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悪魔の微笑を消す呪文  作者: 林 りょう
【白騎士】編
16/79

棘を育てる青いバラ(3)





 全ての支度が整い軽食も済ませ、太陽が頂点を半分ほど過ぎてから、アシル様はやって来られた。


「さすがだね、レオ。今の姿で夜会に出れば、咲き誇る伝説の青いバラとして、皆の視線を独り占めできるよ」

「でしたら、真に称えられるべきはジョゼット様とアデラ嬢ですね。私はただ立っていただけですから」


 バーナバスさんを伴って現れ、歯が浮くセリフを平然と言い放ち私の手を取ると、その甲に唇を落とす。

 童顔ではあるが、いつもならば醸し出す雰囲気で大人らしさを感じさせるところ、屈んだせいで上目遣いをしてくる姿は悪戯好きの子供に見える。

 するとアシル様は、触れていないもう片方の手で口元を覆い、顔を背けて肩を震わせ始めた。


「なんでしょう」

「すまない、いや、違うんだよ」


 だから何が。

 中々笑いが収まらないアシル様を見るバーナバスさんの目が、徐々に剣呑な気配を帯びていっていますよ。

 本能がかなりの危険を察したので、私は黙っておきますがあしからず。


「…………旦那様」


 そしてとうとう、壁際で控えているバーナバスさんが、たった一言呟いた。

 これといって感情は乗っていないが、不思議なことに意志を無視して背筋が伸びる。アシル様も、それを聞いた途端に笑うのを止めて姿勢を戻した。

 世の中には怒らせてはならない存在というものがあるが、バーナバスさんもそこに分類されるのだろう。年齢的にいってもアシル様にとっては、もう一人の父親であってもおかしくはないのだし。

 誤魔化すように咳払いをしてから、私の手が解放された。


「失礼な行いを許してくれるだろうか、レディ」

「許さなければどうかありますか?」

「バーナバスが、一ヶ月は無休で働いてしまうだろうね。長生きして欲しいから、私としてはそろそろ引退をとお願いしているのだけれど」

「許します」


 それは即答するだろう。バーナバスさんは、ささくれ立った心をときめかせてくれた尊きお方ですから。

 すると、またしてもアシル様がおかしそうに口元を緩めた。私としては至極重要なことだというのに、失礼な。


「レオは私と違って、表情がとても豊かだね」

「はあ……?」

「ほら、今も。君は感情を隠すために微笑んでいるわけではないようだから、なんだか不思議でね」

「申し訳ありません。意味がよく……、分からないのですが」

「同じ欺騙でありながら、別物ということかな」


 本気で理解できず首を傾げた。

 しかし、それ以上の説明をするつもりはないらしく、アシル様は人当たりの良い微笑みを浮かべ、無理やりに話を切り上げてしまう。

 さらに再び手を取ってきた為、意識はそちらへと移った。

 いや、この場合は移らされたのが正しい。分かっていながらまんまと乗っかる。自分の為にも、そうするべきだと思った。

 そして、握らされた物を確認すれば、そこには白い手袋に同化した小さな笛が乗っていた。


「最重要人物の情報は完璧かい?」

「もちろんです」

「参加者については?」

「問題ありません。屋敷の見取り図も頭に入っております」


 一つ一つ省くことなく確認を行い、時に指示を受ける。

 表情は柔らかながらも空気が違う。これこそが、任務直前の正しい雰囲気だ。

 しかも普段より、よっぽどプレッシャーを感じる。事の大きさもそうだが、アシル様の変わらない態度がそうさせるのだろう。この方の笑みを崩した日には、生きていく場所がなくなりそうだ。


「二人にも渡してあるけれど、いざという時は君が合図を送りなさい。すぐに動こう」

「所要時間はどれほどとお考えでしょうか」


 預かった笛を強く握りしめ、アシル様がおっしゃった一字一句全てを覚えるつもりで耳を傾ける。

 さらに、想定してあるいくつもの状況をそれと照らし合わせ、足りないものを補うために問う。

 今一度、思い出せ。これまで、先輩たちはどうやって潜入していた? 隊長や部隊長は、何を想定し指示を出していた? どんな失敗をして、仲間は死んだ? 

