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悪魔の微笑を消す呪文  作者: 林 りょう
【黒騎士】編
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待ちわびた夜明け(4)




 レオナの娘の報告には、開いた口が塞がらなかった。

 ブラウン辺境伯が配下の緑騎士を掌握していることを驚くべきところ、でたらめさのせいで見事に霞んでしまっている。

 それでも怒鳴りたいのを我慢していれば、アシル様が手紙を検分する為にしばしの沈黙が落ちる。

 すると、つくづくじっとしていられない性分なのだろう。レオナもそうだったが、その間で深々と頭を下げている姿が目に映った。

 俺が出来ないことをこうも当たり前のように行い、なおかつ見せつけてくれるのだから、いい加減苛立つのも疲れてしまう。

 そして、アシル様の判断は下されたが、王太子殿下の元へ向かわれる直前に告げられたものにもまた驚かされた。

 さりげなく隣を窺えば、眉間に深く皺を寄せながらも目を丸くするという器用な表情を浮かべている。


「ということは、親子二代で掴まえられなかったってわけ?」


 さすがの俺でも、ジャンを不憫に思った。

 アシル様も人が悪い。もう少しこいつに色々と教えてやっていれば、また違ったかもしれないというのに。

 ともかくこれで、明確に終わりが見えた。言い逃れの出来る要素がある分、持ち込まれた手紙は決定打としては弱いかもしれないが、きっかけとしては十分だ。

 そうなると、ジャンには別の任務が与えられるかもしれない。今以上にルードヴィヒ殿下の護衛に気を張る必要が出てくるだろう。


「ほんと、頭悪っ」


 そうやって、これから俺が出来る事を考えていると、心底呆れた呟きが聞こえてくる。その直後、ゼクス団長より問答無用の雰囲気と共に上着を求められた。

 反射的に従いながら、一足遅く何事かと顔を上げれば、女の具合が悪くなったらしい。

 行きもたいした休息を挟んでいないだろう状態で、さらに重ねた無茶が一気に押し寄せでもしたのだろう。手当ての最中で不可抗力で見てしまった脇腹には、大きな痣が染みのように広がっていて、ただでさえ相当な痛みを感じているはずだ。

