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悪魔の微笑を消す呪文  作者: 林 りょう
【白騎士】編
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後悔先に立たず(4)



 まだ始まったばかりとはいえ、初日からずっと憂いっ放しな毎日だ。

 あの日、制服に着替えたのを確認してすぐアシル様が退出してから、ジャン様とエドガー様によって限りなくぞんざいな説明を受けただけでも十分だったというのに、次の日にはさっそく作戦会議に参加することとなり、詳しい内容を聞いてさらに辟易した。

 これほどまでに重要な案件なのだから、てっきり私はサポート役だと思っていたが、まさか潜入するのがたったの三人だったなんて。

 しかも、私はでっちあげの貴族令嬢として、エドガー様の恋人役だという。パートナーってそういう意味か! と、叫ばなかった自分を褒めてやりたい。

 他の方々は全員、頃合を見ての合図で踏み込むらしく、つまりは私たちがバレたら、その時点で作戦は失敗となる。

 出席者をいくら捕まえたところで、黒幕に逃げられれば元の木阿弥。雲隠れされ、しばらくすればまた同じことが繰り返されるだろう。

 さらに、準備期間は二週間。たったそれだけの時間で、言葉遣いやダンス、マナー、ひいては一般教養まで習得しなければならないときた。いくつかは必要が無いと訴えたが、悟られる要素になるのなら、どれだけ可能性が低かろうが無視できないとにべもなく却下されてしまった。

 おかげでこの三日、肩の力を抜けるのは明け方と夜中だけ。しかしそれも、宿舎といえど住み慣れた部屋ではないので、安心できるかといえばそうではない。しいての救いは、食事が豪華だということだろうか。

 あとは、全ての教師役であるアシル様の奥方様との休憩中の会話も、かろうじて息抜きになるかもしれない。普通に手配するわけにもいかないのでそういう人選になったらしいのだが、貴族のご夫人でありながら、私にも分け隔てなく接してくれる優しい人だった。

 けれど、ひとたび指南の時間になると、奥方も普段の可愛らしいお顔から豹変される。

 まだ昨日のことなのに、まるで遠い日の出来事のようだ。初日に案内された一室を勉強部屋として、私と彼女は挨拶を交わした。


「初めまして、アシル様の妻でジャンの母でもあるジョゼットよ。短い間ですけどよろしくね」


 ジャン様の童顔はどうやらジョゼット様の血でもあったらしく、ふんわりとした髪の薄桃色も相まって、彼女はまるで子供が居るようには思えない若々しさだった。背も私の胸辺りまでしかなく、大きな瞳に長いまつげ、白い肌といった挙げればきりがない特徴を総合すると――美少女。実際にはアシル様と同い年だというのだから恐ろしい。

 背に関しては、私が無駄に高いだけなのかもしれないが……。

 ともかく、どういった理由があるにせよ面倒を掛けるのはこちらなので、私は普段以上に頭を下げた。


「お初にお目にかかります。この度は私のような――」

「はい、やりなおし! わたくしは騎士でもなければ、あなたの上司でもないの。だから、ね? もっと気楽にご挨拶をして欲しいわ」


 けれど、それは全てを言い終わる前に制止されてしまった。

 頬を膨らませて不満さを訴えてくるジョゼット様の姿に、心から可愛いと思ってしまった私は正常だったと思う。この時ばかりはエドガー様の冷気も、場の空気を悪くさせることはできなかった。


