白と黒の交差(3)
あれだけ脅しておきながら、殴られたのは一発のみ。それでも十分な威力で、満身創痍な身体を地面に横たえる。息をするのも一苦労だった。
そのくせ視界と頭は晴れやかな気がして、無性に笑えてしまう。
「久し振りに疲れました」
「そうかあ?」
それは自嘲だ。黒騎士二人の会話を聞きながら、額に腕を乗せて歪んだ口元を隠す。
俺は、ジャンを責めるべきだった。その資格がないだとか、気付けなかったことを後悔する暇があれば、あいつの為にそうする必要があった。
だというのに、自分のことばかりを考えて……。何をやっていたんだ。
要するに俺は、他人が整えてくれた道を、自分で作った気になって歩いていただけで、だからこんなにも簡単な答えを出せず、それすら人の手を借りる始末。
…………今からでも、間に合うだろうか。
そう思って、すぐさま首を振る。違う。間に合わせる、だ。
あの女に対しても、果たすべき義務がある。ジャンに頭を下げさせ共に詫びることは、おそらく俺にしか出来ない。
それとは別で俺自身も、あいつに数々の暴言を放っている。自分勝手な感情を、一方的な妬みを当り散らした。
「おい、生きてるか」
「死にたい気分です」
「そいつは良かった。どこぞの小娘は、これでもまだ認めないなら殺せとのたまったからな。それに比べりゃ、よっぽどマシだ」
こちらをのぞき込んでくるゼクス団長の顔を見れないままでいれば、でかい手で頭を揺らされた。
あの女は、この人に好かれているのかどうなのか、良く分からない。今のは俺が褒められたのか。それとも、慰められただけなのか。
とりあえず、機会を逃さない内にとジャンを呼んだ。
「俺さ、黒騎士は頭がおかしいって思うんだけど」
「それには同意する」
「そんだけ文句が出れば大丈夫だな!」
なぜか嬉しそうなゼクス団長は放置し、なんとか身体を起こすと、お互いにへたり込んで向き合う形になった。
そして、あまりにもひどい姿で、また笑いがこみ上げる。前回と今回、はたしてどちらがジャンの中でマシだったのか、気になってしまう。
「俺は全然笑えないんだけど。エドガーまでおかしくなった?」
「そうかもしれないな」
「……まじで?」
「とりあえずだ、ジャン。今度お前を殴らせろ」
「はあ?!」
さすがに今は、殴る元気がない。
すると、柄の悪い格好で俺達を眺めるゼクス団長の後ろから、突然タオルが降ってくる。
ウィリアム副団長だった。
「まったく……。弱いものイジメは、レオで一生分やりきったつもりでしたよ」
「俺には楽しそうにしか見えませんでしたけど」
「あなたの反応があまりにも面白かったので、つい」
さらにはアシル様たちも合流し、見事に笑われてしまった。
けれど、その顔には疲れが見え隠れしており、いつもの余裕さが薄れている。
「さすが黒騎士は容赦がないね」
「どこがだ。むしろ手加減しかしていないぞ」
「あの……、それはそれで情けなくなるかと思うので、もう勘弁してやってくれませんか?」
気遣ってくれた副団長の言葉が一番堪えたのは、黙っておいた方が良いのだろう。その代わりに零れたため息が、ジャンと重なった。
俺はとことん恵まれている。こうして導いてくれる方々がいるのは、きっと当たり前なことではない。
「ジャンはともかく、どうやらエドガーは、少しは身に沁みたようだね」
「……はい」
頷きながらも顔が見れず、俯いてしまった。
それを窘めてきたのがウィリアム副団長で、彼は言う。
「レオと比べるようなことを散々言いましたが、正直ただの建前にすぎないんですよ。こういう時でもなければ、あの子の味方の真似などできませんし」
「おい、言わないはずだったろ」
「今まで何も告げずに来た結果、二人はこうなったということが良く分かったもので。それともバリエ卿は、この期に及んでもまだ押し付けるおつもりですか」
「ルイスは相変わらず手厳しいね」
「家名で呼ばないで下さいと、何度も言っているはずです」
目の前にいるのは白と黒の柱なはずだというのに、力関係が若干おかしい気がした。
アシル様を言い包められる人物など、バーナバス以外いないと思っていたのだが。横でジャンも驚いている。
すると、唸りながら髪を掻き毟ったゼクス団長が一歩前に出て、俺たちの頭に手を置く。
「重いんですけど」
「まあ、聞け。俺とウィルが、アシルにレオを預けたのはな、どうしようもないってことを分からせたかったからだ」
