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悪魔の微笑を消す呪文  作者: 林 りょう
【白騎士】編
19/79

白を名乗る黒の矜持




 私の失敗は、今回限りの付き合いを言い訳にして、相手との関係を一切気にしなかったことだろう。私情と混同しさえしなければ、嫌われたままで良いと思っていた。

 その感情と向き合うのは、ただでさえ一筋縄ではいかない。黒騎士となってから、それは悔しいほど身に染みた。四年間、直向に食らいつき続けてやっと、居場所を作り維持することができている。

 だとしても、未だに別部隊の連中には嫌味を言われるし、女というだけで正しく評価をしてもらえなかったりするのだから、たった二週間でなにが出来るのか。面倒くさい気持ちばかりが先行した。

 なにより、協力を要請しておきながら何もするなと言われたも同然な状態で、そのくせ同じ度合を強要されて、誇りと対抗心以外の何を原動力にできるだろう。

 それでも歩み寄れる聖人染みた慈愛など、私には持てやしない。こういう状況になって初めて、やっておけばよかったと後悔するのが精一杯だ。

 そして、ジャン様の失敗は、接触に赤ワインを用いたことと、私が香の存在に気付いていたこと。薬の類に詳しいのは、けしておばばが関係しているからではない。彼女と出会ったのは去年の話で、知識を集めだしたのは騎士になってすぐの頃からだ。

 エドガー様にもジャン様にも、はっきりと言った。私は弱い。けれど、それでも望む場所があったから、強くなる方法を貪欲に探し続け、糧としてきた。

 見境の無さを罵る者は多い。それでもほら、その結果、こうして私は生き残っている。


「……エル様、わたくし少し酔ってしまいましたわ」


 ジャン様から贈られた錠剤は、結局、ワインを飲むフリをしてグラスの中に吐き出した。

 ただ、少なからず影響は出てくるだろう。状況は最悪といっていい。

 でもって、エルにもたれかかり、ターゲットを待ちながらも自己嫌悪に陥る。

 さすがにあれだ、これは本気で図に乗りすぎた。絶対に怒られる。誰にって、黒騎士団のお袋と名高い副団長その人に。

 おそらく〝誰でもない君が私情を挟んでるでしょう?〟と、怒鳴られる方がよっぽどマシな諭し方をされ、〝貴族嫌いも大概ににしなさい〟と、にこやかなまま全力で殴られるな。

 かといって、今さら大人しくしたところで、もはや自分を守れるとは思わない。

 ならばどうするか。それを考え始めたところで、とても気になる会話が耳に入った。


「もうすぐ始まるぞ」

「ああ、例のあれか。私はまだ見たことが無かったが……」


 騒がしい中で、何故それが気になったのか。とにかく、無視してはいけないと勘が告げ、自然と視線が動いた。

 それぞれ愛人の腰を抱き、グラスを持った二人の中年男は、部屋に作られた小さな舞台を見ながら会話をしている。ここに来てすぐ目に入っていたが、ただの飾りだと思っていた。

