全ての始まり
両親が殺されたのを皮切りに、不運は示し合わせたかのごとく連続した。
血塗れの家へ帰ってから、しばらくの記憶はない。気付けば黒騎士団の本部の応接室に居て、目の前には不器用さがたっぷりとにじみ出た不味い紅茶と白紙の調書が置かれていた。
そして向かい側では、黒騎士の制服を着た熊がこれでもかと険しい顔を浮かべており、慌てて周囲を見渡せば、性別が分かりにくい綺麗な人が隣りで安心させるかのように微笑んでいた。
「大丈夫ですか?」
そう問われた時、状況を理解して惨状を思い出し、あり得ないほど全身が震えた。血の気が引いて、恐怖というよりも凍えていたに近い。
けれど、ずっと撫でてくれていたのだろう。背中だけは温かかった。
さらに熊だと思った強面の人も無言で立ち上がり、後ろへ回って痛いほど頭を撫でてくれる。
その二人が当時、中級騎士でまだ征伐部隊の一隊員でしかなかったゼクス団長とウィリアム副団長である。両親の事件の担当者として、私は彼らと出会っていた。
今だからこそ思えるが、ただでさえ残虐性が高かったというのに、さぞ面倒な事件だと感じていたことだろう。なにせ一人残された娘は、ほとんど何も知らなかったのだから。
物心ついた時には既に、親戚は居ないと教えられていた。何故だと考えるより先に、そういうものだと認識していたのだ。
両親の出身についても王都としか答えられず、仕事はと問われたら宿屋を経営しているとは言えても、場所については知らないときた。交友関係にしたって、家の周囲の人たちしか面識がない。
こうなると怪しさが満点で、裏で何かをやっていたのかと勘ぐらせただろうが、基本的に両親は日中に働いて夜は従業員に全てを任せており、宿屋を経営していることが真実なのもすぐに判明する。翌日のことではあったが、他でもない従業員が私を探して騎士団にまでやって来たのだから。それに父は元々酒が苦手で飲み歩くこともなかったので、出自を除いては本当に善良な一市民であった。
しかも、私が困惑しゼクス団長が唸り、ウィリアム副団長が思案顔を浮かべながら質疑応答を繰り返している間で、犯人を突き止めたとの情報がもたらされる。返り血を全身に浴びた格好のまま逃走していた為、目撃者が多数いたのだそうだ。ただし、すぐに確保できるだろうとの言葉には、なんの感情も抱けなかった。
犯人が捕まるまでの間、私はそのまま本部で泊まることとなり、天涯孤独となって初めての朝を迎えた。
ゼクス団長とウィリアム副団長が、とても気を使ってくれていたのを覚えている。あの二人にそうさせてしまうぐらい、あの時の私は相当ぎりぎりな状態だった。飲み物を口に含むのが精一杯で、食事に至っては口に入れただけで吐き出す始末。視界はガラスを一枚挟んでいるかのようにぼやけていて、心と身体がそれぞれで悲鳴を上げており、これから先を考える余裕などあるはずもなかった。
それでも宿屋の従業員だという人が現れたことで、人形のようにジッとしていることは出来なくなる。当然ながらすぐには引き渡されなかったが、とりあえず対面した時、その女性は泣きはらした顔でなんとか微笑みつつ、初めましてと掠れた声で囁き抱きしめてくれた。
それから確認を取る為に一度別れ、そうしてその後、二つ目の不運に見舞われたのである。
ゼクス団長とウィリアム副団長の付き添いの下、着替えだけでも用意することになり、家へ帰るのは嫌だと言った私の為に買い物へ出かけるタイミングだった。
なんの因果か、犯人が連行されてきたのだ。本部の玄関での出来事だった。
そして、ゼクス団長とウィリアム副団長へは、まだその情報が入っていなかった。だからこそ行動が後れ、その言葉は私に届いてしまう。
見覚えが全くなかった犯人の男は、それでも私が誰か分かったらしく、愛する二人を殺した時のままな格好で歪んだ表情を浮かべながら叫んだ。
「てめぇのせいだぞ!」
血走った眼をさらにぎらつかせ、まるで私こそが犯人だと言うように。
すぐにゼクス団長が黙らせ、ウィリアム副団長が私の目と耳を覆ったが後の祭りだった。
そうして男はその一言を残し、その日の内に――――死んだ。
一人ぼっちな二日目の朝のこと。跪いて労わるように右手を包みこんでくれたウィリアム副団長が、それを教えてくれた。
「犯人が昨夜、死亡しました」
