西街の魔女
時には汚物の中に死体も混じる道を足早に進む。日中でさえ暗い雰囲気で満ちているというのに、夜の西街は陰険さを濃く漂わせて人を惑わそうとする。路地で光るいくつもの視線が、終始からみついてきていた。
深くフードを被って顔を隠し、背中にレプリカの大剣を背負っていなければ、あっという間で身ぐるみ剥がされ朝には川を浮いているだろう。
最も危険なエリアを抜けしばらくすると、今度は不気味な静けさが広がり、さらに奥に進めば西街の中心へと辿り着く。そして目の前には、美しい鳥が迷いこむほど見事な緑が出現した。
わずかに傾いだ一軒の家を囲むように植えられた木々は、春には甘い香りを生み夏や秋に果実を付けて、ここが西街だということを忘れさせる。
けれど今の季節に限り、異彩さを思い出させてどこよりも薄気味悪さをかもし出す。
それが、西街の魔女が住まう家が持つ空気だった。
「久しいな」
「そっちも相変わらずだな。この寒い中、ご苦労なことだ」
目的地に辿り着けたことで少しだけ張っていた気を緩めることができ、そのタイミングで門の代わりにある石の上に座る人物から声を掛けられた。
モートン達を捕らえた時に居た、私を死なせかけてくれた小人と同じ系統の顔をした、おばばの養子の中でも一応は長男にあたる奴だ。頬に大きな傷痕があり、煙管という異国の道具を常に咥えて煙を吹かしている風変わりな男だった。
ちなみに名はなく、それぞれ区別を付ける為に染めている髪がそのまま呼称となっており、こいつの場合は灰の小人という。なぜか末だけはそのまま末の小人だが。さらには兄弟といっても拾ってきた順で年は関係なく、なぜか必ず七人と数を揃えているせいでいつの間にか変わっていたりするという、なにかとややこしい仕組みをしているらしい。
「何用だ」
「依頼をしに来た」
「今日は機嫌が悪い。日を改めることを薦める」
「悪いが急ぎだ」
低く淡々とした声へ冷静に返すが、その裏では落ち着かない心に焦っていた。
例のアークという男が消えたと知ってから、言い様のない苛立ちが生まれ、それに支配されるままに宿舎を抜け出しここまで来てしまっている。まるで何かの前兆のようだった。
しばらくして、灰の小人は顎で訪問を許してくれた。そう頻繁に来ているつもりはないが、いつだってこいつから歓迎されたためしがない。
手入れの行き届いた芝生を進み、悪趣味なコウモリが彫られたドアノブを回す。いまにも朽ち果てそうな傷んだ木の扉をくぐれば、一気に様々な薬草の匂いが押し寄せてきた。
「お、猫娘じゃん」
「ほんとだ、猫娘だ」
「今日の客は、おばばに喧嘩売った猫娘!」
「猫娘のご来店~」
「こんばんわ、猫娘さん」
さらに襲うのが、嫌味ったらしい声の数々だ。色とりどりの髪も目の毒である。うるさくて苛立ちが増す。
ある者は調合中で、ある者は掃除をしており、一見すれば優男集団としか思えないのだが、こいつらが全員で立ち塞がればこの家から出るなど不可能だろう。
「……なんだその猫娘ってのは」
そして、天井の至る所で薬の原料がぶら下がる室内に入ってから、フードを降ろして全員を睨みつけた。
ついこの間まで小娘呼ばわりだったというのに、いつから私は人間を辞めていたのか。おおよその予想はついているが一応尋ねる。
すると、暖炉の前に置かれたロッキングチェアからしゃがれた声が響いた。
「ひっひ! 末がよう似合っていたと言っておったわ」
それはもうまるっきり、本の中から魔女が飛び出している。引き笑いも、悪意しかないような声音も全てがだ。
いつ聞いても背筋が凍りそうになる。
「その末の馬鹿が見当たらないが?」
「生きていたら、数日中に帰ってくるだろうよ」
上は三十前後から下は十代の男達を働かせ、自分は寛いでいる最中だったらしいおばばは、そうして椅子を揺らして立ち上がり私を視界に入れた。
若い頃はさぞ美人だったであろうことを窺わせる皺が刻まれた顔が、意地の悪さを全力で伝えてくる。同じ緑でも翡翠とは違い透明度のない瞳は相変わらず鋭く、定規でも入っていそうな背筋は一生曲がらずにいられるだろう。なのにその手には、コウモリの像が乗った杖が握られている。なんでも雰囲気作りが大事なんだそうだ。
