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悪魔の微笑を消す呪文  作者: 林 りょう
【黒騎士】編
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特別な思い出(2)




 せっつかれて向かった副団長室の扉を開けるのには、相応の勇気が必要だった。

 イースとは顔を合わせずらいのもあり、なにより厄介事の臭いしかしない。

 けれど、そうしてノックをしない私を、ウィリアム副団長が見逃してくれるはずもなく。というか、この人は透視が出来ると常々思う。


「なにを愚図愚図しているのですか、さっさと入りなさい」

「…………失礼します」

 

 中から聞こえてきた厳しい声に大袈裟なほど肩をびくつかせ、渋々扉を開いた。


「あ! レ――――」


 そして閉める。

 扉の向こうからバンバンと小さな振動を感じるも、とりあえずドアノブは死守し深く嘆息する。見た限り、中にはウィリアム副団長と第三王子しかいなかった。

 本当に、あの自由人は何を考えているのだろう。とことん私を使ってくれるつもりか。これについては、面倒事を押し付けているとしか思えない。

 さて、このままここで大人しくしてもらうにはどうすればいいのか。ウィリアム副団長と居る限り、殿下は絶対に安全だと言い切れる。

 しかし、死刑宣告にも似たひときわ大きい扉の振動によって、その思惑は消さざるを得なくなった。

 バキッ! なんて音が聞こえたが、ここは足が飛び出てこなかったことを喜ぶべきだな。


「往生際が悪いですよ」


 恐る恐る入室すれば、にこやかな表情で殺気を放つ美鬼が仁王立ちしている。姫なんて呼ぼうものなら、私に明日はない。

 邪魔くさそうな長い髪の毛先を鮮やかなオレンジに染めているのは、たしか面白いからだったか。貴族でありながら、全てをその感覚だけで選ぶウィリアム副団長は、黒騎士きっての変人である。

