特別な思い出(4)
殿下を案内するにあたり、ここだけはと決めていた場所がある。本当ならば沈む夕陽を眺めながらが最高なのだが、時間的な縛りがあった為にそれは諦めた。
高台に建てられた王立図書館の塔の最上階。そこからの景色を、ぜひとも殿下に見せてやりたかった。
一般人の立ち入りは禁止されているが、こういう時こそ騎士の特権が役に立つ。塔に設置されている鐘は緊急時にも使われるので、望めば守衛は断れないのだ。というわけで、ここは黒騎士とっておきのデートスポットだったりする。
そして塔を登りきりその光景を目にした時、殿下は感嘆の声を上げた。
「うわあ…………!」
四方から王都を眺めることができ、その様子は絶景と言うほかない。
「落ちないように気を付けて」
「分かってる!」
断言されても、残念ながらそのはしゃぎ様では心配してしまう。
殿下が最も気に入ったのは、城が見える北側の景色だった。
けれどしばらくして、年にそぐわないどこか物思いに耽った表情を浮かべ、柵の間に足を投げ出し座りこむ。私も黙ってその隣りに腰を下ろした。
「レオはさ、俺の年の時に何を考えてたの?」
静かな声だった。王子としての子供がそこに居て、イースもこんな時があったのだろうかとゆくりなくも考える。
それから、どうだったろうかと思い返してみた。
「何も考えていなかったかな」
そうして出た答えに対して、殿下は喜ばしくも意外だという反応を示してくれた。どうやら私が、幼い頃から騎士を夢みてそれを叶えたと思っていたらしい。とんだ勘違いだ。
両親が殺されるその日まで、自分が宿を継ぐのだと当たり前に決めていた。その為に母さんが、厳しく礼儀作法やお茶の淹れ方を教えてくれているのだと信じて疑わなかった。
当時のそんな甘えに堪えきれず、自嘲を浮かべながら空を仰ぐ。そこは雲で埋め尽くされているも、降る雪はとても小さくて積る気配は一向にない。
「私の家は宿屋を営んでいたから、それを継ぐんだと当たり前に思ってたんだよ」
「それはおかしいことなのか?」
「普通なら違うだろうね。けれど私は、一度だって手伝いをしたことがなかったんだ。暮らす家は別にあって、宿屋の場所さえ知らなかった」
「え…………?」
驚いた様子で殿下がこちらを見る。それに苦笑を返した。
子供相手に何を言っているんだと思い、子供だからこそ教えられるのだと考え直す。
イースや仲間であれば、こうはいかないだろう。詮索だなんだと煩わしいものが付いてきて当然なのだから。その点殿下は、遠慮もあって深く踏み込んできたりはしない。
「もちろん、ねだったことは何度もあるんだけどね。その度に母は、悔しかったら色々と出来る様になりなさいと笑ってた」
けれど結局、私が初めて宿屋を訪れたのは、許可をもらったからではなかった。従業員が保護された本部にやって来てくれなければ、探すことから始めなければならなかっただろう。
二、三組ほどしか泊められないような小さな宿屋だった。そのくせ外観から何からがやけに綺麗で、まるで貴族の屋敷の一部を切り取ったようだと思ったほど。
そうしてそこで手渡された箱の中には、たくさんの驚きと秘密がしまわれていた。
「じゃあレオは、今日会ったあいつらみたいに働いてなかったのか」
「おや、心外だね。ルーの中では、私がそんな怠け者に見えるんだ」
「違うけど、だったら教えてよ!」
「ごめんごめん、冗談だから。孤児院の手伝いをしていたよ」
両親が他界していると以前話したのを覚えてくれていたからか、殿下はその辺りには触れず、その代わりとしてだろうそんな質問を投げてきた。
それがいささか遠慮が無かったので少しばかりからかってやれば、柔らかい頬がパンパンに膨れる。笑いながら突くと気の抜けた音で空気が抜けたが、合わさった視線には子供だとあしらうのが難しい真剣さが存在していた。
「兄上に聞かれたんだ。俺はどうなりたいのかって」
「……それで?」
