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悪魔の微笑を消す呪文  作者: 林 りょう
【黒騎士】編
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待ちわびた夜明け(2)





 道中、馬を潰してしまわないよう気を付ける以外はすることも無く、その時間で色々なことを振り返った。

 考えてもドツボに嵌ることはいい加減自覚していたので、思い出の一つ一つを作業のように確認した。

 するとどうだろう。出発直後はいつの間にか飛んでしまいそうなほど軽かった身体が、少しずつ重みを取り戻してく。冷たい中にも僅かながら、春の気配が生まれ始めているのを気付けるほどに。

 それは道端に落としていた物を拾うかのようで、北の砦から最も近い街へ着く頃には、ゼクス団長へ預けているはずの剣を提げているかのごとく身体が安定していた。

 到着してまずしたことといえば、藍の小人との合流である。例の金によって借りれたおばばの六番目の息子だ。その存在がなければ、行きで貯金を使い果たしていただろう。


「ブラウン家の屋敷は一通り見ましたが、望みのものはなさそうですよ」


 疲れが抜けない身体を宿で休めていた時、いつの間にか侵入していた藍の小人はそう言ってフレームのない眼鏡を押し上げる。

 その奥で光る黒い瞳は、ありありとつまらなさを映しだしていた。


「……そうか。とりあえず明日は、前辺境伯、ブラウン卿、その妻の顔を拝むことにする」

「私に一言、殺せと頼めば済む話でしょうに」


 埃まみれな旅装束を脱ぎながら、適当な返事を見つけられず苦笑を零す。

 ずっとずっと、この日のためだけに頑張ってきたつもりだった。

 けれど、剣の重みを取り戻してしまった時点で、選択はきっと終わっていた。


「どうせ陽のある内は動かないんだろ?」

「ええ、まあ。さすがの私でも、白昼堂々あの砦に忍び込むほど傍若無人ではありませんから」

「なら午後から日暮れまで、デートの振りしてうろつこう」


 シャワーを浴びる準備をしながら告げれば露骨に嫌な表情を浮かべ、視線が全身を移動する。

 それから深々とため息を吐きやがるのだから、いくら七人の中で最も常識を身に付けているとはいえ、さすが小人だと思った。


「あなたが恋人ですか……。私は男にしか興味がないのですが」

「そうなのか? それは悪いな」


 思わぬところで藍の小人の性癖を知ってしまうという出来事がありつつも、抱えていた憎しみを思えばあまりに暢気な夜ばかりが過ぎる。

 本番ともいえたのは、次の日からだ。

 正直言って、実際に顔を拝んで手を出さない自信など一切なかった。感情のままに屠ろうとすることこそ、私らしい行動だとすら思っていた。

 けれど理性が崩れることはなく、思いのほか冷静に事を運べたのだ。

 藍の小人を隣にブラウン家の屋敷へと向かい、最初に見つけたのは母さんの遺体から髪を奪うのを望んだ相手で、その女は庭で優雅にお茶会を開いて楽しんでいるところだった。


「あなたの母親の髪を使っていた頃は、常に下ろしていたらしいですよ?」


 垣根の隙間からその様子を眺めていた私へ、藍の小人が煽るように教えてくれる。恋人らしく腕を掴む手にかなりの力が篭っていて痛かったらしい。

 目に映るのは、母さんとは雲泥の差がある暗い色で、もたらされた親切な情報によるとかなりの剛毛らしく最大のコンプレックスなのだとか。

 それなりに距離があり、事実かどうか確かめることはできないが、だとすればただの妬みがあのような残虐さを生み出したということになるのだろう。

 怒りより先に呆れた。くだらない。しばらくして現れた、前辺境伯に対しても然り。

 この一族は、領内で暮らす民からすれば貴族の鏡のような人間だった。無理のない税を課し、救いを求める声が届く素晴らしい耳を持ち、我欲に塗れた連中に比べれば理想の領主である。

 ブラウン卿に関しては、私の基準からしても立派な指揮官なのだから、息子の本音を知っているからこそ余計に笑えた。


「侵入できそうか?」

「やってみなければ何とも言えませんね」


 見上げた先で強固に聳える北の砦には、初めての遠征で立ち寄ったことがある。

 容赦のない訓練は黒騎士に通ずるところがあり、規律に至っては聞いただけで音を上げたくなるほど厳しいものだったが、恐るべきはアークのような不満を持つ者の居る気配がほぼ無かったことだ。