「分からせる、ですか?」
「協力してくれる仲間も、自由に動ける立場もない状況で、自分の限界ってもんをな。見事に失敗したんだが……、それは良い。それよりも、おい! アシル」
そしてなぜか、意味の分からない言葉だけを並べてアシル様を呼ぶ。
頭に重しがあるままだったので、顔を上げることはできなかったが、こちらへ近づいた足だけは視界に映る。
アシル様が団長として物を言うとき特有の、感情を乗せない静かな声がした。
「王太子殿下は、これから白騎士団の再建に動かれる。そしてお前たちには、彼のお方にとって信頼に足る者になってもらう必要があった」
「それは――――っ!」
もたらされた内容は驚愕を超えるもので、反射的に首が動くも、上から強く押されたことで全身の傷に響くだけに止まる。騒ぎ立てるなということらしい。
アシル様はさらに続ける。
「しかし、お前たちは自分から動こうとはしない。だからこそ、少しは変わるかと思い、レオと引き合わせての結果がこれだ」
苦笑するしかなかった。
たしかにあの女は正反対だ。どんな状況でも諦めず抗い、自分にできることを考えて動いていた。それを俺はただ馬鹿にして、学ぼうともしなかった。
地位や才能があるだけより、よっぽど騎士らしい。
しかし、その認識を否定したのは、あろうことか黒騎士の二人だった。まずはウィリアム副団長が、両手を叩いて俺の思考を無理やり止める。
そして、厳しい口調で言ってきた。
「見習うのは、あの行動力だけにしなさい。それ以外は一切、真似をする必要はありません」
「安心しろ。お前たちは腐りかけていただけで、まだ鍛え直せばどうにかなる。アシルの息子は、大分骨が折れそうだがな。昔のお前にそっくりだ」
「私はジャンほど一途ではないけれどね」
さらにゼクス団長が、人の髪を激しく乱しながら理由を話す。
そこには複雑な想いが乗っていた。
「色んな連中を見てきたからこそ分かるんだがな、今はどうであれお前たちは、間違いなく他人の為に騎士を目指した奴だ」
「言っておきますが、それが出来るのは感覚で生きている団長だけですよ」
「ウィル、茶々を入れるな」
つまり、あの女は違うということか。
…………あれが? まさか。子供の為に、命すら投げ出した奴だぞ。自分勝手という言葉がまるで当てはまらないはずだ。
どこまでも高潔で、師であり尊敬しているお爺様にそっくりだとすら思う。
けれどこの二人は、そう思わないらしい。
しかも、さらに不可解なことを言う。
「あいつは、騎士に向いていないのを自覚しているからこそ、そうあろうとすることで自分を誤魔化しているに過ぎん。だが、お前たちは違う。だからまあ、殴ったら目を覚ますと思ったわけだ」
まるで良いアイディアだと言わんばかりに笑っているが、どういう理屈だ。そしていい加減、首の負担がひどい。
そんなことを思っていれば、突然にジャンが声を荒げた。
「いったい何の為に!」
これにはゼクス団長も驚いたらしく、頭上の手がピクリと動く。
さらにジャンは、それを振り落とそうとしたようだが、鍛え抜かれた筋肉のせいで失敗していた。文句が聞こえてくる。
ただ、少なからず平常心を取り戻させたようで、次に聞こえてきた声は気まずさを含んでいた。
「意味なんて……、ないはずでしょう」
「何に対してそう言ってんのか、いまいち分からんな。だがまあ、俺達にとっては意味があるぞ。王太子殿下のお命がより安全になる。殿下と同世代で期待を持てるのは、お前たちだけだ」
「あなたたちは、スタート地点に立ったところで満足してしまっただけなので、荒治療ではありますが、蹴り飛ばせばなんとかなるんですよ。それよりいい加減、手を離してやったらどうですか」
「お、そうだな」
そして、やっと視界の自由が戻った。顔を上げれば、いつの間にかアシル様と副団長が消えている。
それにしても今の一言で、アレが出来上がったのにすごく納得がいった。
極端なのだろう、この人たちは。ウィリアム副団長はどちらかといえば、ゼクス団長のストッパーに思えていたが、類は友を呼ぶとは良く言ったものだ。変人だと噂されていることが、頭から抜けていた。
けれど気になるのが、だったらなぜあの女を育て上げたのかということ。騎士に向いていないのなら、入団させなければ良かっただけな話だろう。
そう尋ねれば、ゼクス団長は苦々しく吐き捨てる。
「受験者の中で一番根性見せてきたってのに、女ってだけで不合格にはできなかっただけだ」