 しかし、今の物言いでは、これから何かが始まるらしい。

 どうせ碌なものではないだろうと予想しつつ、念の為よくよく舞台に目を凝らしてみる。

 だが、暗すぎる。すると、催しの準備のためか、壁に設置されている燭台に火が灯され始めた。

 明かりによって浮かび上がる舞台へ、人々の目が集中する。そして、知っている者は最前列に移動して場所を確保していき、知らない者もまた不思議そうにしながら続く。

 だからすぐに観察は難しくなったが、人の隙間を縫って一瞬見えた床の染みに総毛立った。


「今日は何人だ?」

「一人しか手に入らんかったですわ」

「なんだ、つまらん」

「いやあ、最近は老害の目がきつくてですなあ」


 けれど、それだけを気にしてはいられなくなってしまった。

 背後で聞き覚えのある声がしたからだ。私に向けられていたものとは違って本性を滲ませ、高慢な響きを持ったモートン子爵の声。それと、二人の男が会話をしていた。

 ――人数が合う。

 入口の扉が開けばすぐに気付くよう意識は配っていたし、前方など視界から極力外さないようにしていた。ところが、声がするまで存在に気付かなかった。

 そうなると、どこかに隠し部屋があると考えた方が良い。敵も、予想より多く見積もっておくべきだ。

 焦りが広がっていく。さきほどの染みが脳裏から消えない。

 それを必死に無視し、人知れず視線を後方へとやった。

 ――居た。一番後ろの絵画の前だ。そこで全体を見渡している。


「左斜め後ろ、一人は確かです」


 すぐさま忍び笑いをしながら、さも愛を告げるように耳元で囁けば、エドガー様が抱き付いてきてしっかりと確認を取ってくれる。

 そうして、かすかに頷いた。

 やっと現れてくれた。規模が大きくなり始め、黒騎士も摘発の計画を慎重に進めていた犯罪組織の親玉ことマドック。そいつと共謀してエデンを開発し、あまつさえ薬と称し民へ無理やり広めていった国立医院のジンデル医務局長。そして、資金援助と貴族側へエデンをばら撒く役割を担っていたモートン。主犯格の三人が揃った。

 これで後は、ジャン様が事前にすり替えているはずの壁の剣を使い、応援が来るまでの間、とにかく逃亡を阻止すれば良い。計画としては、三人を確保すると同時に剣を抜き、客を混乱させ護衛の動きを鈍らせて時間を稼ぐ。

 それにはまずジャン様の姿を再び見つけ、合図を送らなければならない。でなければ、彼とエドガー様の連携が上手くいかなくなってしまう。

 この際、私に対しての行為は隅に置いておく。今はそれどころではないし、どうせつるし上げようとしたところで、証拠はすでにワインに溶けてしまった。しらばっくれるのは目に見えている。

 それよりも、だ。動くにしても、舞台でこれから起こる何かが不安を募らせた。

 理性では、エドガー様の指示を待つのを最善とし、本能がそれを否定する。

 エルもまたひっそりと、それでいてしきりに周囲を気にしているが、これはおそらくジャン様を探しているのだろう。そして、見つけられないことに苛立っている。

 色々とおかしい。お互いの思考を共有しなければ。

 しかし、背後の三人の視界へ私たちの姿は入りやすい。この状態のままで、長時間の密話は危険だ。

 くそ、考えがまとまらない――――!

 おまけに、かすかに生じていた吐き気と頭痛が強くなってきている。

 それを取り払うため、一瞬だけグッと瞳を閉じた時、頭上から嫌な呟きが聞こえた。


「なにをするつもりだ…………?」


 明らかな困惑を宿した声だった。

 ハッと顔を上げてエルの視線を確認すれば、歓声にも似たざわめきの中、舞台の上にジャン様が扮した使用人が現れた。

 彼は、滑車つきの檻を押していた。その中に何かが居るようだ。唸り声が聞こえてくる。

 考える前に立ち上がっていた。


「レイラ、どうしたんだい?」


 それは、驚きながらもエルがフォローをしてくれる。

 しかし、はっきりと確認できた光景に、私は仮面の下で目を見開いた。

 檻の中には、一匹の犬が居た。かなりの大型犬だ。ちょうどジャン様が口輪を外すために動いており、すぐに狂ったような吠え声が響き始める。しかもその犬はとても凶暴で、鎖で檻と繋がっていなければ、即座に彼へ襲いかかっていただろう。

 問題はそれだけではない。そもそもなぜ、ジャン様はあんなにも目立つことをしているのか。指示されて逃げられなかったとでも? あり得ない。あいつならば、どうにでもかわしていただろう。むしろ逆で、理由があって自分から動いたように思う。

 それが分からない内に、ジャン様が一度舞台袖に引っ込んだ。

 その間でなんとか考えをまとめようと、必死に頭を働かせる。自分の中で徐々に積み重なっていた不安要素を崩していく。

 入口にいた、貴族の使用人にしては動作が粗末な仮面の男。例のあれ。モートンたちの会話。幼い子供より大きく、凶暴な犬。正体がバレる危険を犯してまでの、ジャン様の行動――

