特別な思い出(3)
弾む気持ちに呼応して揺れる腕と、忙しなく辺りを見渡す好奇心に満ちた瞳が可愛らしい。そう思いながら、目に付いた様々な物を説明してやる。
一つ一つの反応の良さが、私にまで当たり前であった数々をどこか新鮮に感じさせた。
「ねぇ、レオ。冬に外で店を出すって、皆寒くないの?」
「もちろん寒いさ。だからほら、所々に火が焚いてあるんだ」
そして今は、南街で一番大きい広場を二人で歩いていた。
殿下が指差したのは、冬の風物詩でもある屋台の列で、食べ物や工芸品など並べてある中身は関係無く物珍しそうに眺めている。
なので近くへと寄って行き、中でも強く興味を惹かれていた串焼きを一つ購入した。
その行動の全てを不思議そうに観察しているのを感じつつ、設置されているベンチに座らせ手袋を外すよう促す。まずは自分が一口食し、さすがにかぶり付くのは難しいだろうと考え、手のひらの上にハンカチを引いてからその上に肉を落とす。
「良いの?」
「少し小腹が空いたからね。良かったら、ルーもどうぞ」
普段口にしているものに比べれば噛みごたえがありすぎるだろうが、いくらなんでも腹を壊したりはしないはず。
すると、恐る恐るながらも手に取って頬張り始める。
やはり中々噛み切れないらしい。悪戦苦闘する様子に笑いが零れてしまう。
それ以上に嬉しいのは、街中を歩き始めてから一度だって、殿下が人々の姿に拒否感を示さなかったことだった。自身の価値観と比べればよほど違って映るだろうに、それでもこうして体験することを厭わない。特に食事など、本来ならば抵抗が大きいはずだ。
純粋に分け隔てなく物事を考えられる柔軟さは、殿下の最たる魅力だった。ただし、好奇心が強すぎる面は、いささか危険視しなければならない。
それでも殿下の様子に素直な感想を述べるとしたら、イースが可愛がるのも頷けるということ。これから足りない部分を鍛えていければ、あいつよりよっぽど素晴らしい人格者になる気がする。
「こんな味の肉、初めて食べた……」
「だろうね。ちなみにこれは猪肉だよ」
「イノシシ?!」
「そう、猪」
大袈裟な反応に、再び肩が震えた。瞳が串に釘付けだったので丸ごと渡せば、次は私の真似をして食べ始める。意外にもアリだったらしい。
けれど上手くはいかず、すぐに口の周りにタレがべったりと付いてしまう。その姿はかなり幼かった。
それから私たちは途中で喉を潤しつつ、今度は商店街を散策した。手あたり次第に店を冷やかしていく。
殿下が特に驚いていたのは、自分と同じ年頃の子供が働く姿だ。
「あの子たちはいつ勉強してるんだ?」との言葉に、はっきりと環境の違いが出てくる。
「週末に教会で最低限の読み書きを習ってるよ。計算とかは仕事中やおつかいで自然と身に付くから」
「他は? 歴史とか地理とか、まだ沢山あるだろ?」
「そういったものは自分で自分のことが出来るようになってから、学びたい者が学ぶんだよ」
私の言葉を聞き、殿下はどこか沈んでしまった。
どうやら言い方を失敗してしまったらしい。自分が贅沢な立場だとでも思ってしまったのだろうか。
けれど、そんなことはないとただ言ったところで納得はしないはず。必死に言葉を探した。
「私たちに必要なものは、身体で覚えるのが基本だからね。紙の上でいくら芋の切り方を習ったところで、実際に出来なきゃ意味がないだろう?」
「でも俺、自分で服を着ることもあまりないよ」
「まあ……、それは平民からしてみれば普通ではないけどさ。でも私は、ただの贅沢だとは思わないかな」
歩きながらの会話なので必然的に足並みはゆっくりとなり、殿下が見上げてくることで疑問を伝えてくる。
なので微笑み返して先を続けた。
「仕事があればあるだけ、雇う人数も増えるだろう? 逆に減れば、その分の皺寄せは下の者たちへと来る。足りなければ機会も生まれるね。大切なのはきっと、贅沢の中にある意味を本人がしっかりと認識しているかどうかじゃないかな」
「意識の問題ってこと?」
頷けば、殿下が眉を寄せた。
説明下手な私の言葉を、うまく噛み砕こうとしてくれているのだろう。いじらしい限りだ。
