表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪魔の微笑を消す呪文  作者: 林 りょう
【黒騎士】編
25/79

白と黒の交差



 

 一斉摘発という初めての任務で、大役を任されることになった時には、まさかこんな結果になるなど考えもしなかった。

 ――全ては、アシル様の言葉が始まりだ。


「今回は黒騎士の子を一人、応援として借りているからね。その子のことを全て、君達に任せるよ」


 明らかに異例のことであった。白と黒は正反対に位置し、協力して任務を行った過去など無い。

 だとしても、それを聞いた時は、間違いなく期待していた。俺たちとそう歳は変わらず、黒騎士団にとっての精鋭である征伐部隊へ入団当初から所属していたというのだから、相当な実力者であると。

 しかし、いざその人物に会ってみれば、予想は大いに裏切られる。

 やって来たのは、どう見ても実力者とは思えない女だった。身長だけはそれなりにあったが、他は戦闘に有利そうな特徴がどこにもなく、ジャンにすら勝てないという印象しか持てなかった。

 そもそも女騎士は嫌いだ。媚びるだけしか能が無く、騎士団を結婚相手を探す場所としか思っておらず、鍛錬の際には口を開けば文句ばかり。どこまでも邪魔でしかない。

 なによりその女は、俺が長年苦しめられてきた原因を持っていた。何故お前が、と思わずにはいられなかった。お前が持っていたところで意味はない、と。

 だからこそ、なにもかもが腹立たしく思えて仕方が無かった。空を連想させる瞳が放つ気の強そうな雰囲気も、場に呑まれない堂々とした背筋の良さも、常に浮かべているその微笑みも――

 これが精鋭ならば、黒騎士も所詮は腐りきった白騎士団(ここ)と大差ないのだろう。そう思い、事実その女騎士は弱かった。

 そのくせ、どれほど感情を逆撫でしようとしても堪えることなく、むしろ反抗的な態度を取り続け、任務の参加を辞退させることも出来ないままに当日を迎える。

 その結果が――謹慎処分。相手の実力に気付けぬどころか出し抜かれまでして、さらには救われるなど、ここまでくれば笑うしかない。

 しかも、王太子殿下とアシル様は、初めからこれを狙っていた様子だった。おかげで、どれほど己が自惚れていたか突き付けられる。

 俺は、ジャンが子供を見捨てた時、救う手建てを何一つ浮かべることはできなかった。それどころか、一瞬であっても迷ってしまった。

 今さらながら、愚かすぎて反吐が出る。邪魔であったのは、他でもない俺たちだったのだ。

 甘ったれの役立たず。そう吐き捨てられても言い返せなかったことが、たまらなく悔しく、そう感じること自体を恥ずかしく思う。


「なになに、エドガー。まだ落ち込んでるわけ?」


 そうして、あの二週間を思い返していれば、どこからともなく暢気な声が聞こえてくる。

 ソファーに横たえていた身体を起こすと、丁度ジャンが窓を越えて室内へ入ってくるところだった。こいつにとっては、ただの鍵などあってないようなものだからどうしようもないが、今は一人にしておいて欲しい。

