白を名乗る黒の矜持(5)
戻りの馬車では、全員が一切の言葉を発しなかった。
そして今は、帰還と共に王太子殿下へ直接の報告を命じられ、従っている最中だ。着替えと軽い手当ての時間を許されただけで、休めるのはまだ当分先だろう。
女児のことは小人に任せていた。白騎士に頼めば、あの子と家族は今後暮らしにくくなってしまう。そもそも、西街へ行ってくれるとは思えない。
そして小人の存在は、おばばへ手紙を出した時に暗号を用いて応援を要請していたとして、適当に誤魔化してある。隠し武器の件もあるので、アシル様も一応は納得して下さった。
私は騎士でありながら、必要悪というものはあると思っている。表は表で、裏は裏で、それぞれが役割を持ち分かれているからこそ、作れる平和もあるのだと。
平穏はきっと、誰の手にも舞い降りてくる。それが多いか少ないか、一瞬か長期かで差があるだけだ。
けれど平和は、大多数が幸せであれる世界のことを差すのだろう。どちらの社会も見てきた結果、そんな答えを私は見出した。
その中で、騎士として自分は何が出来るのか。多くの現実に直面し、経験してきて、悩んだ末に導き出した結論は、諦めずに抗うことだ。そしてなにより、捨てることを覚えた。
だからこそ私は、ジャン様の選択を許すことができない。
「――以上が、本作戦での我々の行動の全てでございます」
二度目となる王太子殿下の執務室にて、最も彼のお方から遠い位置で跪く私の耳へ、報告を締めくくるエドガー様の声が聞こえてくる。
内容の大部分を、正直あまり覚えていなかった。馬車の中でもそうだったが、一度は戦闘で抑え込んだはずの怒りが再熱し、とにかく奥歯を噛みしめて拳を握るのに必死だったのだ。
不調の原因となっていた薬は、暴れて一気に回ったからか、今ではほとんど抜けている。それが余計に、感情の処理を難しくさせた。全身の小さな傷がかろうじて、手を貸してくれている。
紙の擦れる音が響く。王太子殿下は、しばらく無言でおられた。
そして、ようやっと口を開かれる。
「なるほど。報告に嘘偽りは無いようだ」
イースだということを微塵も感じさせない淡々とした様子には、おそらく一生慣れることがないだろう。その言葉によって、動揺する気配が感じられた。
発生源は言うに及ばず、執務机を挟んで王太子殿下の前に立つ二人だが、迂闊にも鼻で笑いかけてしまう。私も馬鹿だったが、彼らなどもっとそうだ。
アシル様が私たちを無視して上階を制圧したのなら、他にも潜入組が居たに決まっている。そうでなくとも笛が合図だった時点で、中継があって当然だ。地下だぞ、地下。どこの世界に、屋敷外まで響く笛があるというのか。
さすがなのは、この短時間で報告までさせていたことだろう。用意が周到すぎる。
それにしても、まずい。このままでは力を込めすぎて、くそ高そうな絨毯を汚してしまう。頭を下げているのを良い事に、なんとか鎧を強化しようと意識の集中を試みる。
けれど、王太子殿下は至極真っ当ながら、それでも私がいない所でして欲しかった質問をなされた。
「では、ジャン・クロード=バリエ。何故その子供を見放したか、答えよ」
「任務を優先した次第にて、致し方ない選択にございました」
やめてくれ。本気でやめろ。
たしかにその道は、騎士でなくとも生きていれば、一度ならず何度でも通ることだろう。
けれど、お前にそれを言う資格は無い。私は認めない。このやり取りをするのなら、頼むから私を同じ空間に置かないでくれ。
なにもかもを投げ出して、激情のままに動きたくなる。それが未熟な証だとまさしく今日学び、反省したばかりだというのに……!