 この人然り、ゼクス団長然り、あとラルフ部隊長やテディも、化け物染みた人たちに対してはいつも思う。何とかと天才は紙一重というのは、あながち外れてはいないなと。


「なんで閉めるんだ。せっかく会えたのに」

「まだ5日ほどしか経っておりませんよ、殿下」


 とりあえず跪けば、頬を膨らませた殿下に文句を言われてしまった。

 今日は比較的目立たないお召し物だが、それでもこんな所では不自然さが拭えない。そもそも保護者はどこ行った。

 ウィリアム副団長を見れば、こちらが問うより早く答えをくれる。


「お帰りになられましたよ。そして、今日一日預かって欲しいそうです」

「せっかくだから遊んで来いって」


 片や平然と、片や楽しそうにしているところ悪いが、それはつまり邪魔だから追い出されたと言わないか。

 イースに比べれば、殿下の方が何倍も自由で安全さも段違いだが、だからといってそこでなぜ私が呼ばれる。


「ルードヴィヒ殿下のご指名だからです」

「副団長はついに、読心術まで習得されたのですね」

「相変わらず面白いことを言いますね。勘に決まっているでしょう」


 それが怖いのだと、どうやったら伝わるのだろう。

 どちらにせよ、命令には従わなくてはならない。遅まきながら黙って待機すれば、立つよう促され、そして――


「預けます。護衛はいつもの半分ですので。ああ、指示はもう出していますから」

「よろしくな!」


 抱き上げられた殿下を差し出された。

 あまりのあっさりさに、二の句が継げない。

 受け取れと? 普通に7歳児など、重くて抱いていられないから。


「変装の用意も出来ています。後は着替えるだけですので、街を案内してさしあげなさい」

「社会見学だと兄上は言っていた」


 さらには執務机の上に置いてある物を示され、これで説明は終わりだという顔をされる。

 色々なことが唐突過ぎてついていけない私が、ここではおかしいのだろうか。正しい感覚が分からなくなってきた。

 そうしている内にも、目の前の殿下との距離が近くなっていく。ウィリアム副団長の笑みが濃くなった。

 そうですね、拒否権などないですよね。

 眉間を揉みたい衝動に駆られながら、殿下を床へと下ろして手を取り、着替えと荷物を預かるために動く。もちろん同時進行で、確認も怠らない。


「時間はいつ頃まででしょう」

「夕刻の鐘が鳴る頃には戻って来なさい」

「立ち寄るべき場所はありますか?」

「いえ。普通の子として遊ばせるようにと」

「急なようで準備が良いのは、気のせいでしょうか」

「どちらにせよ、やるべきことは変わらないと思いますよ」


 そして、ガリガリと精神が削られていく。

 終わり良ければ全て良しと言うが、逆に悪いとこうなってしまうのか。

 せめてもの救いは、かろうじてまだ外枠だということだろう。これ以上中央へ近付いてしまうのは、さすがにまずい。国王陛下にも、息子の教育について言ってやりたいことが山ほどあるが、そうでなくともその周囲には、絶対に会いたくない存在がある。

 そうやって、自分勝手なことばかり考えながら、数少ない既婚者から借りたらしい子供の服を殿下に着せていった。

 けれど、それだけではまだ目立ったままな部分がある。

 ――髪だ。私でさえ派手だと言われるのだから、生まれてからずっと手入れされている殿下など、金貨のように輝いて見えることだろう。

 すると、ウィリアム副団長が背後に忍び寄り、ある物を殿下の頭に被せる。


「わっ!」

「っ――――」


 驚きの声を上げたのは殿下で、言葉を失い飛び退いたのが私だった。

 気配を消して後ろを取られることなど、ここではザラにあることだ。だから、それぐらいでは驚きはしてもこうはならない。

 原因は別のところにあった。

 ――それは、カツラ。私がこの世で最も受け付けられないもの。

 殿下の前だとか、醜態を晒していると分かってはいても、顔から血の気が引く。指先は震え、視線が落ちた。


「レオ?」


 だめだ、落ち着け。これから護衛しなければならない相手を、不安がらせてどうする。なんでも良い、声をかけなければ。

 分かっているのに、頭の中はフラッシュバックした光景で支配されようとしていた。もしそれが、母のような形で作られていたらと考えてしまう。

 そんな時、ウィリアム副団長の呆れた声がした。


「やはり駄目ですか」

「申し…………わけ……」

「情けない。たかが髪でしょう」


 そう、たかが髪だ。

 けれど、それが時に大切なものを奪う。私やイースのように、たかが色ごときが人生を狂わせることがある。


「申し訳ありませんが殿下、少し御髪を傷めてしまうかもしれませんが、染めさせて頂いてもよろしいですか?」

カツラ(これ)では駄目なのか?」

「その場合は、レオ以外を付けることになります」

「……なら良い」


 私が必死に自制を試みている間で、騎士として最悪なやり取りをさせてしまっていた。

 そして殿下の呟きが、ひどく心に突き刺さる。


「せっかく兄上と一緒になれると思っていたのだがな」


 王子としてのその言葉は、イースの置かれている状況をしっかりと理解していて、その上でとても真っ直ぐな優しさに溢れていた。

 金髪至上主義のことは、ジョゼット様から説明を受ける以前から知っている。それが、玉座を巡ってイースと第二王子を対立させていることも。

 けれど、第三王子であるルードヴィヒ殿下は、その渦中にはいない。おそらくは、持つ者と持たざる者でありながらも、兄としてイースが護っているのだろう。それを殿下は分かっているのだ。