「どういう、こと……ですか。どうして」
「病死だそうです」
信じろとは言わなかった。けれどそれが、騎士団が出した答えだった。
動機も何もかもが分からないまま、両親の事件は幕を閉じたのだ。
おかげで私は、綺麗になった二人の遺体と対面してもまだ泣けず、そのままの状態で確認が取れた従業員の女性やパン屋のおばさん、色々な人に助けられるがまま葬儀を執り行うしかなかった。
ゼクス団長とウィリアム副団長も、わざわざ仕事を休んでまで参列してくれた。なのに私は、人生で初めて袖を通した喪服と黒騎士の制服を同じに思ってしまっている。
それでも二人は、深々と頭を下げて犯人と鉢合わせさせてしまったことを謝罪してくれた。その上で、あの時の言葉は忘れて強く生きろと言った。所詮、苦し紛れの戯言だからと。
ならばなぜ、両親は死んだのか。私にとってはごくごく普通で、この世で最も愛しい人たちだったというのに。
あろうことか彼らにそれを尋ねたあの時の自分は、誰かを責めなければ立っていられないほど今よりもっと弱くて子供だった。
清廉な賛美歌も、祈りも、司祭様のお言葉もいらない。ただただ数日前までの日常に戻りたかった。
けれど、願いは届くことなく二つの棺が土の下へ埋まり、白い石の上に同じ日付が刻まれる。心を支配する悲しみも一緒に連れて行ってくれれば、どれほど良かったのだろうか。
葬儀が終わって人々が帰路に着く中、一人にして欲しいと頼んだ私は、長い間両親の名前を撫でていた気がする。
それから立ち上がって、憎たらしいほどに青々とした空を仰いだ。そこで初めて涙が零れた。それはもうとめどなく。
喉を震わせ口から出ていたのが、ただの声なのか言葉なのかの判断もつかないほどで、まさかそれが誰かに聞かれていたなど思いもよらなかった。
「おい……、おい!」
突然かけられた声で振り向けば、その人の手には白いジニアの花束が握られていた。それがあまりにも可憐で、おかげで相手が少年なのか青年なのかも記憶には残っていない。泣き顔を見られたくなくて、俯いたせいもあるだろう。
そんな私へ遠慮なく、両親の世話になったという彼は、苛立ちを多分に含んだ声であの言葉を残す。
「良いことを教えてやる。笑顔はな、武器にも鎧にもなる。泣きながら強くなりたいとぼやくぐらいなら、心底悲しくても笑って立ってみせろ」
まるでそれは、諦めるなと私には聞こえた。諦めなくて良い、戦えと。もはやその相手はいないというのに。いないはずだった。
もしこの時、彼からの言葉がなければ、確実に私は騎士になれなかっただろう。目指すどころか、自ら命を断っていたかもしれない。
なぜなら、三つ目の不運がまだ残っていたからだ。いや、これに関しては不運なんてものではない。
従業員の女性に宿屋へと案内してもらい、そこで母が残した古びた宝石箱を受け取って夜が更けてから。開けるのがまるで死を認めるかのようで、決心が着かないまま寝台に身を沈めていたところに、焦った様子のゼクス団長とウィリアム副団長が現れたのだ。
事件は終わったはずだった。騎士の仕事はもはやない。
それでも同じように焦って出迎えた住み込みの従業員が事情を問う中、ゼクス団長はほとんど怒鳴り声を響かせて、まったくもって寝れそうになかった私もそれを聞く。
「娘は無事か?!」
おかしな話だ。犯人が捕まっていないならまだしも、解決したと言ったのは他でもないゼクス団長だった。
荒々しい足音が近付いて来た為、とりあえずは寝たフリをしていれば、しっかりと私の顔を確認してから安堵した様子ですぐさま部屋を出ていく。
しかし、二人は帰ることなく、それどころかあまり私から離れたくなかったようで、事情の説明を隣室で行った。今では盗み聞きなど無理にもほどがあるが、さすがにあの人たちも予想外の状況と私が素人であることに油断していたらしい。
けれどその内容は、あまりにも衝撃的過ぎた。
「墓が荒らされました」
息を呑んだのは自分だったのか、従業員の人だったのか。
しかも悪夢は、それだけでは終わらない。
「母親のみです。しかも彼女は――――」
「髪を持っていかれた。だから俺たちは同じ色の娘も狙われるのではと、こんな深夜に迷惑承知で来たわけだ」
それが限界だった。かろうじて忍び足で部屋へと戻り、扉の前でへたり込む。
