白を名乗る黒の矜持(6)
暴れていた感情の全てが消え去り、今度はおかしな達成感で満ちていく。
そして、これからどうしようかと思いながら足を退けると、黙って好きなようにさせてくれていたお偉方の一人が、まるで何事もなかったかのようないつも通りの声を響かせた。
「エドガー、ジャン」
なぜここで、敢えてエドガー様から呼んだのか。普通なら、こてんぱんにされた方が先だろう。まがりなりにも父親なんだし。むしろ、だからこそか。
目が合うと、アシル様は少しだけ情けなさそうな表情をした。
そうだろう。自分の息子が年下の小娘に殴られ、乗られ、踏まれる姿を見なければならなかったのだから。
アシル様が一歩前に出ると、その背後に副団長も控える。団長として何かを言うつもりらしい。
だから大人しく、静かに下がった。ただ、跪こうとしたのは、王太子殿下から止められてしまった。口元が若干痙攣しておられるのは、はたして気のせいか。威厳が薄れてるぞ。
顔を俯かせたままゆっくりと立ち上がったジャン様と、手を貸す素振りさえ見せなかったエドガー様は、無言で上司の前に並ぶ。
すると、アシル様から表情が落ちた。それを見て、この人の本性はとことん冷たく厳しいのだろうと思った。肉体的に追いつめるより、精神を攻める方だ。なんというか、命乞いをする相手を前に、致命傷を避けてじわじわと甚振り、それを本気で楽しむような……。
とりあえず、あの顔を向けられるのだけは嫌だ。めちゃくちゃ怖い。無意識に視線を外してしまった。
「私は、レオと会わせる前に言ったはず。全て任せると。だというのにお前たちは、彼女の勝手を気付くことすら出来なかった」
「…………は」
「けれど私は、レオを責めることはしない。なぜなら彼女は、しっかりと許可を申し出、行き過ぎた行動に対してはすでに罰を受けている」
エドガー様らしからぬ弱々しい声がする。この人の場合は、私そのものを拒絶している以上、直接では聞く耳を持たなかっただろう。けれど、間接的だったおかげか、ジャン様よりは言葉が届いていたようだ。
それにしても、罰など受けただろうか。……ああ、最終日のあれか。誰かさんのせいで、第三王子に振り回されたことの方が大変だった。
これから私が出来るのは、ただただ彼らが周囲の期待に応えられるよう祈ることだけだ。
気付いて欲しいと思う。私の鬱憤を晴らすために、この場があるのではない。二人もまた試され、失格と判断された上で、お膳立てにまんまと乗っかった私がいるだけのこと。
消化できないままの方が胸糞悪いので、こっちとしても助かったけども。だから褒美だと思っている。
そしてアシル様は、反論を許さず言った。
「お前たちは今回、たったの一人を相手に、指揮できぬどころか救われた。その未熟さとレオの言葉を理解できるよう、一週間の謹慎処分とする。その後もう一度話をするので、心しておきなさい」
けれどそれを聞き、正直まだ甘いと感じてしまった。
ただ、私も部下を持っている身だから分かるが、ここで一気に色々と指摘してしまうと今度は開き直ってしまうので、二人は覚悟しておいた方が良い。これで終わりだと思っていれば、絶対に泣かされる。
それは私にぶちのめされるより、かなり堪えるだろう。立ち直れなければ、切り捨てられる。イースはもちろん、アシル様だって平気でやるはずだ。
「では、本件はこれにて仕舞いとする。皆、ご苦労だった」
「お見苦しいものをお見せして、大変申し訳なく存じます」
「良い。……ああ、アシルとレオはまだ残れ」
そうして、王太子殿下のお言葉によりこの場は治められたのだが、私は留まるように言われてしまう。鬼畜二人を相手にするなど、どう考えたって嬉しい事があるわけがない。
最悪すぎて、助けを求めるようにリンステッド卿を見てしまったが、彼は眼鏡を上げることで諦めろと伝えてきた。
だったらせめて、窓を開けて下さい。飛ぶから。今回は帯剣したままなので、なんとか壁にでもぶら下がってみせる。それか気合で羽根を生やす。
しかし、私の願いも虚しく、三人はそれぞれで礼を取ると退室していった。
そして、なぜかリンステッド卿までもが、執務室と繋がっている別室へと一旦下がる。