 なのになぜ、動こうとしている。笑みを浮かべ続ける。耐えるものなど、もはや何もないではないか。

 思わず止めろと叫びそうになったところで、さすがに状態が悪すぎ水と毛布を持ってくるよう命じられた。

 人目に着かない行動はジャンに任せるべきだが……、やはり無理か。子供のように素知らぬ顔をする姿に言葉をかけるのを諦め、了承の意を込めて頷き踵を返す。

 そんな時、か細い声が聞こえた。


「――――待って」


 振り返れば、せっかく身を案じて楽にさせようとしているゼクス団長とウィリアム副団長を押しのけている姿があった。

 今度こそ怒鳴りつけようと思った。思ったところでまた、それを事前に封じる言葉が耳へと届く。


「もう、甘えない、と誓ったん、です。自分の力で、立ちたい」


 だから、お前は何故そうなのだ。気付いていなかったくせして、ひとたび悟ればそうして簡単に認めてしまえる。

 間違わずに生を謳歌できれば、それに越したことはない。けれど、常に正しく在れる者などほんの一握りだろう。

 かといって、自らの愚かさを悟るのもまた容易ではなく、認める事に至っては恐ろしくすらある。それは自らを否定するようなものだ。

 なのに何故……、馬鹿みたいに真っ直ぐ口にできる。


「くそっ!」


 自然と出た悪態は聞こえなかったらしい。必死に歩を進めようとしている。

 とはいえおぼつかない足取りでは、今にも崩れ落ちそうな身体を支えることなどできるわけがなく、当然ながら目の前で傾いでいった。

 ジャンのように、それを動かず眺めることもできたはずだというのに、忌々しくも腕が伸びる。

 柔らかさがあまりなかった。けれども、確かに女の腕だった。手のひらを通して、異様な熱さが伝わってくる。

 これはすぐに冷やさなければ、相当に体力を奪うだろう。


「すい、ません」


 似合わない弱った声しか出ないのなら、大人しくしておけ。焦点も合っていない。

 全体的には青白く、そのくせ上気した頬に潤んだ瞳。しおらしければ少しは見れるというのに、尚も変わらない口元が皮肉で、可愛げというものを根こそぎ奪っている。

 この状態では特に、何を言っても聞きやしないだろう。盛大にため息を吐いておられるウィリアム副団長と、今だけは通じ合える気がする。


「構わん。言いたいことがあるならさっさと言え」


 どうせ待機中で、お前は気絶しても構わないとすら言われているのだ。こうまで必死になるほどのものがあるのなら好きにして、そして再び見せつければ良い。

 掴んでいた手の力を緩めれば、一瞬だが目が合った気がした。

 そして、逸れたと思った次には、思いもよらぬ光景が待っていた。

 熱く痛みも孕んだ深い吐息が響き、今の今まで苦しげに曲がっていた腰が嘘のように真っ直ぐ伸びる。

 ゆっくりと、それが折れていった。


「ありがとうございました」


 そのような力が、どこに残っていたのだろう。圧倒されるほど真摯な響きであった。

 だが、自分が誰に対して礼を言っているのか分かっているのか。遅れてやってきた驚愕が我を取り戻させる。

 唖然でも足りない。理解不能だ。お前はしらないだろうが、そいつはお門違いな憎しみをもって、尊厳を奪おうとしている。さすがにその奇怪な頭でも覚えているはずだ。

 そしてそれは、頭を下げられた当人も同じだった。

 しかし、この女にそれを察せというのも無理な話で――


「やっとそう伝えられます」


 しばらくして顔を上げた背中は、実に晴れ晴れとした様子でそう言っている。

 ところで俺はなぜ、こいつがいつ倒れてもフォローに回れるような位置へ移動しているのだろう。


「頭もイかれたの? レオの場合、元からと言った方が正しいかもしれないけどさぁ」


 不可解な己の行いに首を捻っていれば、刺々しくはっきりとした拒絶のこもった言葉が返されていた。

 しかし、それが威力を持つことはない。

 ジャン、自分がどれほど情けない顔をしているか気付いているか?

 そうだよな。第三者の俺ですら意味不明で困惑しているというのに、存在そのものを否定するお前では気味悪くすらあるだろう。

 とはいえ、怯んだ時点で後れを取っている。残念ながらその女は、相手の事情を鑑みる気遣いなど持ち合わせていない上、嫌味などそうだと気付かずに流してしまうのだから。


「あなたにとっては、覚える価値もない些細なことだったのかもしれません。しかし、私にとってはそうではなかった」

「人の話、聞いてる?」

「はい、聞き流しています。そうしないと、あなたは邪魔をするでしょうから」


 見えずともその口元が、不敵な孤を描いているのだと想像がついた。


「これは私の自己満足であり、ただの勝手です。だからあなたは――ジャン様は、目の前で猫が鳴いているとでも思っていて下さい」

「はあ?」


 そして、肩を竦めてから告げられたのは太太しさの根源であり、意外な〝微笑みの悪魔〟が生まれるきっかけだった。

 俺だけでなく、あっという間で傍観の体勢に入っていたゼクス団長とウィリアム副団長までもが興味深そうに耳を傾ける。

 憤慨するのはただ一人、納得のいかない謝意を示されたジャンだけであった。


「――みじめに泣く私へ、少年は言ったのです。〝良いことを教えてやる。笑顔はな、武器にも鎧にもなる。泣きながら強くなりたいとぼやくぐらいなら、心底悲しくても笑って立ってみせろ〟と」


 親の死を嘆く者に対し、なんて冷たいことをと俺は思った。

 悲しみに暮れるより、前を向く方が死者は浮かばれるだろう。かといって、葬儀の日ぐらい枯れるほど涙しても許されるべきだ。

 あまつさえこの女は、予想もしない形で親を失い、明日をどう生きれば良いのかすら分からなかったはず。後追いを決意しても、何らおかしくは無い状況だったということだ。

 そのような中で笑えと言われたところで、その方法を失うならまだしも実行できるとは到底思えない。

 そもそも笑みというのは、俺にとって太陽のように明るく温かなものだ。強がりで生まれるものではない。

 しかし、この娘にとってはそうではなかったらしい。指標として、(よすが)として胸を穿った。


「それはまるで、諦めるなと言ってくれているようでした。抗えと背中を押された気がしました。何も知らなかった私でも、かけがえのない二人へあのような惨い死を招いた張本人である私でも、報いることは出来るのだと思わせてくれた」