 あったのは、ブラウン卿への畏怖と尊敬の念ばかり。見張り番の立ち振るまいを見る限り、今も変わらずそうなのだろう。

 貴族として領民に愛され、騎士として部下から崇敬される一族が両親の仇とは……。なんとも滑稽な話じゃないか。


「安心して下さい。万一の時は、遠慮なくあなたの名を出しますから」

「どこが安心できんだよ」

「依頼失敗でお金を返す必要がなくなるでしょう?」


 思わず声を上げて笑ってしまった。

 冗談ではなく本気で言っているのだから余計にだ。

 ともかく、休暇中に王都へ帰りたいのであれば、後一日滞在するのが限界だった。

 藍の小人と別れ夕陽を浴びながら、あてもなく街を歩く。俯けば、急ぎ用意した歳相応の女の格好が目に入った。

 両親の死がどうやったって回避できなかったとして、もし私がエレオノーラのまま今日まで過ごしていたならば、一体どのような未来が待っていたのだろう。

 孤児院の職員になっていたかもしれない。出会いがあれば健全な付き合いを経て、結婚していた可能性もある。

 それが出来なかったからここに居るわけだが、失った過去で未来が描けるというのに、選んだ現在ではまったくもって何も見えやしない。

 私にとって憎しみの象徴であったはずの赤い空ですら、もはや手を貸してはくれなかった。

 そして、この期に及んで答えを自覚できないまま、食事も取らずに宿でぼんやりと藍の小人の成果を待つ間で、どうやら私は眠っていたらしい。

 気配によって目が覚めると、待ち人が五体満足で部屋におり、出迎えの時とは真逆で楽しそうに目を輝かせていた。


「さすが北の砦といったところでしょうか。中々にスリリングな一夜でしたよ」


 カーテンを閉め忘れていた窓から見える空は白み始めていて、傍に立つ藍の小人を怪しく照らす。

 その手には、一枚の封筒が握られていた。


「対象はこの手紙が届いていたことすら知らないので、今すぐ追っ手がかかることはないでしょう」

「弱味なのにか?」

「だからではありませんか。先に事務局から攻めて正解でした」


 受け取りながら首を傾げるが、どうやら聞くよりも見た方が早いらしい。

 少し厚めなそれを裏返し、差出人を確認して眉をひそめる。

 記された名は、イースが持つ領土に暮らす男爵だった。ジョゼット様の鬼な教育は忘れようがないため、間違いはないはずだ。

 とりあえず中身を検めようとして、背筋が伸びたのはそれからだった。


「…………あり得ない」


 封筒の中に収められていたのは、さらなる封筒だった。

 それを閉じている封蝋の刻印を見て思わず呟く。真っ赤な蝋に刻まれた真っ赤な花――


「王太子のバラ嫌いは裏の世界でも有名だというのに、おかしいでしょう? あろうことかそれを、王太子領の者が使うなんて」

「中身は見てないのか」

「見ずとも分かりますよ。あなたとは違った種類で、私も鼻が良い方ですから」


 そして、藍の小人はひとまず休むとあっけなく部屋を出て行った。

 最後に一言、次の指示に期待していると残して。

 二つ目の封筒の中身との対峙が決別の時であった。


「期待、か…………」


 自嘲と封蝋の割れる音が重なる。中には手紙が一通入っていた。

 お決まりの挨拶から始まり、ブラウン卿の近況を問う文面が続く。

 弱味とは程遠い、ただの手紙だった。


「いや、おかしい」


 けれど、ふと違和感を覚えてもう一度始めから読み直し、急いで持ち物から紙とペンを用意する。

 綴りの途中に出来ている不自然な空間や、見逃してしまいそうな誤字脱字。何度も視線を上から下へと往復させ、元の文面や教わったことを頼りに組み変えていく。

 解読が終わったのは、外で人々が活動を始める頃だった。


「これは――――」


 達成感と共に改めて内容を確認した瞬間、頭に浮かんだのはたったの一つ。

 それは無意識に唇を動かした。


「戻らなければ」


 とてもはっきりとした声だった。気のせいだとも気の迷いだとも思えない。

 心の奥で〝エレオノーラ〟が『復讐は?』と囁いてきたが、〝レオ(わたし)〟は『そんなことどうでも良い』と間髪いれずに返す。

 巧妙に隠されていた手紙の本当の内容は、北の砦の緑騎士をいつでも王都へ進軍させられるよう準備を促すものだった。目的はもちろん、強硬手段で王太子位を第二王子へ移すこと。