私ごときが聞いて良いものかと一瞬悩んだ。そしてすぐ、忘れてしまえば済む話だと思い込む。
殿下にとってこの悩みは、決断は、とても大きなものなのだろう。それに立ち合う相手として私を選んでもらえたことをこそばゆく感じる。
ほんのりと潤んだ翡翠からあえて視線を逸らし、小さくなった城へと移した。
「だから俺、兄上のお役に立ちたいって答えた。そしたら兄上、とても悲しそうだったんだ」
殿下の言う兄上は、いつだってイースのことだ。一度たりとも第二王子が話題に上がったことはなかった。
それは単純に私とイースに面識があるだけだからか、それとも嫌っているからかまでは分からない。あの荘厳な城の内部が実際にどういう世界なのかなど、噂一つさえ外には中々流れてこないのだ。
だから、イースがどうしてそういう反応を見せたのかなんて知るはずもないのだが、どうやら殿下はそれを聞きたかったわけではないらしい。
それどころかそこに込められていたのは、もっとずっと愛らしくて崇高な想いだ。
殿下は柵を強く握り締めながら告げる。
「俺、騎士になって、それで兄上の力になりたいって、ずっと前から思ってる。レオのことは守るけど、兄上とは一緒に戦いたくて。でもまだ全然で、だから役に立ちたいってその時は答えたんだけど……」
「だけど?」
「本当のこと言ったら、もっと悲しませるかなぁ」
途中で私が出てきたのには突っ込みを入れたくなったが、今回ばかりはグッと堪えた。そして、小さな肩へ手を置く。
子供だとか関係なく、本気で尊敬する。何も考えずにいた十年前の私と違い、まだその半分しか生きていないというのに……。
中にはこれを、考えなければならないような世界に居るのだと同情を寄せる者もいるのだろう。けれど私は、考えられることが凄いと思った。
ついでにイースに対しては、どうしようもない男だなと呆れてしまう。懐に入れた者に対しては、どうしようもなく甘いのだからと。
「大丈夫。あいつが役者だと、ルーも良く知っているだろう? 素直になれないだけだよ。本当は嬉しくてたまらないはずだから」
「そう、かな」
「それに、勝手なのはお互い様だ。ルーが兄上の為にと決めたように、兄上もまたルーが自分の為に生きて欲しいと願ってる。なら、それこそ自分の好きなようにするべきだと私は思うよ」
同じ王子でも王太子と第三王子では、さらに二人の年の差を考えれば、ただでさえ圧し掛かる重責には雲泥の差があるはずだ。加えて立場の悪いイースに付くことは危険でしかない。
それを殿下が分かっていないとは思わない。だからこそ騎士を選んだのだ。きっと、そう――
「私は応援する。ルーはきっと良い騎士になれる。もし兄上が文句を言うのなら、私が殴ってあげるから」
「ほんと?! ……でも、殴るのは可哀想だからいらないな」
「それは残念だな。ちなみにルーは、どんな騎士になりたいんだ?」
背を押すのが大人の役目だ。ルーの立場を考えれば、私がしているのは無責任な行いだろうが、私にはそれが許される資格がある。平民というかけ離れた身分が、この時ばかりは盾になる。
しかし、嬉しそうに返ってきた答えは、予想外に刃となった。
「お爺様のような騎士になりたい!」
「おじい……さま?」
当然ながら殿下の祖父は前王陛下である。今の妃方も全て、爵位を持った貴族の直系だったはず。だから疑問を抱いて首を傾げると、心の底から好いていると分からせる声が響いた。
「お爺様はね、エドガーの師なんだよ。兄上も小さい頃に助けてもらったって教えてくれたし、俺のことも凄く気にかけてくれてて、昔は金獅子の再来だって言われるほど強かったって」
そして、最後の言葉で誰かを悟る。
金獅子――その名を知らない騎士はこの国にいない。再来と称される方もまた同じく。
なにせどちらも騎士の頂点に立っているのだから。片や歴史の中で、片や現在で。
「総騎士団長か」
「そう! いつか俺も、お爺様に剣を教えてもらうんだ」