だから、石畳の道を歩く私たちの隣を駆け抜ける子供の姿を見て、自然と零れた。
「彼らとルーは、位置が違うだけだよ。生きる術が今必要か、これから先必要になってくるか。どちらが正しいとかではなくね」
「……そっか。みんな頑張れば良いだけだね」
「そうだね。きっとそういうことだ」
そして、はにかむ顔を見て無意識に頭を撫でていた。思わず手のひらを凝視して驚いてしまう。
普段ならともかく、今の殿下の髪は偽物だ。だというのに、触った瞬間に悪寒は走ったが、それだけだった。
殿下の癒し効果には、驚かされるばかりだろう。この私にトラウマを忘れさせるなど。
しかも殿下は、急に動きを止めた私に何を言うでもなく、繋いだ手に力を込めるだけだった。それは何も知らないからこそ温もりを抱く、子供だからこそ伝わってくる優しさだと思う。
それでいて、素直に感謝を口に出来ないのが大人の弱さだ。
代わりとして、私は殿下を子供たちが良く集まる空き地へと案内した。
「あ、レオ姉!」
「ほんとだ、どうしたのー?」
今日はそこで八人ほどが遊んでいて、私の姿を見つけると駆け寄ってくる。
殿下は少し恥ずかしいのか、心なしか背後で隠れるようにしていた。それを子供たちが興味津々で覗き込む。すると殿下は逃げるように位置を変え、追いかけられて、皆が私の周囲をグルグルと回る状態になった。
「ははっ! とりあえず落ち着いて。この子はルー。私の知り合いの弟なんだけど、少し前まで病気でずっと外に出れなくてね。今はもう大丈夫になったから、良かったら少しの間、一緒に遊んでやってくれないか?」
「え、レオ……。でも、俺」
「大丈夫、どこにも行かない」
そっと背中を押して殿下を前に出せばすぐさま皆が自己紹介を始め、それにたじろいでいる間で一人が手を取り空き地の中心へと連れて行く。
しばらくは、しきりに私に助けを求める視線が飛んでくるも、それが無くなるのもすぐのこと。次第に殿下は、輪に溶け込んで遊びに熱中していった。
隣の建物の壁に寄り掛かりながら、私たちはその様子をそっと見守る。午前中に働いていた子もいるが、やはり子供の体力には驚かされる。元気が有り余っているようだ。
私だけでなく物影に潜む仲間もまた彼らへ温かい視線を送っており、こんな気分になれるのならただ働きも悪くないと思えた。
「レオじゃないかい!」
そんな時、空き地の前を通りかかった者から突然声をかけられた。
視線を移すと懐かしい人物がそこに居て、すぐさま頭を下げて挨拶をする。
「お久しぶりです」
「本当にね。噂は聞くけど全然顔を見せないから、心配してたんだよ。綺麗な髪を染めるなんてもったいないことをして!」
仲間に殿下を見てもらうよう合図を送りつつ、どうしようもなく居た堪れなくなる。
会うのは四年振りだろうか。記憶の中よりいくらか老けてはいるが、恰幅の良い体も穏やかな性格を映した表情だって何一つ変わっていない。
彼女は、かつて暮らしていた家の三軒隣りでパン屋を営んでいるおばさんで、騎士学校へ入学する際に私の身元保証人になってくれた人でもある。
「おばさんはお変わりないようで。お元気でしたか?」
「元気も元気! この体重は、変わらないようにするのが精一杯ときたもんだ」
つまりは私の過去を知っており、それにも関わらず義名で呼んでくれる上、けして口外しないでいてくれる大恩人だった。かつての知り合いの中では彼女だけが、十年前までの普通の女の子と今の私が同一人物だと正確に把握している。
頭からつま先までを眺める柔らかな瞳が、感慨深そうに細くなっていた。
「今日はお休みかい?」
「はい。おかげで知り合いから子守りを頼まれてしまいまして」
「そうかい、そうかい。学校を卒業して以来だねぇ。よくもまあ立派な騎士様になったもんだ」
「とんでもないですよ。私などまだまだで……。未だに周囲に付いて行くので精一杯です」
「それでもだよ。レオナとカルロの娘が騎士様になるなど、あたしは未だに信じられないもんだからね」