西街の魔女は、ウィリアム副団長とはまた違った種類の変人だった。
「それにしてもまあ、よく儂の前に顔を出せたもんだ」
おばばが杖でコツリと床を叩けば、五人の小人が一様に作業を止めてこちらへ視線を縫い付ける。性格も背もバラバラだが、似通った顔で薄ら笑いを浮かべてそんなことをされれば、嫌でも冷たい汗が背中を伝う。
どうやら灰の小人が言っていた通り、おばばの機嫌は相当に悪かったようだ。とりあえず背中のレプリカとマントを脱ぎ捨ててから、反論をせずに無言を貫く。
この老婆が、昔は裏の世界で相当名を馳せた人物だったとは、以前に三男である紫の小人から教わった。そして、表と裏が混ざることを何よりも嫌っている。
だからこそ、騎士である私が西街をうろつくことを良く思っていなかったらしい。それでも始めの一年は、仕事かただの興味本位だとして見逃してくれていたという。しかし、それが二年も続けばいい加減腹を据えかねたそうだ。
騎士として組織の裏を探るでもなく、それとなく小人を差し向けても意図が見えず、そうして自身の目で見て判断を下そうとして、運悪く死体に躓いて足を挫き動けなくなっていたところ、私がそこに現れた。おばばにとっては不幸中の幸いで、私にしてみればなんともまあ危険な偶然で出会ったわけだ。
私はてっきり浮浪者だと思い、後生だから家まで手を貸してくれと言われ、無害そうな老人だと見て善意で引き受けてやったというのに、案内されるがまま路地を曲がったところで小人たちに囲まれたのには驚いた。そのまま強制的にここまで連行され、そこで初めて相手が噂に名高い魔女だと知ったのだ。
もしあの時、おばばが今日のように機嫌が最悪だったなら、その日が私の命日になっていたかもしれない。
それでもこうして関係を続けられているのは、私にとっては微妙な特技のおかげだった。
それは嗅ぎ分け。別段鼻が良いわけではなく、混じり合ったものや香りの質がある程度分かるだけなのだが、元々薬草の知識があった為にこの家へ足を踏み入れた時、無意識なまま「桁違いに上質だな」と呟いたのが運命を分けた。
私自身、それまで自分にそんな特技があるなど知らなかったし、日常では茶葉の状態を判別することぐらいにしか使えない。それどころかあの潜入では、嗅ぎ分けられたせいで香に中てられ、調合だって質で左右される効果のものを作れるほどの技術はないので宝の持ち腐れである。
まあ、西街の魔女という大物との繋がりを作れただけで、一生分の役に立ってはいるのだろう。
「お前さんに期待した儂が間違いだったかねぇ」
「騎士として得た情報は流さないと約束してあるはずだろ」
「ひっひ! そうさね。小娘が持ってくるもんといえば、末にも劣る世間話ばかり。だからこそ、薬草の判別をさせてやってるんじゃないかい。でなきゃとっくにお払い箱さ」
とはいえ、いつだってここに来る時は肝が冷える。今回は特に嫌味が多い。原因は手紙で寄越した依頼に違いないだろう。使われたことがよほど癪に障ったと見える。
ついでに、子供たちを誘拐していた犯人を殺してしまったこともだ。あろうことか魔女のテリトリーで禁忌を犯した輩は、さぞ裏のやり方で落とし前をつけたかったことだろう。
そしておばばは、杖の先で乾燥させた薬草の山を指した。私はため息を吐いてそちらへ向かう。この量全てを判別するとなると、三日は鼻の違和感が抜けなくなりそうだ。
そこでやっと、小人たちの威圧が無くなった。
「後で茶も淹れるんだね。今回はそれで良しとしてやろう」
「あ、俺も欲しい」
「それなら私も頼みましょうか」
「猫娘って、とことん貧乏くじひくよね~」
「これもおばばの愛情ってか!」
「違うよ、違う。暇つぶしなだけー」
「うるさい。代表して一人が喋れ。くされ小人どもが」
しかし、途端にやかましくなるのだから、上乗せされて苛立っていたことを思い出す。
だというのに、手元は余計な力を入れてしまわないよう気をつけなければならず発散場所がない。全てを無視して選別に集中するしかなかった。