殿下の無邪気な表情に、私は上手く笑い返せていただろうか。
レオンハルト・サン=シール。その名は、母さんが残した箱の中から知った。そしてその日から、私にとってはこの世で二番目に憎むべき相手となった。
だから私にとって総騎士団長は、騎士として敬愛し、人として軽蔑するお方だ。その感情を、殿下に悟られるわけにはいかない。
「そっか。さて、そろそろ帰ろう」
そうして、半ば強引に話を切り上げ塔を下りる。
けれど殿下は、大人しく従ってくれながらも残酷な質問をしてくれた。
「レオはさ、どんな騎士になりたかったの?」
私の真似をしただけだと分かっている。それでも途端に、今の殿下の髪を視界に入れられなくなってしまった。
繋いだ手が微かに震えたのは寒さのせいだ。そうに違いない。
「……強い、騎士かな」
「なれた?」
「全然。でもそうだね、ルーを守れるぐらいにはなれたかな」
真っ直ぐ前を見据えると、枝分かれした沢山の道が目に入る。
危うく本心を漏らしてしまいそうになった。子供に教えようとするなど、正気の沙汰じゃない。
他人の為に騎士になると決意している相手に対して、私のような理由を……。気が緩みすぎた。まんまと墓穴を掘っている。
そもそもどういう顔をして口にしようというのか。こんな、こんな、自分は人を殺す為、力が欲しくて強い騎士になりたかったなど――――!
「レオ?」
「ん?」
「手が少し痛い」
「あ、ごめん。もうすぐルーと居られなくなるって考えたら寂しくてね」
殿下の言葉で慌てて全身から力を抜き、とってつけたような言い訳をして誤魔化す。窺うような視線は気付かないフリをした。
けれど、頭の良い殿下だ。微妙な空気が生まれてしまった。
せっかく楽しい時間を過ごしてもらいたかったというのに、私がそれを台無しにしてしまってどうする。
ため息を吐きそうになりながら、必死に堪えて帰路の間にもある様々な物を説明するも、殿下は頷くぐらいしか反応を見せなくなってしまった。
これは駄目だ。かといって謝るわけにもいかず、せめて殿下が悪いのではないと伝えなければならない。しかし、言葉が見つからない。
そうこうしている内に、最後に寄れればと思っていたイタズラ専門店の近くへとさしかかる。
護衛全員に緊張が走ったのはその時だ。他の通行人と同じようにすれ違うはずだった男が立ち止まり、私たちと視線を合わせた。
「――――あの、すいません」
突然に声をかけられたのは同じでも、空き地でおばさんにそうされた時とは違う。
相手は剣を下げていた。なにより赤の他人、密かに腕を引いて殿下を背後に移動させる。それに合わせ、殿下も人見知りをしているといった態度で下を向いてくれた。
「…………何か?」
私と同じか少し年上の男だった。
街中で帯剣が許される者は限られている。連れはいないらしい。となれば、単身でそれが可能なのは騎士か貴族だけだ。騎士であれば剣帯に引かれているラインの色で所属が分かるもそれはない。
そして男には、お忍び中の貴族が良くやる失敗が見受けられた。最大限で質素を心掛けてはいるも、服装が小奇麗すぎるのだ。なにより殿下とは違い、瞳に宿る侮蔑を隠しきれていない。
悩むまでもなく、素早く背中で殿下を引き取るよう合図を送る。
さらに何が起こったとしても良いよう警戒しつつ、男の特徴を探していく。
髪は偽物だとすぐに気付いたので除外した。細めの目の色は琥珀、ある程度整った容姿はしかし、貴族として考えれば地味な部類だ。声も特徴的とは言い難い。
それでも見つけた。首の横に青い痣がある。あと、顎の横にほくろが一つ。
「失礼、怪しい者ではありません。腰の剣から騎士だとお見受けし、道をお伺いしたく声を掛けさせて頂きました」
「道案内ですか」
「はい、少々迷ってしまって」
白々しい。怪しくないと言う者ほど実際は違う。
だいたい道に迷って騎士を求めるのなら、私ではなく制服を着た哨戒中の奴らにそうすれば良い。
