白を名乗る黒の矜持(3)
それは、食堂で二人の特技を聞いた日まで遡る。
ジョゼット様が見守る中、アシル様と向かい合った私は、緊張しながらも決然と口を開いた。
「エイルーシズ王太子殿下とお目文字願いたく、アシル様にはそのご協力をお頼み致します」
とんでもない要望だというのは理解していた。
深々と頭を下げていても、空気が変わったのが分かる。
「頭を上げなさい」
恐る恐る従うと、ジョゼット様でさえ冷淡な視線を放っていた。
それでも、一度口にした言葉は無かったことになど出来ないし、するつもりもない。
「まずはその理由を話してもらうよ」
アシル様が頭ごなしに拒否せず、そう言って下さらなければ、泣き寝入りする道しかなかっただろう。
だから精一杯、下心が無いことを態度出示しつつ、その理由を説明する。
エドガー様には、黒髪と翡翠の瞳でいて欲しいこと。その為に、西街の魔女へ手紙を出して欲しいこと。そして、エイルーシズ王太子殿下のお名前をお借りしたいこと。その許可を取るため、会わせて欲しいと。
ただただ、エドガー様とジャン様を出し抜きたかった。私とて曲がりなりにも騎士だというのに、何もするな、自分を守る為に剣を揮えと言われ、素直に従うなど黒騎士の名が廃る。
とはいえ、策そのものは真面目に考えた末のものだ。王太子ほどでかい餌はないだろう。
「何故、ここまでする必要があるのかな?」
しかしこれは、今の作戦では信用出来ないと言っているに等しい。
だから、アシル様の言及は当然であった。
本来ならば安らぐはずの大地の色をした瞳は、真っ直ぐにこちらを射抜いており、何をお考えなのか分からない。
それでも、この場で俯くことは許されなかった。
「アシル様が敢えてそうしているのかどうかは、私などには預かり知らぬところですが、今のままでは不測の事態への対策が不十分だと思いましたので」
「その不測の事態とは?」
「私たちが怪しまれる、任務の遂行が危ぶまれる何かが起こる、潜入どころではなくなる……。色々です」
たったの三人で行動するというのに、私たちでは緊急時にとても頼りない。
指揮が全く成り立たないのだ。それが最も適任なエドガー様は、私を使おうともせず、ジャン様とて右に同じ。信頼の二文字がどうにも生まれないし、そうでなくとも彼らは、馬鹿正直にアシル様の言う事を聞いているだけで、何もしようとしていなかった。
それを誰もが分かっているはずだというのに、是が非でも私たちを潜入させようとしているのは何故なのか。不思議でならない。
「私には、貴族の考え方が分かりません。想定出来るのは、野蛮な連中のやり方です。だからこそ、極端な策しか思い付けませんでした」
「たしかに、陛下や王太子殿下のお力は、誰にとっても偉大だからね。しかし、それがどういう影響を及ぼす可能性があるのか、君は理解しているのかい?」
もしかしなくとも、私は試されているのだろうか。
ならば、全力で応じなければ。今の私は、黒騎士の代表でもある。
だから、少しだけ深く呼吸をし、はっきりと頷いた。
「はい。万が一にでも失敗した場合には、人々の間でエイルーシズ王太子殿下が薬物パーティーにご参加していたと囁かれ、お立場を悪くしてしまう恐れがあります。ひいてはそれが、内乱を引き起こすやもしれません」
「そこまで分かっていて、それでも君は王太子殿下のご協力を仰ぎたいと言うんだね」
もう一度頷くと、アシル様が腕を組んで深く悩み始めた。
この方が、誰かの前でそんな姿を見せるのは、なんだか違和感がある。私が言い出したことが、それだけとんでもないということなのだが、ジョゼット様も心配そうにしているので、やはり珍しいのだろう。
私も正直、王太子殿下と会うのは怖い。それはもう色々な意味でだ。
いや、ここは信じよう。というか、祈るしかない。この場所で使える私の切り札は、これしかないのだ。