「だい、じょぶ……です」

「自分の顔を鏡で見て、もう一度そう言えるのなら信じましょう」


 それに比べて自分は、と思った。

 だから、ウィリアム副団長に切り捨てられつつも、深呼吸してから再び、今度はしっかりとカツラを視界に入れながら言う。


「お見苦しいところをお見せ致しました。私のことならお気になさらず、どうか殿下が望まれるままに」


 まだ顔の青さは戻っていないだろうが、それでもマシではあったはずだ。ウィリアム副団長の小言はない。

 そして、震えながらもカツラに触れ、違和感がないようしっかりと整えてやった。


「大丈夫なのか?」

「はい。せっかく殿下が、私をご指名して下さったのですから」


 それでもひっそりとウィリアム副団長を睨めば、嫌味ったらしく口元を歪めてこちらを見下ろしていた。

 自分の望んだ通りに事が運べて嬉しいのだろう。ただでさえ負けず嫌いな私だ。崩れかけても死ぬ気で持ち直そうとすることを、この人は見越していたはず。

 だからといって虫嫌いな人間を、虫で一杯にした浴槽へ嬉々として沈める奴があるかと。私にとって今の所業は、十分それに匹敵する。

 立ち止まって周りを見ろとイースは言ったが、見渡しても居るのは鬼畜だけなのはいかがなものか。しかも、注釈として常軌を逸したと付く。


「それにしても、今の殿下は王太子殿下とそっくりですね」

「本当か?!」

「はい。とても」


 あまり取り乱さずにいられたのは、殿下の前だったことも大きい。これがイースや黒騎士であれば、拒絶したまま梃子でも動かなかったと思う。

 追及を恐れて口にした言葉を喜ぶ姿に、強張った身体が解れていった。

 そしてそれは、本当に思ったことでもある。これまで特に意識したことは無かったが、同じ配色になれば良く分かった。イースから泣きぼくろを取り、少し目を大きくして、純粋さを大量に注入したのが殿下だ。まつ毛もこちらの方が長いか。

 けれど、かなり歳が離れているので、どちらかといえば息子の方がしっくりくるかもしれない。金髪ということは、イースの罠に嵌ってしまっていた場合、私はこんな感じの子供を産んでいたかも…………。

