新たな剣と共に(4)
ここでルードヴィヒ殿下がイースの元へ連れて行けと命じたならば、私とエドガー様は断固として拒否しただろう。
そのような我侭を言おうとしている顔ではなかった為、私は失敗を悟ったのだ。
唇をきつく引き結び、睨むに近い眼差しは、まるで今から戦地に赴く兵士のようだった。
けれど殿下は、何も語らないまま私から一度視線を外し、背後へと振り返る。
「世話になったな」
そして、家令の方とカティアさんへ短く告げると、私の手を取り隠し通路に向けて歩き出す。
「殿下?」
「通路は別の場所、もちろん外にも繋がっている」
勝手は困るが、出発すること自体はやぶさかでないのでひとまず従う。エドガー様もすぐに続いた。
「ご無事を心よりお祈り致しております」
そんな私たちの背に、見送りの言葉が告げられる。
だから、出来る限り安心を与えられるよう微笑んだ。同じく気持ちを返そうとする。
「お二人は――」
「失礼ながらその先は、どうかお口になさらぬようお願い申し上げます」
しかしそれは、皆まで言わせてもらえず拒絶されてしまった。
別に責めるつもりはないけども、本音を言えば少しショックだった。
思わず困惑して声が漏れる。
「えっと……」
すると、そんな私に向こうも違和感を覚えたらしく、家令の方が尋ねてきた。
「わたくし共に逃げるよう、仰るおつもりだったのでは無かったのですか?」
なるほど、そっちだと思ったのか。どうやらお互いに早とちりをしていたようだ。
壁の中に入るという不思議な体験をしながら否定をすると、二人が目を丸くしていた。
しかし、何を驚くことがあるのだろう。
「形は違えど、同じ仕える立場だというのは変わりませんので、そのような無粋なことは言いませんよ」
「これは、大変失礼を!」
「ただ、いくら屋敷が残ろうと、出迎える人がいなくなってしまっては意味が無いでしょうから。あまりご無理はなさらないで下さい」
「ええ、ええ―― もちろんにございます!」
「私が言うことではありませんが…………。閣下を、祖父を頼みます」
そして、エドガー様の手により壁が閉じられた。先に用意されていたランプが、周囲を淡く照らす。
最後に見た二人の表情は、少しだけ恐れを浮かべていたかもしれない。まるで遺言のようなことを口にしたせいだろう。
もちろん死ぬ気はさらさらないけども、カティアさんには結局、夕方の答えを伝えられなかったから、ああ言うしかなかったのだ。
殿下は私の手を握ったまま懐から鍵の束を取り出して、その内の一本で施錠を終える。
鍵の数だけ道があるのだとしたら、少なくとも北街の地下は城を中心として、まるで樹木の根のようになっているのかもしれない。
なんにせよ、成人男性が辛うじて通れる程度の幅しかない通路は狭かった。私が寝ていた部屋で行き止まりらしく、エドガー様の頭がやけに下にあるなと思えば、長い階段が下へと続いている。
「ひとまず広い場所へ出ましょう。行先はそれからだ」
すると、前半は殿下へ、後半は私に向けてエドガー様がそう告げてきた。時間を置き、下手な事を言わせないようにしたかったのだと思う。
しかし私は、素直に従う冷静さに嫌な予感を強くする。離れていった手の冷たさと、初めて遭遇した日以降聞くことのなかった第三王子としての言葉遣いがそうさせた。
それでも黙々と、エドガー様を先頭に殿下を挟む形で下へと降りていく。途中で二箇所、鍵穴と取っ手を見つけたので、この屋敷では各階に通じている場所があったのだろう。
にしても、左足で降りるごとに脇腹が痛む。もちろん用意の中でしっかりと痛み止めは飲んだのだが、これではあまり動けなさそうだ。目一杯、包帯をきつくしたというのに。
走れるかも分からない。馬は無理な気がする。幸いだったのは、折れたのが左側だったことだ。
そうやって自分の状態を改めて判断し、どうすればお荷物にならないかどうか必死に考えている間で、気付けば地下へと到着したのかエドガー様の歩みが止まった。
そして殿下が、目の前に現れた扉の鍵を開ける。
すると、鈍い音と共に、全員が横に並べる程度は広い新たな通路がお目見えした。
