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悪魔の微笑を消す呪文  作者: 林 りょう
【白騎士】編
22/79

白を名乗る黒の矜持(4)





 始まりは三年前の、春が終わって夏が来る季節の境だった。

 いつも通りの一日を終え、夜勤の者を除いてゆったりとした時間を各々過ごしていた時、酒場へと出掛けていた先輩から緊急の伝達がもたらされる。

 怪しい連中に見張られている者がいる。服装からしておそらくは、貴人がお忍びで遊んでいるのだろう。しかし、周囲に護衛と思しき存在は無く、念のため確認を寄越してくれ。そんな内容だったそうだ。

 そして、数少ないまともな貴族出身の黒騎士がそれに応じ、正体が分かった途端、即座に征伐部隊の王都組が全員招集された。団長まで出るほどの厳戒態勢だった。

 当然である。なにせ相手は、当時王太子となったばかりのエイルーシズ様その人だったのだから。しかも、護衛を付けずにだ。たとえ本人がそれなりに剣を使えるとしても、正気の沙汰ではない。

 だから私たちは、気付いた先輩を本気で褒め称えた。もし御身に何かがありでもしたら、とばっちりを食らっていただろう。あの手この手で責任逃れ合戦が繰り広げられ、最終的には哨戒中の黒騎士はなぜ気付けなかったのだと糾弾されるのは目に見えていた。

 とりあえずその日は、怪しい連中が動けないよう騎士の姿を見せ続け、王太子殿下の周囲を影ながら固め、お帰りになられるまで張り付くことで事なきを得た。

 しかしそれは、始まりに過ぎなかった。

 王太子殿下は不定期に、何度もふらりと出現するようになる。朝からの時もあれば夜のみの時もあったが、不思議だったのは、征伐部隊所属の者を中心に、必ず黒騎士の前へ姿を見せることだった。

 もちろん団長は、せめて護衛を付けるよう裏で進言したらしいが、どうしてかそれは聞き入れられる様子がなかった。

 おかげで私たちは、毎回全ての仕事を放り投げてお守りしなければならず、挙句の果てには徐々にだが、個人個人と交流すら持ち始める始末。王太子殿下はイースと名乗り、あっという間で黒騎士たちの心に入り込んだ。

 そうして、気付けば三年の月日が流れ、イースは今日、その境界線を越えた。


「それで? あなたはその間で、殿下と関係を持つに至ったと」


 王太子殿下の豹変や、とんでもない暴露によるショックで気絶してしまったリンステッド卿が回復した後、私が強いられたのは黒騎士とイースとの関係を洗いざらい吐くことだった。

 それを、執務机の上に腰掛けたイースが、ふざけた顔で眺めている。こっちは王太子の側近と白騎士団団長という、生きた心地が全くしない組み合わせと戦っているというのに。向かい合わせでソファーに座っているはずが、床で膝を折っている気がするのはなぜなのか。

 それでも、悪あがきだけはしようと思う。


「本意ではありませんでした。もちろん、企みもです」

「だから許されるとでも思っているのですか!」


 ですよねー。しかし、怒鳴るのはひどい。

 声を立てて笑うイースを睨んでいると、さらにアシル様の厳しい追及が飛んでくる。


「レオ。君は自分がした事の重さを分かっているのかい?」


 だから視線を戻し、思わず眉を寄せた。

 もちろん、分かってはいる。こういった関係が許されるのは、所詮物語の中だけだ。人によってはロマンチックだと言うのだろうが、夢などいずれ醒めるもの。しかも、割を食うのは片方だけときた。

 ただ、アシル様とリンステッド卿は勘違いをしている。だからこそ、この関係は続いてしまったのだ。私に一般的な感覚が欠けていたせいで。


「では、逆にお聞きしますが、お二人は王太子殿下が市井で娼婦を買うのを見過ごせと?」

「なぜそうなるのですか!」

「私が応じた理由がそれだからです」


 あれは、半年ほど経った頃だ。酒場で飲んでいるのを皆で護衛していた時、イースはあろうことか私に声を掛けてきた。そういうことがあっては困るため、わざと制服を着ていたというのにだ。

 もちろん最初は、イースが王太子殿下であると気付いていないフリをして適当にあしらおうとしたのだが、するとこのアホは、こちらの気も知らずにとんでもないことを言いだした。