 そこまで考えて、頭を抱えてしまった。


「何をしているのですか」

「なあ、ウィリアム。今日のレオは少し変だぞ」

「この子はいつも変ですよ」

「副団長にだけは言われたくありません」


 思わぬところでダメージを受けてしまったが、おかげでどうにかやっていけそうだ。

 二人からのツッコミを無視し、殿下と手を繋ぐ。こうなったら、とことん王都を満喫してもらおう。回避が不可能なことは、部屋に突撃された時に十分学んだ。


「あなたは案内に集中して構いません」

「はい」

「では、殿下。お気をつけて行ってらっしゃいませ」

「皆によろしく伝えてくれ。――レオ、早く!」


 そうして、殿下に引っ張られる形で退室することになったが、ウィリアム副団長は止めを刺すのを忘れてはくれなかった。

 扉が閉まる直前、朗らかに告げる。


「裏工作が面倒なので、今日は非番にしておきましたよ」

「なっ――――?!」


 まさかのただ働き宣告には絶句。今すぐ戻って詰め寄りたかったが、楽しみで仕方がなかったらしい殿下によってそれは叶わず、自室へ寄る了承を得るので精一杯だった。


「散らかってるのか?」

「…………あの時よりは」


 それもまた、少なからず疲労を伴った。四年も居れば物は増えるのだから、仕方がない。忙しいからは、けして言い訳ではないはずだ。

 とは思いつつも、大人げないので口には出さずに宿舎へと向かう。

 すると、一度本部から出て訓練場を通る必要があるせいで、私と殿下の姿を視界に入れた途端、待機中な面々がわらわらと集まってきた。


「これが黒騎士か!」

「ルー、落ち着いて。ここで興奮しすぎると、夕方までもたないよ」


 質素な服を着て、艶やかすぎる金髪を隠しただけでは、気品などを隠しきれないのではと思っていたが、目を輝かす姿は普通の子と変わらない。

 こういった切り替えの上手さも兄とそっくりだ。


「どうしたレオ、どこん子だ?」

「先輩、あれじゃないっすか。隠し子的な!」

「いやいやいや、レオに育児なんぞ無理だね、無理!」


 逆に、こいつらときたら……。

 殿下が自然体でいられる様、正体を知っていることはイース同様伏せているとはいえ、少しは手加減をしろと怒鳴りたい。頭を撫でる力が強すぎて、若干カツラがズレてるから。


「うっわ、離せ!」

「生意気だな、クソガキのくせして!」

「俺はもう7歳だっ、うひゃあ!」


 ついには小脇に抱えて、グルグルと回り始める奴まで出てきた。

 イースの弟に構いたい気持ちは分かるが、一応王子だからな。殿下も楽しそうなので、止めはしないけれど。

 そして、どうせだからこの間に私の用意を済ませてしまおうと思い立つ。

 そんな時、ちゃっかりと輪の中に入っていたロイドを発見する。


「準備してくるから、その間頼んで良いか?」

「お、レオ。了解。ちなみになんて呼んでんだ」

「ルーでよろしく。とりあえず、大通りを中心に周るから」

「それなら、イタズラ専門店は外すなよ! あそこは子供の夢がつまってるからな」


 その子供のための場所へ、お前は未だに行っているんだな。という言葉は、かろうじて呑み込んだ。

 殿下がさっき黒騎士へ向けていた目と、今のロイドの目はまったく同じだった。

 そして、隣に立っていたテディの頭をついでに撫でてから、宿舎へと小走りで向かう。階段を駆け上がり、自室の鍵を開けて中に入った時、殿下を置いて来て良かったと思ってしまったので、次の休みは片付けをしなければならないだろう。

 とりあえず今は現実から目を背け、制服を着替える。かといって、大して格好は変わらない。厚着が苦手なので、細身の黒いパンツにシャツを一枚。その上からロングコートを羽織り、剣を下げる。ちょっとした武器もいくつか忍ばせた。

 

「出来れば、このままが良かったな」


 それから、忘れてはならないことがもう一つ。殿下が隠したところで、私が目立ってしまえば意味はない。

 けれど、不本意でもせっかく手入れをしたのだ。その努力を無駄にするのは、少々気が引ける。

 それでも仕方がないと諦め、物を置きすぎている棚から粉末の入った小瓶を取った。姿見の前に立てば、年々母に似てくる自分が映る。

 ただ、一人きりで微笑む必要のない今の自分の瞳は、どこか不安そうに揺れている。同じ色でも父の眼差しは深く穏やかで、母の金の瞳はもっと明るく煌いていた。

 思い出してしまうと止まらない。瓶の中の粉末を手のひらの上に乗せ、少しの水を垂らして混ぜ合わせながら、冷たい鏡へ額をつける。


「……母さん」


 そう感傷に浸る時間はないが、開きそうになる蓋をしめなければ、頭がおかしくなりそうだ。なんとかなるだけ大分マシにはなったが、やはり平気にはなれそうにない。

 十年前の感情は、今もまだ強くはっきりと私の中で生きているのだから――

 しばらくして、落ち着いてから顔を上げた。そして、黒くなった手のひらで髪を梳こうとし、重いため息を零す。


「ほどくの忘れてた」


 極力汚してしまわないよう、固く縛った紐を目に付いたカミソリで切り、改めて色を付ける。

 するとあっという間で、青味のかなり強い黒へと髪が変化した。

 おばばの様に時間で消える染め粉は作れないが、私もヤブで薬師を出来るぐらいには知識がある。独自に作ったこれはただ塗るだけで良く、ぼったくられた苦い思い出のあるおばば特製の色抜きを使えば、すぐに元に戻せるので重宝していた。ただし、便利な分、傷み方がひどいのが難点なので、乱用はできない。

 ともかくこれで、用意は済んだ。手を洗って、髪を結び直す。部屋を出ようとして、雪がちらついているのに気付き、貰ったは良いが使うことのなかったマフラーを引っ張りだす。

 そして、殿下の元へと戻った。


「お、お母ちゃん来たぞ」

「レオ! こいつら暑苦しい!」


 そこで待っていたのは、さらに人数が増えた黒騎士の集団と、彼らに構い倒されている小さな影――もとい殿下だ。

 かなり遊んでもらったようで、寒さだけではない理由で頬を赤くしている。これでは、帰りにおんぶを覚悟しなければならないだろう。


「そうだね。加齢臭とモテなさが移ったら大変だから、さっさと行こうか」

「おい待て! そりゃあ、どういう意味だ!」


 周囲の文句を無視し、崩れてしまった身形を整え、持ってきたマフラーを巻いてやる。

 目を丸くして私の頭を凝視していたので、笑みを零して一言。


「お揃いにしてみたんだけど、どうかな」


 そうして、騒ぐ連中にひっそりと合図して、第三王子殿下の初めてのお忍び散策は始まった。





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