嫌だとか、我がままを言っている余裕もなかった。出来る限りの対応をしておかないと、最終的に困るのは誰でもない私自身だ。
「そういえば、これはエドガー達も賛同しているのかい?」
「ああ、そうでした。この話は、お二人には隠しておいて欲しいのです」
「…………その理由は?」
「答える必要があるのでしょうか。今の状態は、誰の目にも明らかなはずです。それでもやらなければならないのならば、私は協力する努力ではなく利用を選びます」
改めて思い返せば、私はアシル様を信用しすぎていたのだろう。期待をされて嬉しかったのかもしれない。
ただこれが、柔和な笑みの裏でえげつないことばかりを考えている男の琴線をくすぐったのは確かだ。自分の部下を平気で利用すると言ってのけた勝気さが、私の価値を決定付けた。
「分かった。一応話を通してみよう。ただし、お決めになるのは王太子殿下ご自身だよ?」
「ありがとうございます」
それがはたして功を奏したのかどうかは微妙でも、最終的に子供を一人救えたのなら胸を張って良い気がする。
私が王太子殿下とお会いしたのは、次の日のこと。なんでも、二つ返事で了承されたそうだ。
まあ、予想通りといえば予想通りだった。
□□□
城の中心は、賑やかながらどこか尖った雰囲気で満ちていた。
意図して避けているのか人目は少ない為、アシル様の背中を追いながら、思う存分周囲を観察する。
それでも緊張はしており、無意識に袖を引っ張ったりしてしまう。さすがに上着をそのままにはしておけなかったので、ジャン様のものを拝借してきてくれたらしいが、比較的小柄であっても私には大きかった。
「まったく。レオは本当に面白い子だね」
「面白い……、でしょうか」
首もとの隙間を無意味に覗きこんでいれば、前方から呆れ混じりに声をかけられ首をひねる。
こっちは結構一杯一杯で、笑いを取っているつもりはないのだが。
すると、アシル様は立ち止まって身体ごとこちらを向いた。
「エイルーシズ様は、とても優れたお方だ。だからこそ、無意味なことはされないんだよ」
まあ、次代の国王陛下になられるのだから、無能では困るけども。アシル様は一体何が言いたいのだろう。
黙って続きを待っていれば、なぜかため息を吐かれてしまった。私は心を読んだりできないので、出来れば言葉を用いて頂きたい。
「君が会いたがっていると伝えたら、理由も聞かず二つ返事で了承なされた。しかも、とても嬉しそうにだ。私はあのお方が表情を浮かべているところを、年に数回しか見ることがないんだよ」
うん……、まあ、うん? それは知らなかった。
というか、その嬉しそうは、絶対に言葉通り受け取ってはだめだ。あいつのことだから、違う意味で歓迎しているのだろう。
「そして、とても気まぐれな方でもある。粗相をしても、さすがの私も守ってあげられないから。良いね?」
「はあ……」
さらに、アシル様が本気の注意を告げてくるが、あいにくと出たのは空返事だった。
だって、それは今さらすぎる。どうせなら、昨日の内に言うべきだ。
とはいえ、どうしたって考えは変わらないし、そもそも、そういうことは微塵も心配していない。それが絶対ならば、私の首と胴体はとっくに離れているだろう。
脅し染みた忠告を前に、平然としたままな私を見て、アシル様は諦めたように苦笑を零していた。
「本当に……。一体誰に似たんだろうね」
それはまるっきり、父親が言うセリフな気がする。実際、私の父は良く言っていた。
途端に懐かしさが溢れてくる。
例えばいたずらがバレた時、近所の男の子と取っ組み合いの喧嘩をした時、怪我をしたネコやイヌ、鳥など様々な動物を隠れて世話していた時。いつだって困ったような顔して、頭を撫でながら呟いていた。
だから私は、その時々で表情を変えながら『お母さんは、お父さんそっくりだって言う』と答え、父が『お父さんは、お母さんそっくりだと思うけどね。小さなお嬢さま』と返し、許してくれるのを毎回待った。良く覚えている。
「さあ、誰でしょうか」
