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悪魔の微笑を消す呪文  作者: 林 りょう
【黒騎士】編
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日向に兆す(3)




 どうして私は、入院生活さえまともに過ごせないのだろう。

 濁りない光を放つ翡翠を見つめながら、答えなど分かりきった自問を繰り返す。

 繋がったままな柔らかい手が、まるでそこに心臓があるように脈打っているというのに、冗談としてあしらえるわけがなかった。

 そうでなくとも私は、こういった方面で歪んでいる分、本気な奴だけは相手にしないよう、これでも細心の注意を払ってきている。しかしそれが、まさかこんな子供まで対象にしなければならなかったとは。

 私が軽率だったのは分かっている。ただ、これだけは言わせて欲しい。

 ――兄弟揃ってお前ら、女の趣味が悪すぎるだろ!

 イースは利己的だからまだ良しとしよう。殿下の場合は純粋だからこそ、さらに性質が悪い。無自覚な誑しになりそうな面と合わせ、はてしなく将来が心配だ。

 そうして必死に落ち着こうとしている間で、殿下はまともに取り合わないと思ったのか、手に力を込めながら追い討ちをかけてきた。


「兄上に何か言われたわけじゃないよ」

「ああ、分かってるよ」

「ちゃんとこの好きが特別だって分かってる」

「うん」


 それは次第に焦っているようにも見えてきて、このままでは駄目だと思った。

 ごちゃごちゃと考えず、とにかく今は目の前の真っ直ぐな気持ちと向き合わなければと。


「レオ、俺が居るから」

「ルー」

「俺を見てよ」

「なあ、ルー? 聞いて」

「まだ子供だけど、これから兄上を越えるぐらい強くなるって約束するし」

「分かったから、少し落ち着け」

「ちゃんと守るよ。そしたらレオも安心するだろ?」

「ルードヴィヒ!」


 思わず強く呼び掛けてしまうと、殿下は忘れていた呼吸を思い出すかのように我を取り戻す。責める視線を向けてきた。

 そして――叫ぶ。


「だってレオ、いつでも死んで良いって思ってる!」


 その瞬間、またしても私は自責の念にかられた。

 たぶん殿下はずっとそれを言いたくて、けれど我慢をしてくれていたのだろう。そのつもりがあれば、謝罪の時に機会はあった。

 なのに私が言わせてしまったのだ。


「だから一人で居ようとする。違う? 俺でも分かることが、なんで分かんないんだ。レオにだって、大事に思ってくれる人はいるのに。沢山居る!」


 あの涙だって、本当は私の為に流してくれていた。だから今、翡翠が水に沈むことはない。

 この状況を一番驚いているのは、もしかしなくとも殿下なのだろう。

 そう思うと、なんだか笑えてきた。自分の馬鹿さ加減だとか、殿下の優しさに。


「俺はもちろん、兄上だってエドガーだって、この二人もそうだ。ね、そうだろ?」

「んぁ? いや、まあ、あー……そうだな」

「一応仲間で後輩だからな」


 その間で、殿下はさらに私を責め立てていた。

 ただ、これだけは否定させてもらいたい。エドガー様は違うと思う。

 でもって、先輩たちをここで巻き込むのはあまりに不憫だ。二人とも目が泳いでる。いや、これは笑いを堪えているだけか?

 とにかく、一旦冷静になってもらえるよう、手を強く握り返して前屈みとなり額を合わせた。

 そして、何よりもまず伝えたい気持ちを口にする。


「ありがとな」


 至近距離で見た殿下は困惑しており、黙らせることには成功したようだ。

 そのままの状態でゆっくりと目を閉じ、勘違いや期待をさせない明確な言葉を探す。

 もちろん、告白に対する返事は一択である。理由は子供だからでも、相手が王子だからでもない。考慮すべき事柄であるのは確かだが、それでは殿下が納得しないだろう。そういう子だ。


