終幕の合図(5)
勝ち誇った表情でアークが語ったものを要約すれば、薬物パーティーでの女児よりも、ほんの少しだけ残酷さが増した程度の話だ。
母さんは令嬢として社交界の一員であった頃から、生粋の金髪至上主義者の間では良い標的であったという。それでも平和に過ごせていたのは、王子三人がまだ御生まれになっていなかった当時は信奉者が極めて少なく、なおかつ幼馴染の婚約者が居たかららしい。
けれど結局、父さんと駆け落ちをしてその防壁は決壊する。
とはいえ王都から出ることはなく、総騎士団長の娘という立場が完璧に消えることはなかった。
その点は、かねてから不可解に思っている。いつだって連れ戻せただろうに、シール卿はなぜ動かなかったのだろう。一人娘だったのだから、替えが利かない以上は動かない理由がない。
ともかく、母さんは安全に暮らせる環境で、たとえ現在のように金髪至上主義が広まっていたとしてもそれは変わらないはずだった。――――私が産まれなければ。
正確には、私だけが危うい存在だった。それを母さんも父さんも分かっていたのかもしれない。なぜなら私のことをアークの祖父が知ったのは、十歳を過ぎてかららしい。
そう――首謀者は前ブラウン辺境伯だったのだ。そいつは、本当ならば母さんと息子を結婚させたかったらしいが、それが叶わず、この際だから卑しい血が半分入った私でも致し方ないと目を付け、虎視眈々とタイミングを図っていた。
それが十三歳の時だったのは、王太子殿下の母君が崩御され、第二王子の母君が後釜に入って王妃となられたからだ。そこから私だけでなく、イースの戦いも始まった。
両親を殺した例の男は二人と面識があって、なおかつ金に困っていたから選ばれただけの捨て駒で、事業に失敗して没落した貴族だったらしい。指示したのは誘拐だけだったが、決行するにもあいつは私の顔を知らなかった。だからあの日家を訪れ、あわよくば私の信用を得ておき、後日騙して連れ去る計画を企てる。
けれど、残念ながら当人は不在で、さらには最悪なことに両親が思惑に気付いてしまった。だから殺したらしい。あんなにも残忍に、残虐に――
「お前の母親は貴族の誇りを穢したのだから、自業自得だろう?」
アークは軽くそう言った。
しかし、私は思う。母さんのことだから、きっと筋を通そうとた。父さんも、認められるよう必死に努力をしたはずだ。でなければ、口頭であれ国王陛下が認めたりはしないだろう。
最終的には駆け落ちという結果になってしまったけれど、だからあんなにも堂々と日々を過ごしていた。後ろ向きな姿を見せていなかっただけかもしれないが、事あるごとに口癖は『真っ直ぐでありなさい』、『誇りある生き方を心掛けなさい』だった。
それにしても、あの男も救いようのない大馬鹿者だ。正気を失っていたにせよ、本懐を遂げず逃げ出すなど。全てが……、二人の死がまるっきり無駄じゃないか。
なんなんだろうな、この気持ちは。呆れも悲しみも、怒りすら通り越してしまった。俯き隠した表情は、アークの期待には応えられずに笑みを浮かべたままである。
「…………墓を荒らしたのは」
「それは母上のご要望だ。どうせなら有効活用したいと言って、お祖父様が手配したらしいぞ」
それでもなぜか、声は震えていた。
だからアークが小気味好さそうに続きを語る。
けれど中身は、そちら側にしてみれば忌々しいものなはずだ。というか、それからのことは聞く必要がない。それでも一応、黙って耳を傾ける。
例の男が両親を殺したことで私は天涯孤独となり、後片付けさえしっかりとすれば、状況はそれほど悪くなくむしろ好都合なほどだった。しかし、事件後すぐは黒騎士により保護されていたので、無理をするより待つ方が得策だと考えたらしい。だから手慰みに墓を荒らさせ、取るに足らない我侭を叶えてやったそうだ。
そして、まさかの展開が起こる。どうやら宿屋を継いで暮らすのだと高を括り、それ以外の選択を取るとは露にも思っていなかったようだ。
私にしてみれば、それこそあり得ない。ただでさえ私は子供で従業員も皆若く、そんな集団がいくら身を削ったところで現実は甘くないのだから。その判断も出来ないほど、甘やかされて育ったわけではない。
それが命運を分け、名を変えて騎士学校に入ったおかげで、見つからないまま今日まで過ごすことができた。