「金がないから西街にしか行けないと聞いて、無視が出来ますか? 王太子殿下がそのせいで病気を貰いでもしたら、責任が結局は私にくるというのに?」


 そう説明すると、今度こそお二人は絶句した。王太子殿下は、有言実行をやってのけるお方だ。そういうところは、イースであっても変わらない。

 私だって断れるなら断っていたさ。それを分かっていて、出来ないようにそう言ったのだろう。そして結局、同席していた仲間が必死に演技をしつつも、従うよう涙目で伝えてきた。

 それから毎回、イースが誘ってくる形でズルズルと……! なにもかも、王太子殿下が城を抜け出すことを許していたそっちが悪い。

 少なくとも黒騎士が、イースを王太子殿下として扱える状況を作ってくれれば良かったのだ。そうしていれば、引きずってでも城へ連れ帰ったものを。


「そもそも、なぜ完璧に誤魔化してしまったのですか。白騎士などもっての外だ。護衛対象に逃げるなど……。しかも、何度もです」


 どうせ全員が、イースに上手く転がされているだけなのは分かっている。腹が立つことに、こいつはとんでもなく優秀なのだ。民の間でも有名だし、それは三年の付き合いで嫌というほど感じてきた。一週間分の仕事を、一日で終えたとしても驚かない。

 それに、王太子殿下には敵が多く、そのせいで派手に捜索できない事だって理解している。だからこそ、お立場を悪くしてしまうことを懸念して、団長も連れ帰る選択を取れなかった。


「我々が抜けられる穴をせめて開けて頂ければ、仕事が溜まることなど無かったというのに」

「おーい、レオ。本音が漏れてるぞ」

「煩い。誰のせいだと思ってんだ。危うく私はリンステッド卿の中で、悪女になりかけてるんだぞ」


 ああもう、この際だから、皆にも言っていなかったことを暴露してやる。でもって、せいぜい私に感謝すれば良い。

 やけくそ気味にそう考え、もはや言葉も無いリンステッド卿へ微笑みかけながら、ゆっくりとイースを指差した。


「それと、王太子殿下へのご教育は、一体どうなっているのでしょう。この男、避妊を一切しておりませんでしたが」

「なんですって?!」

「レオ……、もう少し言葉を選びなさい」


 アシル様から指摘を受けたが、すいません。これでも精一杯頑張ったつもりです。

 それよりも、リンステッド卿の顔が、またしても酷いことになっている。眩暈も感じたらしいが、気絶だけはしないで欲しい。話しが止まる。

 すると、イースが驚いた様子で割って入ってきた。


「気付いてたのか」

「当たり前だ。というか、この私がそんな大事なことを、男任せにするわけないだろ」

「あー、それもそうだな。……くっそ、やられた」


 その反応に、思わず何か物を投げたくなった。確信犯だったってわけか、この野郎。

 全力で睨むと、イースが不敵に笑う。

 私以外にも関わりのある黒騎士は全員、こいつが何を考えているのかを知らない。けれど、市井で過ごす時間の中で、民の様子を直接見たかっただけでは無いことを悟っている。

 それだけが理由では、多くの者に迷惑をかけてまで我侭を繰り返すただの馬鹿だ。特に私は、何度も二人きりになっているので、危険であるのを重々承知で動いているのを良く理解していた。


「説明が欲しいわけではありません。そのようなことは、黒騎士の誰一人として求めていないのです。しかし年々、王太子殿下を狙う連中は増えてきております。だというのに我々は、今の状況のままですと、それを捕られることすら出来ません」


 今年に入ってからは、とうとう事の最中に襲撃を受けている。

 けれど、あくまで王太子殿下は城に居ることになっており、私が狙われたとして処理するほか無かった。

 とは言うものの、団長同士で動いてはいるだろう。しかし、何かしら変化があるわけではなく、イースも城を抜け出すのを止めてこなかったのはどうしてか。問える立場を、私は持っていない。

 それでも、エドガー様たちと違って怒りを抱かないのは、イースという男を知っているから。信用を置いているからだ。

 身体を通して心も繋がっているとは思っていない。ただ、こいつは他人のために動ける、そういう奴だった。

 子供が泣いていたら声をかけ、重い荷物を持った老人がいれば手伝い、振られて悔し泣く酔っ払いの愚痴を笑いながら聞く。これまで見てきた姿は些細なものばかりだが、当たり前な事を当たり前に出来る男がこれからの国を背負って立つ。それは、とても素敵なことだと、私たちは思う。

