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悪魔の微笑を消す呪文  作者: 林 りょう
【白騎士】編
18/79

棘を育てる青いバラ(5)



 モートン子爵とのダンスはとても魅力的だったが、これ以上の接触は危険なだけだ。今回の相手は、いつものような小悪党とは種類が違う。


「せっかくのお誘いですが、先約がありまして」


 だから、申し訳なさを滲ませながら断りを入れる。

 そして、今気付いたという風にエルの姿を視界の中心へと移し、モートン子爵に見せていたものとは親密さが格段に違う笑みを送った。

 しかし、二人に会話をさせるわけにはいかない。急いでこの場を離れなければ。


「それは残念だ」

「さきほどのお話は秘密ですよ」

「もちろん。そうだ、私からもとっておきを一つ、お教えしましょう」


 するとモートン子爵は、先ほど垣間見せた本性とは裏腹に、驚くほどあっさりと引いてくれる。

 けれど、ドレスをつまんで一礼してこの場を離れることを示せば、その直前に身体を寄せてそっと告げてきた。


「楽園にてお待ちしておりますよ」


 それから、手の甲への挨拶を忘れずに離れていく。

 いい加減、げんなりしてきた。首を中心に鳥肌が立っているし、なによりさっきからキス、キス、キス――! ただの挨拶だと分かっていても、手袋を床に叩きつけるどころか、手首から切り落としたくなる。

 後で隙を見て、絶対にはっ倒してやろう。できれば顔を。

 ひとまずは、そう考えることで冷静さを保ち、心なしか小走りでやってきたエルと合流する。


「レイラ、さっきの方に何か失礼はなかったかい?」

「お知り合いでしたか? 休憩していたわたくしにお付き合い下さった、とても素敵なおじさまでしたわ」


 そのまま再び並んで歩きながら、わずかな間の冒険談を語り、それをエルが口を挟むことなく聞いていた。


「そういえば、先ほどの方とお約束しましたの」

「約束?」

「はい。後でまたお会いしましょう、と」


 けれどそう言うと、ちょっとの嫉妬を滲ませるように眉を寄せ、すぐにあくどい笑みを浮かべる。

 それはおそらく、モートン子爵へと向けられていた。

 エルは腕を解いて目の前に立つと、恭しい態度で言う。


「一曲お付き合い頂けますか? 愛しい人」

「もちろん、喜んで」


 曲がまだワルツではないため、密着して話をするわけにはいかなかったが、いくらか身体を温めておくには丁度良い。手を取り、人の輪の中へと入る。

 もちろん、ふとした瞬間での打ち合わせも忘れなかった。


「間違いないだろうな」

「楽園に反応を」


 唇をほとんど動かさず、最小限の言葉で情報を伝えるのは慣れている。というか、出来なければ仕事などできない。

 むしろ今、気をつけなければならないのは、あまりスムーズに踊ってはいけないことだ。

 モートン子爵には、パーティー慣れしていないと言ってしまった。しかし、この屋敷にいる女性の中では、さすがの私も身体能力がずば抜けていると豪語できてしまう。

 だからここは、エルの足を誤って踏んでしまう演技に意識を集中するしかない。

 もちろん、悪意などない苦肉の策ですよ。エドガー様の任務に対する姿勢に、敬意と信用がなければ出来ないことでもある。


「危険な橋を」

「接触されてしまい」


 しかし、所々でステップを崩していれば、エルが実に良い笑顔で翻弄してきた。

 仮面の奥に驚きを隠す。これは嫌味だとか応戦ではない。いや、私と同じであわよくばという感情はあるだろうが、さっきより断然踊り慣れていない感が出ている。悔しいが助かった。

