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悪魔の微笑を消す呪文  作者: 林 りょう
【黒騎士】編
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日向に兆す(2)





 予想外の来客があったのは、目覚めてから八日後のことだった。

 扉が壊れないのが不思議なほどの豪快なノックが響いた時、私は暖かな陽射しを浴びながら医学書を読んでいて、続けて聞こえてきた声に返事を躊躇してしまう。


「あんだぁ? 寝てんのか?」

「抜け出してたりしてな」


 野太くでかい威圧感たっぷりな二人分の声には、聞き覚えが嫌というほどある。かといって、わざわざ見舞いに来てくれるような優しさなど持ち合わせてないはずで、心から薄気味悪く思ってしまった。

 そして、無反応であれば帰ってくれないだろうかと淡い期待を抱いている間で許可無く扉が開き、そこからとりあえず一人、太い眉毛がズボラさを主張する男臭すぎる顔が現れる。予想した通り、征伐部隊の先輩だった。


「起きてんじゃねーか!」

「……うるさい。病院ですよ、ここ」


 こうなってしまっては仕方がないと、しぶしぶ本を閉じて職員が飛んでこないよう注意しても笑うだけ。

 黒騎士の制服を着てても、平気で暴漢とか誘拐犯に間違えられることを実は悩んでいるくせに、少しは保身に走ったらどうなんだ。

 ともかく、勘違いされたら面倒だと入室を促す。

 すると、先輩の身体が通れるほど扉が開いた瞬間を狙い、小さな塊が私めがけて飛んできた。

 目を丸くしている隙を狙い、腰辺りに抱きついてくる。それはもう、容赦など一切無くだ。


「うぐっ――――!」

「ちょ、ルー坊。さすがのレオでもそれはいてぇわ!」

「いい薬になるだろ」

「え?! うわっ、ご、ごめんレオ、大丈夫?」


 昼間なのに星を見た気がする。

 感極まったということは理解できるが、まだまだベッドから降りられない身としてはさすがに強烈だった。

 それでも必死に痛みを堪え、焦った様子でこちらを見上げてくる瞳を見やる。

 無事だったとは聞いていたが、こうして会えるとは思いもしなかった。とりあえず頭を撫で、先輩二人へと声をかけた。


「よ、かった、んですか?」


 声が少しつっかかったのはご愛嬌だ。

 私たちの視線は、細くなめらかな金髪で陽射しを反射させるルードヴィヒ殿下へと向けられている。平民の服を着ているにしても、外を出歩いて問題無いのだろうか。

 すると二人は、まったくもって安心できない凶悪な笑顔を見せて頷いた。


「なんだかんだ半月経ってるからな。むしろ漸くだ」

「ルー坊の奴、ずーっと我慢してたんだと。やっと許可出たんだよなぁ?」


 護衛がなぜ黒騎士なのかは、単純に人手が足りないかららしい。ロイドも起きた日以降顔を見ていないので、その問題は未だに解決せずやはり深刻なようだ。

 そうなるとやはり、こんな強面しか付けられなかったのだから、この訪問は結構強引なものだった気がする。


「……ルー? もしかしなくとも、抜け出すとか脅しをかけただろ」

「え、なんで知ってる?!」

「やっぱりか」


 ジト目を向ければやっと腰の拘束が外れた。

 話題の中心であった殿下は、ひどく驚いた様子で飛び退くと先輩の一人の後ろに隠れ、こちらを恐る恐る窺ってくる。

 普段は聞き分けの良い子だが、時折かなり小賢しくなるのは知っているし、悲しいかなその被害も受けているのだ。簡単に推し量れた。


「がっはっは! そりゃルー坊、同類だから鼻が利くんだろ」