鋭い棘を残した茎付きの葉の匂いを嗅ぎ、一本一本地道に分けていく。終わる頃には空が白んでいそうだ。だが、これだけで終わるとは思えない。なにせ命令してくるのは、悪い魔女の見本のようなクソババアなのだから。
とりあえずしばらくは、特にやかましい桃の小人をあしらいながら作業を続けた。
けれど途中で、ふと思い出したことがあり口を開いてみる。
「なあ――――」
「なに、なに? 猫娘が質問だって!」
「図々しい奴だな!」
「なんでしょう」
「にゃ~って鳴いたら答えても良いよ~」
「それより金だろ」
…………ほんとこいつら、いつものことだがよくここまで人の神経を逆撫で出来るな。頭が痛くなってくる。
なんとかこらえ、定位置で編み物に励むおばばだけに問いかけた。
「全体的に甘ったるいくせに、どっか苦みがあって、草に近い香りのする花って知らないか?」
「なんだい、それは。漠然としすぎて役に立ちゃしない。そもそも儂は花屋じゃないんだよ。他を当たりな」
残念ながらお叱りしか返ってこなかったが、それはアークから漂ってきた香りだった。
おばばなら少しは心当たりがあるかと思ったんだけどな。この情報は活かせそうにないか。
そして再び黙々と作業をし、山が三分の一にまで減った頃合で、おばばの機嫌もそれなりに回復したらしい。やっと本懐を遂げることが出来るようになった。
「して、そろそろ生ゴミ騎士の話を聞いてやろうじゃないかい」
「なら私も、老人のお願いを叶えてやることにするよ」
ずっと床に座りこんでいたせいで凝った肩を回しつつ、勝手知ったる他人の家と湯を湧かしてティーセットを用意する。
随分な呼び名は聞かなかったことにした。
「あ! 俺は――――」
「全員同じだからな。要望通したければ、床に頭擦り付けろ」
さらには、これ以上雑音を聞きたくないと先手を取る。今回ばかりは私が勝った。全員が黙ってカップを取っていく。
そして、おばばが二口ほど味わうのを待って依頼を告げた。
「止血剤、万能毒消し、化膿止め。眠気覚まし、強壮剤、栄養ドリンクにこの前頼んだのと同じ色で良いから、髪染めクリームと目薬も頼む」
「お待ち! お前は戦にでも出るつもりかい。そんな情報は入っていやしないよ」
すると、おばばのみならず全員が手を止め食い入るように私を見た。
それもそうだろう、挙げた中には質は劣るも自分で作れる物も混じっている。普段なら十分に事足りるのだ。
けれど、使う予定はなくてもそれでは落ち着けそうになく、だからこうして気持ちのままにここへとやって来た。
暖炉のすぐ隣の壁に寄り掛かり、射抜かれそうな緑の眼差しにさらされながら、私は紅茶の海へと視線を落とした。そこでは波紋が生まれており、初めて自分の手が震えているのに気付く。
もしかしたら、殿下にあの質問をされてからずっとそうだったのかもしれない。
「……最近、私の周囲が騒がしい」
「だから何だって言うんだい」
「引っ掻き回してくれる奴がいるんだよ。それも色々と無理やりな性質の悪さを持った」
言わずもがな、そいつは黒髪に翡翠を持った男だ。イースは気を付けろと最後に言った。そして今日気付いたのが、リンステッド卿の謝罪だ。あの方は、巻き込んでしまいと言った。それは聞き様によってはまだ続くようにも受け取れる。
今回の事で私は一つ機会を得ており、後は自分の動き方によって活かせるか殺してしまうかが決まると思っていたが、もしかしたら違うのかと思い始めたのだ。そうしたら、暢気に寝てなどいられなかった。
「それは、お前さんの望みに繋がるとでも?」
「分からない。でも、用意しておいて損はないだろ?」
「ひっひ! どの口がそれを言う。儂が出入りを許しているのは、その様が実に滑稽だからだと分かっていなかったようだね」
しかし、こちらの真剣さとは裏腹に、魔女とその配下たちが一斉に笑い出した。桃の小人など、大袈裟に床を転げ回っている。
こいつらが善人だとは一度たりとも思ったことはないが、さすがにこんな反応をされたのは初めてだ。しかし相手は、西街の中心で生き抜く連中。安易に逆上したりはできない。