 そして、踊りながらもお互いに監視していた対象が動いた。

 モートン子爵が、緑の唇をした仮面の者へと声を掛け、厚手のカーテンの奥へと消えていく。


「転べ」


 それをきっかけに、ダンスの輪から抜けるのだろう。さっきまでなら難しい事をと悪態を吐けたが、エルがはしゃいでいるおかげで今ならいける。

 だから、エドガー様が腕を引いたのを合図に裾を踏んだ。


「――きゃっ!」

「おっと」


 しっかりと抱き止められ、周囲の邪魔にならないように移動する。からかうような笑い声は、今の私たちにとって好都合だ。

 エルが適当な場所で止まったところで、息を整えるフリをしつつそっぽを向く。あなたのせいだと言うかのように。

 この場を離れるきっかけを作る作業に手は抜けない。エドガー様の足は踏めても、引っ張るのだけはごめんだ。


「すまない。レイラとの踊りがあまりに楽しくて、つい夢中になってしまったよ」

「おかげでわたくしは、良い笑い者ですわ」


 すると、ご機嫌を損ねてしまった恋人をなだめるため、エルは私の髪に指を絡ませながら、ことさら甘い響きで言う。


「ならお詫びとして、素敵な場所へ招待させてもらえないかい?」

「素敵な場所、ですか?」

「そう、きっと楽しんでもらえるよ」


 けれど、すぐには頷かない。大きな興味と少しの渋りを見せ、それから仕方がないといった様子の惚れた弱味を醸し出す。

 対象に関心を持たれてしまった以上、どこでどう私たちを見ている者がいるか分からない。とはいえ、この大勢の中からはさすがに探しきれないので、だからこその熱演だ。

 それでも、自分がここまで出来るとは思っていなかった。ジョゼット様の指導のおかげか、はたまたエドガー様への対抗心がそうさせているのか。どちらにせよ、仲間とであればここまではいかなかっただろう。