そして、厚みのある唇から飛び出た名によって、私の身体が激しく強張る。おばさんに再会するよりもっと長らく耳にしていなかった母と父の名だった。
おばさんは私の手を取ると、寂しそうに微笑んでいた。
「二人の墓参りはちゃんとしてるのかい?」
「……忙しくて」
「だろうねぇ。司祭様もそう仰っていたよ」
曖昧に答えはしたが、本当は葬儀以来一度だって参ったことはない。定期的に寄付をすることで、管理の全てを託している状態だ。司祭様はわざわざそれを隠してくれているのか。
おばさんを含め、そういったさりげない気遣いが切なさを生む。だからこそ本当なら会いたくなくて、今まで実家があった周囲に足を運ぶのは早朝か深夜に限っていたというのに、偶然とは時としてとても無情だ。
かといって、この考えがとても利己的だとも自覚しているので、触れられた手を払うことなど出来なかった。
すると、ふと思い出したかのように、おばさんが片手を頬に当てて言った。
「そういえば、せっかく寄付をもらっているのに掃除する必要がなくて、助かっているが申し訳ないとも口にされてたね」
金額自体はそこまで大きくもないので気にしないが、その理由に対して首を傾げる。
両親には私以外、家族と呼べる存在はいない。だから不思議に思っていれば、おばさんがさらに不可解な事実を告げた。
「なんでも毎月お花を供えてくれる子がいるらしいよ」
「毎月? 毎年ではなくてですか?」
「そうなんだよ、この十年間一度も欠かすことなく。レオとそう年の変わらない青年らしいね。それ以上は悪いけど、司祭様に聞いとくれ。最近物忘れがひどくてねぇ」
命日ならいざ知らず、一体誰がそんなことを……。しかも私と同年代などおかしい話だ。心当たりはまったくなくとも、両親とならそこまで深く疑問に思わずに済むがそうはいかない。
近いうちに司祭様の元を訪れようと決めた。
それからはおばさんの世間話が主となり、適当に相槌を打つ時間となっていった。
するとしばらくして、軽快な足音が近付いてきて袖を掴まれる。
「レオ、この人は?」
「おやまあ、可愛い子だねえ!」
「私がお世話になった人だよ。それよりもルー、まずは挨拶だろう?」
「あ、うん。こんにちわ」
「はい、こんにちわ。ルー君って言うのかい?」
どうやら遊びが一段落付いたらしい。今さらながらおばさんの存在に気付いて寄って来たようだ。
そうすると可愛い顔立ちも相まって、おばさんの興味が殿下へと移る。このお方が王子だと知った日には、腰を抜かしてしまうだろう。
しまいには、腕に下げていたカゴからパンを渡していた。
「おばさん、それって配達分じゃ……」
「いいの、いいの。どうせバレやしないよ」
「ありがとう!」
殿下も殿下で普通に受け取っているが、さすがにこの流れで毒見をするのは無理があり、半ば強引に後で飲み物を買ってから頂こうと言って取り上げた。
滅多にない同年代との交流で、緊張感が無くなってしまったのだろう。私のその行動で思い出したらしく、意味もなく慌てていた。
「そ、そうだレオ。そろそろ時間が無くなってきたと思って、それで俺!」
「うん、そろそろ次に行こうか。すいませんがおばさん、私たちはこれで」
「あら、あたしもすっかり長居しちゃったねぇ。それじゃあレオ、近いうちに遊びにおいで」
最後の言葉には微笑むだけに留め、おばさんを見送ってから子供たちへ別れの挨拶をするよう促す。
少しだけ寂しそうにしながら、殿下は大きく手を振った。
「じゃあ、またな!」
「ばいばい、ルー。また遊ぼうねー」
「今度は別のことしようぜ!」
皆が皆、再会を望む言葉を口にしていた。
はたして次の機会があるのかどうか、その確証を持つことは誰にもできないが、殿下のことを知っている大人たちは全員がそうなれば良いと思ったことだろう。
時間にすればほんの一刻だったが、これがこの先何らかの形で繋がればと願わずにはいられない。
「楽しかった?」
「めちゃくちゃ! 全員と友だちになった!」
「それは良かった」
そうして投げかけた質問に、殿下は咲き誇る花さえ叶わない満面の笑みで頷いた。