 肌を刺す冬の風が、温まった空気を全て呑み込んだ。


「閉めろ。俺を凍えさせる気か」

「分かってるって。俺も寒いもん」

「帰れと言ったつもりなんだがな。まだ謹慎中なはずだぞ」

「どうせ朝には解けるんだから、ちょっとぐらい大丈夫だって」


 大丈夫なわけがない。けれど、追い返せる気もしなかった。

 こいつとは生まれた時からの付き合いだが、一度だって何を考えているのか理解できたことはない。

 昔はもっとふてぶてしく、言ってしまえば俺みたいな奴だったというのに。気付いた時にはすでに、締まりのない顔をするようになっていた。


「うっわ、めずらしー。エドガーが酒飲んでるとか。でもさ、部屋の明かりぐらいつけないと、相当陰険に見えるよ」

「だったらお前の頬の痣は、相当無様に見えるな」

「それは普通、触れないところでしょ。これでも大分引いたんだけどなー」


 さらにジャンは、明かりを点けると正面で腰を落ち着け、人の酒を勝手に飲み始める。

 ただ、その右頬にはくっきりとした痣があり、グラスに口を付けた際も痛みが走ったのか、僅かに眉を顰めていた。

 これについては、完全に自業自得だ。俺からすれば、むしろ殴られた方がマシだったとさえ思える。そうすれば、こんなにも悶々とした時間を過ごさずにいられただろう。

 それにしても、王太子殿下とアシル様は、俺たちに何を分からせたかったのか。

 あの女は考えろと言った。情けないが、それは図星だ。

 俺は確かに騎士になりたいと夢を見て、そうしてそれを叶えたはずだというのに、いつの間にか空虚な日々を事務的に過ごすようになっていた。

 腐りきった現実を前に勝手に絶望し、大人しく指示に従い続けている内に近衛部隊に抜擢され、もう十分だと思った。けれどそれは、努力をしたつもりになっていただけのこと。実際は、何もしていないのと変わらない。

 かといって、何が出来る? 後悔したところでもはや全てが過去であり、これから再び近衛としてルードヴィヒ殿下の護衛の仕事に戻るだけだ。

 そんな堂々巡りな思考に悩まされ続けること一週間。精神的に疲れて酒に手を出したが、こいつがやって来るぐらいなら、さっさと寝てしまえばよかった。

 俺と違ってジャンは肩を落とした様子もなく、こちらを見てニヤつきながら、グラスの中の氷を鳴らしている。


「エドガーってば、本当に真面目だよねぇ」


 いつものことなので、無視して自分も酒をあおった。

 あの女も災難だ。疲弊した身体を尚も酷使し、拳を腫らしてまで叫んだというのに、その言葉は何一つ届いていないのだから。

 俺とは別に、むしろ俺以上に、ジャンもまた嫌っていることは気付いていた。こいつは女であれば、基本的にはフェミニストを気取る上、わざと惚れさせようとしさえする。しかもあの女は、見た目だけならば完璧に好みだったはず。

 しかし、口説くどころか時には嫌味さえ言っていたのだから、あまりにも珍しすぎた。

 だからこそ、尋ねたところではぐらかされるのが目に見えている。


「そういえばお前、あの時あいつに何かしたのか?」

「あの時って?」

「俺に渡した薬だ」


 ただ、これぐらいならば……。そう思い、問いかける。

 あの女の不調具合は気になったが、本人もジャンに聞けと言っていたぐらいだ。ほんの些細なことなはず。

 そう思った俺は馬鹿で、そもそも気付かなかったことがまず問題だった。

 ジャンは、あろうことか満面の笑みで、とんでもないことを言ってのける。


「あれさ、レオのは睡眠薬だったんだよねぇ。しかも強力な、あの子供にも使ったやつね」

「なっ――――?!」


 絶句した。危うくグラスを落としかけ、手と服が濡れたが、気にしてなどいられない。

 任務中に何をしているだとか、何故そんなものを用意していたのかだとか、色々と言いたいことはある。

 しかし、その中から選ばれ口を出たのは、自分でも意外なものだった。真っ当な協力関係を築けていれば当然なことでも、それが浮かんでいたことすら気付かなかった。


「お前、分かってるのか?! あんな場でそんなことをすれば――――」

「死にはしないでしょ。父さんたちが待機してるのには気付いてたし、精々奥の部屋に持ってかれただけじゃない?」

「それが問題だと言ってるんだ!」


 あの女は、上階でも地下でもかなり目立っていた。中身は好戦的でも黙っていれば、他の連中に対して全く見劣りせず、むしろ秀でていたほどだ。

 どれだけの視線が集中していたかは、共に行動していた時はもちろん、離れてからの方が良く分かった。モートンさえ釣り上げ、狙われていたんだぞ。

 だというのにジャンは、さらに恐ろしいことを言う。


「でもさ、もしあの時レオが寝てたら、エドガーだって見捨てたでしょ?」

「それは――――」


 否定の言葉は出てこない。

 けれどそれは、任務を優先しなければならないからであって、その場合はどうにかして…………。

 いや、嘘だ。俺はジャンの言う通り、さっさと見捨てて一人で動いていただろう。地下へ潜るまでで、その器用さは認めざるを得なかったが、だからといって嫌悪はしたままだった。