けれど、それは言わなかった。
とても大切な思い出だからこそ、教えたくないものもある。
アシル様も深い意味はなかったらしく、適当に相槌を打つと再び歩き出した。
そして、とうとう王太子殿下の執務室の前まで辿り着いてしまった。私はそこで、剣を預けることを命じられる。
それに応じるのを確認してから、アシル様は扉を叩いた。
「ああ、バリエ卿でしたか。少々お待ち下さい」
すると、おそらくは王太子殿下の側近であろう方が顔を出し、すぐに引っ込んだ。
かすかながら「殿下、バリエ卿がいらっしゃいましたよ」と、そんな声が聞こえる。
それにしても胃が痛くなってきた。なんだか、早まった気がする。
「お待たせ致しました、どうぞお入りください」
とりあえず視線を下げておき、王太子殿下の前へ立つのと同時に跪く。アシル様は頭を下げるだけなのが、私の立場の底辺さを如実に現していた。
「王太子殿下におかれましては、ご機嫌麗しく。本日はお時間を頂き真にありがとうございます」
さすがというか当然ながら、アシル様は堅苦しい挨拶を流暢に行い、まったくもって平然としている。
私は許可が出るまで、けして口を開いてはいけない。
というか、出来ることならずっと、この状態で居たいと切実に思っていた。
頭頂部へ、物凄く視線が刺さっている。誰の? そんなの決まっている。
「殿下?」
側近の方の不思議そうな声がした。
それから、何かを取り出す物音と、なんだか聞き慣れた――そう、例えばだ。例えば、剣を鞘から引き抜くような音もする。
「殿下?!」
この場で動揺していないのは、おそらく王太子殿下と私だけだろう。
扉の外の護衛までもが異変を察して部屋へ入ってくる中、絨毯の上を椅子が滑る。
「何をなされておられるのですか!」
「お前たちは持ち場に戻れ。問題はない」
淡々としていて、一切の感情が抜けた声だった。
王太子殿下は、有無を言わせぬ雰囲気で護衛を戻らせると、私のすぐ目の前にお立ちになられた。
帰りたい。ものすごく帰りたい。自分で言い出したことだが、今すぐ逃げたい! ここが最上階だとかは、この際だから気にしない。贅沢は言いません、窓で十分です。たぶん気合でなんとかなる。
「立て。頭も上げろ」
忘れていたわけではない。忘れるわけがない。ただ、表沙汰にしないと信じていただけだ。
喜んでいたのは、私の猫被りをひっそりと楽しめるからだと思っていた。まさか自分からバラすなんて、疑いもしなかった。
けれど、それは裏切られる。
何故――と、心の中で呟かずにはいられなかった。
「恐れながら申し上げま――――」
「気色悪い言葉遣いもやめろ。いつも通りで良い」
「しかし――」
「でないと切るぞ」
ああもう、分かっていたさ! いつもいつも、どうしたって私はお前に勝てないよ。でもな……!
膝に置いた拳が憤りで震えているのを見つめながら、噛み締めた唇をゆっくりと開く。そして、なんとか平常心を保って声を出した。
「恐れ入りますが、どなたか現在の王太子殿下のご様子をお教え願います」
それは、周囲が固唾を呑んでいたからか、思いの外よく響いた。
しかし、残念ながら答えてくれたのは本人だった。
「短剣を首に当てている。いい加減にしないと切る」
………………やる。絶対にやる。こいつはそういう男だ。
そして、私のことを良く理解しているからこそ、そういった手段を取るのだろう。自分が脅された方がよっぽどマシだ。
さすがに死ぬような傷は作らないだろうが、たとえかすり傷であっても私のせいとなり、そうなれば何をさせられるか分かったもんじゃない。
だからもう色々と吹っ切って一気に立ち上がり、遠慮せずに目を合わせた。
王太子殿下は、エドガー様と甲乙付けがたい濃さの黒髪に、どこまでも透き通った美しい翡翠の瞳をお持ちだった。無表情だからこそ、右目の泣きぼくろがとんでもない色気を醸し出しており、全体的には涼しげながらもどこか野生的な雰囲気が混じった不思議な印象をしている。