「むしろこれは、レオの傍に居たせいじゃないか?」


 だというのに、先輩たちは先輩たちで、まるで私が悪影響を与えた風に言ってくるのだから心外だ。

 とはいえ、来てしまったものはしょうがないし、そうまでして来てくれたことも素直に嬉しい。

 だから私は、この場ではあくまで一人の少年として扱わなければならないのを承知の上で、ゆっくりと腰を浮かせて足を動かした。なんとかしてベッドの外へと出ようとする。


「だめだよ、レオ! じっとしてないと――」

「おっと、タンマだルー坊。お前さんはここで見とけ。しっかりとな」


 立ち上がることはできなかった。崩れる身体を腕で支え、どうにかこうにか跪く。

 それから腕を伸ばして枕元の剣を掴み、傍らに置いた。

 ひどく時間がかかってしまったが、先輩たちのおかげでこの状態まで持っていくことが出来た。

 そして、深く頭を下げる。


「ルードヴィヒ殿下におかれましては、ご無事でなによりでした」


 もちろん痛みはあったが、あの夜に比べればどうってことない。

 それよりもこれは重要で、私にはこうしなければならない理由がある。


「幸いにして生き永らえることは叶いましたが、ご命令を完遂できなかったこと、ここに深くお詫び申し上げます」


 正面で息を呑む気配が一つした。

 どちらかといえば、意味が分からないと言いた気だ。

 だから、頭を下げたままで再び謝罪する。


「私は、途中で任務から離脱し、自らの足で帰還することが出来ませんでした。面目次第もございません」


 揃って帰ってこいと殿下は命じた。けれど、いくら納得した形で動いたとはいえ、私はそれが出来なかった。

 結果として悪い終わりにはならなかったとしても、だから良しとはならないのだ。

 そして、雰囲気に託けて素知らぬふりをし、顔を合わせることなど許されるはずがない。


「どうぞ、お好きに処罰を」


 すると、小さな足音がして、視界の中に靴が映った。汚れ一つない高価なものではなく、履き古したどこにでもありそうなものだ。

 殿下は静かに言った。


「俺にその権限はない」


 まったくもってその通り。

 ただ、先ほどのはそれを見越した言葉ではない。その権限のある者へ、好きに報告してくれて構わないということだ。

 とはいえ、半月も経っているので、当然ながら今更の話である。


「それに、父上にも兄上にも、あの日のことはとっくに報告済みだ」


 そして殿下は顔を上げるよう命じ、目が合うとはにかんだ。


「怒られた。俺の命令は英断じゃない、レオとエドガーが最善にしてくれただけだって」

「そんなことはありません」

「でも、たとえ俺が無事でも咎められるって、エドガーは分かってた。レオもでしょう?」


 私の場合は自己判断で任されていて、厳密に言えばエドガー様とは違うのだが、認識的には分かっていたので頷いておく。

 すると、殿下はいきなり振り返って先輩に手を突き出し、何かを受け取ろうとし始めた。そしてもう一人が、訳知り顔で私の視界を塞ぐように立つ。


「レオは相変わらず、猫被るのが上手いな」

「先輩に対しては、ちゃんと敬語使ってるじゃないですか」

「一番重要な敬いが足りてないがな」


 そうして、からかいに舌打ちを返している間で用意が出来たのか、黒い巨体が消えて再び殿下が姿を現した。

 けれど、私の視界は別の物で支配され、どんな表情をしているのか分からない。なにより驚きすぎて、言葉が出なかった。

 先輩も、どこに隠し持っていたのだろう。殿下が突き出してきたのは、つぎはぎだらけの布で作られた、どこか焦げ臭さが染みついてしまった見覚えのあるうさぎのぬいぐるみだった。