頼りになるのはランプの光だけなので、あまり遠くまで観察できないが、左右で道が続いていた。扉以外はこれといって目印など無いように思え、方向感覚がすぐに狂ってしまいそうだ。
そこで気付いた。この通路が外と通じているのならば、なんにせよ私もエドガー様も使用することを選んだだろうが、殿下にしか案内が出来ないことを。
もちろん殿下がこちらを無視して動くことはないだろう。それでも、上でしっかりと主導権を握っていなければならなかったのだ。話し合いをせざるを得ない状況が整ってしまっている。
だから口を挟ませぬよう、急いでエドガー様へ声を掛けようとした。
しかし、一歩遅かった。
「火災の収拾をつけるのは黒騎士だな」
淡々とした声には、子供らしさの欠片もない。音の高さだけでは誤魔化せていなかった。
自分の迂闊さに舌を打ちたくなりながら視線を合わせれば、やはりそこには決意があった。
「偽ることなく答えろ。現状でそれは可能か?」
たとえばここで、嘘を吐くことも出来るだろう。状況によっては、騙すことも必要だ。それで殿下の信用を失うとしても、忠義を通すことはできる。
だから、考えるふりをしながらエドガー様に目配せをして、私の意志を伝えようとした。
だが、それより早く新たな質疑が飛んでくる。
「ねえ、レオ。兄上はさ、俺が死んだらきっと悲しんでくれるよね」
「縁起でもないことを」
しかもそれが、普段の殿下に戻ってのものだったので、反応が遅れてしまう。代わりにエドガー様が呟いていた。
ひとまず痛みを堪えて膝をつき、目線を合わせる。
何を考えている? 殿下の真意がまるで分からなかった。
「もちろん。兄上にとって殿下は、この世で最も大切な存在です」
「うん。だからきっと俺が人質に取られたら、どんな手を使ってでも助けようとしてくれる」
その通りだった為、はっきりと頷く。そうならないよう、エドガー様と私がこうして傍に居ることも伝えた。
しかし殿下は、予想以上にイースのことを理解していた。これはさすがに、あいつも予想外なことだと思う。
「ただ、どうしてもそれが不可能で、取引材料が兄上の御命だった場合は、絶対に俺を選ばない。違う?」
聞き様によっては、とても薄情で冷酷な言葉だ。
それでも殿下の表情は、微塵も曇っていなかった。
むしろ笑っている。大切に思うが故、イースがそうすることをしっかりと分かっているのだろう。
あいつは殿下に自分を背負わせるぐらいならば、どれだけ血の涙を流すことになったとしても、けして犠牲になどならない。たとえそうしたくとも、出来ない責任を既に作ってしまっている。
嘘の返事をすることは出来なかった。これについては、慰めも私にしか向かない。
「……その通りです」
「俺だって、そんな選択を兄上に取らせたくないから、護ってもらうことに不都合はないよ。それが兄上の為に、今の俺が出来る唯一のことだから」
本当に、イースにはもったいない弟だ。頭も良く、なにより人の心を汲み取る優しさで溢れている。
ただしそのせいで、気付かないでいて欲しいことにも気付いてしまうのだろう。
「でもね、こんな俺にも我慢出来ないことがある。直接力になれないからこそ、邪魔にだけはなりたくないんだ」
「一緒ですね。私も、そうです」
思わず手を取ってしまう。
すると殿下は、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「だったら分かってくれる? 足枷になってしまうことと死ぬことは、俺にとって同義なんだ」
「……はい」
子供の戯言とするのは簡単だ。むしろ死を語らせるなど、大人としてあってはならないだろう。
それでも小さな身体に宿る決意は本物で、とても重い。受け止めきれるか分からないほどに。
そして殿下は、態度を戻して改めて問うた。
「最初の質問の答えをもらおう」
「そうですね……。エドガー様はどう思われますか?」
殿下を差し置いてエドガー様に尋ねるのは無礼だったが、あいにくと私もお荷物に近い存在で、なおかつ一週間も隔離されている。
だから、より正確な答えを出せると思い投げ掛けた。
するとエドガー様は、渋々といった様子で答えをくれる。
「難しいだろうな。黒騎士を知っているわけではないが、征伐部隊は全て城の奪還から外せない」