「さ、もう一回。出来るだけ女の子らしさを心掛けて」


 しかし、23の私に対して女の子はどうなのだろう。ジョゼット様なら通用するだろうが。

 仕方なく、恥だ何だをかなぐり捨て、改めて挨拶をした。


「初めまして、レオと申します。今日からどうぞ宜しくお願い致します…………わ」


 だというのに、これでも何かが違ったのかジョゼット様は微妙なお顔をされ、必死に頑張った結果としてひねり出した語尾により、ジャン様から失笑を頂く。

 エドガー様に至っては、はっきりと「哀れなほど似合わないな」などと言ってきた。


「ん~、お声がどうも硬いのよねぇ。せっかく綺麗なんですから、もっと柔らかくならないかしら」

「柔らかく、ですか……。努力してみます」

「そういった反応がまず女の子らしくないわ。騎士らしくはあるけれど……」

「母さん、いきなりはさすがのレオでも難しいって。時間は今日だけじゃないんだからさ」


 そして、笑いは止まらないながらもジャン様が間に入って下さったおかげで、なんとかその場を乗り切り、それから午前中は丸々お喋りをして過ごすことになる。お互いを知るところから始めましょうと言われたからだ。

 やっぱりというか当然というか、ジョゼット様は本物の貴族令嬢であった方で、全てが洗練されていてとても気品にあふれており、目の保養としては極上だった。それがまさか、午後から鬼教師に代わるなど誰が想像できよう。

 私がどれほどのレベルなのか、まずは一通りこなしてみることになったのだが、残念ながら褒めてもらえたのは午前中に披露したお茶の淹れ方のみ。

 とはいえ、今すぐにでも侍女になれると言われたところで嬉しくはない。こっちはスカートすら十年振りに着たようなものなのに、やれ裾捌きが見苦しいだとか、歩き方が男のようだとか。

 一番打ちのめされたのは、まったくの初心者でありながら、いきなりエドガー様と踊らされたことだ。せっかく一度も足を踏まなかったのに、それすら可愛さに欠けると意味もなく怒られてしまった。

 こんなことになるのなら、初日からの腹いせもかね、骨を折る勢いで踏み潰してやれば良かったと思ってしまう。


「スタイルが良くて魅力的なのだから、レオちゃんはもっと女性として自分を磨くべきだわ。せっかくの機会だし、わたくしが全力で伝授してあげますからね」


 一日の終わりにジョゼット様はそう言って下さったが、主に精神的に疲労困憊となっていたこの時の私には、これからの日々に恐怖しか浮かばなかった。

 おかげで二日目は、倒れるように眠ってしまった。

 それでいて、まだ夜も明けきらない頃合で起きれるのは十年間の賜物だろう。というか、睡眠不足よりも鍛錬ができない方が私には辛い。

 支給の剣ではどうしても腕の負担が大きく、節約をしてやっとのことで手に入れた相棒だって、一日中鞘で眠らされてどこか不機嫌に思える。

 偶然見つけた建物の傍、訓練場とも違う人目につかない場所で素振りに没頭すれば、肌を刺す冷たい空気が、徐々に火照り始めた身体に心地良さを抱かせた。吐く息の白さもより濃くなり、動きは次第に大きくなっていく。

 作戦で私に求めるのは、とにかく貴族令嬢に徹して、一人でも多くの参加者の顔を覚える事。ただそれだけだと言われている。

 エドガー様とジャン様の指示は絶対。余計な真似をしない。アシル様が居なくなってから、反論どころか同意もいらないとばかりにそう約束させられてしまった。

 万一戦闘になったとしても、自分の身を護っているだけで構わないなど、騎士に対する言葉ではないだろう。

 そもそもあの二人だって、こちらからしてみれば何故選ばれたのか疑問が浮かぶ。

 エドガー様にいくら並外れた才能があったっとしても、熟練に比べれば経験が追い着いていない。ジャン様にいたっては、おそらく私でも勝てるだろう。

 けれど会議では、彼らに任せるのが一番だという雰囲気しか感じなかった。それこそ何かを企んでいるのでは、と勘ぐってしまうほどの当然さで。見た限り白騎士の中でもさらに精鋭ばかりな、本気の人選であるというのに……。