 だから、仕事が滞っても、休みを返上することになっても、三年の間ずっと守ることが出来てきた。

 嫌々であれば、隙が生まれていたかもしれないし、危機を見逃してしまっていたかもしれない。

 ただまあ、夜を共にした後に、毎回皆から謝られるのだけは勘弁して欲しかったが。そりゃ確かに人身御供だったのかもしれないが、愛を誓った相手など別に居ないわけだし。私だからこそ出来る仕え方なだけだと思っている。

 すると、叱責の矛先がやっと移ったようだ。リンステッド卿が立ち上がり、鬼の形相をイースに向ける。


「殿下!」

「なんだ」


 すでに順応した辺り、さすが側近といったところだろう。

 アシル様の視線を感じながらも、そのやり取りを見守った。


「どういうおつもりですか」

「それだと、どれを指しているのか分からないな」

「この女性――」

「レオだ。黒騎士団征伐部隊所属、第八小隊長レオ。覚えておけ」


 出鼻を挫かれてもめげないところがまた良い。イースと渡り合うのは、それができていても難しいのだから。

 しかし、私のことは今日限りで忘れてもらって構わない。というか、そうして欲しかった。


「あなたは、危うくレオを苦しめるところだったのですよ。御子が出来ていたらどうするおつもりだったのです! 彼女の分別に感謝しなければ」


 リンステッド卿の言葉によってイースがこちらを見たので、鼻で笑ってから視線を外す。今のは絶対〝分別があるってさ、良かったな〟と言っていた。

 ただそうすると、アシル様と目が合ってしまう。彼は、私の物言いに驚きや呆れた反応はしていたが、全体的にはずっと落ち着いていたように思う。

 それはまるで、イースの目論見を知っているようだった。リンステッド卿もそうだ。彼だって、狙われていることや私の指摘を前に、何の反論もしておらず、イースを窘めなかった。

 もちろん、私が居るからかもしれない。政治的な駆け引きが存在しているのだとすれば……。

 やめよう、小難しいことを考えたところで、首を締めるだけな気がする。


「どうするもなにも、俺はこいつを側室に入れるつもりだったんだけどな」

「は…………?」

「なにを……、は?」


 しかし、横から聞こえてきた言葉に、開いた口が塞がらなくなった。

 リンステッド卿より早く間の抜けた声が出て、アシル様まで驚きで目を見開いている。

 そして、ゆっくり首を動かしイースを見れば、何を驚いているんだと言わんばかりな顔がそこにはあった。


「さすがの俺も、んな無責任なことはしないっての」

「で、ですが! 彼女は平民では……」

「んなもん、どうとでもなるだろ。レオは特にそうだな」

「しかし!」


 かなりうろたえているリンステッド卿には悪いが、それは私も聞き捨てがならない。

 そんなことを望んで、イースと付き合っていたわけではないのだ。誰も頼んじゃいない。

 さすがのこれには我慢ができず、立ち上がって飄々とした顔を前に威圧した。


「どういうことだ」

「説明しただろ?」

「違う。私たちが気付いているのも、私がそんなことを望んでも狙ってもいないことだって、お前は分かっていたはずだ」

「まあな。ただ、それでも欲しいと思ったって言ったら、レオはどうする?」


 つい感情任せに胸倉を掴むと、イースの手が重なった。

 そこにはけして、人々が思うような感情はない。

 たとえば私が、イースが、どちらか片方でも想いを持っていたとすれば、仲間も方法を考えてなんとか関係を断たせていただろう。無かったからこそ、その手段が最善とされてきた。