 めくらましを考慮した大まかな計算でいけば、これは私が王都を発つより少し前に出されているだろう。となれば、明日明後日にはさらなる密書が届く可能性がある。今度は明確な指示を記して。

 昨日は慌てている様子が見受けられなかったが、アークの事など私が到着するより早く把握できていてもおかしくはないぐらいだ。

 普通ならば国防の要を手薄にするなど愚の骨頂であり得ないと笑い飛ばせるも、たぶんそれは周辺諸国の穏やかさが仇となっている。そうでなくとも騎士としてのブラウン卿ならば、ぬかりなく穴を埋められるだろう。

 とにかく王都が危ない。その報せを届けられるのは私だけ。だからなんとしてでも、一刻も早く帰らなければ。この身に代えてでも。


「――――あ」


 そこまで考え、ハタと気付く。

 気付いた瞬間、それぞれ持っていた二枚の紙に皺が寄る。

 慌てて離し手のひらを眺めれば、情けないほど小刻みに震えていた。

 今思ったこと。それが答えだと自覚した結果の有様だった。


『かっこいい……。かっこいいと、思う』


 ルードヴィヒ殿下の言葉が蘇る。肉刺が幾度も潰れ、硬くなったこの情けない手を見せた時、私は何を思っていた?

 そうだよ、誇らしいと思っていたじゃないか。恥ずべき部分などどこにもないと。

 自分で言ったはずだ。ひとりの人間として、黒騎士でありたいって。

 あれは嘘だと? いや、当たり前な言葉として口を出たものだった。とっくの昔に、答えは出ていたのだ。


「はは……、ほんとに、もう」


 何をやっているんだろう、私は。何をやっていたんだ、これまで。


『過去は過去だ。その頑固さも、いい加減どうにかしろよ』


 イースが鬱陶しいほど言ってくれていたというのに。


『きっかけは一生変わらないけど、理由は違うんだぞ』


 ロイドにそう言われた時に、頷くだけでよかった。


『俺らにお前を入団させたことを後悔させたら承知せんぞ』


 身を持って知っているくせに。お情けで入れてもらえるほど、あそこは平和ではないと。

 捻くれて考えず、もっと素直に受け取るべきだった。後悔するのもおこがましいぐらいだ。

 力を欲して鍛えてきたのはただのつもりで、実際は現実逃避でしかなくて、周囲はもっとずっと大切なものを与えてくれようとしていた。

 私が本当に求めるべきは、手に入れるべきは、もっと別のところにあったのだ。


「どうしようもないな。……ふ、くっ」


 震える手をなんとか持ち上げ、口元へ甲を押し当てる。

 間に合わずに零れてしまった音を自分の中へ戻そうとするが、力及ばず視線が落ちた。

 差し込む朝日に照らされた床の上へ、いくつもの染みが生まれていく。

 止めたいのに、止まらない。葬儀のあの日とまるで同じ。

 私は甘えていたんだ。偉そうに怒鳴れる立場じゃなかった。ゼクス団長やウィリアム副団長の優しさに、母さんと父さんが築いた繋がりに、なにより――――その死に甘えていた。

 どうしようもなく悲しかった。憎かった。けれど一番は、怖かった。いきなり一人で生きていかなければならないことが不安で不安でたまらなくて、何かに縋らなければ立っていられなかった。

 けれどブラウン領に来て、生活する人たちを見て、たぶん私は怯んだのだ。いくら理由を主張したところで復讐を果たせば、ここでは悪者にしかならない。

 この四年間、ひたすらに相手をしてきた連中。あの三人も含まれ、両親や仲間を殺してきた者たち。その中に自分が入るなど我慢ならなかった。

 いつの間にか復讐の芽よりも成長していたのは、種すらないと思っていた騎士の誇り。引け目からではない、騎士でありたいと願う心。


『民にとって英雄なんです』


 アデラ嬢の大袈裟な言葉へ、そうありたいと思った。

 薬物パーティーで女児を救おうと必死だった際など、本気で死んでも良いと思えたからこそあんな無茶ができたんじゃないか。

 任務とあらば誰とでも寝れるくせして、アークが強要した誓いの口付けを拒んだことも、真実を前にルードヴィヒ殿下の安全確保を優先した時だって、復讐心は隅に追いやられていた。