 愚かだと一蹴するのは簡単だ。事実それは、ただの現実逃避でしかない。

 とはいえ、そう貶すのは困難だろう。哀れな少女にとって、それは十分に生きる意味となった。復讐を決意させるに相応しい力へと――


「彼のおかげで、今の私になることができたのです」

「ばっかじゃないの」

「はい、仰る通りです。ですが私は、今を後悔しておりません」


 その時、ジャンを見つめていた視線が、おもむろに俺へと向けられた。ほんの一瞬ですぐに戻されたが、先程までの虚ろさを感じさせないしっかりとした眼差しがそこにはあった。

 そして、小さくもはっきりとした声が再び響く。


「後悔できるはずがない。勝手ばかりで反省しか出来ませんが、こんな私でも救った者がいるのですから」

「俺には関係無いだろ!」

「そうかもしれません。しかし、私は覚えています。――白いジニアの花束を」


 ジャンが息を呑んだ。

 目元が羞恥で赤く染まっていく。


「彼はそれを手に、私の前へ現れました。そして、この十年間、毎月欠かさず両親に会いに来てくださった方もまた、必ず同じものを供えていたと司祭様から窺っております」

「だからっ」

「ちなみに、その方の容姿も詳しく教えて頂きました。何度か会話を交わされたそうですね」


 そうか……。もう一人、救いようのない馬鹿がいたようだ。必死に否定を口にしようとするも、ことごとく失敗して唇を噛んでいる。

 飽き性で、飄々とした態度しか見せないジャンがそこまでしていたのだとすれば、本当にレオナのことを想っていたのだろう。


「重ねてお礼を申し上げます。ジャン様のおかげで、二人は寂しい思いをせずにいられたでしょう」


 そして、目の前の身体が再び、深々と頭を下げた。

 淀みない動作だった。また要らぬ無茶をと舌打ちが漏れ、これ以上は本当に身体が壊れてもおかしくないと横槍を入れかける。

 しかし、ジャンの掠れた声で躊躇してしまう。


「抜け抜けと、よくそんなことが言えるな。一度も足を運ばなかったお前が!」

「はい、その通りです。しかし、恩を仇で返すのを承知でお願いがあります。もう十分です。もう、結構です。どうか来月からは、それを止めて頂きたい」

「なっ――!」

「女らしさなど欠片も持ち合わせていない私ではありますが、そこまで疎くはありません。あなたのお母様のおかげで、花言葉もいくらか覚えました。この意味をお分かりでしょうか」


 次の瞬間、ジャンが激情に任せて掴みかかった。

 慌てて割り込むが、中々引き剥がすことができない。

 至近距離で見た茶色の瞳は怒りを、もう一方はどこまでも澄んだ落ち着きを宿していた。


「偉そうに俺を殴っておきながら、好き勝手動き回っておきながら、復讐すら満足に果たせない奴がよくも!」

「ジャン!」

「どうせその程度だったんだろ?! のうのうと、当たり前なことだと軽視して、レオナとカルロがどれほどお前に気を配っていたかなんて! お前なんか、生まれてこなければ……。お前さえいなければ!」

「やめろ!」


 なんとか二人を離すことに成功し、両肩を押さえる。

 全力で足に力を込めて防ぎ振り返れば、女はしっかりと一人で立っていた。相変わらず、見事な微笑を携えて――

 しかし、俺は見てしまった。その額には、大量の冷や汗が浮かんでいた。限界など当に越えているのだろう。


「お前にそんなことを言われる筋合いなんてない!」


 だというのに、返された声は明瞭なままだった。


「ありますよ。母親についた虫を娘が払おうとして、何がおかしいのでしょう。気に入らなければ、邪魔をして当然ではありませんか。そもそも、母には父がおりますし」

「ぶっ! 確かにな」


 あったのは、とんでもない皮肉だ。火に油を注いでどうする!