 ああ、くそっ! 痛みが邪魔だ。邪魔をするな。


「気になるなら、もっと近くに行ってみようか」


 反応を見せない私へエルが言う。いや、エドガー様も気になっているのだ。

 でなければこの状況で、剣がある場所から離れようとはしないはず。

 とりあえず適当に返事をしなければ。


「手品でも始まるのでしょうか」


 そして、自分の言葉に衝撃が走った。

 待てよ。手品、消える。さらには、さきほど聞いたマドックの老害という言葉。

 幼い子供より大きな…………。

 子供――――――!


『そういや、まーたガキが消え始めたってよ』

『んなもん、ここじゃいつものことだろうが。こっちも聞いたが、たかが一人、二人だろ』

『俺が知ってんのは五人だが、まあ……ちげえねぇか』


 それは、二週間よりさらに前、西街で聞いた浮浪者たちの世間話。その時は、また人身売買の組織でも生まれたのかと、様子見するに留めていた。

 薄情ではあるが、西街で人が消えるのは日常茶飯事だ。あそこでは死が常に寄り添っており、弱者はすぐに呑み込まれてしまう。私に出来る事など、時折発見する娼婦が生み捨てた赤子をひっそりと保護し、孤児院で引きとってもらうぐらいだ。騎士として動くこともできやしない。

 だからといって、それは言い訳にしかならない。たとえ西街といえど、そこで暮らしているのは何も悪人ばかりではないのだ。まっとうな暮らしを望みながらも、それが叶わず貧困を強いられている者だっている。

 ましてや、今回の作戦で犠牲になって良い存在などあってたまるか。


「レイラ、一人で動くんじゃない!」


 気が付けば、身体が勝手に動いていた。

 エルの腕をするりと抜け、前方にではなく横へ移動する。

 動揺と怒りを含んだエルの叱責が、上手い具合にモートン等三人の注意を引いてくれていた。

 私は、まるでエデンでおかしくなったかのように、くるくると回りながらタイミングを図った。扇子を開き、その時に備える。具合は悪くなる一方だったが、ジャン様が私にした行いを考えれば、迷ってなどいられない。

 エルが走り寄ってくる。ターゲットとの距離がかなり近付く。

 そして――ジャン様が、再び舞台上に現れた。殿下と同じ年頃の女児と共に。

 だからエルに捕まると、なんとか声だけは装い前方を示す。

 指先は小刻みに震えていた。


「見て下さい!」

「…………ジャン?」


 ああ、やはり。これはあの男の独断なのだろう。独断で、愚行で、騎士にあるまじき選択だ。

 今すぐ女児に触れる腕を切り落とし、最低な言葉を作ったその唇を縫い付けてやりたい。

 どうしてそんなことが言える? それがよもや、慈悲とでも思っているのか。

 いくら騎士でも、国の為でも、やって良いことと悪いことがあるだろう! やれないことをやるために、地位や権力が存在するんじゃないのか?!

 一瞬で膨れ上がった怒りで身体が熱くなる。感じる眩暈は、もはや体調と心情どちらから来ているのか分からない。

 死ねばいいと本気で思った。死んでもいいと本気で思う。ここで人生を賭けずして、なにが騎士だ。なにが誓いだ。

 そして私は、保険を使う。


「エイルーシズ様、女の子と犬ですわ!」


 その瞬間、白いカラスが持つ偽の翡翠が驚愕で見開かれた。ターゲットが一様に息を呑む。

 そして、顔を見合わせると、モートンを先頭に接触を図りにくる。

 ――早く、もっと傍へ!