「心配してくれてありがとう。ルーが言う通り、私の行動はいつだって自分を顧みない。おかげで生傷が絶えないよ」

「だからって、それだけが理由で好きって言ってるわけじゃない」

「うん、分かってる。ちゃんと伝わった。でもな、私はルーが思っているほど出来た人間ではないんだよ」

「そんなこと――!」

「でもルーは、素の私を知らない」


 きっぱりと言い放てば口を噤んだので、目を開けて額を離し苦笑を送った。

 それから、膝に乗るよう促す。殿下は怪我を気遣って固辞したが、それは先輩に目配せをして頼み無理やり従わせる。

 そうして後ろから抱きかかえ、可能な限り声を柔らかくして語りかけた。


「情けない話を聞いてくれるか?」

「……うん」


 温かな陽射しが心地良い。春はすぐそこにある。そろそろ、二つの季節の境となる嵐が来るだろう。

 そっと殿下の頭を撫でようとして、触れた瞬間にビクリと震えたのを感じた。


「私は君が思うほど大人じゃないんだ。身勝手で気ばっかり強くて、いつだって自分の事しか考えていない」

「でも、レオは優しいよ。でなきゃ、こんなにボロボロになってまで頑張れないって俺は思う」

「ははっ! ルーの中で、私はどれだけ正義の味方なのか……。考えると恐ろしくなるよ」

「違うの?」

「ああ、違う。あの夜より前の私は、誇りも何もあったもんじゃない、粋がるだけの小娘だった」


 吐露したものは、まるで自らに語りかけているかのようだった。

 そしてそれは、ひっそりと先輩達が頷いているところからも、遠く外れているわけではないのだろう。

 本当ならば子供相手に言うべき事ではないが、真正面からぶつかってくれたのだから、それを理由に逃げるべきではない。


「たぶん、意味が欲しかったんだよ。後ろ暗いものを抱えていたし、私は自分が嫌いでね。皆の理想とする騎士の真似をすることで、生きてて良いんだと思いたかったんだろうなぁ……」


 不思議なことに、ポツリポツリと口にしていく内、自分の心が整頓されていくようだった。

 殿下の腹辺りに回していた腕に少しだけ力を込め、視界にぬいぐるみを入れながら小さな頭に頬を乗せた。


「どうして……」

「ん?」

「どうしてレオは、自分のことが嫌いなんだ?」


 身を寄せているせいで内側から聞こえてくる声は、話と真剣に付き合ってくれている。

 まったく……。本当に〝良い男〟だ。


「私が原因で、大切な宝物を失ったからだよ」

「じゃあ、怖いんだな。そんな思いを二度としたくなくて、だから自分からは探さないし、手を伸ばさない」

「そうだね……、ルーは凄いな。悪かった、さっきの言葉は撤回する。君は私より、よほど私を知ってるらしい」

「当たり前だろ」


 あまりにも堂々と断言するものだから、笑いがこらえきれず痛みを覚えてしまった。

 けれど、殿下を下ろす気にはならない。目を合わせれば、困った顔を見せてしまうことになるだろうから。

 そんな顔をさせるつもりはなかったなんて言われでもしたら大変だ。良い男成分はもう十分、満腹である。


「……ルーの気持ちには応えられない」

「子供だから?」

「無いとは言わない。でも、それ以上に自分のことで手一杯で、なにより求められるのは苦手なんだ。腰が引ける」

「弱虫」

「耳が痛いな」


 辛辣な一言は図星すぎて、さっき以上に笑うしかなかった。

 過小評価に文句を言うくせに、実際は期待や好意を向けられる方が重くてたまらない。だから私は、出世も望まなかった。

 どこまでも自分本位で、ずるい人間だと思う。

 ただ、そこまで卑下するつもりもない。なぜならそれは、そんな私を認めてくれた人たちを軽んじるのだと今は知っているからだ。


「謝りはしない。代わりもう一度、お礼を言わせて欲しい。ルーのおかげで、君が好きだと言ってくれた自分を好きになれた気がするよ。ありがとな」


 すると殿下は、突然大きな声で笑いだした。

 それはイースに似て、どこか意地の悪い響きを持っており、私と先輩たちは顔を見合わせる。

 どうしたのだろう。やはり幻滅したか。

 今までも本気な奴相手には、がさつな面や口の悪さ、大酒飲みな所などを見せ、おかげで私が振られるかのような経験をしてきたが、殿下にもそうされるのは少しだけショックを受けそうだ。

 さすがに、さすがにな? いくら私でも、なけなしであれ女のプライドってもんがあるんだよ。

 内心で焦っていれば、殿下は腕の中から抜け出して床に立ち、笑いすぎて涙が滲んでいる目で私を見つめてくる。

 そしていきなり、とんでもない暴言を吐いた。


「レオって、ほんと馬鹿だね」

「は?」

「馬鹿正直すぎるよ。俺みたいな子供の告白、普通は真に受けたりしないだろ」


 そうだけど、そうだけどな!