「うちに女性がいなかったのは、いらないのではなく耐えられないからです。そこを乗り越えられてしまっては、認めざるを得ません」
「まったく……。聞く耳を持たないからこそ、辞めさせるつもりでしごかせたってのに」
「結果として出来上がったのが、ゴールの無い道をひたすらに突っ走る大馬鹿者とは、我々も報われませんね」
しかし途中から、ただの愚痴になっていた。
それに気付いたウィリアム副団長が咳払いをし、気まずそうに呟いた。
「死なせるわけにはいきませんので」
「特に、あいつはな。道を歪めた責任が俺達にはある。そんだけだ」
とにかく、不本意ではあったらしい。
ただその口ぶりだと、あの女が騎士になる以前から知り合いだったように聞こえる。
それはジャンも同様だったらしく、どこか訝しげに問いかけていた。俺には分からない言葉を用いてだ。
「あの事件の関係者…………?」
すると、黒騎士の二人が失敗したとでも言いたげにしかめっ面をして、ゼクス団長が呻き、ウィリアム副団長は天井を見ながら嘆息する。
その反応は、まるっきり肯定しているようなものだろう。
そしてジャンが、痛みなど消えたかのように突然立ち上がって詰め寄った。
「わざわざ初の女黒騎士になったのは、箔を付けて取り入る為なはず!」
取り入るだと? 一体誰に。そもそも事件とは一体――
一瞬にして疑問の山となる。
あと少しで、大切なものを思い出せそうな気がした。たった一言でも、付け加えてくれさえすれば。
けれど、それは叶わない。どこかへと消えていたアシル様が戻り、しかもなぜか気配を殺してジャンの背後に立つ。さらには躊躇無く、その頭を叩いた。
「いたっ! って、父さん?」
「何時になったらお前も、過去を過去として受け入れられるんだろうね。もしそうだとしても、そんな遠回りをする必要などレオにはないだろう」
そして、俺にも視線を向けながら、今までの会話を聞いていたかのように告げた。
「これ以上、王太子殿下や私を失望させるな。ここで這い上がるか、再建の対象になるか。答えを出しなさい」
すると、ならなければ良かったとさえ思っていたはずが、まるで昔からそうであったかのように、気持ちが定まった。
とても今更で、遅すぎて、どれだけの人間に迷惑をかけたか知れない。せっかくの期待をわずらわしいとしか感じず、環境に甘え何もしてこなかった。
それでも、期待に応えたいと、こんな俺でも護れるものがあるだろうかと、そう思ってしまった。
そんな時、頭の中で声が響く。忘れていた記憶の一部が蘇り、力強くも優しげな金の瞳が脳裏に浮かんだ。
それは、色が異なるだけであの女とそっくりな、獅子の眼差しだった。
『ならエドは、うんと強くなって、色んな人を護れる立派な騎士様になること。約束よ』
だが、それが誰との約束かを思い出すより早く、もっと重要で、この一週間ですべきだったことに気付いてしまう。
なぜ自分達は休暇扱いだったのか、なぜアシル様は呆れて物も言えなかったのか。気付かない方がどうかしていた。
あの女は、貴族の目に留まってしまったのだ。逆恨みもされているだろう。狙われないはずがない。
それでも、殺される可能性は限りなく低く、だからこそアシル様はあいつを選んだ。妬ましいと思うのは、俺や王太子殿下ぐらいなのだから。
ああ――本当に俺は、自分のことだけしか考えていなかった。
「アシル様!」
そうして、気付けば声を荒げていた。ジャンはよく立ち上がれたなと思っていたが、痛みなどに感けていられなくなれば、身体は簡単に動かせた。
まだ間に合うはずだ。間に合わせなければ。この人が何の対策もせず、俺達に丸投げしていたはずがない。
すると俺の様子を見て、ジャン以外の三人が満足そうに笑う。
だから、間違わないようはっきりと尋ねた。
「あの命令は、まだ生きていますでしょうか」
全てを任せる。その言葉から、今回のことは始まった。
ここまで無様な醜態を晒したのだ。晒し続けた。だから、あの女とは違って格好がつかずとも構わない。
そうやって答えを待てば、アシル様は言う。
「レオは望んでいないかもしれないよ」
強く頷き、探る視線と対峙する。
もちろんだ。顔も見たくないだろう。それでも、ジャンのように気付いていながら、気付いていない振りなどできない。都合が良い言い分だとしても。
そのくせ分かっていないこともまだ多い。おそらくは、スタートラインから一歩進めただけだろう。