 意識が変わったのは、全てが終わってからだ。かといって、あのような姑息な戦い方を認めるつもりはないが、それでもあの女がいなければ子供を救うことは出来なかっただろう。 

 ようやく納得がいった。だから、ジャンから預かった薬を与えようとした時、あいつは躊躇っていたのか。その様子に気付いていながら、俺はそれを強いたのだ。

 しかし一体どうやって、あの状況から危機を脱したというのか。


「ま、結局失敗したけどさ。たぶんだけど、飲んだふりして、ワインの中に吐き出したんだろうねぇ」


 その疑問はジャンの言葉により解決したが、なぜこいつは笑っていられるのだろう。

 結果的にほぼ共犯である俺は、責めたとしても簡単にそれを封じられるだろうが、騎士として以前に男としても人としても、下手をしなくとも罪を犯したも同然だ。

 馬鹿な女だと思ってしまう。普通であれば、他人のために怒っている場合ではない。ジャンは必ずシラを切るだろうが、それでもだ。あいつは言うべきだった。

 しかしなぜ、そこまで嫌う? いや、これはもはやその範疇を超えている。

 ジャンを見れば、俺の困惑すら楽しんでいるように口元を歪めていた。


「俺さ、レオの存在そのものが許せないんだよね。今では殴られた分も上乗せされて、次会ったらうっかり殺しちゃいそうで。いやあ、まいった」

「何故、そこまで…………?」

「ほんと、エドガーってば鈍感っていうか、無関心っていうか。気付かないなら、そのままで良いんじゃない?」


 こいつのこんな表情を見るのは初めてだ。どこか狂気を孕み、しかし苦しんでいるような、悲しみで満ちているような。

 だというのに俺はなぜ、まともな言葉の一つも掛けられないのだろう。どうして今まで気付いてやれなかったのか。

 己の視野の狭さが憎らしい。今回それが骨身に沁みたというのに、もはや手遅れだと止めを刺されている気分だ。


「俺だって、忘れられれば良かったんだろうけど。なーんで父さんたちは、今さら連れて来たんだろ」

「お前の言うことは、いつも曖昧すぎる」

「あはは! 銀雪の騎士様が、実は目付きが悪いただの口下手だって知ってるのは、たぶん俺だけだろうねー」


 会話が成り立っている気がしない。何も分からないままなのは、俺だけだとでも?

