終幕の合図
ロイドの様子がおかしい。気付いたのは、訓練と任務に明け暮れる、真の日常に戻ってすぐのことだった。
それは誰の目から見ても感じ取れた。ただし、半数はまた振られでもしたのだろうと楽観視しており、むしろ気にしているのは極わずかだった。
私も最初は、そろそろ臨月に入った妹のことが心配でたまらないのかと考え、そのくせ違和感もあって首を傾げていた。
よくよく考えてみれば、そういった不安にはそれでも嬉しさだとか待ちきれないだとかの雰囲気もあるはずで、今回のロイドにはそれが一切なかったのだ。
それでも任務の遂行には問題がなかった為、様子見を続けていたのだが、さすがに訓練中の体たらく具合が目に余ったのだろう、ラルフ部隊長からどうにかしろと厳命が下ってしまった。白騎士の件が終わってから、丁度一週間目の出来事であった。
呼び止められ、ロイドの名前を告げられただけで通じてしまったのだから、上司として怠慢が過ぎたのだと思う。いくらお気楽な性格だからって、寝て起きても回復しない悩みがあってしかるべきだ。
かといって、この私がプライベートに我がもの顔で介入するのも気が引ける。そこで手当たり次第に周囲から探っていくことにしたのだが――
「心当たりがあったり…………、ですよねー」
「レオ」
「分かっています。分かっていますので、とりあえず剣は抜かないで下さい」
「仲が良いだろう?」
「付き合いは長いですけど、仕事以外で連むのは飲み歩く時ぐらいですよ」
「十分だ」
「はあー……。そうですね、今日中に連れて行ってみることにします。私のおごりで」
当然ながら、ラルフ部隊長は撃沈だった。
しかもこの人、希望的観測で最後の言葉を強調し切実に訴えた視線を、華麗にスルーして立ち去ってくれる。
今の絶対通じてたはずだぞ、この野郎!
つい最近、大量に出費してしまったせいで、こっちは今月ぎりぎりなんだっての。だからロイドを放置しようとしていたなんてことはないけど。断じてないけども。
次にあたってみたのはテディだ。主にロイドがちょっかいをかけるので、二人は一緒にいることが多い。
「最近ロイドの調子が狂ってるけど、何か知ってるか?」
すると、つぶらな瞳で私を見上げながら、首を横に振られる。そのままの流れで傾げられた。
いやだから、私も分からないから、こうして聞いて回ってるんだって。
痛む頭を押さえつつ、さらに聞き込みは続く。
だいたいは分からないと言うだけで終わるが、そこに入らない回答がこれまた厄介だった。意味不明なくせして腹立たしい。
「俺に聞くより、お前の方がよっぽど知ってっだろ。夫婦もどきなくせによお」
これはある先輩の言葉だ。
夫婦もどきって何だよ。私とロイドは幼馴染じゃないって何度言ったら、その空っぽの頭に記憶されるんだろうな。
「そんなことよりレオさん! 僕が隠してる菓子を盗むの、ロイドさんはいつになったら辞めてくれるんですか?!」
これは後輩だが……。
知らん。私はいつからロイドの母親になった。
そもそも隠さずに、手に入れてすぐ楽しめば良いだけの話だと思ったのは私だけか?
「おぉ? まさかの大穴か!」
「…………今度は何で賭けてんだ、てめぇ等は」
「んー、お前の行く末?」
とっておきがこれだ。
油断すれば吐いてしまうため息をこらえて一応尋ねると、とんでもない情報を得てしまった。
賭博そのものは大丈夫でも賭博場への出入りが禁止されているので、こうしてくだらないことで賭けを楽しんでいる連中が大勢いるのだが、まさか承諾なしに私が対象になっていたなど。
しかも文句を言う前に、さらなるしゃくの種を蒔いてくる。
「おっと、勘違いするなよ? 誰がお前を射止めるかなんて、そんな馬鹿げたもんじゃねーからな」
「つーかそれだと、賭けそのものが成立しねぇしな!」
自信満々、向けられる方からすれば泣く子も黙る凶悪さだが、本人達にしてみれば爽やかな笑顔のオプション付きでだ。
しかし、悪意がなければ許されると思うなよ。
「今回というか去年からだがな」
「内容は、ずばり!」
とりあえず、破裂せんばかりの殺意を隠して続きを待てば、肩を組んで実に無邪気な二人が口を揃える。
「誰がレオの餌食になるか!」
「私は獣か!」
突っ込みと同時に、二つの拳が炸裂したのは言うまでもない。
このように調査は散々なものとなり、結果として回りくどいことなどせずに直接聞いた方が早いことを悟った。というか、テディが外れた時にはとっくに浮かんでいたのだが、なんとなくの気持ちで続けている内に意地になっていたのが正しい。