 強がりなのかどうかは分からないが、どうやら小賢しい部分が姿を現したようだ。

 さらに殿下は、鼻を鳴らして私を扱き下ろしてくれる。


「だから兄上にも振り回されるんだって、いい加減学べば良いのに」

「……ごもっともです」

「無謀と無茶がほとんど変わらないから、俺もそうだけど、放っておいてくれないんだよ」

「それは……、いえ、はい」


 どうしてだろう。情熱的な告白、もはやプロポーズと言っても良いことをされたはずなのに、いつの間にか説教になっている。

 それがまたぐうの音も出ないもので、足を揃えて座らなければならない気がしてきた。


「でも、ただの強がりだって、貫き通せば強さになるって俺は思う」


 そして、おもわず項垂れていれば、ふいにそんな言葉を告げられた。 

 顔を上げると、殿下が笑っている。寂しさをほんの少し滲ませ、それでもすっきりとした様子で。

 けれどそれは一瞬で、まばたきをしている間で唇を尖らせ手を突き出してきた。


「レオ、握手して」

「……了解」


 素直に応じ、手のひらを重ねる。

 いつもより火照って感じたのは、きっと気のせいではないだろう。


「俺、強くなるから」

「うん」

「後悔しても知らないよ」

「むしろ一生の自慢にする。こんな良い男に私は惚れられたんだぞ、ってな」

「……レオって、そういうところズルイよね」

「ん?」

「すぐに割り切れるわけじゃないのにさ。そんなこと言われたら、がっかりさせないよう頑張るしかないよ」


 すぐに離れるかと思った手は、むしろきつく握られて、さらに上目遣いで睨まれてしまった。

 そのくせ片手を口に添えて引っ張ってきたので、てっきりまだお小言があるのかと思い私も身を乗り出す。

 けれど、耳の横に来るはずの顔は真っ直ぐ向かってきて、避ける間もなく予想外な場所へと辿り着いた。

 先輩のはやし立てる口笛が響き、唇の端に柔らかな感触が――


「っ、ルー!」

「これでレオは、俺にとって一生、初めて恋して初めてキスした相手だ」


 やられた。このマセガキが!

 殿下は真っ赤になりながら、口を覆う私をしたり顔で笑っていた。

 その称号は重い、重すぎる。反王太子派が壊滅した今、これでは国の最たる敵が私になりそうな勢いだ。

 油断していたのが悪いと言われればそれまでだが、だからって普通ここまでするか? 王族の教育を、一度見直すべきだろう。切実に訴えたい。

 そうして私が、行き場の無い憤りを感じている間で、殿下は恥ずかしさを落ち着け宣言した。


「これだけは、レオが相手でも譲らないから。俺が好きになったのは、優しくて、でも不器用で、誰に対しても真正面からぶつかるくせに自分のことは誤魔化してばかりの、弱くて強い人だ。弱いけど強い、男前な騎士だ」


 褒めているのか貶しているのか複雑でも、それは飾った甘い言葉よりよほど心に響く。

 分かった、降参だ。完敗を認めよう。

 そこまで言われたら、そうなるしかない。認める認めないを飛び越えて、そう在るしかない。

 ただ――


「あんま大人を舐めんなよ」

「え?」


 全てを言い切ったのか、油断して離れかけた手を引き、前につんのめった隙を狙い両手で頬を包む。

 そして、これでもかと微笑んで、たじろぐ殿下に〝本物〟を教えてやった。

 さっきは、端を掠めただけだからな。どの道初めての相手になるのなら、ちゃんと感触を覚えてもらおうじゃないか。

 大人げなくて結構だ。ここまでされておきながら、素直に引き下がるなど女が廃る。


「おい、これってしょっ引いて良いんじゃねぇか?」

「……まあ、何事も経験だろ。大丈夫だ、舌は入ってない」

「ギリギリだな。なんにせよ、ウィリアム副団長にはしっかり報告しねぇと」


 先輩たちの会話はともかく。いや、最後ので冷や汗が止まらず、たぶん死ぬっていうか、入院が長引く可能性がかなり生まれてしまったけども。

 待てよ、こういった方面は、激しい人だからどうにか……。駄目だ、常識を盾にしてくるはずだ。完璧に詰んだ。

 まあ、とにかく!