つい警戒を映してしまうと、しばらくの沈黙の後に、王太子殿下がイースとなって笑い始めた。
「…………言いたいことがあるなら言え」
「くっ、ちょっとタンマ。ふは! 笑い止む、まで待て。くふっ!」
どういう笑い方してんだよ。空気が抜けてばっかで聞き取りずらい。その横では、アシル様までもが肩を震わせていた。
他でもない私が、上司と父親の区別を付けろと口にしたが、大事な一人息子のあんな姿を見て良く笑えるな。手加減なしで殴ったから、きっと明日には凄い事になってるぞ。下手したら私より重傷だ。
「お前さあ、一発目からあの威力はないって。さすがの俺もたまげたっての」
「うるさい。どうせ私は、口より手、後からじゃないと頭を働かせられない直情型だ」
「けれどレオは、正しくあろうとするだろう?」
とってつけたような賛辞はいらない。話を聞かせたかったのも理由にはあるが二の次で、私は自分のために暴力をふるった。それは、正しさではけしてない。
だというのに、アシル様はさらに言う。
「殿下のご推薦を信じて、本当に良かったと思っているよ」
そして悟った。どうやら次は、私へのお説教が控えていたらしい。
なんてことだ。ということは、団長もグルか。
あの熊! いつもいつも、人を崖っぷちにばっか立たせやがって。
たしかに私の名前は獅子だが、落とされるのは何度目だ。いい加減、蜜で全身固めてやるからな。
「お、気付いたか」
「とりあえずお前の財布から、王都中の蜜という蜜を買い占める資金を寄越せ」
「そんな怖いこと言うなよ、ハニー」
「ぶっ! …………失礼」
地団駄踏みたいのを耐え右手を突き出せば、イースがふざけたことをぬかすも、それへの突っ込みは、戻って来られたリンステッド卿によって邪魔をされた。
笑いのツボが浅いのか。必死に咳払いで誤魔化していたが、顔が真っ赤だ。そんなリンステッド卿は、私たちを応接用のソファーに座らせると、表情を戻して紅茶を出していく。
夜も遅く疲れているので、今すぐ帰らせて欲しいのですが。そう思いつつも手は伸びる。
「……これは、リンステッド卿が?」
「えぇ、まあ。お口に合ったようでなによりです」
人払いをしたと言っていたのでそう尋ねたのだが、かなり美味くて驚いた。どこか神経質な性格が滲み出た、アレンジをしていない正統派といったところだ。
するとイースが、からかいを多分に含んで言ってくる。
「こいつん家、女ばっかでさ、姉が四人の妹二人いんだよ。で、男はこいつ一人」
「うわ……」
「殿下!」
だが、私の反応も大概だった。それでも哀れみの目を向けてしまうのは許して頂たい。兄弟がいるわけではないが、さすがに想像ぐらいつく。とりあえず、混ざるのは無理だ。
リンステッド卿も余計なことをと呟きはすれど、フォローはしないらしい。それどころか、いきなり私の隣で片膝をついた。
「手を出しなさい」
その脇には小さな薬箱が置いてあった。
ぜひとも遠慮したかったが、どう返そうかと悩んでいる間で手を取られてしまい諦める。
殴った左手は、案の定腫れていた。さらには血で汚れており、その理由に気付いたリンステッド卿が深いため息を吐き出した。
「これでは右手もですね」
「申し訳ございません……」
結局、どちらも手当てをしてもらい、視線は額へと移る。
けれど、ここは無傷だ。間違いない。
私がそれを伝えるより早く、横からイースが笑って言った。
「レオは石頭だからな、痛くもかゆくもなかっただろうよ。な?」
「痛みを知ってる者同士、せいぜい労わってやれ」
「いやいや、今回のは同情の余地なし。やっぱ、レオを選んで正解だったわ」
でもって、してやったり顔をするものだから、テーブルの端に置かれていた余った包帯を投げつけるが、それはアシル様によって防がれてしまった。職務に忠実でなによりですと、皮肉りたくなる。
笑みというものが、こんなにも人の神経を逆撫でするとは。私もさぞ多方面から恨みを買っていることだろう。
しかし、この苛立たしさは、まだ隣で体勢を保っていたリンステッド卿によって行き場をなくす。
「殿下やバリエ卿は、お立場により叶いませんので、納得はいかないでしょうが」