現にジャンが、珍獣を見るかのような目を俺に向けていた。それだけではなく、こういう時ばかり言葉を使ってくる。
「ごめん、エドガー。その様子だと、思い出したわけじゃないんだよねぇ?」
「あの女の置かれている状況が最悪なのは分かった」
「ちなみに理由は?」
「あいつは金髪だ」
「…………うん。まあ、そうなんだけど。そうなんだけどさ!」
俺は何一つ、おかしなことなど言っていない。だというのに、ジャンだけでなくアシル様、傍観していたウィリアム副団長まで呆れてくれる。ゼクス団長だけが、腹を抱えて笑っていた。
――金髪至上主義。それは、歴史に大きく名を残した王族が、こぞってその髪色だったというだけで、いつの間にか出来ていた思想だ。
そして近年では、御生まれになった三人の王子殿下の中で、エイルーシズ様のみが黒髪であったが為に、私腹を肥やすことしか能がない貴族の間で一気に広まってしまった。
おかげで俺は、父上に迷惑を掛ける存在として、家族全員から疎まれ続けている。
かといって、必ずしも王族のみに現れる色というわけでもなく、平民にはかなり珍しいというだけで、貴族でなければそんな思想があること自体を知らないはずだ。
あの女は、運が良かったのだろう。黒騎士にも貴族はいるようだが、全員が変人に違いない。そもそも、腐ったままが許されるとも思えないからな。
しかし、その幸運が去った今、地位なくして身を守ることが出来なくなった。だから俺達が、全てを任された。
貴族に対して剣を向けることが許された白騎士で、ジャンはアシル様の息子でもあり、なにより俺達はお爺様を師に持っている。
だから一週間もあれば、あの髪が偽物だと誤魔化せただろう。あいつには、西街の魔女と繋がりもある。
そして、その身が無事な限りは、今からでもそれが可能なはずだ。
そこまで考えを巡らせ、俺は信じられないことに気付いてしまった。ジャンを見れば、居心地悪そうに視線を逸らす。
けれどもう、昨夜のように黙ってなどいられない。
「つまりお前は、またあの女を売るつもりだったのか?!」
しかし、俺の発言に誰一人動揺しなかった。その事実にうろたえる。
それどころかゼクス団長など、どこまでも暢気そうだった。
「おい、アシル。これは息子を相当鍛えないと、再建したところでいずれ崩壊するぞ」
「昔のマクファーレンとそっくりだから、大丈夫だと思うよ」
なぜだ。ジャンの思い通りになっていないだけで、あの女の尊厳が失われていたかもしれないというのに。
すると、ウィリアム副団長が肩に手を置いて、静かに囁いてきた。
「許すか許さないかで言ったら、許しませんよ。当たり前です」
「だったら!」
「しかし、その矛先がレオにしか向かないこともまた、我々は知っている。ならば、罰するか罰しないかでは、罰しないことを選びます。その方が、生産性がありますからね。才能があるとは、得だと思いませんか?」
平然とそう告げてくる姿に唖然とした。
あんなにも身を削っていながら、どこまでも利用されて、いつでも使い捨てられるというのか。そこまで冷遇される理由が、この世に存在するとは思えない。
けれど、ウィリアム副団長はさらに続ける。
「団長が言ったはずですよ。騎士に向いていないと」
「なぜ…………」
「あの子は、個人には忠誠を誓えても、簡単に国を捨てます。ですからこのままでは、いつまでたっても利用するしか使い道がないんですよ。まあ、本音を言わせてもらえるならば――」
それでいて、中性的な顔にどこまでも冷たい笑みを浮かべ付け加えた。
「叱ってもらえると思うなよ。…………というのもまた、理由の一つではありますが」
色々な意味で背筋が凍る。ジャンは飼い殺されることが決定しているわけだ。そして俺も、首の皮一枚で繋がっているにすぎないだろう。
考えるべきことは様々あるが、とにかくだ。あの女の所へ向かう為、再びアシル様へ声を掛けようとする。
その時だった。
「ゼクス団長、ウィリアム副団長」
耳に残るバリトンが訓練場に響いた。
その出所へと全員が顔を向ければ、副団長に案内されてやって来たらしい、新たな黒騎士の姿がそこにある。燃えるような赤い髪と、この国では滅多に見ない褐色の肌をした男だった。
その黒騎士は、何気ない日常の報告をするように、淡々と簡潔に――告げる。
「レオが消えた」
どうしてか俺の耳には、獲物が餌に引っかかったとしか聞こえなかった。




