出発の夜(2)
厳めしいな。振り返った先で立っていた人にそう思いながら、箱を小脇に抱えて跪く。
これまで小指の爪ほどの大きさでしか見る機会はなかったが、なるほどこれはまるっきり獅子だ。ゼクス団長と並んだら、ガタイの良さで周囲を圧巻するだろう。
それでいてさらに、王族とはまた違った魅力を放っている。他者を自然と先導する、武人としての気迫とも呼べる空気を。
十年前に捨てた名で私を呼んだのは、レオンハルト・サン=シール。初代総騎士団長である金獅子の再来とまで謳われ、現代の騎士の頂点に君臨される母さんの父親その人だった。
「――エレオ、ノーラ。いや……、今はレオと名乗っていたか」
腹に直接響く低い声は、耳に届くと同時に表現しがたい感情を作りだす。言えるのは、それが好ましいものではないということのみ。できることならば、無視して立ち去りたいぐらいだ。
しかしそれは、着ている制服が許さない。だからこそ跪き、それを意思の表明とした。
「顔を上げ、楽にして良い。そんなことよりも、大事ないか」
だというのにこの方は、どういうつもりなのだろう。そんなこととは随分な物言いだ。
握った拳に力がこもった。意地でも立ってやるつもりはない。
緊張と悔しさだろうか、何かが呼吸を早まらせ、気を抜けば犬のようになってしまいそうだ。そのせいで何度か開きかけた唇を閉じ、言葉を返すまで幾らかの時間を要した。
「私のような末端の者にお言葉を下さり、光栄の極みにございます」
人形の方がよっぽどマシな声を出す。そう思っても仕方がないほど、ひどい声色だった。
対して反応はない。それでも首の後ろを焼かれるような感覚が、見られていることを教えてくれる。
「しかしながら申し上げます。閣下におかれましては詮無き事ゆえ、どうぞ捨て置き下さい」
だから言った。私に出来る精一杯の丁寧さで、放っておいてくれと。
今さら相対したところで、一体何になるというのだ。あのでたらめな噂を真に受けないよう釘を指しにくるほど、浅慮でも空気が読めないわけでもないだろうに。
すると、目の前に白い袋が一つ落ちてきた。中身の多さのせいか派手ながらも澄んだ音が響き、それが金貨だと見当がつく。
だから、許可無く頭を上げてしまった私の目付きがどれほど悪かろうと、この時ばかりは反省などしない。
「どういう、おつもりですか」
かろうじて敬語が保てた。視線の先では、総騎士団長が無表情で見下ろしている。
先程とは違って、はっきりと確認できたお顔に唇を噛んだ。
――――そっくりだった。
御歳から白が混じってはいるが、髪も瞳も同じ金色。なにより瞳の輝きが、母さんと瓜二つだ。
気丈で逸らすことを知らない、野生味あふれた獅子の眼差し。繋がりをはっきりと感じる。
だからこそ、激しく憤る。その瞳には、そんなにも私が浅ましく見えるのか。
たしかに外れてはいないのかもしれない。これほどの額を出せれば、おばばも小人を借してくれるだろうと思考の片隅で浮かぶのだから。
それでも受け取ったが最後、私は全てに背くことになる。想いも努力もなにもかも、ただ無に帰すよりもよっぽどひどい形に変わる。
「お気遣い頂かなくとも、どうかご安心を。現状が王太子殿下ならびに皆様方のご恩情のみで成り立っているとは、露ほどにも思っておりません」
呼吸の仕方を忘れそうだ。
唇が乾いて裂けてはいないか。喉が張り付く。もしこの金で、母さんの髪を渡せと言われたらどうしよう。
これが真に貴族と敵対するということ。アークなど比べ物にならない。しかもこのお方は、国王陛下の剣である。
けれど幸いなことに、折れようにも今の私はその心の在処すら分からない状態だ。
でなければ、さすがに笑えない。おかげで微笑んだままでいられる。