イースたちが素性を把握できて、アーク側が出来なかったのには少なからず疑問を抱くも、それは表立って動けるかどうかの差なのかもしれない。学生であった六年間、碌に学校の敷地外へ出なかったのも理由の一つと言えよう。
「まんまとお前は、親を身代わりに逃げたというわけだ」
最後にアークはそう付け加え、私の知りたかった全てを教えてくれた。
そして顎を掴み、無理やり顔を上げさせる。
けれど、最初に見せていた柔和さを欠片も残さない居丈高さは、目があった瞬間に不満そうなものへと変貌した。
私の表情がそうさせた。
「……いつまで笑っているつもりだ」
甘い甘い蜂蜜のような瞳の中に、首を傾げた自分が映る。
「自惚れるなよ。策に踊らされているのは王太子だ。いつまで助けを期待している。それとも逃げられた事を誇っていると? ならば残念だったな」
心なしかアークの口調が早くなった気がした。
気味悪いものに触れるのを恐れるかのように顎から手を離し、髪を引っ張らせる形で従者に顔を上げさせる役目を代わらせた。
そして、いつまで経っても返してくれない剣を私の肩に乗せる。
「むしろ喜ばしいほどだ。私のためにお前は騎士になった。神の采配だ。これほど使い勝手が良いなど、誰も予想しなかったのだからな」
アークの中で確定された未来がどうであれ、それは従えばの話だろうに。なぜこうも強気でいられるのか。
産まれたことに対する後悔も、両親を殺した自覚だってとっくにある私にとって、今の語りは遣る瀬無さを感じさせはした。しかし、鎧を破壊するには足り得ない。
最後だと言ったくせして、それでも態度を崩さない私が赤く染まることはなかった。
その代わりとして、陳腐な脅しが並べられる。
「仲間を失ってみるか? 食事にでも毒を混ぜれば事足りるぞ」
出来たらの話だ。なんだか声を出すのが億劫で黙っているも、目が代弁してくれたらしい。直接傷を付けはしなかったが、切っ先が胸元に入るとゆっくり下ろされた。
まじで止めろって。どうせ胸には布を巻いているし、そうでなくとも上半身を露わにさせるのは構わないが、剣でボタンを弾き飛ばすなんて最悪だ。刃が欠けたらどうする。
「色気のない……」
失礼な、だったらやるなよ。
そう思いながら、あくまで無反応を貫く。どんどんとアークが怒気を纏い始めていたが、それでもだ。
だって、答える必要すら無い。
「黒騎士にも息の掛かった者がいる。お前の態度次第では、明日にでも壊滅できるわけだ」
だとしても、うちにどれほど怪物がいると思っている。ここでまんまと動揺する方が、仲間を裏切る行為に他ならない。小娘一人で背負えるほど自分たちの命は安くない、と怒鳴られるに決まってる。
それにしても、なんだか一気にアークがしょぼく見えてきた。用済みだし、もう良いか。
しかし、どう逃げよう。とりあえずこっそりと、今度こそ袖口の刃物を使って足の縄を切ることにした。
首を振って動きを誤魔化し、完全に切ってしまわないよう注意しながら、それとなく窓の位置を確認する。
……厳しいな。カーテンがきっちりと閉められているから、高さの検討もつけられない。外に見張りがいないことを期待して、強行突破するしかなさそうだ。
そうなれば二人の内のどちらかは、足だけで排除しなければならないだろう。
狙うとしたら従者の方だな。アークは腐っても騎士で、腕は私と五分かそれ以上と見ている。つまり、一騎打ちだと余裕で負けれる。
だから冷静に、一度きりだろう機会を待った。
けれど思わぬことで、初めて大きな動揺を余儀なくされる。
それは、とうとう荒げられた声が生み出した。
「頷かなければ、必ずや誰かしら殺す。選択の余地があると思うな! 仲間、男、友人……。そういえば貴様は、第三王子にやけに懐かれていたな? そうだ、あのガキならばどうだ!」
私としては、目立って反応したつもりがなかった。
けれど、気付かれてしまったらしい。
ただ同時に、ボロが出たなとも思った。金髪至上主義をちらつかせながらも、口先ばかりで気にはなっていたのだ。真の信奉者であれば、ルードヴィヒ殿下を害そうなどとは絶対に思わない。
「なるほど、やはり悪魔と呼ばれようとも女には変わりないか。子供が弱点というわけだな」
「どうせ――――」
「はったりだと? 残念だったな、第三王子の侍女の一人は私の女だ」
くそったれな神め! どうしてこんな奴等ばかりに都合良く世界は回る?!