「エドガーから預かってきた」

「これ……は」

「助けた子から、レオにだって。あの夜のことは全部聞いた」


 心配はしていなかったが、あの兄妹はちゃんと助かったんだな。

 安心しつつ受け取ってから殿下と目を合わせれば、とても難しい顔をしている。

 その頬に手を伸ばすと、みるみるうちに瞳が潤んでしまう。やはり泣かせるのは避けられなかったか。自分の未熟さが憎らしい。

 それでもまだ、雫が落ちてくることはなかった。


「……どうしてレオはそこまで出来たの? 俺が命令したから?」

「きっかけと原動力としてはそうだね。でも一番は、私がそうしたかったから。それだけだよ」

「犠牲を強いたのに?」


 切って捨てたごろつきのことを言っているのだろう。エドガー様はそこまで話したのか。

 余計な事をと思いかけ、その選択の方が正しいのだと考え直す。それでは殿下の為にはならないのだから。


「何も失わずして、何かを得ることなんて出来ないよ。たとえばそれが良い事であったとしても、得た瞬間、誰だってそれまでの自分を失うわけだから」

「代償ってこと?」

「そうだね。だから君は今回の場合、命令の代償として責任を負った。それを自覚しなければならない」

「兄上も同じ事を言ってた」


 そして、弱々しい笑みを浮かべ、とうとう大粒の涙がこぼれ出す。

 その様子はまるで、翡翠が泉へと落ちていくようだった。


「無茶、っ、させて、ご――」

「ルー? 私はそんな言葉が聞きたくて、必死に頑張ったわけじゃないよ」


 添えたままだった手で止まらない涙を拭いながら苦笑する。

 そうすると、殿下はさらに嗚咽を強くしてしまい、先輩たちからひしひしとした視線で責められてしまった。


「俺の、わがまま、聞いてくれてっ、ありが、とっ、う」

「こちらこそ、私に頑張らせてくれてありがとう。それに、我侭なんかじゃない。一緒に戦ったルーと私は、同じ志を持つ立派な盟友だ」

「めい、ゆう?」

「ああ。シスター・ケイトは博識だから、きっと有意義な時間を過ごせただろうけど、ルーはそこで私とエドガー様の魂を守ってくれただろう?」


 だから、と。私は、預けていた短剣を上着の下から取り出そうとする殿下の手を止め、ジョゼット様が先日してくれたように、ソッとその身体を抱き締めた。

 嗚咽に合わせて弾む背中をゆっくりと摩る。


「それはもう君の物だ。私と違ってしっかりと約束を守ってくれた、その証として持っておくと良いよ」

「うんっ、分かっ、た。でも、レオも、危なくても、ちゃんと帰ってくるっって約束、守ってくれたからっ。だか、ら」


 途切れ途切れな声は、それでも今回は許してやると強気に言ってのけ、堪えきれず笑ってしまった。人のことを言えないが、男の子ってどうしてこうも強がりなんだろう。

 ともかく、殿下からのお咎めはないようだ。それでも色々とやらかしているので処罰は免れないだろうが、これは黙っておこう。

 そして、泣き止むのを待って身体を離せば、何よりも嬉しい言葉をもらえた。


「遅くなったけど……。おかえり、レオ」


 唐突過ぎて面食らったが、少し気まずそうな中に照れも混ぜた笑顔は眩しくて、つられて私まで恥ずかしくなってくる。

 その様子があまりにおかしかったのか、先輩たちが爆笑して私の頭までこねくり回すものだから、傷に響きすぐには答えを返せない。

 痛すぎて今度はこっちが泣く。ていうか、少しは手加減しろって!


「ってーな! この馬鹿力!」

「ルー坊を泣かせた罰だ、我慢しろ」

「だからって、手加減してくれても良いだろ?!」

「あぁん? んなこと、この俺様に出来るわきゃねーだろ」


 私の抗議はあいにくと、いつも通り豪快な笑いの前にかき消えてしまった。

 腹立たしく思いながらも殿下の方へと視線を戻せば、そこには完全に涙が引っ込み大きくなった瞳がある。

 ――――しまった。素に戻っていた気がする。

 さすがの殿下も、あまりの口の悪さに驚いたのだろう。

 それを咳払いでごまかし、邪魔が入り遅れてしまった返事をした。


「――ただいま」


 なんとか満面の笑みを見せてくれたので良しとしよう。

 それからは、手伝ってもらってベッドに戻り、先輩たちも交えて他愛ない会話を繰り広げた。

 受け取ったぬいぐるみは、枯れてしまったカンパニュラの花を飾ってあった窓辺に置いてある。これは一生の宝物になるだろう。退院したらお礼も兼ねて、兄妹の顔を見に行ければと思う。