「だから、機嫌を直してくれると嬉しいよ」

「……今回だけですわ」


 ただ、本当の勝負はここからだ。これまでは、ただの前哨戦に過ぎない。

 エルの案内で、緑の唇が不気味な仮面の男の場所まで行き、そこで彼は懐からひっそりと二枚のチケットを取り出す。

 それを確認してから、男は私たちを奥へと導いた。

 カーテンの裏には薄暗い階段が続いており、黙ってそこを下りて行く。周囲から人の気配が消えようと、もちろんレイラであることは忘れない。

 エルの身体に密着して不安を訴え、大袈裟なほど視線をしきりに移動させる。

 しばらくすると、正面に人の姿が見え始めた。そいつは、先ほどの案内人と同じ仮面を着け、燭台を持って扉の前に立っていた。


「ようこそお出でくださいました」


 若くも陰湿な声をした男だった。

 心が全くこもっていない粗末な形の礼を取り、手のひらサイズの小物入れを差し出してくる。

 エルは黙ってそれを受け取り、蓋を開けた。


「レイラ、手を」


 敢えて言葉を使わず、首を傾げながらそれに従う。

 すると手袋の上へ、蝋燭のほのかな灯りで毒々しさを増した緑の粒が乗せられた。ただし、通常の四分の一ほどの大きさだ。

 エルはこちらに微笑みかけ、躊躇なくそれを口に入れる。そして続くよう促しながら、小物入れを返した。

 そんな私たちを、仮面の男が品定めするかのように見つめている。その視線は、特に私へと向けられていて、何かがひっかかった気がした。

 けれど今は、深く考えている暇がない。

 自分の手のひらをまじまじと見つめ、ゆっくりと摘まんで口へと持っていく。

 そして――飲み込んだ。


「では、一夜の楽園を心行くまでお楽しみ下さいませ」


 口内に苦味が広がる。ほんの少し眉を顰めるも、仮面のおかげでそれを見られることはない。

 こうして参加資格を完全に満たした私たちは、扉を越えることを許された。

 そして、まず気付いたのが、部屋を漂う甘ったるい匂いだった。葉巻が混じっているせいでほとんど効果を失っているが、これは媚薬効果がある香が持つ独特の香り。

 口元を覆いたくなる衝動をグッと堪えた。エドガー様は気付いていないのだろう、時折レイラを気遣う演技をしながらも、室内の把握に集中している。

 同じように見渡すが、あり得ない光景すぎて絶句するしかない。

 エデンそのものは、やはり死なれては困るらしく、摂取しすぎないようにされている。しかしそれ以外は、本当にやりたい放題だ。

 麻薬と興奮作用のある香にアルコール。これが自分の身体をどういう状態にしてしまうのか、詳しい知識がなくとも分かるはずだろ。

 いや、ここに居る連中には、もはや考える力がないのか。絞れるだけ絞りつくされ、気付いた時には破滅しか残されていない。

 そもそも私たちが、その引導を渡しに来た。これ以上、こんな奴らのせいで民を死なせはしない。


「楽しめそうかい?」


 すると唐突に、エルが顎を掴んで顔を無理やり合わせてきた。

 唇は孤を描いているが、真っ直ぐに注がれる視線には非難の色が篭っている。

 まずい、匂いに引っ張られていたか。この混ざり具合だと、気付かない方が効果は薄いだろう。

 入口で渡されたものも含めエデンに関しては、用意してある偽物とすり替えることで対処できるが、まさかこんなところで躓くなんて。


「ええ、なんだか夢を見ているみたいですわ」

「それは良かった」

「ただ、なんだか帰れなくなってしまいそうで……。ですから、離れないで下さいますか?」


 これは、一人で動くのはまずそうだ。そう思い、なんとか香りから意識を外しながら可愛くねだる。

 エドガー様に伝えるのは、少し様子を見てからにしよう。気付いていなければ大丈夫なら、共倒れるわけにはいかない。


「もちろんだよ。僕だけの愛しいレイラを取られたら、たまらないからね」


 分かってます。邪魔はしません。これでも最初から、何事もなければ花を持たせるつもりでした。

 ただ、この香といい場の雰囲気といい、嫌な予感がしてたまらない。

 ひとまず私たちは、いたる所に置かれているソファーに座り、さらに細かく周囲を観察していった。途中で邪魔が入らないよう身体を寄せれば、エルが肩を抱く。

 リストにあった参加者は、おおよそ三十人。そこに使用人と、壁際に控えた見るからに力仕事を担当しているであろう連中を含め、全員で五十弱といったところか。

 しかし、この数を相手取ってするのは戦闘ではなく制圧で、言ってしまえば私たちは、その内の三人にだけ集中すれば良い。

 そうでなくとも参加者は、この空間で酒やギャンブルに満足すれば、さらに奥へと続く扉の中へ次々に消えて行くのだし。あそこを押さえれば、どうとでもなるだろう。

 記憶にある見取り図によれば、そこには個室がズラリと並んでいる。実際に来るまでは、何の目的で用意されているのかと疑問を持っていたが、悩んだ自分が馬鹿だった。