「リンステッド卿、何を……」
「レオ。あなたを巻き込んでしまい、大変申し訳ありません」
なぜなら突然頭を下げ、私に謝罪したのだ。立場がどうとか言っているが、この人とて王太子殿下の側近だ。する必要がそもそもない。
けれど、出来るのも確かにリンステッド卿だけだった。つまりこれは、三人分の重みがある。
かといって、許すとも告げられないのは、私にはその権利がないからだ。
だから、感情を殺してイースを睨みつけた。
「リンステッド、頭を上げろ。どうやらレオは、全てを忘れてくれるらしいぞ」
「そうですか。レオとは殿下のことで、色々と分かり合えるかもしれませんね」
「お、いいな。どうせなら落とせ。でもって俺に献上すれば――」
「人を物として扱うな! 頭突いて私の記憶を飛ばしてやろうか」
「その前に真っ赤な雨が降りそうだから、遠慮しとくわ」
イースは暢気に顔の前で手を振り、紅茶を一口飲んで空気を故意に壊すと、改めてこちらを向いた。
口元が緩やかに孤を描き、瞳は挑発するように妖しく光っている。そして一言。
「で?」
私は、包帯が巻かれた両手を隠すように腕を組み、顔を背けた。必死に唇を引き結ぶ。
けれど、目の前に座っているのは、それを許すような男ではない。
「言いたいことがあんだろ?」
「ない」
「またまたぁ。忘れんのは、この部屋を出てからで良いぞ」
それでもだんまりを決め込んでいれば、リンステッド卿がイースの後ろに立ったことで、鬼畜が三人に増えてしまった。
悪あがきにしかならないのは分かっている。ただ、口を開いてしまえば、出てくる文句の全てが自分に返ってくるのも理解していた。
だから言いたくないというのに、敢えてそれをさせることで、イースは私に自覚させようとしている。未熟さと、弱さを。
「王太子として命令されたいか?」
そして、それが決定打となる。
卑怯だ。その言葉は、するつもりがないくせに、させようとしている私を責めている。
苛立ちをテーブルにぶつけるのと同時に、低い声が喉から発せられた。
「イース……。お前、私を起爆剤に使ったな」
「ちなみに何のだ」
「白騎士団の再建。アシル様は、ついでに可愛い部下の再教育も。私が気付けたのはそれだけだ」
二人は頷いた。とても嬉しそうにだ。
けれど本当は、もう一つ気付いたことがある。
それは、イースがとうとう動くということ。白騎士団の再建は、貴族の粛清の先にあるものだ。親元をどうにかしなければ、何も変わらないだろう。
彼らが私に求めた最も重要な役目は、制服を着ることだったのだ。平民が由緒ある白を身に纏う。そうすると、身分しか見ない腐った白騎士は、必ず家にそれを伝える。
この二週間は、手紙類を出すことが一切禁じられていたとしても、これからは違う。検閲した上で、敢えて全てを見落としたことにするだろう。
そして、煽りに煽って、今までのツケを払わせる。
今回の任務だって、モートン達が優先で良かったのは、参加者を逃しても後から確保できる証拠が揃っていたからだ。それも、エドガー様とジャン様に経験を積ませる余裕すらある程に。
でなければ、薬などに手を出す愚かな貴族を排除できるせっかくの機会を潰すことになる。そんなまぬけに、黒騎士は忠誠を誓ったりはしない。
なぜこんなにも、保守的にならなければならないのか。それは、イースが王になることを、腐敗した貴族が危険視しているからだ。彼らは第二王子を支持しており、まともな貴族の割合はそれに負けていた。しかも国王陛下は、イースを王太子とすることに、お力を使い果たしてしまわれている。
だというのに、本来身を護るのに必要不可欠な白騎士の中にも敵だらけ。そうでなくとも質が悪く、使いものになるのは近衛部隊の方々だけだろう。
ただこれは、私が立ち入って良い領域ではなく、気付いてはならないものだ。忘れる以前に、ただの下級騎士が知る必要はない。
だからこそ、二人の表情が何から来ているのか判断がつきかねた。単純にそれで十分だと思ってか、まだ試していて応えられたからか。
どちらにせよ私は、イースが今までの瀬戸際な日々から抜けられるのなら、いくらでも使ってくれてかまわないと思っている。