俯いたせいで、今まさに話に出ていた色が視界を走る。
大好きだった母さんの綺麗な髪と同じなことが一番の自慢だった。いつも友人に褒められて、羨ましがられていた。
だからって、埋葬したばかりの墓を掘り返し、あまつさえ奪うなど。そこまで考え、胸の奥から嫌悪感が込み上げてトイレへ駆け込む。
けれどいくらえずこうと、まともに食べていない胃からは出るものがほとんどない。
落ち着いてから、ほぼ衝動的に箱を手にしていた。
そこに残されていたのは一通の手紙。母さんと父さんからの最後の声だった。
そして私は、騎士の道を志すことを決める。何の後ろ盾も伝手もない私にとっては、それが最も手っ取り早かった。
両親の事件と墓荒しが無関係だとはどうしても考えられなかったのだ。いつまでもどこまでも追いかけて、自分の手で報いを受けさせると、それだけが頭と心を支配した。
翌朝、心配になって顔を見に来たと嘘を吐いたゼクス団長とウィリアム副団長は、ついぞ墓が荒らされたことを教えてくれなかった。その役目は、後日やって来られた司祭様に託されていた。
しかし私の行動は早く、どれだけ温かい言葉であっても決意を覆すには至らない。二度と足を踏み入れることが出来ないとまで思っていた家の遺品をあっという間で整理し、家自体もタダ同然で宿屋さえ売り払い、従業員に退職金を支払ったその足で、パン屋のおばさんに頼みこんで身元保証人となってもらって騎士学校の門を叩いた。金さえ支払えれば、一般科が常に入学者を募っているのは幸いした。
黒騎士のしかも征伐部隊を目指したのは、力を欲したのはもちろんのこと、年に一度、二ヶ月間の遠征があったからだ。王都を離れるつもりはないが、王都に縛られるのも嫌だった。
名を捨てたのは、邪魔をされたくなかったから。葬儀にさえ顔を出さないような相手だったが、手紙に記されていた人に万が一にでも会わないための精一杯の小細工だった。
その理由は、母さんの旧姓が全てを物語る。
レオナ・サン=シール。母さんは、金獅子の再来とまで称される総騎士団長の一人娘で、まごうこと無き貴族だった。
そして私は、煌びやかな世界を捨ててでも、後ろ指をさされてでも、愛する人と生涯を共にすると決めた男女の間に生まれた娘。父さんは孤児院出身だった。
そのくせ母さんの驚くところは、二人の婚姻を口頭ではあるが国王陛下に認めさせていたらしいことだ。破天荒な性格にもほどがある。
でありながら、駆け落ちをする結果となったのは、総騎士団長が頑として認めなかったからだという。
それでも手紙の中には、こう残されている。
『あなたが一人になってしまった時は、あなたのお爺様を頼りなさい。頑固だけれど、本当はとても優しい人だから。そうならないのが一番だけれど、大丈夫。もしもの為にあなたには、どこでも生きていけるよう私が全てを教えているつもり。だからあの人を、お父様を責めないであげて』
けれど私は、母さんの言葉を受け入れることはできなかった。
もし総騎士団長が認めてくれてさえいれば、二人は殺される運命から逃れられていたかもしれない。そう思うと、あの方が祖父だとは心の中でさえ呼べなかった。昔も今も、貴族になど微塵も興味はない。そのくせ貴族嫌いになったのは、おそらくこの時だろう。
それからの十年間の内、学生時代はがむしゃらに鍛錬を積んで黒騎士になることを目指した。叶ってからはずっと、墓を荒らした犯人を捜し続けている。
黒騎士団としては、とっくの昔に未解決のままでお蔵入りが決まっているが、あいにくと私は今に至るまで、二つの事件のどちらの調書も読むことを禁じられている。団長と副団長として再会したあの人たちは、私がなぜ騎士になったのか分かっていたのだ。だからゼクス団長は、しつこく理由を問いつめてきたのだろう。
そして、頑なに譲らない姿に呆れ果て、辞めさせる為にとことん扱いてくれたのだと思っている。
それでも耐えた。耐え続けた。微笑みの悪魔なんて呼ばれるまであの言葉を支えにして、西街をうろつき、墓荒しの集団がいれば調べつくし、遠征中にはひっそりと抜け出してその土地でまた同じことを繰り返し……。薬師の真似事も、趣味の旅行もなにもかも、全てがその目的に繋がっている。
もしそんな私の事情を誰かに打ち明けたならば、相手は必ず言うことだろう。ゼクス団長やウィリアム副団長、イースだって本当は言いたかったはずだ。時間が経ちすぎている、諦めろと。