しかし、私の知る男は、そこから根こそぎ気品を抜いたような奴だ。
「イース……、お前、なんのつもりだ」
そして、王太子殿下が剣を下ろしたのをしっかりと確認してから、その名を呼んだ。
つい勢いで胸倉まで掴んでしまったが、これまで絶対に越えてこなかった線引きを無碍にしたのは私じゃない。
すると、ただでさえ近かった距離がさらに縮まり――――
「で、殿下ああああ?!」
唐突に、私たちの唇が重なった。
慌てて引き剥がしたがもう遅く、王太子殿下であった者は、私や黒騎士が良く知る人物へと変わっていた。
いつだって豪快に笑い、酒場ではでかい肉の塊に平然とかぶり付き、気品も礼儀もなっちゃいない、風のように時折ふらりと現れる遊び人ことイースという名の男へ。
そしてイースは、騒然とする周囲を余所に、いつも私が振り回されまくっているマイペースさを存分に発揮する。
「久し振りだな、レオ!」
「黙れ。私は王太子殿下に会いに来たんであって、お前なんて呼んでねぇ」
「そんな冷たいこと言うなよ。ていうか、俺がその王太子殿下だから。まあ、知ってただろうけど」
「何の為にこの三年間、私たち黒騎士が苦労してきたか。一々説明しなきゃ通じないか?」
いつもいつも、人をおちょくるのがそんなに楽しいか。
ヘラヘラ笑いやがって、残念美形め。死なない程度に首締めてやりたい。
しかし私は、毎度のことながらイースのペースにすっかりはまり、こいつがここでは無表情で通った王太子であることをすっかり忘れていた。
それを思い出させてくれたのは、動揺から一番早くに立ち直ったらしいアシル様だった。
「殿下、お取り込み中申し訳ありませんが、そろそろリンステッド卿が卒倒しかけております」
「んー? ああ、忘れてたわ。てか、なんだその顔」
つられて私も示された方を見れば、いかにも気難しそうな眼鏡をかけた側近が青褪めるどころか白くなりかけており、イースに続いて思わず吹き出す。
すると途端に怒りが込み上げてきたのか、リンステッド卿というらしいその人は、震える指でこちらをさした。
「殿下! この女性とのご関係を、はっきりと私にお教え下さい!」
ここで私がイースの口を塞いでいれば、もっと穏便に話ができたのだと思う。
けれど、後悔したところで遅い。
この時私は、そういや自分たちの関係は何になるのだろうかと、ふと悩んでしまっていた。
だというのに、向こうは一瞬たりとも考えなかったらしい。
「俺の女だけど?」
「違う!」
急ぎ否定するも、その直後にリンステッド卿がショックすぎたせいか倒れてしまい、さらにはイースを怒鳴ろうとしたところで肩を誰かに掴まれる。
振り返れば、そこにはいつもより笑っている気がするも、完全に目が据わっておられるアシル様がいた。
「しっかりと説明してくれるね? レオ」
ああ――もう、こんなはずではなかったのに。
私や他の黒騎士たちは、たとえ正体を知っていたとしても、イースが隠し続ける限りはずっと知らないフリをするつもりだった。
だというのに、何故このタイミングでそれを壊した?
なあ、イース。お前を頼ったのが間違いだと言うのなら、それは謝るよ。
けれど、きっと違うよな。お前は、私みたいに腹が立ったからだとか、そんな理由で物事を決めたりしない奴だ。意味もなく、これまで纏い続けてきた王太子の鎧を脱ぐわけがない。
真逆と言って良いほど態度が違う姿を三年間見続けて、その影で何を思っているのか少なからず察していたからこそ、私たち黒騎士は、国王陛下と引けを取らないほどの忠誠を、イースを通して王太子殿下へ誓っている。たとえ直接は守れずとも、お姿さえ拝見できずとも。
だから、お前が何をしようとしていても、口出しをするつもりはない。
ただ、文句だけは覚悟しろ。そしてとりあえず、だ。
「お前、一発殴らせろ」
しかしイースは、いや――王太子殿下は、私の言葉をとても楽しそうに聞くだけだった。