おのずと口角が上がった。
「微笑みの悪魔がご登場~」
赤の小人がはやし立てる。
そして魔女が腰を上げ、私の眼前に杖を突きつけた。
「猫娘とは言い得て妙だよ。今のお前さんは、まるで臨終間際の猫のようだ。死に場所を求めてふらふらと、そのくせ死ぬつもりは毛頭ない。未練でも出来たのかい?」
「意味が分からないな。それとも魔女には、全てが見える眼でもあるのか?」
「ひっひ! 騎士としてこの街に来ているわけではないと明言した時から、お前さんの背後は儂らが手を出せる領域さ。調べはとっくについているよ」
……なるほど。おばばの笑みを眺めながら、随分と自分が楽観的だったことを認識した。知らないだろう、知られないだろうと思っていたのは本人だけだったらしい。ゼクス団長やウィリアム副団長、おばさん達が不干渉でいてくれたことこそが善意で、それ以外が当然だったというわけだ。
しかし、滑稽呼ばわりは聞き捨てならない。だからこそどういう意味かと尋ねたのだが、さすがは長くを生きる老人だ。私は見事に動揺させられた。
「探し物はないと、とっくの当に分かっているはずだよ。なんせここは掃溜めの街。煌びやかな世界とは真逆さね。お前さんは探すフリして、本当は見つけたくないだけじゃないのかい?」
「馬鹿馬鹿しい」
「十年だ。ガキが小娘に変わるには十分な時間じゃないかい。その間で、別の宝物が生まれても不思議じゃないよ」
さらに四方から、嘲笑と誘惑が飛ぶ。
「立派な騎士さまにもなったしね~」
「今じゃあ正義の味方だもんな」
「諦めたところで誰も責めはしないでしょうね」
「そもそも、意味のないことじゃね?」
「頑固で意固地、まるで迷子の子猫ちゃん!」
「黙れ!」
思わずカップを投げてしまった。
宙を舞ったそれは誰にも届かず床へと落ち、中身をぶちまけながら砕け散った。
せっかく人が腹立たしさを押し殺していたというのに台無しにしやがって。言われずともとっくに分かってる。
それでもずっと、それを原動力にここまで来たんだ。それが無ければ、黒騎士であり続けるなど不可能だった。厳しい訓練、理不尽な評価、性別の差によるもどかしさ。全部、なにもかもだ。
なにより、騎士になった理由を失ってしまえば、必死に耐えて食らい付いてきた努力すらも消えてしまう。後ろ暗いからこそ、せめて皆が望む騎士であるよう心掛けてきた。
だというのにおばばは、遠慮を一切せずに言ってくる。引き笑いをしながら、嘲るように杖の先で私の顎を持ちあげて、誰もが暴かなかった深淵に隠した箱を開けた。
「そんなに大切かね。親の仇を討ったところで、死人は戻りゃしないよ。それとも何かい? お前さんは、これまで関わってきた被害者の遺族全員に、復讐を推奨でもしているのかい?」
ここで涙の一つでも流せれば、少しは可愛げがあるのかもしれない。
けれど私がしたことは、さらに笑みを深めて杖を掃うことだった。
ああ――そうだよ、その逆だ。理不尽に打ちひしがれ悔しさに泣く彼らに、私はいつだってこう言ってきた。気持ちは分かる。だけどいつか、時間が解決してくれるからと。
そうやって誤魔化しながら、がむしゃらに走り続けてきた。
「…………帰る」
「ひっひっひ! 図星を突かれて逃げるなんて、可愛い子だねえ。依頼の品は、明日にでも届けさせるから安心おし」
おばばのそんな声を背中で浴びながら、私は荷物を引っつかんで扉を閉めた。そして、感情のままにレプリカの大剣を叩きつける。
けれど、偽物の軽いそれは、朽ちかけた板にさえダメージを与えることができずに終わってしまう。
さらには西街を抜ける間、頭の中で二つの質問がしつこいほどに巡った。
なぜ騎士になったのか。そう聞かれるたび、一体何度人の役に立ちたかったからだと答えてきただろうか。
けれど、違う。それは嘘だ。本当は――――
両親を殺させた黒幕を見つけ出し、その報いを受けさせるため。それが理由。
だから私は、騎士に向いていない。
次話で、黒騎士レオが生まれるきっかけが明らかとなります。