けれど私は知ってしまった。一つの可能性を見出してしまう。
それが金髪至上主義という思想だった。継承権争いに関係するまで広がったのは最近のことだが、それそのものは私が生まれる以前から存在していたらしい。
これを軸とすれば、私のせいという言葉も納得がいくのだ。両親を殺したのは偶発的であり、あの男は元々使いっぱしりのようなものだったのだろう。駆け落ちしたとはいえ母さんは、王都を離れていないところからも、総騎士団長の娘という威光が十分に生きていたと推測できる。宿屋の客は貴族の知人が主で、だから寄せつかせなかったのかもしれない。
けれど私は? 貴族と平民の間にできた子供は、当主が認めない限りは平民だ。髪をどう欲し、どう使おうとしたところで、黒騎士など恐れるに足らない。貴族に剣を向けられるのは白騎士だけなのだから。
そして、光明を見いだすと同時に絶望した。ただでさえ証拠はもう残っていないだろうに、討ち取るために騎士となったはずが、それが邪魔になってしまったのだ。
かといって、たとえば捜し出せたとして、辞職して行動を起こせばそこに正義はなく、所詮は同類になってしまうという価値観がいつの間にか存在していた。
それでも殺してやりたい気持ちはあの頃のままなのだから、どうすれば良いのか。
――――おばばの言う通りだった。迷いが生まれ答えが出ぬまま、これまで続けてきたことだけを習慣のように繰り返す。
諦めればそれで解決するというのに。分かっている。分かっているが、今さら消せやしない。
ゴールへの道筋が分かりながら、それに気付かないフリして迷い続ける私は、だから滑稽以外のなにものでもないのだろう。どれだけ走り続けることができても、向う場所が定まっていない。
おばばの所から宿舎へと帰り着き、時間を染み込ませた手紙を膝に置いたまま、そうして自問自答をし続ける。
気付けば笑う。笑うことしか私には出来ない。
「……騎士になりたかった」
フリをするのは楽だ。誰かを見本にそれを真似れば良い。
弱いことは悔しいけれど、負けることで気が紛れた。弱いから見つからないと、力がまだ足りないから駄目なのだと言い訳が作れる。
任務中に敵を討つのが楽しくてたまらないと口にしたら、名実ともに私は悪魔になれるだろうか。
存在すらあやふやな仇と重ねている間は、武器でも鎧でもなんでもなく自然と微笑んでいたと知ったら、あの言葉をくれた彼はさぞ軽蔑するはずだ。
ああ――エドガー様や、ジャン様が羨ましい。あの二人は自らが目指さずとも、才能があるってだけで求められる。身を置くだけで、多くを望まれる。
逆に私はいつだって、歓迎などされやしない。こんな考えなのだから当たり前だ。それでもどうやら、イースにまで辞めろと言われたのがけっこう堪えていたらしい。殿下の純粋さが眩しすぎた。
そして、今さらながら思ってしまう。叶えたはずでありながら、それでも自然とそれは零れた。
「なれるものなら、なりたいっての」
目的のためだとか、手段としてではなくそう思えていれば、私はとっくに墓参りも出来ていたはずだ。
けれど、だからこそ、やはりどういった形であれ全てを終わらせる必要があると、そう――思う。
「…………よし! 落ち込み完了。迷ってると分かれば、見つけてから考えれば良い。せっかくイースが作ってくれた機会だし、考えて悩めばそん時は本能に従う。猪突猛進のなにが悪い」
それにしても、言われるがままに振り返ってみてこの様だ。あいつの言葉はやっぱり聞き流すに限る。
十分くよくよした。自覚も反省もひっくるめて。
だから気合を入れ直すために両頬を目一杯叩く。
大丈夫。どこでも生きていけるようにと母さんは言った。そして私は、今ここに居る。
黒騎士として、お墓の前で泣くしか出来なかった子供ではなくだ。
「それじゃ、気分転換も兼ねて走るとしますか」
そうして、一睡もしていない頭をリセットするため飛び出せば、寒くも気持ちの良い空気が全身に広がった。
けれど、慧眼を備えて優秀な王太子殿下は、のらりくらりとした遊び人とは違って容赦がない。
終わりはすでに用意されていて、餌な私を求めた標的がまんまと誘い出されていた。
白いジニアの花言葉は、いつまでも変わらぬ心。