私の意地っ張りさは筋金入りだ。気付いた頃には、外はすっかり暗くなっていた。
「無駄に疲れた…………」
そうしてぐったりしながら休憩室でぼやいていれば扉が開く音がして、元凶がいつもの地味な顔に影を差しながら入ってくる。
瞬間、ラルフ部隊長から言われた時に抱いていた遠慮や気遣いは吹っ飛んだ。
「ロイド」
「んあ? ああ、居たんか」
「お前、今日空いてるな。ていうか死んででも空けろ。呑みに行くぞ」
「は……? え、ちょ、おま!」
「あー、だめだ。待つのもめんどい。今から行くぞ」
気を揉むこと自体が無意味だった。人には直球でぶつかるくせして、考えてみればこいつは自分はいいと言うタイプだ。征伐部隊へ来るまでは、妹が幸せになる為にずっと頑張っていたような。
ロイドは昔から征伐部隊に入るのが夢だったくせに、それまでは死んでは困るからと黒騎士の中でも死亡率がほぼゼロな業務部で働き、影で腕を磨き続けながら二回も移動の誘いを断っている。
つまりは馬鹿。馬鹿なほどのお人好し。
「俺まだ仕事中!」
「ヘマ続きな奴が何言ってんだ。小隊長権限で、今日はもう上がりだ」
「そんな権限、初耳なんですけど!」
「そりゃそうだ。今作ったからな」
剣を掴み引っ張っていた足を止め、これまでの苛立ちの全てを込めた笑みを浮かべる。
するとロイドは抗議を止め、頬をひくつかせながら「リョウカイデス、小隊長殿」と、心良く同行を了承してくれた。
さすが、黒騎士随一の性格美系。仲間からもお嫁さんにしたいと良く言われるわけだ。
ちなみに顔だと、ぶっちぎりでウィリアム副団長である。性悪さにおいても他の追随を許さない。
「安心しろ、私の奢りだ」
「さすがにそうじゃなきゃ、俺泣くよ?!」
本部を出る道すがら、すれ違ったラルフ部隊長からは片手を上げられ、テディには頭を下げられたので、後のことは大丈夫だろう。
大人しくなったロイドと二人、家路を急ぐ人々で溢れた街を歩き、行き慣れた黒騎士御用達の酒場へ入る。景気が良い様で、飲み始めるにはまだ少し早い時間にも関わらず、空いている席がほとんどなかった。
「いらっしゃい! あっ、レオさん、ロイドさん」
「こんばんわ。今日も忙しそうだね」
店主の娘さんに迎えられ、これではすぐに相席をしなければならなくなるだろうとカウンターを選んで席に着き、とりあえずの二杯を頼んだ。
「お前の変わり身の早さには、未だに驚かされるわ」
「騎士は皆の味方だからな。せめて顔で怖がられない私が愛想振りまいとかないと、いつか見ただけで逃げられる集団になりそうだし」
「それは言えてる」
酒が運ばれて来たので簡単なつまみを頼み、言葉なくカップを合わせて一気に半分ほどをあおる。
その後、懐から白紙の報告書を取り出した。
「マスター、何か書くものをくれないか?」
「ここは事務所ではないと何度言えば、あんた等は分かってくれるのかねえ」
「冷たいことを言うなって。ここの売り上げの半分は、黒騎士から出ているようなものだろう?」
あごひげがよく似合うマスターと軽口をたたきつつそれを広げ、ロイドとの間に置いてペンとインクを受け取れば準備完了だ。
悩みの種があまり公に出来ないことならば、二人で報告書の内容を相談していると装って筆談をするつもりで用意していたのだが、どうやらそれは正解だったらしい。こういうこともまた尾行や潜入で重宝できるので、征伐部隊所属となった者には必須のスキルとなる。
「しっかし、今日も疲れたな」
紙を叩きながら呟きペンを走らせれば、かすかにロイドが眉を寄せる。
『で? 私の可愛い部下は、いったい何を警戒してるんだろうね』
そして頬杖をついて見つめれば、横からの深い嘆息が私の前髪を揺らした。
何もないとは言わせない。酒場まで来る間で、ロイドの視線が固定されることはなかった。さらには分かっただけで三人が、私たちの後をつけていたのだ。
おそらくもう少しすれば、本人達か他の仲間が来店してくるだろう。
真っ直ぐに視線を送り続けると、ロイドがもう一本のペンをゆっくりと取る。
「学生の時に嫌というほどやってきたっつーのにな。この歳になってまで宿題とか、俺らってまじ不憫だわー」
「ほんとにな」
口を出る言葉は仕事終わりの騎士らしく気楽だが、紙の上の文字はわずかに乱れている。
最後の一文字が書かれるのを待ちながら、私は原因となりそうなものの予想をいくつか立てていた。
最も可能性があるとすれば、これまで潰してきた組織の残党が逆恨みし、家族を盾に取って脅してくることだ。