余裕を取り戻したアークの生温かい手が首をとらえ、嫌悪と圧迫感、とてつもない苦々しさをもたらした。
「なぜ……、私に何が出来ると…………!」
「何が、だと? 本気で言っているつもりか」
「それはこっちのセリフだ! てめえこそ、本気で私が閣下を唆せると思ってるのか?!」
できるわけがない。会ったこともない私の言葉を受け入れるような人間ならば、そもそも母さんたちに駆け落ちなどという選択を取らせるわけがないのだから。選民意識の高さが理由だとすれば、なおさら役立たずで目障りなだけだ。
複雑なこの身の上は所詮見かけ倒しで、市場で並べられる安っぽい装飾品にさえ劣る。どうしてそれが分からない。
しかし、アークは言う。至極真面目に、さも愚かなことのようにそれを言った。
「シール卿? どうでも良い。私が求めるのはもっと上のことだ。お祖父様とも父上とも違う」
「だ、から!」
「お前、王太子の女だろう?」
「…………は?」
「馬鹿正直に潰し合う必要がどこにある。こんなにも有効で簡単な駒が転がっているというのに。私はあんな堅苦しく閉鎖的な砦で、一生を終えるなど真っ平だ。王都で、中心で発揮してこそ、才能には意味がある」
つまり、イースを害することを求めているということか。
この私に? そんなくだらない目的のために?
「その為ならいくらでも金髪至上主義を掲げ、お祖父様や父上、母親の言いなりな第二王子に媚を売るさ。幸いにして、お前は悪くない容姿だしな。むしろそこらの頭の弱い令嬢とは違って、もしもの場合は盾になる。薬にも詳しいらしいじゃないか。まるで俺のために存在しているようだ」
本気でそう思っていると窺わせる高笑いを聞きながら、滅べば良いと思った。こんな人間ばかりが動かしている国など、滅んだとしてもたぶんきっと民は困らない。それこそ幸いなことに、周辺諸国は平和で豊かな所ばかりだ。戦好きな王も、強欲な王もいないと聞く。だからむしろ、滅んだ方が良いとさえ考えてしまう。
だってこいつらは、民を殺す。まるで物のように人を壊す。それが正しいと、自分たちの為に民は存在していると本気で思っている。
けれど、違う。違うだろう。民のために貴族が居て、国のために王が居る。そして国とは人、民のおかげで成り立つものだ。だから地位ある者には義務が生じる分、許された贅沢がある。義務を果たしてこそ敬いを向けられる。
誰かの為に自分が居るから、人はひとりで生きられない。父さんはそう私に教えてくれた。これも同じ事だと思うのは、地位を持たない私の傲慢だろうか。
それならそれで、失望でもなんでもすれば良い。結局、私もアークと大差はないのだ。
しかし、イースは違う。ルードヴィヒ殿下もそう。彼らは屈すればどうなるかを、己の価値をしっかりと分かっている。どれだけ死を望まれようと、決意した道を歩む足を止めない。ただやみくもに走るだけで、見えていたはずの道を気付かないふりして獣道を作る私とは違う。
そもそも毒を盛るのも隙を突くのも、私には不可能だ。イースはたとえ市井に紛れている間でも、誰かが口にした物にしか手を出さない。剣の腕だって遠く及ばない。
だからあいつが負けた時こそ、本当にこの国は終わるだろう。最悪な形で、多くの犠牲を伴って。
そして両親のように、国が今のまま無駄に誰かを殺し続ける限り、私は騎士でありながら剣を捧げられはしない。
なのにどうしてだろう。後ろから加えられた力のせいで床につきそうなほど頭を下げさせられ、薄っすらと汚れている靴を目の前に出された時、屈辱にも似た怒りを感じたのは。自分のことなのに、分からなさすぎて焦ってしまった。