 今も丁度、さらなる快楽を求め、一人の貴婦人が向かって行く。なんと彼女は、三人もの男を侍らせていた。

 ここまでになると、驚きを通り越して感心してしまう。自分が連れて来た愛人を他に薦めている男もいれば、若いツバメを放置して使用人を口説いていたり。

 そういや使用人といえば、ジャン様はどこにいるのだろう。すっかり忘れていた。

 すると、タイミング見計らっていたかのように、銀のトレイに乗った赤ワインが現れる。そして、聞き覚えのある声がした。


「いかがですか?」


 目元を隠すだけの仮面では、整った童顔を誤魔化しきれていない。

 だというのに、相手がジャン様だとすぐには気付けなかった。

 なんというか、気配が希薄なのだ。相当集中しなければ、あっという間で見失ってしまいそうなほど存在感がなさすぎる。


「いただくわ」


 エドガー様が前衛に特化しているとすれば、ジャン様はその反対で、後方支援の天才だったってわけか。ただの女たらしでは無かったんだな。

 二人が本当に羨ましい。彼らは、私では一生得ることのできない称号を持ち、周囲からも自身に対して期待されている。

 比べて私は……。

 思わず自嘲しかけながらワイングラスを取ろうとすると、その際に出来た一瞬の接近を使ってジャン様が呟いた。


「何をするつもり?」


 薄暗い室内だからこそ、エドガー様の髪が余計に目立つのだろう。彼の持つ黒は、闇に溶け込むにはあまりに濃すぎる。

 しかし、今さらだ。これは保険にすぎないし、保険で終わらせなければ、痛い目を見るのはこの二人。私もまた、使ってしまえば人生を賭けるはめになる。

 だから、煽るようにひっそりと唇で孤を描き、すぐさまワインを飲んでごまかした。刺し合った釘は、お互い抜けないに越したことはない。

 さらにジャン様は、エドガー様にも何かを伝えたようで、エルがワインの味を褒めながら頷いている。

 用が済めば、その背中は見事に室内の薄暗さと混じってしまい、すぐに見分けがつかなくなってしまった。


「レイラ、こっちを向いて」


 そして再び、それぞれの役割をこなしていく。

 しかし、少しの間を置いてから、エルが声を掛けてきた。

 今は、いくらか会話を交わしながらも、居るはずのモートン子爵を含めて姿を見せないターゲットを探しつつ、私の場合は参加者の顔を覚える時間なはず。まあ、どれだけ頑張ったところでこの薄暗さでは、あまり期待してもらっても困るが。

 だから、違和感を抱きながら首を動かせば、エルは目の前で一粒の錠剤を摘んでおり、それを近付けてきていた。


「もっと楽しくなれるよ」


 そして、もう片方の手で鼻をつついてくる。

 ジャン様から聞いたってわけか。それでもって、効果を消せる薬をもらったのだろう。

 だけど――違う。違った。

 さっきのは釘を刺しにきたわけではなかった。打ちつけていたのだ。

 だってそうだろ? 薬が用意できているのなら、事前に知っていたということに他ならない。少なくともジャン様はそうだ。

 しかもあいつはアシル様の息子で、なにより私をどうとも思っていない。だから、エデンによく似せたその錠剤に存在する透明な顆粒は危ないと強く思った。

 エドガー様については、演技が上手すぎるせいで判断ができない。ただし、ここに来てすぐ見せた反応を考えれば、知らなかった可能性が高いだろう。

 それでも、こんな所で動けなくなってみろ。エドガー様は任務を優先し、間違いなく見捨てる。あまつさえ、意識を失ったら?

 ――麻薬で狂った連中の格好の獲物だ。


「ほら、口を開けて」


 ヒクリと頬がひきつった。なんとしてでも切り抜けなくては。

 しかも、これだけでも十分だってのに、嫌な予感は膨らむばかり。まだ序の口だと笑っている気がする。

 そうこうしている内に、とうとうエデンもどきが唇に触れた。


「レイラ?」


 エルが不思議そうに首を傾げ、その影でエドガー様が不審に思っているのを感じる。

 ここで拒絶を示すことは無理だ。口を開ける以外の選択肢がない。

 やられた。ほんっとうにやってくれた――――!

 どれだけ心の中で、あの影薄童顔男を罵ったとしても、もはや覚悟を決めるしかなかった。こんなところで危険な賭けをするはめになるなど、さすがの先輩たちでも経験がないことだろう。


「大丈夫、きっと気に入るから」


 エルのあやすような声が憎らしい。それでも意を決し、唇に込めていた力を緩める。

 そうすると、褒めるように指が頬を撫で、とうとう錠剤が舌の上に乗った。

 触れたところから広がる刺激に確信する。どうやら私は邪魔で、都合よく使い捨てられるらしい、と。







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