 空気を読まずゼクス団長が笑いを零し、恨みを込めてそちらを見れば、ウィリアム副団長も蹲って腹を抱えている。おかげでさらに、踏張る力を強くしなければならなくなった。


「それになにより、あなたは生きています。ですから次、会いに来て下さる時は、是非とも大切な方を紹介してやってください。その方がきっと喜ぶでしょうから」

「そこまで言うなら、俺の前から今すぐ消えろ。二人に詫びて死ね!」

「お前、いい加減に――――」


 だめだ、完璧に我を失っている。

 ジャンが本気の殺意を込めた視線を放ち、それは真っ直ぐに対象へと向かう。


「確かに私の復讐は、一通の手紙を前に屈しました。その為に剣を取ったというのに、本末転倒で無様な結果しか出せませんでした。しかし、申し訳ありません。それだけは出来ません」


 さすがに声を荒げるかと思ったが、予想外なことにまたしても頭を下げている。

 そこまでする必要などないというのに。ジャンの想いは本物だとしても、それを理由にした言動は理不尽極まりなく、誰よりも自分自身でその想いを穢している。

 だから、もう良い。分かり合うことは不可能だと諦めろ。

 そんな無言の訴えは届かなかった。


「じゃあ、教えてやるよ。あの言葉は、資格さえないくせにビービー泣く声が耳障りだっただけだ。俺はずっと、二人を殺したお前を恨んでる。だから任務の時だって――」

「ですから、言ったではありませんか。これは自己満足だと」


 太太しい態度が、本当に似合う女だ。

 ジャンの言葉は遮られ、笑みはより一層深まる。


「それに、何か勘違いされているようですが、あなたから任務中に何かをされた覚えはありませんが?」


 小首を傾げる姿は子供のような無邪気ささえ含んでいたが、中身はとんでもなく性質が悪かった。


「あの時、私の具合が悪くなったのは、興奮が抑えきれなかったせいで不覚にもワインで酔ったからです」

「…………は?」

「本気で言っているのか? こいつはその後も、お前が貴族に目を付けられるのを分かっていながら放置していたのだぞ」


 あまりのことに、ジャンの身体から力が抜けた。

 俺も思わず口を挟んでしまう。自分は気付きすらしていなかったのだと言っているようなものだったが、それを自覚したのは返答の直前だった。

 微かな笑い声が、血の気のない唇から生まれていた。


「ジャン様は、私の気持ちを酌んで下さっただけでしょう? どこに不都合があるのでしょうか」

「しかし!」


 これは許しを与える行為ではない。無かったことにするのと同義だ。

 ジャンには屈辱的かもしれないが、そういう腹積もりがないことなど明白だった。見せられた謝辞は、誰が見ても本心だったのだから。


「自分のことしか考えず、周囲を顧みず、その結果として敵の手に落ちたのです。全ての責任は我が身に」


 胸に添えられた手は震えていた。

 そのくせ、ジャンへと向けられた視線はとても強かった。

 響いた声に感じたのは、決別だったのかもしれない。


「あるのは、私がジャン様に救われたという事実のみ。ですからどうぞ、恨んで下さい。これからも殺意を抱いて結構です。倦厭される性格なのは、これでも一応自覚していますので。ただし、あなたの母への想いだけは、この場をもって私が背負わせて頂きます。――――十年もの間、本当にありがとうございました」