とはいえ、どうしても許せないこともまた――ある。
「ただ、そんなことはどうでも良い。それよりもお前、子供を見殺しにしたな」
しかしそれは、同時に自分の弱さそのものであって、それこそただの綺麗事でしかない。だから、だんまりで終わらせたかった。
イースは、私の言葉に表情一つ変えることなく、口さえ動かさなかった。
今回の作戦は、かなり慎重に準備がされてきただろう。地下も含め正確な見取り図だった。つまりは、何度も潜入がされてきたということ。
そして私は、モートン達の会話を聞いてしまっている。おばばが出張るほど、少なくない子供が被害に合い、あの女児とは違って救われなかった。
ああ、言いたくない。言いたくないが、止まらない。
「アシル様もです。救う道は、きっとあったというのに」
するとやはり、それは返された。
「綺麗事すぎて笑えもしねぇな」
「分かっている!」
「だったら、俺の言いたいことも分かるだろ」
せっかくリンステッド卿が手当てをしてくれたというのに、また汚してしまいそうだ。
団長はきっと、こういうところを改めさせたかった。そろそろいい加減にしろと。
そうして、俯き気味に自らの未熟さを吐き出した。
「私は……、子供に肩入れしすぎる」
「正確には被害者にだな」
「冷静さを失って、一歩間違えばモートン達を逃がしていた」
「お前、判断能力はずば抜けてんだけどなー。無茶しすぎなんだよ」
「…………協調性がなさすぎた」
「ま、それはお互い様だな」
言えば言うほど、首から力が抜けていく。
これならまだ、年下からもっと大人になれと指摘を受ける方がマシだ。
分かっている。子供数人の命と国の命運など、天秤に掛ける必要すらないことなど。
なにより、これはイースが悪いのではない。アシル様もだ。
彼らはきっと最善を尽くした。私たちが及ばなかっただけのこと。そんなにも子供が犠牲になるのが嫌ならば、西街から攫われるのを阻止すればよかった。それが黒騎士の仕事だ。
「お前が個人的に西街をうろつくのを、ゼクスたちから見逃してもらえている意味、もう一度理解し直せ」
イースは嫌われ役を買うことで、団長を納得させたのかもしれない。
だから、その言葉を黙って受け止めた。
けれど、呆れたように呟かれたものは無視させてもらう。聞き入れられなかった。
「俺たちは犠牲を出している以上、立ち止まることが許されない。けどな、お前は走りすぎだ。少しは立ち止まって振り返れ。もしくは周囲をもっと良く見ろ」
「……まだ走れる」
「過去は過去だ。その頑固さも、いい加減どうにかしろよ」
「お前にだけは言われたくない」
そして、沈黙が下りる。出された紅茶は、とっくに飲み干してしまった。
しばらくして、それを破ったのはアシル様だ。彼は柔らかな声で言う。
「どうしてあの二人をレオに任せたか、分かるかい?」
「…………いえ」
顔を上げると、いつの間にかリンステッド卿が消えていた。しかしすぐ、新しいティーセットを持って現れる。
そこから漂う香りが変わっていた。控えめながらも爽やかで、気持ちが浮上する。ありがたい気遣いだった。
けれど、アシル様が再び口を開いたことで、礼を言えない。
「私が言葉を用いるより、次代を担う者同士の方が堪えると思ったからだよ」
…………鬼だ。鬼がいる。
驚きすぎて呆けていると、さらに平然と笑いまでするのだから、自分の父親が優しい人で良かったと心底思った。
「エドガーは何を考えているのか分からないし、ジャンは父親の私が言うのも何だけれど、いい加減すぎるところがあってね。そのくせ、ある一点において異常な執着を見せるのだから、困ったものだよ」
「はあ……」
「けれど、どうやら君は、あの子たちの内面にも影響を及ぼせる人間だった。だからこそ、殿下の慧眼に感服したという次第さ」
「才能はあるからな。ただ、あのまま俺の後ろに立たせるのは不安しかなかった。どうせなら色々解決させといた方がいいだろ」
その〝どうせなら〟に、私も含まれていたと。意味ありげに流し目をしてくるぐらいならそう言え。