 誇りを持つ資格がないというのはただの逃げ。それは作るものでもましてや与えられるものでもなくて、背負うべき責任だった。

 そして、背負い続けられるよう鍛えなければならない心の強さ。真に必要だったもの――――


『何もしていないとは言わせない。お前は俺の目の前で、少女を救った。たった一人では足りないと言おうものなら、それはただの驕りだろう?』


 エドガー様の言う通りだ。救ってそれで終わりにはならない。

 分かってる。分かってた。母さんと父さんが喜ばないことぐらい。悲しませてしまうことを。

 十三年の間でたくさんの約束を結んでいたが、一体どれほど破ることになっていたか。

 二人だけじゃない。ルードヴィヒ殿下とは、危険があっても帰ってこれるよう強くなると。ジョゼット様との約束もまだ果たしていないし、ロイドには金を返さなきゃいけない。イースからは土産を楽しみにしてると言われている。

 どちらにせよ後悔するのなら今を取ると豪語したのは私自身だ。

 そしてまさに今、私は思ってる。彼等を裏切りたくないと。

 でも、これだけは分かって欲しい。誰か、分かって。最後にする、もう甘えないから。一人で立てるよう、立てなくても仲間を頼れるよう頑張るから。

 今だけは十年前から何も得ていない〝エレオノーラ〟として、どうか言わせて。


「大、好きだった、んだ」


 この世の誰よりも。

 たくさん怒られもしたけれど、二人の子供であれたことが本当に幸せで、それを壊したのが自分だなんて信じたくなかった。


「もっと、一緒に、いたかった」


 いつか二人に認めてもらえる素敵な人を見つけて、二人のような家庭を築いて、孫を抱いてもらって、恩返しをたくさんして――

 やりたいことが沢山あったんだよ。まだまだ色々教えて欲しかった。

 私が弱かったせいでそれが叶わなかったのだとしたら、なんとしてでも奪い返したかった。戻ってこないことなど分かりきっていたけれど……。


「ごめ、ん。ごめん、なさい」


 不変があればどれだけよかっただろう。

 おばばが言っていた通り、大切なものが新しく出来てしまった。出来ていた。

 それならと、護れなかった二人よりも護れるかもしれないそちらを選ぶ私は薄情ですか? だとしたら、いつか私が二人の元へと行った時に、もっと何度も謝るよ。

 だから、だから――――

 どうか黒騎士として生きる道を進むことを許して下さい。

 こんな勝手をしたのだから、名乗るべきではないけれど。それでもこれから先、二度と剣を提げられずとも、こんな私でも救えた者達の前で堂々としていられるよう、もう一度スタートラインに立とうと思う。頑張りたい。今度はゆっくりとした速度で、大切なものを見落としてしまわないよう気をつけながら。

 その前にまず、沢山の人へ謝罪と感謝を告げなければ。

 目元が擦れるのを構わず涙を拭えば、もう次が流れることはなかった。

 やるべき事は決まった。やらなければならない事がある。

 深呼吸をして窓から外を見れば、人の往来が大分激しくなっている。これならば、すぐに準備に走れるだろう。

 そして、冷水で心持ち腫れを引かせてから、光り眩しい空の下へと飛び出した。

 藍の小人がやって来たのは、必要な物が揃い宿での作業に移った時だ。


「では、指示を頂きましょうか」


 依頼主に対して相変わらずの上目線な態度だったが、部屋の散らかり具合に首を捻っていたのがなんともミスマッチでおかしかった。

 ともかくそんな藍の小人へ、普段から見慣れているだろう調合の道具を渡しながら告げる。


「砦、落とすぞ」

「はい? 冗談ですよね」

「いいや。割と本気だ」


 この時の私は、微笑みの悪魔として最高の表情を浮かべられたと思っている。

 それからは本当にあっという間で、気付いた時には藍の小人の肩を借りてアシル様の前にいるような状態だった。

 人生で一番重い傷を負ったに等しいながら、痛みよりも清々しさの方が勝ってたのが不思議でならない。


 

 

 


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