「そういえばさ」


 そして、楽しそうにしていた殿下が、ふと思い出したようにこちらを見上げた。

 私の隣でベッドに腰掛けていたのだが、わざわざ床へと降りてどこか改まった態度を取る。

 首を捻っていれば、殿下は口を開いた。


「エレオノーラって?」


 意外だった。あの場では気になっても流すしかなかったとしても、とっくに誰かへ尋ねているとばかり思っていたが、律儀にも私を気遣ってくれていたらしい。

 そういったところが、いじらしい限りである。

 とりあえず、再び座るよう隣を叩けば素直に従ってくれたので、それから誤魔化さずに答えることにした。


「私のもう一つの名前だよ」

「もう一つ?」

「レオは自分で付けた名で、そっちは親からもらったものなんだ。理由はそうだな……、兄上か総騎士団長閣下にお尋ねすれば教えてくれるはずだよ」

「え、お爺様……?」

「兄上の方が詳しく話してくれるだろうけど。とにかく、今までと変わらず呼んでくれれば助かるかな」


 当然ながら、私の口からまさか総騎士団長が出てくるとは思っておらず、視界の端で先輩たちもひっそりと驚いている。

 ただ、ロイドの時とは違い、それ以上の説明はしなかった。面倒というのもあるが、わざわざ自分から広めるような真似はしたくなかったのだ。たとえ護衛中に見聞きした事に関しては、守秘義務が発生するとしても。

 すると殿下は、心得たと言うように頷き、話を変えてくれる。

 ただしそれは、思いもよらぬ方向へと進んでしまう。


「分かった。だったらもう一つ、レオは兄上と一緒にならないって聞いたけど、どうして?」


 こちらの方がよっぽど、先輩たちにとっては驚愕だっただろう。私だってそうだ。イースも少しは、弟に対して見栄を張ればいいものを。

 自分でも、表情が固まったのが分かった。


「どうして、もなにも……」

「レオなら身分なんて気にしないだろ? 兄上のこと好きじゃないの?」

「もちろん、好きか嫌いかで言えば好きだけどさ」

「だったらどうして?」


 やけに食い下がってくるな。詰め寄ってくる殿下の表情は、ことのほか真剣だ。

 どうしたものかと考え、助けを求めて先輩二人を見れば、無情にも首を振られてしまう。

 仕方なくため息を吐いてから、殿下に向き直った。


「理解出来ないから納得しないって答えは無しだよ」

「分かった」


 とはいえ、釘だけは刺しておく。

 この話題も一体何度目か。私ですら、この感情にはっきりとした言葉を当てはめられないのだ。直感のようにそうしたいと思ったから、そうしているだけである。他人であれば、余計に飲み込めないだろう。

 そして、殿下に分かりやすく伝えるにはこれしかない。


「添い遂げても、私には何のメリットもない。むしろ面倒だらけで、だから断ったんだ」


 すると、どうして損得の話になるのか分からないと、口にしなくともはっきり視線で訴えてきた。

 なので、重ねて告げる。


「好きだから一緒に居たいと望む人がいるように、想いを共有せずとも生きていける人だっているんだよ」


 しかし、これがとんでもない結果となってしまう。

 私の言葉を理解しようと努力していた殿下は、しばらくして別の質問をしてくる。

 それに返していく内、徐々に嫌な予感ばかりが芽生えていった。


「じゃあレオは、兄上が別の人と一緒になっても嫌じゃないの?」

「もちろん。私の好きは、女としてではないからね。向こうもそうだよ」

「だったら、他にも好きな人がいる?」

「うん? いや、今は別に居ないかな。わざわざ探すものでも無いし、時が来れば出会うと思っているよ」

「あっ! てめぇ、馬鹿レオ!」


 でもって、いきなり先輩から怒鳴られ、自分がとんでもないことをやらかしてしまったことに気付く。

 だが、時すでに遅し。私はきっかけを作ってしまった。


「じゃあ、その時が今だって言ったら?」


 そう聞こえた次には、私の耳にそれが届いてしまう。


「俺、レオが好きだよ」


 躊躇も恥ずかしげもなく放たれた言葉が、病室を沈黙させた。震撼と言っても大袈裟ではないかもしれない。

 背中で冷や汗が伝うのを感じつつ、怒声によって外れていた視線を戻す。

 これが子供特有の無邪気なものであれば良かったのだが、残念ながらそう断じるにしてはあまりにも殿下の表情が真面目で――

 一端の男の顔すぎた。


「ずっと一緒に居たいって、レオにもそう思って欲しいって思うぐらい好きだ」


 そして、あまりの衝撃で固まっている隙に手を取られ、手のひらに口付けを受けてしまう。

 流れるようなその動作にまた絶句。この王子、どんだけマセてるんだ。こういった部分だけは、兄の影響を受けずに純粋でいて欲しかった!

 かくして私は、二十三年の人生の中で最も情熱的な告白を、わずか七歳の子供相手に経験したのである。

 思わず遠退きそうになる意識の片隅では、呆れを滲ませたため息が二人分響いていた。





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