「嫌な予感しかしないな」


 おもわず零せば、日の出の光を剣が反射し、まるで頷いたようだった。


「お前も打ち合いがしたいか。私もだ」


 そうして重いため息を剣と一緒に仕舞いこみ、さらに一時間ほど体力トレーニングをこなしてから、待ち受けるお勉強へのストレスを汗と一緒に先回りして流してやった。

 各部屋にシャワーがあるのはさすが貴族様といったところで、私の散らかし癖をもってしても部屋は広々としている。

 窓から何かをぶつける音が聞こえてきたのは、朝食まであと少しという時間だ。シャワーを済ませ、出勤の準備をしていた手を止め、かすかに結露している窓を開く。

 用意された部屋は一階で、女子寮なここは男子禁制らしいから、相手はおのずと絞れてくる。というか、私に用事のある方といえば三人しか候補がいない。

 相手はその中でも、相性が最悪なエドガー様だった。


「すいません、もしかしてお待たせしてますか?」


 自由を奪われてからこの三日、任務自体を知らされていない白騎士もいる食堂などいらぬ面倒が起こりそうな場所は、必ずエドガー様とジャン様と共に利用することを決められている。

 周囲からすれば、平民出の黒騎士が白い制服を着てるのだから仕方がないことなのかもしれないが、それならいっそのこと部屋に引きこもっていたいと思ってしまう。彼らのせいで、余計に目立っていることぐらい気付けよと。

 なにからなにまで、私だけが貧乏くじを引いている気がしてならない。


「エドガー様?」


 すでに我慢の限界がきそうなのを感じつつ、とりあえず私は、窓の外でなぜか固まっているエドガー様に声をかけた。

 すると彼は、みるみる内に顔を真っ赤にさせていく。ああこれは、爆発三秒前だ。

 そしてカウントぴったりで、その場には地を這う恐ろしい声が響いた。


「どういう教育を受ければ、貴様のような人間が出来上がるんだろうな」

「さあ? 人並みだとは思いますが」

「その胡散臭い顔にある目は飾りか? 頭の中は空なのか?」

「とりあえず、エドガー様のお話しになる言語が備わっていないのは確かですね」


 朝一番からこの人は、よほど低血圧なのだろうか。

 表情にはおくびにも出さず、随分な褒め言葉を頂いた笑みを深め、意味が分からないと全力で伝える。

 すると、エドガー様の険しく鋭い視線がそっぽを向いた。


「女らしさが欠落しているのも確かだな」


 まだまだ浅い間柄――深くもなりたくない――で、性格をしっかりと把握しているわけでもない――むしろ把握したくない――私だが、この人が滅多なことで自分から視線を逸らさないのだけは気付いている。

 だから不審に思い自分の姿を見てみて、なにが気に障っていたのかやっと気付いた。

 熱いお湯を浴びすぎたのを理由に、そういえばまだインナーしか着ていない。素晴らしく肩やへそが露出している。

 これは怒られても仕方がなかった。


「申し訳ありません、お見苦しいものを」

「そのセリフを言う暇があれば、さっさと何かを羽織るべきじゃないのか?」

「今さら時間が数分延びようが変わらないと思うので。それで、何かご用があったのでは?」

「…………俺たちは今日、朝食を取らない」

「分かりました。お昼はどうされますか?」

「昼は少し遅くなるが、終わり次第顔を出すつもりだ」

「了解です。わざわざありがとうございました」


 不思議なもので、自覚したら外が嫌に寒く感じた。

 なので、心からうんざりした様子のため息を無視し、用件を聞いて窓を閉めた。

 張り付く雫のせいで薄っすらとしか見えない後ろ姿は、やってられんと言っている。それには私も同意する。

 良くも悪くも高貴な育ちの人を相手に仕事をするのが、こんなにも疲れるなんて。女扱いされたい人間が黒騎士の、しかも征伐部隊を希望するわけがないのに……。


「余った時間、どうするかな」


 呟きながら羽織ったシャツは冷え切っていて、慣れない扱われ方も含めて身震いしてしまう。

 結局、ジョゼット様とのお勉強まで、私は厨房でもらったパンを片手に再び鍛錬をして時間を潰すことにした。



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