仕事柄、恨みは買いやすい。征伐部隊は特にそれが顕著なので、入隊時には家族にまで同意を求めるほど。任務の影響を万が一受け最悪犠牲になったとしても、その責任を騎士団に問わないと。それが容認できなければ、縁を切らなければならない。
もちろん、そうならないようこちらも全力を尽くすが、姑息さではさすがの私たちでも悪党には負けてしまう。複数の人質を取られ、それが他人と身内ならば、騎士団としては前者を選ばなければならないのだ。
とはいえ、頭ではそれを理解していても、実際にそうなってしまえばやはり迷いや葛藤が生まれて当然で、犠牲を払った仲間もいる環境では相談だって難しい。それが個人的ならば余計にだ。
言い訳にしかならないが、最初からそれを考慮しなかったのは、この状況になりそうなものが最近の任務ではなかったからだった。
そもそもロイドは唯一の家族に危険が及ばないよう、入団当初から会うのを最低限に留めている。
『さすが微笑みの悪魔。お見通しってわけか』
普段ならば絶対に言わない単語は拒絶の証し。それを受け流し、おかわりを頼んでから背中を叩く。誤魔化すな、話せと。
私だって、こいつの甥か姪が生まれるのを楽しみにしているのだ。叔父馬鹿になってだらしない顔を見せるかどうか、二人で賭けているのは覚えているはず。今さら無効になったら困る。私の酒代が底を突く。
『俺の問題だ』
続けてそう書かれたが、その上に濃く太い線を引いてやった。
「とりあえずは、いつものように任務内容と作戦を書けば良いか」
「そして、それで半分を稼ぐと」
「ひっそりと日頃の文句を書いてもバレなさそうだよな」
「いやいやいや、俺はお前と違って平和主義なんで。道連れは勘弁だわ」
「何言ってんだよ。死なば諸共だっての」
酒が二杯、三杯と増えても、今日は酔えそうにない。
そして、サッと文字を並べて紙ごと押し付ける。
『何言ってんだ? お前は私の部下だぞ。ということは、お前のものは私のもの。つまり、お前の問題は私の問題でもある。分かったならさっさと書け』
すると、それを追う視線が徐々に無関係な場所へと飛び始め、最終的には口が限界まで開いた。見事なアホ面の出来上がりだった。
これが任務じゃなくてよかったな。もしそうなら、反省会をすっとばしたお仕置きが始まるぞ。途中で表情を崩すなど何事だってな。
「…………お前はどこのガキ大将だよ」
かすかに聞こえた呟きも、今日のとびっきり優しい私は無視してやろう。
ロイドはしばらく呆然とし、その間に頼んでいた酒が届いてからだ。いきなりカップを掴んで中身を全部流しこむと、諦めを映した後に苦笑を浮かべようとして失敗した顔を向けてくる。
そして、紙を破る勢いで書きこみ、一連の動作とは裏腹にそっと私へ見えるよう横にずらした。
『妹家族をダシに、お前を誘い出すよう貴族から脅されてる。悪い。護衛の時のあの男だ』
それを読んで生まれた感情を、一体どう表現すれば良いのだろう。
怒り、憤り、羞恥、屈辱。挙げたらきりがなく、かといって相応しいものが一つもない。
握っていたのが木で造られたカップではなく、もし貴族が使うようなグラスであったなら、今ごろ右手は赤く染まっていたはずだ。
「上等じゃねぇか」
「だから言いたくなかったんだよ。てか、顔やばいからな? 落ち着けって。相手が相手だ、いつもみたいにはいかないんだぞ」
裂けたかと思うほど口角が上がった。感情が爆発して耳鳴りがする。
卑怯なのは普段の悪党と変わらないのに、なぜこうも腸が煮えくり返るのか。
まさか私が当事者となったから? いや、家族がいない以上、部下を使ってくる可能性はずっと前から考慮し覚悟もあった。彼等の大切な人たちも含めてだ。
要はタイミングの問題だろう。白騎士の応援要請を受けてそれを遂行し、予想外にこれまで手出しできなかった、してこなかった舞台に上がった今だから。
かといって、偶然が重なっただけとも思えない。だから、居ないと分かっていても、ロイドに宥められながら咄嗟に周囲を探してしまう。翡翠の奥に熱く冷たい心を隠した男の姿を――
イースにとっては、国が懸かれば人は等しく群となる。それはなにも自分に限ったことではない。どれだけ善良であっても駒になり得るのだと、この時になって初めて私は理解した。
それはきっと王としては正しくて、共に画策しているアシル様にしても貴族として当たり前な在り方だ。
けれど……、けれども! 私の事情を使うため、私の仲間まで巻き込むことは、どうしても納得できそうになかった。……したくなかった。
ガキのような我侭だと分かっていても。