この二週間、私の行動が許されていたのは、アシル様の庇護があったからだ。けれど、任務が終了した今、地位を蔑ろにしての勝手は全て自分の身へ返ってくる。
そもそも王太子殿下の御前なのだから、首を上げるだけでも懲罰ものだ。ここでイースとの関係を使うのは、ただの甘えだと分かっている。
すると、あまりの必死さに知らず唇を切っていたらしく、顎を伝う液体があった。慌てながらもひっそりと袖で拭ったが、すぐに後悔した。白騎士の制服だと、それが血だと丸分かりだ。
しかし王太子殿下は、さらに私を苦況へと追いやって行く。誰であっても同じことを聞くと分かってはいても、わざとかと疑ってしまう。そうでもしなければ、耐えられそうになかった。
「エドガー・ヴノア=レヴィ。お前はどうだ」
「それは……。面目次第も無いことではございますがご返答難しく、大変申し訳なく存じます」
「それならばそれで良い」
ところが、エドガー様の答えは意外なものだった。本心か事務的かまでは分からずとも、ジャン様と同じだと思っていたのだが、もしかしなくともこの人は自分に嘘が吐けない性格なのか。
なんと不器用な。あれだけ完璧に人格を変えられるのだから、ここでもそれを発揮すれば良いだけのことだ。
でも確かに、女児を見た時の反応は痛みを抱え、必死に考えを巡らせていたように思う。
本当にもったいない。私が言えた義理ではないけれど、ほんの少し視野を広げるだけで、エドガー様は素晴らしい騎士になれるはずだ。その素質で溢れている。
おかげで少しだけ気が抜けた。けれどそのせいで、手のひらに刺さり続けていた爪が外れる。おそらく気付く者はいないだろうが、王太子殿下の執務室の絨毯を汚したことは、一生黙って墓まで持っていこう。
そんなくだらないことまで考える余裕が戻り、強張った頬が緩む。
しかし、私の期待はことごとく裏切られるようだ。
王太子殿下が口にした言葉とその返答は、せっかく蓋を閉められそうだった心の器の、あろうことか底を壊す。中身が全身に染み込み、支配していく。
「これが最後だ。両名は今回の作戦に於いて、最善を尽くしたか否か」
「無論にございます」
「右に同じく」
凍ったのは自分の周囲だけだったのか、それとも部屋全体だったのか、もはや判断がつかない。
こいつらは今、なんと言った? ジャン様はなぜ堂々とそう思える? お前たちが二週間の間でしていたことといえば、私を嘲っていただけだろう!
それともその時間は、作戦までにかかるただの日数でしかなかったとでも?
ふざけんな。任務とは、遂行してこそ任務と言える。では、成功するには、実力のみあれば良いのかどうか。
あり得ない。そうであれば、私は騎士になることすらできず、でなくともとっくに死んでいる。
最悪だ。視界が赤い。今なら血の涙も流せるだろう。
こんな……、こんな奴らが、この先中心となってイースを護ることになるのか。
信じられない。殺すの間違いだ。これでは、あいつが私の意志を無視し、尊厳を犯してまで貫く信念を理解するなど出来やしない。
自分を捨ててでも、王太子殿下は王として立つことをお覚悟なされている。どれほどの屍を積んででも、この国を護ると誓っている。だからこそ我々は、せめて市井で過ごされている間だけでも、本当のお姿であれるようにと必死に――!
演技ではと疑うなどするものか。たとえその影に思惑があるのだとしても、偽物かどうかの見分けぐらいつく。
三年もだぞ、その間でどれほどの者が接してきたか。それでも偽りだというのなら、それはもう立派な本物だ。
駄目だ、耐えろ。そうだ、ここで自分を優先すれば、私の忠誠は所詮その程度のものになってしまう。
イースに幻滅されるのは嫌だ。せっかく背中を預けたいとまで思ってくれているというのに。ただでさえ値しないにも関わらず、それでもそう言ってくれたのだから、せめて。
せめて、それだけは――――!