それを聞いてから、再び殿下へと視線を戻して同意した。
「私もそう思います。場所が西街であることがまず障害となっているでしょう」
自警団と協力して事にあたっているだろうが、警ら隊ですら街そのものを把握できていない。加えて逃げてくる者が善人である可能性の方が低く、南街の住人の避難も必要だ。対応しきれない気がする。
そしてもし、たった一つしかない橋が落とされでもすれば――――
河を挟んで安全な場所で指を咥え、飛んでくる火の粉を警戒するぐらいしか出来ないだろう。
そうなれば、どれだけ無念さを感じていようと、何もしていないと見る者がどうやったって出てくる。そこに噂の種を蒔かれれば、あっという間で芽が出てしまうはずだ。
「しかし、レオが行けば変わるだろ?」
「は?」
「レオのことは兄上から、今まで色々と話を聞いている。王都は庭らしいな」
「それは、そうですが……」
「だったら教えろ。黒騎士で最も西街の構造を把握している者は誰だ」
「殿下、こいつは――!」
「下がれ、エドガー」
とはいえ殿下が見せた反応は、思いもよらないものだった。
一瞬何を言われたのか分からず、呆けている間でエドガー様が口を挟むことを封じられてしまう。
そして再度、同じ質問が飛んできた。
私とて、西街を熟知しているわけではない。ただ、黒騎士の中でと聞かれてしまえば答えは一つ。
「私です」
こればっかりは、ゼクス団長とウィリアム副団長すら越えている。
かといって、私一人が加わったところで、事態が好転するわけがなかった。
個人で出来ることなどたかが知れているというのに、まず最低限必要な指揮権が無い。肩書きは征伐部隊の小隊長でも、所詮は下級。通用するのは部下に対してのみだ。
しかも私の場合、他の部隊の者には女児の件でかなりの反感を買ってしまっている。手があったとしても、それが明らかに効果的でない限り、言葉への信用が不足しすぎていた。
それ以前に、殿下の傍を離れるなど言語道断だ。それを本人も分かっているはず。
だというのに、殿下はさらに度が外れたことを言う。
「そこに、俺が命令を下したエドガーが加わればどうなる? 任を受けた白騎士を黒騎士が蔑ろにするなら効果はないがな」
「いい加減にして下さい! 殿下は俺に――」
「お前たちの立場を分かった上で想いを無下にしている自覚はあるが、見捨てろと言っているつもりはない」
エドガー様の非難の声が木霊した。
激昂して当然だ。厳密には殿下を護るよう命じられていない私と違い、エドガー様は正真正銘、第三王子付きの近衛である。
それに、どのような形で傍を離れるにしても、その行動自体が見捨てるのと同じ意味を持つ。
なんにせよ全てが無茶苦茶で、まかり通すわけにはいかない。かなり驚かされたが、結局は奇麗事の域を出ないのだから。
それを少しばかり残念に思いつつ、ここが頃合だろうと立ち上がりかけた。エドガー様を宥め、身を隠す場所の相談に移ろうとする。
しかし、手を離そうとしたところで力を加えられ、意識を強制的に縫い止められてしまう。
「俺が護られている理由は何だ?」
「当然ながら、王子であらせられるからです」
私が口を開く前にエドガー様が即答されるが、殿下はゆるゆると首を振った。
「普段ならな。しかし、今は違う」
そして、私たちそれぞれとしっかり目を合わせてから、誰よりも現実と直面した言葉を吐く。
「三人目の王子など、本来なら居ても居なくても変わらない。兄上たちとは違って自由な分、王族としての存在意義は希薄だ。なのにこのような緊迫した状況で皆が気を配ってくれるのは、それが兄上を護ることに繋がるからだろう? 今のところ、俺の価値は俺にない」
その通りなことが、ひどく切なかった。殿下は比較的自由だからこそ、王族としての価値を自ら作らねばならない立場にある。
私たちですら王太子と第三王子を天秤に掛けた場合、前者を選ばなければならないのだ。それがお互いに忘れてはならない義務である。
「本来、民を護らねばならない黒騎士を、民から奪ってしまっているのは誰だ? 現状を把握した上で、自由に動ける騎士はどこにいる。御命以外でも兄上に危険が迫っていると理解していながら、お前たちはみすみす相手の好きにさせるつもりか!」