「なぜ、そう思う」
総騎士団長は、抑揚なくそう仰った。
だから、怯みそうな気持ちを奮い立たせ、なんとか薄い息に声を乗せて返す。
「情に流され判断を誤るお方に仕えた覚えがございません。たとえ理由の一つに贖罪の念が込められていようと、同情が存在していようと、それが国の大事と秤にかけられるなどあってはならない」
そして、大きく空気を吸った。
そうだ、落ち着け。私にとってはこの世で二番目に受け入れられない相手でも、敵ではないのだ。むしろこちらが、寝返りを懸念される立場にある。
大丈夫だ、分かっている。我侭が叶ったのは、しっかりとそこに打算があるからだ。
釣った魚をどう料理したいのかは不明でも、狙いが絞れた以上は動いて当然。というより、静観を誰が求められるだろう。だから余計に一秒も無駄にしたくなかったし、それを考慮して計画を立てていた。
それを思い出すと、再び口を開いた時には喉の違和感が消えていた。
「下級の黒騎士が一人動いたところで、どなたが気に留めましょう。女が一人旅行に出たところで、どのような脅威になり得ましょう」
できる限り直接的な言葉を使わないよう気をつけながら、早くこの時間から逃れたい一身で頭を働かせる。
ゼクス団長やアシル様はよくても、この方に邪魔だと判断されたらという恐怖と、いつ何時弁えるべき立場を忘れてしまうか分からない腹の底がせめぎ合う。
だから少しでも気が紛れるよう頭を下げ直し、あえて繰り返した。
「再度申し上げます。ですからどうぞ、捨て置きを」
イースやこの方は、どれだけ隠密に動こうとしたところで、人を使う時点でどこかで必ず目が立ってしまう。
しかし、私は違う。大層な噂の的になりはしたが、それでも雑草に等しい。しかも今夜からしばらくは、容疑者として拘束されたことになる。一糸報いるにはそこから生まれる油断しかなく、だからこそ期待しない保険となり得る。
そう――期待など誰もしていない。王太子派が動いていることさえ喋らなければ、捕まろうとも死のうとも支障がない。アシル様の言葉を一考すれば、こうすることで私は自己満足を得られ、誰かが肩の荷を降ろせるというのが利点だろうか。
ともかく、完璧に私情で動いている私でも恩を仇で返すつもりはないのだから、それさえ伝えられれば、この方の危惧もきっと払えるはずだ。
「死にに行く……つもりか」
「失礼ながら、閣下ともあろうお方がお気に病む必要はないと愚考致します」
けれど、とんだ肩透かしをくらってしまった。
本当に、何を思ってそこに立たれているのか。
私たちは会うべきではなかった。永遠に他人である方がお互い好ましい。
しかし、総騎士団長はしばらくの無言の後、さらにふざけたことをぬかしだす。
「儂を恨むのならそれで構わん」
鼻で笑わずにいられたのはきっと奇跡だ。
むしろ今のは幻聴だろう。
「儂には儂の忠義がある。だからこそ、お前がそうであるように、儂にしか出来ないことが存在する。違うか」
それが金貨の山だと?
たしかにそうだ。一生かかっても、私にはこの半分も稼げやしない。
けれど、忠義だ何だと、それを言ってどうなる。今さら弁解でもするつもりか。
ならば残念だ。お門違いな逆恨みを抱く時期はとっくに終わっている。私とて中途半端でも忠誠心を持つ身なのだから、もし立場を優先した結果として両親を見捨てたのであれば、ここまで悪感情を持たずに済んでいたはず。
そうではないから、こんなにも罵りたくなるのだ。理由がはっきりと存在するから、許せない。
「儂は戻るが、受け取らないのならば好きにするが良い。いずれ誰かが拾い、肥やしと化すのみ」
「お待ち――――」
「顔を上げることを禁じる!」
冗談じゃない! 横暴すぎる!