「――――レオ」
そうして頭が沸騰しかけ、周囲を窺うことすら不可能となりながら、ただただ自分と戦っている時だった。
名を、呼ばれた。
反射的に顔を上げてしまいそうだったが、イースではない王太子殿下のお声がそれを留まらせる。
「はっ!」
ああ、良かった。声を取り繕うぐらいは、まだ出来たらしい。震えても、掠れてもいない。消えかけていた理性が戻ってくる。
エドガー様とジャン様は、王太子殿下が私へと声をかけたことに驚いている様子だった。
片や部屋の奥、片や扉の傍だ。置き物と同列とされていても不思議はない。
だというのに、もったいないお心配りに危うく泣きそうになる。王太子殿下は私を呼んでから、アシル様へと声をかけていた。
「アシル、どうだ」
「はい、周囲の人払いは滞り無く。問題はございません」
「そうか」
そして、イースは告げる。
まるで褒美のようだと私には思えた。
「――――許す」
何を、とまで言わない。
何を、とは問わない。
その代わり、深く――深く、床につきそうなほど頭を下げた。
人はそれを利用とするだろう。報いきれない私は愚かだ。でも、それでもより一層の忠誠を捧げることに、どうかお許しを。
なぜなら私は、今回のことを信頼してくれているからだと、そう受け取ったから。この身の内に隠れた闇を知っていても尚、王太子殿下は騎士として扱ってくれたのだ。
静かに膝を伸ばす。大きく息を吸う。
そして私は、開いた距離を使って助走を取り、真っ赤になってしまった拳を振り下ろした。
「ふざけるな!」
人を殴る音と倒れる音は、どちらも鈍く重い。避けさせなどしなかった。
「っ、ジャン?!」
「動くな、エドガー。お前に許すのは言葉のみ。これは命令だ」
私の暴挙に驚倒したエドガー様を止めるのは、王太子なままのイースだ。
この異様な光景を、はたしてこの場の者達は、どのような表情で眺めているだろう。
現在居るのは、王太子殿下を始めリンステッド卿にアシル様、白騎士団副団長、そして愚か者の二人である。
しかし、本来正しい反応を見せているのはエドガー様だけなのだから、殴られたことを理解しきれていないジャン様を除けば全員がグルとみた。
よし、一発殴ったら、視界のおかしさは治まった。
でもな、知ってるか? 怒りが頂点を越えたら、人って笑えてくるんだよ。だからどうせなら、せっかくもらったその名に恥じない、悪魔のような微笑みを浮かべられていたら良い。
「いってぇ…………」
そして、黙って見下ろしていると、ようやくジャン様が反応を見せてくれた。殴られた部分を押さえながらぼそりと呟き、口の中から何かを吐き出す。絨毯を転がったそれは、全体的に赤くなりながらも白い塊だとこの目に分からせた。
今の私の袖と同じだな。ただし、さすがに全力だったから腫れはするだろうが、こっちは人を殴り慣れているんで、ご自慢のお顔まではひどくならないだろう。
とりあえず私は、二本の足でしっかり立つまで黙って待った。そして、父親より劣る張り付けた笑みが消え、憎憎しげな眼差しに変化する様子を眺める。
すると、それまでの緩慢な動きが嘘のように素早く腕が伸びてきて、息が出来ないほどきつく胸元の服を掴まれた。
だから首を後ろへと倒し、反動をつけて戻す。もちろん、手加減などしてやらない。
「っ――――!」
石頭舐めんなっての。背伸びしてやったんだから感謝しやがれ。でないと顎に食らって気絶確実だったっつーの。
そして、拘束が緩んだところで足払いをしかけ、今度は後頭部を打って悶絶している身体へ馬乗りになる。
最高に良い眺めだった。そのまま胸倉を掴み返し、持ち上げる。さすがの美顔も、鼻血が出てれば半減だな。良い気味だ。
「殿下! アシル様も! なぜお止めにならないのですか!」
エドガー様が叫ぶが、ここにあんたらの味方はいないぞ。
特にこの男は、誰にも庇ってなどもらえない。庇わせやしない。
そして絶対に、自覚させてやる。
「おい、お前あの時なんつった?」