さらに、そんな私の心情を知らないアークの言葉によって、おかしな怒りが強まっていく。
「同じ騎士なのだから分かるだろ? 面倒だから靴のままだが、甲か爪先かは選ばせてやる。ああ、脛でもいいぞ」
「変態がッ」
「拒絶すれば、第三王子が死ぬだけだ」
たかがキスだというのに、犯される方がいっそマシだった。常日頃から覚悟があったから、そう思えただけなのかもしれない。
けれど、それだけではないとも漠然とながら感じる。
足の甲は隷属、爪先は崇拝、脛は服従を意味し、どれもこれも本人が望まない限りはとんでもない侮辱だ。誇りをとてつもなく穢す。
――――だからだと? この私に、騎士として誇れるものなどないはずなのに。
まさかと思いひどく困惑した。かといって、この場凌ぎだと言い聞かせようとしても、まったくもって上手くいかない。
「殿下のお傍には銀雪の騎士と名高――いっぅ!」
「往生際の悪い」
「おい、無理やりさせてもつまらないだろ」
「差し出がましい真似を致しました」
「まったく。それにしても、あろうことか王太子と共に倦厭され、お前と同じで一族から見捨てられた奴を話題にするとは」
滑稽だと笑われたのが限界だった。
この時間は思っていた以上に神経をすり減らしていたらしく、従者が黙らせようと力を強めたせいで唇が靴を掠めたことがきっかけとなって、私はある意味普段の自分を取り戻す。
ほんの少し勢いをつけて両足を開いただけで縄が切れ、気付かれる前に身体を捻って半転し、なんとか両手を支えに従者を蹴り飛ばす。
「なっ?!」
アークが驚きの声を上げるも、躊躇がある分私の方が早い。そのまま扉に向って駆け出した。
体勢を整える余裕があったのは、隙を突かれたら距離を取るよう訓練されているからだ。所属は違えど同じ騎士なのだから、基本は変わらない。
出来ることなら母さんの髪も一緒に持って行きたかったが、欲張っていては逃げるものも逃げられなくなる。
「王子を見捨てるつもりか?!」
「それが嫌だから逃げ――――……え?」
そうして、勢いよく扉を蹴破ろうとした時だった。
開くことを願っていたとはいえ、このタイミングで目の前の扉が動く。しかも内側、私の方へ。
「失礼す――る?!」
「いっ! くっそ痛てぇ!」
鍛えまくった反射神経のおかげでなんとか回避するも、勢いは殺しきれず壁に激突してしまった。
さすがに涙目、口もここぞとばかりに悪くなる。
それにしても、なんだかあり得ない声を聞いた気がした、よう…………な?
「何をしているんだ、貴様は」
まさかの展開に誰もが呆然としていた。
それは、予想外の乱入者が誰か分かってさらに増す。
痛みに呻く私の前に差し出された手を辿った先にあったのは、勘違いでなければ安堵のため息を吐いたと思しき冷淡な印象を与える端正な顔で、その人は海のような濃い青の瞳を持っていた。
「無事か?」
けれど、どう考えたってこの場に現れるはずがない方だった。
「エド、ガー様? え、本物?」
だから、この時ばかりはそう呟いたって非はないはずだ。
そしてエドガー様は、不機嫌そうに眉を寄せながらも怒鳴ることなく私を立たせ、まるで状況が分かっているかのようにアークと対峙した。
えーっと……、うん。たぶん私は助かったのだ。それとも詰んだのか? やばい、本気で分からない。
白い背中と開いた扉を交互に見ながら零れた呻き声は、壁に激突した痛みと悩み、はたしてどちらによるものだったのだろう。




