。

 だというのにアシル様は、再びいつもの表情に戻られてから、さも当然と言わんばかりに否定する。


「しかしレオは、追い込まれれば追い込まれるほど、実力を発揮するだろう?」


 無根拠も甚だしい。

 それでもアシル様は一歩も引かない。


「半年前の件で、騎士団は多くの問題が露見し、無視できなくなった。それが何か分かるかい?」

「又聞きで判断したものでよければ」

「構わないよ」


 仕方なく会話だけは続けるが、私とて妥協するつもりはなかった。おざなりで承諾できる問題ではないのだから。

 そうして、ひとまず真剣な態度に改め、質問に答えた。


「協力体制があまりにも乏しく、かつ、団によって実力差がありすぎるように思えます」

「その通りだ。それぞれ得意分野が違うのは良くても、パワーバランスが偏っているのは言語道断。しかし現状、白・緑・青の役割全てを、数がいれば黒だけでまかなえるという結果しか出なかった」


 私は怪我により経験していないが、そのせいでロイドも他の仲間も随分と苦労し、やつれていったのを見ている。別の団が本来主体となるべき警護や防衛、情報収集や衛生の技術だって黒騎士の方が上など、同じ騎士としてなんと情けないことか。

 おかげで黒騎士団の評価はうなぎ上りとなっているわけだが、その結果、改善に動く流れとなるのは当たり前である。

 しかし、それがなぜ紅騎士団の設立、ひいては私が団長となることにつながるのか。

 それを追及すれば、アシル様は言う。


「かといって、ではすぐに協力していこうと言ったところで、それはそれで難しいものがあるんだよ」

「持っていたところで邪魔になるだけのプライドなど、馬糞の山にでも捨ててしまえ」

「思わずなのだろうけれど、本音と建前が逆になっているよ」


 しまった、つい。

 微笑むことで誤魔化したが、軽い指摘だけで流してくれるあたりアシル様も反論しかねるのだろう。


「そして王太子殿下は、かなり前から検討されていたようでね。どうやったって改革が迫られるのならばと、紅騎士団の設立を提案された。それは全団長にとって、願ってもないものだったよ」

「ですから、今までの話とそれがどう繋がるのですか。いえ、それは良い。団長が私である必要がどこにあると?」


 そして私は、ここぞとばかりに問い詰めた。

 しかし、予期せぬしっぺ返しをくらう。


「正直言って女性騎士という存在は、取りまとめる側からすれば目の上のたんこぶなんだよ」

「父さんってば、少しは手加減してやんなよー」


 唖然とする私の耳へ、ジャンの軽い声が流れる。

 どれほど聞き間違いだと思おうとしたところで、アシル様の細まった目がそれを全く許してくれなかった。






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