慌てて動こうとして、頭上からの叱責にすぐさま封じられてしまった。
これなら、無理やり渡された方がまだマシだ。今の今になって会いに来て、捨てた名を呼んでおきながら、選択を取らせるなんてズルすぎる。
けれどそれを訴えようにも、感情のまま投げ返そうにも、命じられた以上は背反することができない。先手を打って一線を引いたのはこの私だ。思い通りにいかないからと手のひら返すのは、さすがに都合が良すぎる。
だから、これは独り言だ。誰がどう思おうとも、でかい独り言――――
「私こそ、恨まれようがどうでも良い。今も昔も、無い者として扱ってくれて構わない。けれど、両親は違う。母さんは違う。なのにあなたは、葬儀にさえ来なかった!」
遠くなる足音は止まらず、胸が苦しくてたまらなかった。
たった一本花を添えてくれれば、それで良かったのに。正体を明かす必要もなかった。どうしても時間が空かなかったのなら、代理で十分だ。使用人がいないとは言わせない。
しかしあの人は、何一つしなかった。参列者は献花の際、名乗りと共に祈りの言葉を送り、司祭様が全てを書き止める。だから全員を調べたし、墓地に隠れる場所などないのだから、影ながら眺めていたが気付かなかったという話にもならない。
あの日は墓地が閉められるまでそこに居たが、時間外にやって来たのは例の少年だけだった。
「今さらこんなものを渡すぐらいなら、せめて墓荒しぐらい追わせれば良かっただろっ! なのに何もしなかった! それこそが、あんたの言う力だったはずだ!」
自分の声が虚しく響く。返ってくる言葉はない。
唇が震えた。子供のように吠えるしかできない自分が情けなくてたまらない。
そうして立ち上がることさえ出来ずにいれば、芝生を握っていた拳に水滴が落ちる。まさかと思い慌てて頬に触れるとしっかりと乾いていて安堵し、だったらと見上げれば、空から雪になれない雨が降ってきていた。
「ちょっとそこのお姉さん、飛び込む胸は必要ですかー?」
「間に合ってる」
「まじかよ、残念だわあ」
しかも、背後に人の気配を感じると同時に、最近では常に殴り飛ばしたくてたまらない奴が平然と現れた。よくもまあ顔を出せたものだ。
イースは立ち上がる間で正面へと周りこむと、意地の悪い顔を向けてくる。
「怒ってるか?」
「…………何が」
「お前の仲間を巻き込んだこと」
「王太子が自国の騎士を使うなど当然だろ」
「うっわー、強情。まあそうなんだけどな。ただ今回は、ちーっとばかし私情も混じってるから、俺でもそれなりに罪悪感はあんだよ」
そう言いつつも、表情は実に楽しげだ。
本当は文句の十や百はあったが、ロイドの一件に絞っていることで毒気を抜かれてしまった。自覚してやっているのだから、いくら言っても無意味だろう。
どうせこいつのことだから、総騎士団長との一部始終だって眺めていたはず。あれだけ大声を上げていながら、人が来ないのが良い証拠である。
もうため息しか吐くものがない。
「でもなあ、それなりに我侭を通してかねぇと、王太子なんぞやってられないんだよ。というわけで、これやる」
すると、唐突に腕がつき出され、抱えなおした母さんの髪が入った箱の上へ、いつの間にか手に持っていた物を乗せてきた。
その瞬間、萎えかけていた怒りが再熱する。
「何のつもりだ」
「拾ったけどいらないからやるわ。なんせ俺は王太子だからなー。お金には困ってないんですよ」
「ふざけ――――」
「分かってんだろ、本当は。俺が好きで好きでしゃーない女は、自分についてはまるで鈍感でも、他人に対しては違うもんな。オヤジもそうだけど、お前等もう少しバランスよくやってけないのかね」
寄越してきたのは、あろうことか総騎士団長が置いていった白い袋だった。
どっしりとした重さが、音よりさらに中身の多さを伝えてくる。なによりイースの言葉が唇を噛ませた。
どんな奴にだって事情がある。それこそ悪党にも、悪党なりの罪を犯す理由を持っている。分かっているさ、それぐらい。
でも、こんな形で伝えてくるなどあんまりだ。
あの方は重んじなければならない立場にありながら、礼儀をそんなことと扱った上で無事を問うた。そして、わざわざあんな言葉で私の意志を確認し、横暴に我を通した。つまりこれは、死ぬなと言っているようなもの。
気付かなければよっぽど楽だというのに、気付いてしまった。だから余計に受け取りなかったというのに……。