 そしてジャンは、さらに俺を困らせる。


「それにしてもさ、俺たちまだ何か見落としてるっぽいんだよね。父さんの機嫌が日増しに悪くなってってるんだけど、エドガーはその理由分かる?」


 分かっていれば、これほどまでに悩んだりしていない。

 しかもそれは、謹慎の最終日に言うことではないだろう。気付いたとしても、もはや手遅れではないか。


「…………抜け出したのがバレて、謹慎が伸びれば良い」

「その時は、エドガーも連帯責任だろうねぇ」


 もう好きにしてくれ。考えるのは苦手だ。人の心を理解するのも。

 けれどこの一週間、全てを投げ出そうとするたびに、あの女の言葉が頭の中で蘇る。甘えるな、自ら剣を取れと。


「俺はお前が理解できない」

「俺も、自分が理解できない時があるよ」


 だから、ジャンの分も酒を注ぎ足しながら尋ねた。


「あんなことは二度としないと誓えるか?」

「あんなことって?」

「考えもせず、最初から諦めることだ」


 けれど、期待していた答えは返ってこない。

 ジャンは、笑おうとして失敗しながら首を振った。


「どれだけ痛い思いをしたところで、何度だって同じことをするよ、きっと。俺の世界は、とっくに壊れてるから。どうしても楽な方ばっかり選んじゃうんだよねぇ」


 ならばなぜ、そうなる前に言ってくれなかったのか。俺が頼りなかったからだと分かっていても、そう思ってしまう。

 ああ――本当に、俺たちは騎士を名乗る資格はないな。どこまでいっても、自分のことばかりを考える。

 どつぼに嵌ったこんな俺たちを、お爺様なら昔のように救ってくれるのだろうか。

 ……馬鹿らしい。他力本願な時点で甘えている。己に呆れて、思わず頭を抱えてしまう。

 あの女は、どうしてあれほどまで、凛と前を向いていられるのだろう。立ち止まったりはしないのだろうか。


「エドガーってば、またなんか考えてるでしょ」

「考えないお前がおかしいんだ」

「だって俺は、そもそもレオの言葉なんて聞く気ないしー」


 とりあえず、まずはこいつを追い返す方法を考えるべきなのかもしれない。

 そして、自嘲するかのように、その言葉は自然と零れた。


「なぜ俺たちは、騎士になったんだろうな」


 なりたかったことは覚えているというのに、その理由はとうの昔に忘れてしまった。

 しかしそれは、どうやら俺だけだったらしい。

 ジャンはあくまで暢気に、あっさりと言ってのける。


「才能があったのと、それしか道がなかったからでしょ。なにを今さら」


 だがそれは、確証もなく的外れだと思った。だったら悩むわけがない。

 昔はもっと鍛錬を楽しんでいた覚えがあるし、強くなりたいとも思っていたはず。


「……ただ、そうだねぇ。俺の場合は、約束しちゃったからかなあ」


 しかし、沈む気持ちのまま俯いていれば、しばらくして、ジャンがそんなことを呟いた。

 とりあえず顔を上げてみれば、またしてもそこには、ぎこちない笑みがある。もしかするとこいつは、自分がそんな表情をしていると気付いていないのかもしれない。

 そうか……。やはり俺は、この無神経さから直さなければならないようだ。

 今度こそしっかりと自覚しつつ、減りが遅くなったグラスを掴む。ジャンはまったくこちらを見ていない。

 だから俺は、半端な仮面めがけて、氷ごと中身を全てぶちまけた。


「冷たっ! なにすんのさー、もう」

「止めて欲しいのならそう言え。俺が鈍感なのは、お前が一番知っているだろう」


 ただでさえ、お前は分かりにくいんだ。

 そして俺は、言葉を使うのが苦手すぎて、こういう方法しか思いつけない。お前の気持ちを理解してやることすらできない。

 するとジャンは、苦笑を零してから深く顔を伏せた。髪から酒を滴らせ、呟く。


「どうしよう、俺。本気でレオが憎くてさ。けど、悪いのはレオじゃないってのも分かってて……。自分が怖くなる」

「かといって、理由を話せと言ったところで、教えるつもりはないんだろ?」

「だってエドガー、覚えてないんだもん」


 全てに於いて行き詰まり、ため息を吐くのを我慢出来なかった。

 俺が言うのもなんだが、めんどくさい奴だ。あの女もなんでまた、こいつに恨まれなければならないのか。

 本来俺と同じで、人にあまり関心がないはずだというのに。


「……分かった。その時は、俺がお前を殺してやる」


 半ば投げやりに、けれど本心からそう言うと、ジャンが顔を上げた。強張った表情で、口角だけを上げようとしている。

 だから、まともに笑えないのなら、始めから笑うなと言いたい。あの女は、危うく死にかけそうな時でも、けして崩れていなかった。やるならそこまで徹底してくれ。


「だから、限界になる前に、俺のところへ来い。ただし、はっきりと言ってくれ」

「良いの?」

「…………腐れ縁だからな」


 仕方なくそう言えば、ジャンは弱々しく礼を告げた。

 けれど、おかげで俺は答えを出せないままで、一週間の猶予を無駄にする。

 そして、その報いを受けることになった。自分がどれほど恵まれていたのか知った時、思い浮かんだのは、どこまでも鋭く気高い獅子の眼差し。

 俺はどうして忘れていたのだろう。それが最初のきっかけだったというのに――




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