殿下の護衛をするにあたり、万が一よからぬ事を企む輩が居ても牽制になるよう、私たちの周囲に姿を見せる黒騎士は普段とは比べものにならない。ほら今も、立ち止まって会話をしている仕事中の騎士がいるぞ。
すると、表面的には丁寧で物腰の柔らかな男が苦笑した。
「お休み中に申し訳ない。ですが彼らに声を掛けるには、私では少々気が弱く」
「確かに、彼らは良く子供にも泣かれていますよ」
少しあからさま過ぎたか。
ひとまず話を合わせ出方を伺いつつ、そろそろだろうと思っていれば回収役がやってきた。ロイドだ。
「レオ! ここに居たか」
「すいません、少しお待ち頂けますか?」
「ええ、構いませんよ」
あくまで偶然を装い、断りを入れてから距離を取る。
この時点で殿下を目的としていれば諦めたか、様子見か。どちらにせよ、まずは御身の安全が第一だ。
「悪いな、休みを潰させて」
「知り合いの子の面倒を普通、同僚に任せるか? ちゃんと約束守れよな」
「だから悪いって。誓って一晩おごらせて頂きますよ。っと、楽しかったみたいだな」
即興で芝居をしながら、ロイドは殿下を抱き上げた。さすが王族だ。ここで声を出さず頷くに留めただけ、護られる側の仕事が分かっている。
むしろ今回は、黒騎士に不備があった。回収役は服を貸してくれた子の父親か、もしくは殿下と近い子供が居る者が適任で、妹とその家族しか身内がいないロイドでは知り合いの子と言うのが精一杯である。それを皆分かっているだろうが、あいにくと該当者が割り振られた人員に居なかったらしい。
こういう状況で、独身率の高さが仇になるとは……。後で副団長に報告しないとな。
「それじゃ、ほんとありがとな」
「ああ。そうだ、お前の言ってた場所にまだ行ってないから、良かったら連れてってやれ」
「りょーかい」
心配そうな殿下に頷き、懐に入れていた手を抜く。それから、背中を向けていた男と再び向かい合った。
とりあえずは、殿下の命を狙っていたわけではないのか。もしそうであったなら、抱き上げているせいで動きが鈍るとロイドを軽視し、私の背中をばっさりとやっていてもおかしくはない。
ならここからの仕事は、何が目的で近付いてきたか探ることだ。
「お待たせしました。それで、どちらへ行かれたいのでしょうか」
「こちらこそ、お時間を取らせて申し訳ない。実はこの店まで……。それにしても、良く見れば黒騎士の方なのですね」
差し出された地図を見た時、かすかにだが花の香りがした。
なんとなく覚えがあるような、そのくせ嗅ぎ慣れない珍しさを感じた。
「もしかして、王都の方ではないのですか?」
「そうなのです。長期休暇をもらったので、せっかくだから旅行でもと」
「なるほど、そうでしたか。ちなみにどちらから?」
「魚介が好きなので、少し遠回りをして海沿いの街を通りながらここまで」
それにしても、私と同じで相手もまたはっきりとした言葉を使わず、上手い具合にかわしてくる。
直接案内すると申し出てなんとか会話を続けるが、ことごとく失敗してしまった。
「せっかくの縁ですから、お名前をお聞きしてもよろしいですか? 私は――」
「レオさんですね。さきほどご友人がおっしゃっていたので、すっかり知り合った気になっておりました。私はアークと申します」
そしてあっという間で、目的地まで辿り着いてしまう。
結局引き出せたのは、偽名の可能性が高い名前だけという体たらく。この後の尾行に期待するしかない。
しかし別れ際に、アークという男は爽やかな笑顔で尋ねてきた。
「そういえば王都には、金の髪を持った女性騎士がいらっしゃるそうですが、レオさんはご存知ありませんか?」
「……いえ、心当たりはないですね」
その視線は私の髪に釘付けで、だからこそ余計に不気味さを感じてしまう。
それでも怪しさだけを大量に残し、アークはあっさりと去る。その後もたらされた報告は、目標を見失ったというとんでもない失態であった。