それにしても、私が個人的な影響力を持っているとは、どういうことだろう。
たしかにあの二人は、他の連中と見下し方は違っていた。エドガー様は、口では身分を罵ってきたこともあったが、あれは私そのものが気に入らないのと嫉妬心からきたもの。だからこそ可愛いとすら思え、対抗心も芽生えたわけだが……。かといって面識や、共通点だってないだろう。
首を傾げるも、二人共がはっきりと教えるつもりはないらしい。仕方なく、頭の片隅に留めておくことにする。
今日一日で色々なことが起こりすぎた。さすがにもう頭が回らない。
隠しきれなくなってきた疲れの色は、目敏いイースにしっかりと見られてしまったようだ。
「悪い、長居させたな」
「馬の上で夜を明かすよりマシだ」
「んじゃ、これから――」
「行かない、ヤらない。今日は飲み明かすと決めてんだ、邪魔すんな」
しかし、私の答え方が悪かったらしく、ふざけたことをぬかしてきた。もちろん全力で拒絶したが、なぜアシル様は笑い、リンステッド卿は嘆息しているのか。
帰してくれるのなら、もうどんな反応されても気にしないことにする。
そしてやっと、待ち望んでいた言葉が告げられた。
「帰って良いぞ」
おもわず体の力を抜きそうになった。ぎりぎりで我慢し、立ち上がる。
建前として退室の礼を取ろうとしたが、それは追い出すようなイースの仕草がさせてはくれない。
おかげでなんとも拍子抜けな終わり方だ。二週間前は、まさかこんな結果になるなど微塵も予想していなかった。
とりあえず、扉の前まで歩く。リンステッド卿が、帰りは送ってくれるらしい。
背中へと声が掛かったのは、ドアノブに触れた時だった。
「ジョゼットからの伝言だよ」
「伝言、ですか?」
「〝お疲れ様。けれどレオちゃん、これだけは覚えておいて欲しいわ。たったの二週間で、普通の子に一般以上の礼儀作法を教えるなんて、わたくしには出来ないことなのよ〟だそうだよ」
やはりアシル様は苦手だと思った。ここにきてとどめを刺そうとするなど、あんたの血は何色なんだ。
振り返れないままドアノブを握っていると、さらに言われる。この場合はジョゼット様も食えない人というか、さすがアシル様の奥方だと諦めるしかないだろう。
「〝きっと素敵なご両親だったのでしょうね〟とも、伝えて欲しいと言われたかな」
「…………そうですか」
そう返すのが精一杯だった。
そして分かっていたが、ここで黙って行かせてくれる男じゃないよな、お前は。
さらにイースが王太子に近い冷たい声で、アシル様の仕事を引き継いでくる。
「一度しか言わない」
ドアノブを壊さなければ良いが……。ただでさえ、絨毯を汚しているのだし。
「レオ、騎士を辞めろ」
「断る」
けれど、予想を裏切り、自分でも驚くほど淡々とした声が出る。考えるまでもなかった。
それどころか、背筋が伸びて振り返ることもできたほど。見つめた先の翡翠もまた、限りなく凍っている。
イースは、私を一体どうしたいのだろう。何をさせたいのか。お前のために動くにしても、私では不適任だと分かっているはずだ。
「後悔するぞ」
ああ――そうか。逃げ道を作ってくれているのか。その何かに於いて、巻き込み続けないように。
馬鹿だな。私個人を気にする必要などないよ。お前は、ただ先頭で立つことだけを考えろ。
それに私は、頑固だからな。こう答えるに決まっているじゃないか。
「どちらにせよ後悔するのなら、私は今を取るさ」
そして、頭を下げた。
「ありがとう、イース。アシル様も、色々と感謝致します」
「お前それ、めちゃくちゃ嫌味だからな」
「それはこちらの台詞だよ。お疲れ様」
すると、多くの感情が混ざった不思議な息をイースは吐き出し、諦めたように言う。
「気を付けろよ」
「……ああ、お前もな」
だから笑って返し、今度こそ部屋を、城を出た。
別れ際、リンステッド卿へ手当てと気遣いの礼を言えば、残念なものを見る目をされてしまったが、それもまた良い思い出として残るだろう。
とはいえ、唯一無二の居場所へと戻る道すがら、こんな経験は二度とないよう強く祈る。
こうして、大変だったが重たくもあった二週間は、多くのわだかまりを残して幕を閉じた。