 今までで一番の最敬礼だった。負担を隠しきれず、膝が笑っている。それでも、その姿勢を維持していた。

 一つ、分かったことがある。こいつ等は、否定的な面で似た者同士だ。人を頼ることを嫌い、借りを作るなど持っての外。

 だからこそ、恩ではないと言ってしまったジャンは捨てるしかなくなった。持ち続けられるのは、死者への弔いの念のみ。

 様子を窺いながら身体をずらせば、ジャンは動くことなく項垂れ拳を握っていた。


「…………ジャン。誰もお前の抱えていた想いそのものを否定していないことに気付いているか?」


 楽して一人、忘却を選択した俺が偉そうに言えた義理ではないが、語りかけずにはいられない。

 俺たちは目を背け過ぎた。俺も、この女も、お前も。とっくの昔で、守られる側から守る側へと立場が変わっていたのにだ。

 すぐには無理かもしれない、失敗も重ねるだろう。それでもいい加減、改めなければ――

 しばらくの沈黙の後、ジャンが額に手を置きながらゆっくりと顔を上げた。


「なん、で……。なんでレオだったんだろうね。レオナが一番だけど、カルロならこうまで腹立たしくなかったよ、きっと。あの人には、敵わないから」


 口から出たのは相変わらずの嫌味だったが、そこにはもう怒りはない。自嘲に諦め、悲哀を感じる。

 すると、横から忍び笑いが聞こえてきた。


「そんなの、決まっているじゃないですか」


 二人の視線は交わらなかった。これからもそうなのだろう。

 だが俺は、目を向けてしまった。


「あなたにそう言わせる二人が護ってくれたからです。私が生きている限り、二人の死は無駄になりません。……そう気付くのに、十年もかかってしまいました」


 それで今までが帳消しになるわけではないが、つい最近まで真逆な行動を取っていた者としてはあまりに凛としすぎていた。

 後悔で終わるか、悔い改められるか。その境界を見た気がする。

 そして、潰れた馬のように、いきなりくず折れていく。


「最後まで傍迷惑な」


 床に叩きつけられる直前で抱き止めれば、その意識は深いところへ沈んでいた。


「ジャン。水と毛布、頼めるな」

「着替えも、あった方がいいでしょ」


 心底嫌そうな声に笑えてしまったが、廊下へと消える背中に不明瞭さはもう感じない。

 とりあえず、壁際まで運んで凭れかけさせた。上着をしっかりと羽織らせ、脈と脇腹の状態を確認していく。

 結局、俺は何もできないままだ。その点お前は、ただ謝らせるよりずっと力になれることをしたのだから恐れ入る。ジャンの仕打ちを考えれば、恩など消して良かっただろうに。

 しかしその恩も、ルードヴィヒ殿下曰く、まともに笑えていないらしいぞ。

 そこからは、腹立たしさしか生まれない。始めと変わらず、全体的に忌々しいままだ。

 ただ、そうでない本物ならば見てみたいと思った。レオナそっくりに幼くなるのか、カルロのように柔らかなのか。もしくは、まったく別なのか。

 弱いくせに無茶だけが得意、真っ直ぐすぎるせいで呆れるほど浅はか。それで正しくあろうとするのだから、首に綱でも巻きたくなる。

 だが、どうしてだろう。その愚かさを愛しく思う。

 ………………ちょっと待て。俺は今、何を考えた?


「ん? どうした」


 隣りで同じように具合を診ていたゼクス団長から不審がられるも、それどころではない。

 確かにジャンの背中を押してくれたことには感謝し、嫌悪する者にも憚ることなく頭を下げられる部分は尊敬さえできる。

 しかし、だ。まぶたを閉じて浅い呼吸を繰り返す姿を眺めてみる。

 ――無いな。あり得ない。

 好きか嫌いかで判断すれば、嫌いではないと答えられる程度の印象にはなっただろう。

 だが、この女だけは無しだ。可愛げも淑やかさもない上、まともな神経をしていない。

 そもそもお爺様の孫とはいえ非公認、平民だ。身分の問題がある。

 気が狂ったのかと本気で焦ってしまった。なんとか落ち着きを取り戻す。そうしたつもりだった。


「ったく。素直に泣き言の一つでも零せば、もっと手加減してやれるってのに」

「結婚より先に、お父さんになってどうするんですか」

「安心しろ。俺が親父(おやじ)なら、ウィルは母親だ」

「こんな手の掛かる娘を、この私が産むわけないでしょう?」


 ゼクス団長とウィリアム副団長の会話につられ、視線を戻してしまわなければ。頬を流れる一筋の涙に気付かなければ、こんなことにはならなかっただろう。

 しかし、いくら悔いようとも現実は無情で、泣くことすら素直にできない姿を綺麗だと思ってしまった瞬間、その感情は芽吹いてしまった。

 やはり、お前と関わると厄介事ばかりだ。

 三人の内、俺が一番の大馬鹿者になるなど誰が予想できようか――――

 その日から、俺はあり得ない感情のせいで無駄な葛藤をするはめになる。そんな暇などないにも関わらず。

 



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