幼い身体から発せられる怒気は強烈だった。離させてもらえなかった手を払われ、殿下が私たちから一歩下がる。
昂る感情によって瞳には涙が溜まっていたが、情けなさとはまったくの無縁で、むしろ気高いのだから不思議なものだ。
「ここに道を開く可能性が存在しているというのに、俺がそれを縛り付けている! それは死ぬのと変わらない!」
「殿下……」
「――――だったら」
だから、言葉を失うエドガー様に代わり尋ねた。
ただの奇麗事を、私たちを突き動かすに値するものへと変化してもらうために。
それが出来なければ、意識を落とすつもりだった。
「だったら、もっと明確なお言葉を。殿下は私たちにどうして欲しいのですか。王太子殿下をお護りしろと? 火を消せと? それとも民を一人でも多く救い、よからぬ噂が流れぬよう動けと願っているのでしょうか」
「おい、まさかお前――」
「先に言っておきますが、それら全てをこなせなど、そのような馬鹿な命令を聞くと思ったら大間違いですよ」
エドガー様が止めてくるのを無視し、殿下に近付いて見下ろすように立つ。
私たちの選択が、殿下を殺すと言ったのだ。これぐらいで怯んでもらっては困る。
翡翠の光は、微塵も揺らがなかった。まるでイースのように、己を保ったままはっきりと告げてくる。
「護れ。俺も、兄上の未来も、どちらもだ。敵の思うようにさせるな」
これまた大きく出たものだ。あからさまに鼻で笑ってやっても、殿下は引かない。
そして、とんでもない殺し文句を言い放った。
「出来るだろ、二人なら。……いや、出来ないはずがない。だってお前たちは、あの兄上が俺を託した騎士だ。あの兄上が信じた人間だ。にも関わらず、その両の手でたった一人しか護れないなど言わせないぞ!」
エドガー様と二人して、目を丸くする。
まったく……。この王子は、どうしてこうなのだろう。将来が恐ろしい。イースとは違った種類で、とんでもない誑しになりそうだ。
深くため息を吐けば、不安からかびくりと肩を震わせる。それでも殿下は、流れる寸前までいっていた涙を鼻をすすることで堪えきった。
それを見なかった振りをして、再び目線を合わせる。
「もし殿下の身に何かがあれば、私もエドガー様も剣を返すだけでは許されないことをしっかりと理解していますか?」
「分かってる」
「上での言葉はあくまで私の推測に過ぎず、ただの取り越し苦労な可能性があることも?」
「ああ」
「では、今の私は胸の骨が二本折れている状態で、自分の身すらまともに護れないことはご存知ですか?」
さらに追い込んでいく私は、さぞひどい女だろうな。
それでも、殿下は越えなくてはならない。自らで大きな責任を作り出したのだから。
そして、さすがに私の身体の状態までは知らなかったのか、わずかに迷いを見せる。
しかし、言葉を撤回することはなかった。
「無茶を言ってる。無理をさせる。でも!」
「でも、このまま逃げたら、ルーは死んでしまうんだね」
「……うん」
あえて立場を無視した言葉を掛ければ、感極まった様子で抱きついてきて、強い痛みに見舞われてしまう。
それに耐えながらそっと背中を撫でれば、小刻みに震えているのが伝わってくる。
「困ったな。私は今のルーが好きだから、何がなんでも護りたいと思っているのに。兄上を抜きにして、失いたくないんだよ」
「ごめん。でも、俺……」
「そうだね。騎士になりたいと言った君の背中を押したのは、他でも無いこの私だ」
王子としても、一人の人間としても己を通したのだと、判断するにはもう十分だ。
ただ、最終的な決定権を持っているのは私ではない。そして、その説得に力を貸すつもりもない。
エドガー様を見れば、今までも散々注がれてきた極寒の眼差しがそこにはあった。
だから思わず呟いてしまう。
「殿下は本当に、厄介事ばかり運んでくれますね」
すると驚くべきことに、苦笑を零した私に続いてエドガー様がため息を吐かれる。
「俺にとってはお前がそうだ」
まじですか。ちょっとそれは……、反省しよう。
しかし、怒らせるのは得意だが、手を煩わせたことなど今まであったか?