「はあ? てか離せ、俺に触るな」
「うるせぇ、答えろ。舞台の上でお前は、あの子供になんつったかって聞いてんだよ」
「…………子供?」と、エドガー様が困惑している。
しかし、悪いがあんたは後回しだ。
「いってぇ、どんだけ凶暴なんだよ」
とはいえ文句が出るだけで、本命からの答えはちっとも返ってこない。
そうか、私が殴ったせいで忘れたってか。ならお詫びに教えてやるから、よーく聞けよ。
「〝ごめんね。俺が君の為にしてやれるのは、これだけなんだ〟ってほざいてたよな。〝君の為にも、必ず成功させると約束するから〟とも言ってたっけか」
「なん……で、それを」
「読唇術が出来なくて、黒騎士の征伐部隊でいられっかっての」
これでも精鋭の一員なんだよ。ただのお飾りなど、あそこじゃ許されない。必須スキルだ、馬鹿が。
そして、この真実に息を呑んだ者が一人。さあこれで、本当に味方は誰もいなくなったぞ。
「もう一度言うけどな、ふざけんじゃねぇぞ」
「なにがだよ。だったらレオは、あの子が苦しみながら死んだ方が良かったって言う――――ぐっ!」
今度その口開いたら、当分動けないようにしてやる。
私を騙したことは、言ってしまえばお互い様だ。それが私怨らしきもので、任務にかこつけて晴らそうとしたのはもちろん許せないが、あの言葉はそれをはるかに上回って最悪なもの。
個人の価値観や考えは、どうやったって本人次第で、思うことそのものは責められやしないだろう。
だから、変われとは言わない。そこまで指摘できるほど、私だって人格者じゃない。
しかし、だ。
「どっちの方がって話じゃねえんだよ。てめぇは、騎士としてやっちゃならない、口にしちゃならない言葉を吐きやがった。それを私は、絶対に認めない」
「はあ? まじで意味分かんないんだけど。何? じゃあ俺は、レオの個人的な感情で、王太子殿下の御前で殴られてるわけ?」
「アホか。だったらとっくに私は拘束されてるっつの。話を逸らすんじゃねぇよ」
くっそ、ほんとこいつ、どうしようもないな。
ただでさえ傷だらけのヘトヘトだってのに、さらに殴るのを我慢させてくるか。
落とさない自信がなさすぎて、手が出せなかった。
「どんな状況でも、価値観じゃなく判断で動くべきだろうが。頭湧いてんのか、あぁ?」
「だからそうした結果だろって言ってんの!」
「だったらなんで謝った。あの時あの子が望んでいたのは、早く死ねることでも、楽に死ねるかでもない。助かりたい、助けて欲しい、ただそれだけだ。違うか?!」
震えるだけでは済まない恐怖だっただろう。涙さえまともに流せていなかった。
どうして自分がここに居るのか分からず、どうなるのかも知らず。そんなあの子の前に現れたこの男は、おそらくだろうが気休めの優しい言葉を垂れ流し、期待させ、その状態で睡眠薬を与えつつそう言った。
たとえ騎士と名乗っていなかったとしても、私が助けた以上それは知ることになる。
あの子は、本来守護者となるべき相手に死ねと言われたに等しい。それが自分の義務だと。
そもそもとして、檻へ入れる役目をもぎ取るのではなく、エドガー様にだけでも伝えておけば良かったのだ。そうすればまだ、別の手段を取れたかもしれない。もっと安全に抗えただろう。
子供だから良い? 冗談じゃない。幼いからこそ、残るものがある。残ってしまうことがある。私はそれを、痛いほど良く知っている。
「言葉は形に残らない分、刻まれんだよ。あの時のてめぇの言葉は、一体誰の為のものだ。あの子の為? 甘えんのも大概にしやがれ」
誰も邪魔をしないのを良いことに、私の口はタガが外れたままにまくしたてる。
ついで、抵抗してきたので床に叩きつけ、うつ伏せに身体を転がし、わざわざ一度立ち上がって踏んでやってから両手を拘束した。
背骨に体重を乗せれば、さすがに大人しくなるだろう。一生ベッドで過ごしたいのであれば、喜んで協力してやる。