 しかし、どうやらそれがまずかったらしい。

 イースは怒るに怒れない理由を、満面の笑みで明かした。


「だってお前なら、裏切ることなく王妃に仕えてくれるだろ。たとえば俺を好きになったとしても、だ。子供に対しても、次代を支える教育をしてくれると思った。だからだ」

「なんだよ……、それ」

「第二王妃までは持てって言われてるが、愛憎渦巻くどろどろな展開とか勘弁だからな。で、今まで会った女の中では、レオが一番適任だと判断したってわけだ」


 それは、上辺だけの愛を囁かれるよりよっぽど、私にとってはダメージがでかい。

 まさかこいつから、信頼をもらえるとは思わなかった。そういうことは言わない男だと……。


「ま、失敗したけどな!」


 イースが声高く笑う中、私は込み上げる感情をグッと堪えた。

 王太子殿下は、二十一にもなって未だ妃を迎えていない。その理由は様々な憶測が流れているので定かではないが、その一つとして敵が多いからなのは確かだ。

 そんな奴が今、これから共に国を支えていくであろう人物を守る役目を与える者として、私を選んだと言った。

 けれど、それは同時に、騎士の立場を奪うものだ。なにより私は、その信頼に応じることができない。応じたくはないと思ってしまった。

 だから、手から力を抜きつつきっぱりと告げる。


「断る。女としてお前に仕えることはできない」

「言うと思った。でもな、そういうのが選んだ理由って気付け?」


 しかしイースは、それすら楽しんでいる様子で、背筋の凍るようなことを言ってのけた。

 ひっそりと恐れ、そんなことはしない奴だと期待していたことを。


「俺が王太子として命じたらどうすんだよ」


 私だけでなく、リンステッド卿とアシル様にも緊張が走った。

 さらには意味ありげに、最近の手入れのおかげで痛みが改善されてきた髪を見る。首を傾げ、私の答えを待った。

 それをされれば、抵抗などてきやしない。ただただ身の程知らずで、光栄なこととして扱われるだろう。

 そして私は、理不尽さに怒りつつも、おそらくはイースが望むままに動くはずだ。

 一度誓った忠誠は、おいそれと消えやしない。私も含め黒騎士は、こいつが愚王に成り果てたとすれば、その時はきっと運命を共にする。そうならないよう命を賭ける。

 ただ――そう、ただ私は…………。


「どうもできないが、恨む。呪いたくなるほど恨むからな」


 イースの前では、冗談でも剣を捨てるとは言えなかった。だからこそ、そんな子供染みた、けれど飾らない答えが出る。

 すると、顔の真ん中に空気の塊がぶつかってきて、イースが腹を抱え爆笑した。

 よくよく耳を澄ましてみれば、背後からも忍び笑いが聞こえてくる。

 ただ、横にいるリンステッド卿だけが、ポカンと私を見ていた。


「呪う、ん……ですか?」

「呪い殺したらまずいと思ったので」

「ぶはははは! さすがレオだわ! あーもう、好きだわー」


 うるさい、黙れ。誰のせいでこうなったと思ってる。

 私が憤慨している間、イースは豪快に机を叩いて笑っていた。

 しかし、それをピタリと止めると、いい加減本題を切りだそうとしていた私に残酷な質問をする。


「そんなにも騎士でいたいのか」


 息を呑んだ。その声が、あまりに静かだったからかもしれない。

 王太子と顔を合わせることを、本能が拒絶した。


「…………はい」

「馬鹿げた理由だと俺は思うぞ。それでもか?」


 それは一瞬だったが、今度は真実を突き付けられ、目を向けられなかった。頷くので精一杯だ。

 でも、そうだな。本当にイースが私を選んでいたのだとしたら、素性は隅々まで調べられるだろう。十三の子供がした小細工など、国に通用するわけがない。

 それでもこいつは、放っておいてくれたのだ。知らないフリをしてくれている。

 すると、しょうがないとでも言うように、額を叩かれてしまった。

 考えてみれば、年下相手に翻弄されているんだよな、私。情け無いにもほどがある。


「でもなー、今んとこ諦めるつもりもないんだよな」

「は?! お待ち下さい、殿下。それでは話が振り出しに……」

「だからレオ、賭けようぜ」


 しかも、本当に私を理解してくれているようで、なぜこんなにも良い男に惚れられないのだろうと、本気で悩んだくらいだ。

 顔を上げると、イースは酒場で良く見せている挑戦的な顔をしながら顎を掴んできた。


「どうせお前のことだから、俺の名前を借りに来たんだろ。だから取引だ。元々の作戦は三人の確保を優先だが、俺の名前を使うなら全員捕らえろ。それが出来たら、しばらくは引いてやる」

「しばらくかよ」

「むしろこっからが勝負だろ? 嫌ならさっさと誰かに惚れろ」


 難しい事を言ってくれる。

 そう思いながらも、イースが突き出してきた拳に自分のものをぶつけた。

 こうして取引は成立し、私は保険として王太子殿下のお名前をお借りすることと相成った。

 もしそれが出来ていなかったとしても、あの状況では勝手に使っていただろう。イースならば、今回限りだと苦笑して、きっと許してくれる。

 しかし、その場合は心でそうしてくれるだけで、不敬罪での処罰そのものは下し、私は騎士ではいられなくなっていたはずだ。

 それでも後悔はしないと思う。

 ただ、そうなっていれば、私はきっと――――

 王太子殿下がそこまで見越して動かれていたのならば、この国の未来は長きに渡り安泰だ。そう思って死ねたと信じたい。




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