 驚愕や混乱、羞恥などで零れ落ちそうな翡翠を眺めてから、最後に額へも口付けを一つ落とす。そうして体勢を戻し、わざとらしく髪をかき上げて言ってやる。

 

「君の耀かしい未来に、ささやかながら祝福を。ま、悪魔からもらったところで、効果があるとは思えねーけど」

「うわ……。レオの奴、開き直りやがった」

「殿下の方がよほど大人だからな」

「うるせぇ、外野は黙ってろ」


 しばらくして、殿下はのろのろと口元を隠し、煙が出そうなほど顔を赤く染めた。

 そして、凄い勢いで顔を背けると、先輩たちへと叫んだ。


「帰るぞ!」

「がっはっは! やっぱ子供には刺激が強かったか」

「そんなこと言ったって、普通の大人はこんなことしないだろ!」


 おまけで地団駄も踏んでいる。

 でも、男前って言ったのは殿下だ。ついこの間、言葉には責任があると学んだはずである。

 なんとか笑いを堪えようとして、声を殺すのには成功するも肩を震わせてしまう。

 それだけでは飽きたらず、さらに殿下は振り返ることなく捨て台詞を吐いてくれる。


「一生独身で寂しい思いしても知らないからな!」

「ああ、気を付けるよ」


 余裕ぶって返してやれば、殿下はとうとう先輩たちを引っ張って病室を出て行ってしまった。

 扉が閉まる直前、声を掛ける。


「ルー、色々とありがとな」

「もう聞き飽きた。お大事に!」


 そうして、一足早く訪れた青色な春の嵐は過ぎ去った。

 静かになった病室では、その余韻に浸るため息が無意識で零れている。

 それには、気持ちを受け取ってやれず、からかうことでしか背中を押せなかった私の、なんとか堪えた謝罪の念が篭っていたのだろう。


「疲れた……。子供って怖すぎる」


 とりあえず、もう良いだろうと頭を抱えて唸っても、正当な行動だと主張する。

 どうにもならないが、どうしよう。王子の初恋相手って。冗談が現実になるとか、まじで洒落にならない。

 本人からは馬鹿正直と言われたが、冗談で流して勝手に折り合いを付けれるのは、経験があってこそだ。下手に引きずられたりしても困る。

 だから、たぶん……。たぶんだが、間違った返答はしていない。大丈夫だ、うん。大丈夫であって欲しい。

 と、取り繕う必要の無くなった私の思考が、遅ればせながら混乱の境地へと達していた時だ。静かに扉が開き、でかい図体をわざとらしく小さくさせ、帰ったはずの先輩の片方が目だけを覗かせる。

 そして、忘れ物でもあったのかと慌てて平静を装う私へ告げた。


「フォローはまかせろ!」

「くだらねーこと言いに戻ってくんな! さっさと失せやがれ!」


 渾身の力で枕を投げたのは言うまでもない。

 突き出された親指には、本気で苛ついた。その心遣いは大いに助かるとしても、なぜ隠れてひっそりと出来ないのか。

 面白がっているということぐらい分かっている。あの二人には、このネタで一生遊ばれるだろう。

 何が一番悔しいかって、遠ざかっていく笑い声を追いかけるどころか扉に当たって床へと落ちた枕すら拾えず、ベッドの上で一人虚しく激痛に悶え苦しんだことである。

 まじで踏んだり蹴ったりだ。やはり殿下は、厄介事ばかり運んでくれる。

 その後、結局傷が開いてしまい、さらに医者からも叱られるはめになるのだが、もはや憤る力すら残っておらず、とにかく平穏無事に入院生活を送れることだけを強く願った。

 そして私は、この一件によりロイドの忠告をすっかり忘れてしまい、珍しく祈りが届いて過ごせた穏やかな日々を暢気に無駄遣いしてしまう。

 本人の預かり知らぬところで、人生がとんでもない方向へと導かれていたにも関わらず。

 その瞬間は、怪我もすっかり完治した半年後に訪れた。まるで薬物パーティーの件で応援要請がかかった時のように、ゼクス団長が呼んでいるという伝言をきっかけとして――

 


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