「私だってな、誰も彼もを救えるなんておこがましいことは、これっぽっちも思っちゃいない。けどな、だからってやって良いことと悪いことがあんだよ」
「だ、か……ら!」
「まだ言わせるか。たしかに任務は絶対だ。遂行するためには、何かを捨てなきゃいけない時だってある。見くびんなよ。てめぇなんかより、私の方がよっぽど場数踏んでんだ」
なぜこんな肝心な時に、言葉が使い物になってくれないのか。一度でいいから、現実を突き付けてやりたくてたまらなかった。
私たちは、誰かが悲しんでからしか動けないのだ。何もしていなければ、たとえ柄の悪い連中が集まっていたとしても、それを盗賊とは呼べない。誰かを殺したいと思っていても、実行に移さなければ犯罪者とはならない。
なんとかして、そういった計画が組まれていないか見張り、嗅ぎつけようとするが、それがどれだけ地道で時間を費やし大変か。一件を阻止する間で、軽く五件は被害が出る。
そのくせ実際に駆け付けたところで、全てを救えるとは限らない。あまりにも状況が悪ければ人々の避難を優先させるも、女子供を先に逃がしている内に、犠牲者を出してしまうことがどれほどあったか。
なんど罵詈雑言を浴びただろう。けれど、その何倍も感謝をされる。死なせてしまったのに、救えなかった人がいるのに。その不甲斐なさったらない。
たったの一人しか救えなかったこともあった。覚悟を決めた者達に託され、それを叶えてやることしかできない無力さは本当に堪えた。
それでも託す側は、地面に頭を擦り付け、むせび泣きながら礼を繰り返す。今から死に逝くにも関わらずだ。
この男がしたことは、そんな彼らに死んでくれて助かったと告げるのと同じだった。亡骸を前に助けてくれてありがとうなど、そんな侮辱があってたまるか。
小さな身体で必死に恐怖と戦った、称えるべき勇気を踏みにじり、攫われた方が悪いと本気で思うのなら、何もしなかった方がいっそましだ。それがそいつの騎士道になるだけなのだから。
「犠牲を払うことに目を向けられない、背負えない、自分しか救えないなら、はじめっから騎士なんかになるな!」
「っ――――」
「救えないのは仕方ない。騎士だって人間だ、手を伸ばせる距離などたかが知れてる。でもな、最善をほんとに尽くしたんなら、あんな言葉が出てくるわけがないんだよ」
「でも! それは結局、ただの綺麗事――――い゛っ」
「その綺麗事をやってのけた私は、じゃあ何だ? 神様か? そのセリフはな、それこそ最善を尽くした奴だけが言って良いもんだ」
そろそろ何を言っているのか分からなくなってきたが、とりあえず。ここで初めて視線を変える。
すると、その先にいたエドガー様は、静かに私を見つめていた。冷たい目をしながらも、今までと違って怒りや蔑みはない。
だからといって、何を考えているかなど分からなかった。
私は、私の主張を叫ぶだけだ。
「あんたらが言う最善は、ただ良い子ちゃんでいただけだ。だから私に出し抜かれたってことを、良い加減自覚しろ。剣を持たせてもらわなければ戦えない奴など、仲間を殺すただの邪魔者でしかない」
青い瞳が揺れた。拘束している手が冷たい。
ああ、もう。なんで私は、こんなところで偉そうに説教をしているんだ。よりにもよって王太子殿下の前で。
とにかく、本来ぶつけたかったのは、たったの一言だった。
だから、部屋中の空気を奪うつもりで息を吸い、声に乗せて吐き出した。
「甘ったれんな、この役立たずどもが!」
その言葉でやっと、二人の騎士は悔しそうな顔を見せ、私の怒りも消えていく。
けれど、ずっと思っていたことがあり、この際だから付け加えることにする。
せっかくなので、もう一回踏んどくか。
「それとな、勤務中ぐらい父親呼び止めやがれ。ボンボンめ」
足の下から抵抗する様子は感じられなかった。
これでようやく、私の役目は終わっただろう。この場をどう治めるかが問題だが。
なんにせよ、今夜は絶対に飲み明かす。それができて初めて、朝日と共に思える気がする。
ああ――すっきりした、と。