これがゼクス団長やウィリアム副団長ならば、すぐにでも土下座して認めるけども、この人相手だと……。
あ、なるほど。私の存在自体が厄介なのか! それならば納得がいく。
しかし、そうなるとどうしようもないので、ひとまず流しておこう。
そう思って微笑めば、さらに眉間の皺を深くしてしまった。
そして、かなり葛藤した様子で話を振られる。
「何か策はあるのか」
「そうですね……」
以外にも、頭ごなしに拒絶しないらしい。
出会った当初より、エドガー様も随分丸くなったように見受けられた。
とりあえず考えを巡らせ、殿下に尋ねる。
「私たちの指示に、どのような内容でも従う覚悟はありますか?」
「何でもする。絶対に勝手はしないし、約束も守る」
それには、絶大な信頼が返ってきた。
だとすれば、こちらもそれに報いよう。厳しいことに、出来ないとは言わせてもらえないのだから。
「ならば、殿下の身を隠す場所には当てがあります。ただ、やはり私一人では別部隊の黒騎士を従えるだけでも難しく、敵の思惑をどうこうすることは不可能でしょう」
「……そうか」
「私たちが取れる策は、たとえ大したことは出来ずとも、必死に事態の収拾に当たったという姿を見せることだけです。殿下の命であることを隠し、あえて王族の方からとする他ありません。エドガー様がどなたの近衛騎士かなど、民は知りませんから」
とはいえ、やはり全ては推測に過ぎない。私は最悪を挙げただけで、この行動はただ殿下を危険に晒すだけともなり得る。
……それでも、あの空の明るさからして、西街は壊滅状態となるだろう。これだけはほぼ確実だ。偶然が重なったなど誰も思わないからこそ、エドガー様ですら殿下の言葉に突き動かされている。
「エドガー、お願いだ。俺の分も、俺に代わって、兄上や民を護って。頼む!」
殿下は私から離れ、苦悩するエドガー様に縋りついた。
その背中には、しっかりと恐怖がある。それでも殿下は、託す事を諦めない。
死ななければどうとでもなると私には言えないが、エドガー様はどうなのだろうか。そこが違えば、どうやったって説得は難しい。
そして、決断は下された。
「実際の状況を見て、どれほどの被害が出ようとも王太子殿下の脅威にならないと私が判断すれば、すぐに引き上げ殿下の身の安全を優先します」
「エドガー!」
「私たちのどちらかが離脱した場合も同様です」
殿下が驚いた様子で声を上げる。
そこに嬉しさがないところが、私たちにとっては喜ばしい。
「殿下、これを」
だから私は、ある物を手渡した。
その途端、エドガー様がただでさえ鋭い目を吊り上げる。
しかし、いい加減怖くもなんともないので、真っ直ぐに翡翠を見つめた。
殿下は驚いた様子で、差し出した物を凝視している。
「言っておきますが、自害用にお渡しするわけではありませんよ」
それは、私が愛用している短剣だ。このマインゴーシュは、云わば盾。攻撃を受け流すのに都合が良いのだが、あいにく今の私ではいつもの様には使えない。
ならば殿下が持つ方が、もしもの場合に役立つだろう。
「私とエドガー様が、殿下の魂を護ります。ですから殿下も、私とエドガー様をその剣で護って下さい」
「え……?」
「共に王太子殿下の為に戦いましょう」
短剣を無理やり握らせる。
そして私は、屋敷で処方された痛み止めとはまた違う、おばばから買って使わないままだった薬を取り出し一気に飲み干す。
時間は刻々と過ぎている。することが決まった以上、もはやこの場に留まる意味はない。
「さあ、まずは南街に最も近い出口への案内をお願いします」
すると殿下もエドガー様も、すぐさま動いてくれた。
ここには、護られるだけの者など一人もいない。
いるのは、天賦の才を持つ銀雪の騎士と微笑みの悪魔、そして――王太子の小さな騎士だ。
エドガー様が殿下を抱き上げ駆け出したのに続き、私もその背を追う。
無茶だと笑えば良い。無謀だと咎めてくれて構わない。
けれど、この選択を間違いだとは言わせない。殿下の覚悟が本物だと、最善だったと思わせるのは私たちの両手に懸かっていた。