 舞台では、ジャン様が女児を檻の中へ閉じ込め、犬の鎖を外そうとしていた。

 それだけでもう、この催しが何かは推し量れる。小さな手には粗末な棍棒が握らされていて、たとえ貧しくとも未来ある命が、こんな狂った連中の遊戯に使われようとしていた。

 しかし、ふらつく身体には抗う力すらないだろう。一人の騎士が与えたであろう薬によって――


「またお会いしましたね、青き鳥の姫」


 そして、馬鹿の手が鎖に触れた時、モートンが私へと声をかけた。

 その瞬間、腕を掴むエルの手を無理やり外す。扇子へ左手を伸ばし――――微笑んだ。


「邪魔だ、寝てろ」


 まずモートンの身体へ、扇に仕込んでいた眠り薬付きの針を刺した。マドックとジンデルへも飛ばし、昏倒させる。

 さらに、三人の身体が床に倒れるより早く扇を捨て、太もものコサージュの留め金を外して引き抜きながら走り出す。


「待て――――!」


 さすがのこれにはエドガー様の演技も崩れ、素の声での制止がかかった。

 だが、それに従ってしまえば、救えるものも救えなくなってしまう。


「どけ!」


 ドレスのドレープがかかっていた部分が丸々落ちていくのを感じながら叫ぶと、まだ正気の残っている奴らが異変に気付いて悲鳴を上げる。

 その時、馬鹿と目が合った。驚いていたのはおそらく、与えたはずの睡眠薬で私が眠っていないからだろう。

 それがあまりに腹立たしかったため、八つ当たりにドレスを頼んだべディーナへ悪態を吐く。


「あの女、誰がこんなもん付けろって頼んだよ!」


 同時に投げ捨てたのは、ドレスの細工に仕込まれていた鞭だった。

 〝粋な演出でしょ?〟と、得意げなベディーナの顔が脳裏に浮かぶ。

 ふざけんな、んなもん役に立つか! せいぜい縛って動きを封じるぐらいにしか使えないっての!

 その苛立ちも加え、両足に隠していた様々な武器から短剣を選び、狙いをつけて投擲する。

 可哀想だが、あの犬は救ってやれない。あれは人を襲うことを覚えている。

 檻の隙間を縫って飛んだ短剣は、外れることなく役目を果たした。

 そして、状況が分からぬまま私を避ける連中の間を抜けていく。その時、視界に知っている存在を見つけた。

 気のせいかもしれない。だとしても、女児のことを考えれば可能性はある。


小人(こびと)! 奥部屋押さえろ!」

「剣は~?」

「寄越せ!」


 それは当たっていたようだ。

 場にそぐわない暢気な声へ怒鳴りながら、舞台に上がる。

 いつの間にか、女児は檻の中で倒れていた。ジャン様は鎖を外そうとしたまま固まっており、犬が息絶えている。

 ああ――良かった。間に合った。これで私は騎士のまま、この場に立っていられる。


「姐御~」


 シン――と静まった室内で、焦りで乱れた呼吸を整えながら振り返れば、横から剣が飛んできた。自分の身だけを守る為に用意されていた私の剣。何度も悪人を切ってきた分身を引き抜く。

 鞘はそこ等に放り投げた。さらに、左足に装備していたマインゴーシュも手にする。

 今の私は、さぞふしだらな格好をしていることだろう。いくらストッキングを穿いているとはいえ、右足など太ももの半分まで露出している。

 だが、それが何だ。私は、これまでの容赦の無い扱きのおかげで、たとえ裸でも気にせず戦える。それが出来るよう育てられた。

 ただ女であるってだけで。それができなければ、この団では生きていけないと脅されて。

 そうして、まるで暗殺者のようだと後ろ指差されるスタイルでの戦い方を身に付けた。そうするしかなかった。

 全ては騎士である為に――

 だから私は宣言する。胸から預かっていた小笛を取り出し、高らかな音を響かせてから、心だけは黒騎士であることを固持して叫ぶ。


「現時刻を持って、この場の全てを白騎士団団長、アシル・クロード=バリエが指揮する我々白騎士の預かりとする!」


 その言葉をすぐには受け入れられなかった者達へ、一呼吸の間を置いて混乱が広がった。



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