案じられる筋合いなど、どこにもないはずだろうが。
「お前が何を考えてるのか、私にはさっぱりだ」
「んなもん当たり前だっての。むしろ分かられた方が問題だ」
「いっそ嫌ってくれたら助かる……、と言っても無駄なんだろうな」
思わずこぼれた嫌味に、イースは笑う。
「当然だろ」
他人からすれば甘い言葉に聞こえるのかもしれない。
しかし、こいつの持つ好意は、たとえば私が男に生まれていたとしても違いがないもの。逆も然り。異性な間柄だったから、丁度良いといった感覚で身体の繋がりが出来たにすぎない。
「私との関係を勘違いされているぞ」
「まったく、下世話なことだよな。好きって口にしただけで、相手が女だと恋情としか見ねえ」
「ヤルことヤッといて、都合の良いことを」
「んなこと言ったら、娼婦なんぞどーなんだよ」
ひっそりと降る雨が次第に髪を重くし、イースは鬱陶しそうにかきあげながら気楽に言ってのけた。
でもって、まるで正反対な行動を取る。私の顎を掴んで落とすのは、啄ばむような軽い口付け。
いつもそう。私たちがそこから先の深みに嵌ることはない。たぶんこれは、所有を主張する行為なのだ。
こいつは言葉を重んじる。多くを語らず行動で示し、それが誤解を生むと理解していながら尚、改めることはない。
「深く考えずに持ってけ。でもって容赦なく使えば良い」
「お前が言うな」
「頑固者同士がぶつかると拗れんのは、レオナが証明してんだろうが。こういう時は、第三者の方がよく分かってるものなんだよ」
そういうものかと答えれば、そういうものだと返ってきた。
これでは、もはや苦笑しか零せないじゃないか。
「やっぱりお前は、私に命令しないんだな」
言い寄ってきた日も、妃に欲しいとのたまった日も、騎士を辞めろと言った時だってあれは願望だった。
私の中でこいつは常にイースであり、王太子は付属品でしかない。どうしてそうなのかと聞かれれば、なぜだろう。
そうだ。ふとした瞬間にひどく空っぽな瞳をするくせして、ひとたび人と関われば、相手のために心から笑える姿を見てしまったからだ。どこか親近感が湧きながらも、私とはまるで正反対な姿勢を貫いている。
それに気付いた時に思った。ああ――こいつの為なら死ねると。死んでも良いって。
だからといって、イースもそうだというわけではないというのに、なぜ私の前では王太子であろうとしないのか。
「する必要ねーし。俺、無駄な労力使わない派だから」
「私のどこをどう見たら、そんなことを思えるんだろうな」
「それ、俺の台詞だから。天然な嫌味ほどぶっ刺さるって、そろそろ覚えて欲しいわー」
そしてイースは、肩を押して顎で後ろを示し、行けと一言呟いた。
雨が強まり星が姿を隠した闇の中、翡翠の瞳は腕の重みを減らすことを許さない。
私も、どういった経緯であれ受け取ってしまった以上、捨てるなど出来無いだろう。残念なことにそういう性分だ。
それだけに、気持ちを切り替えるために片頬を打つと、思い切りがよすぎてアークのところの従者に負わされた傷がかなり痛み、格好悪くも呻いてしまう。
でも、ごちゃごちゃとし続けていた頭の中がすっきりした。こいつの顔を見ていたら、なるようにしかならないのだとそう思う。
「ぶふっ! あー、だめだわ。なんかムラムラしてきた」
「他を当たれ」
「言われなくとも。そうだな……、可愛い弟のとこの見た目だけは清純派な侍女とでも遊んでくるか」
イースはといえば、間抜けな私の姿に噴き出した挙句、まったく無関係なことを主張していたので、手を払ってあしらいながら背中を向け、そのまま腕を上げて別れも同時に済ませておく。
そっちもそっちで、このまま夢の中へとは行かないようだな。アークの女は可哀想に。私もせいぜい、敵認定されないよう気をつけておこう。
「私みたいに、下手くそだとか一人よがりだとか言われないよう、せいぜい満足させてやれよ」
「演技も出来ないくせに偉そうに」
失礼な、私は自分に素直なだけだ。
「土産、楽しみにしてるわ」
ひらひらと、お互いの手が揺れる。最後の言葉のみ返事をせず、私たちは別れた。
確かなのは、土産を示すものが前ブラウン辺境伯の首ではないということ。
この緊迫した状況下でわざわざ無駄な時間を浪費してくれたイースに、はたして私は報いれるのだろうか。
自信がないまま城を出てまず向かったのは、白い袋の中身を消費するための場所だった。