 信じられるのは自分だけの今回、ならばフォローするのも自分自身。いつものように背中を守ってくれる仲間は誰もいない。それを必死に言い聞かせる。

 そして、グッと顎を引くと、アシル様がとても嬉しそうに笑った。

 それは無表情と大差ない作り込まれた偽物であり、とても鋭い槍にも思える。


「やはり、君で正解だったようだね」


 今は懐に入りこんでいるから良いが、ひとたび距離を取り牙を剥こうものなら、あっという間で刺し貫かれるだろう。

 だから、意味ありげなその言葉には口を塞ぐ。


「あの慧眼には、私も恐れ入るよ。レオもそう思うだろう?」

「質問そのものが分かりかねます」

「それで良い。君は私が期待していることを分かっていればね」


 指先が震えた。

 もはや何かから、逃げられないところまで来ている気がする。

 それでも――


「では、失望されないよう、尽力させて頂きます」


 それでも私は、笑っていようと決めたんだ。

 だから、アシル様に感じた恐ろしさを封じ込め、もう一度同じ質問をした。


「それで、合図から合流までの時間は、どれくらいでしょうか」

「十分といったところかな。上階を押さえた後になるからね」

「では、合図が一向に無い場合はどうなるのでしょう」

「どちらにせよ、君達に与えたのは二時間だけだ。それを過ぎれば、作戦開始と同時に屋敷を囲った本隊が乗り込む。会議で教えたはずだよ?」

「三日前の話ではありませんか。あいにくと私には、それほど余裕がないのです。直前まで試すのは止めて頂きたい」


 腹の探り合いは苦手だ。この方相手にするつもりもない。

 すると、アシル様はやっと満足してくれたのか、それとも引いて下さったのか、言葉の代わりに肩を叩き表情を消す。

 そして、一足早い作戦の開始を告げた。


「黒騎士、レオ。これより君は、バーナバスの案内の下、エドガー・ブノア=レヴィと合流し任務にあたれ。以降、状況により判断を委ねる」

「はっ―― (こく)剣に誓って」

「では、行きなさい」


 本来ならば腰の剣に手をやるところ、今日だけは拳を胸に置く。そのまま、握った笛を谷間にしまった。

 そうすると、張り詰めていたはずの空気が緩む。

 首を傾げれば、目の前のアシル様どころかバーナバスさんまでが苦笑するのだから驚きだ。


「君って子は……、まったく」

「しかし、ここが一番すぐに取り出せるかと」


 むしろ、他に隠し持てる場所があるなら教えて欲しい。せっかく初めて便利だと思えた、嬉しい発見だったのに。

 それにしても、バーナバスさんにまで呆れられてしまったのは衝撃だった。しかも、全身がしっかり隠れるローブを手渡される際、ちょっとした苦言を呈される。


「ご自分を大切になされなくてはなりませんよ」


 それがまるっきり、どうしようもない子供を諭す親のようでくすぐったく、無駄な力が入っていた頬が緩んだ。


「はい。肝に銘じます」


 そして、頭まですっぽりとローブを羽織り、アシル様へ一礼してから扉へと向かう。

 その背中に声が掛かった。


「レオ、自分の言葉を覚えているね?」

「当たり前です。あいつを鼻で笑ってやるのが、この件で最大の楽しみですから」


 振り返らずに答え、忘れないよう扉近くのサイドボードの上に置いていた扇子を掴む。白を基調としているのは気に食わないが、これも私仕様なので文句を言っていられない。


「それでは、行って参ります」


 扉を出れば、そこから私は田舎の下級貴族の親戚で、友好関係を結んでいる隣国に嫁いだ方の娘となる。名をレイラ。

 潜入する場合、全員を敵と思え。たとえ協力者であっても。それは、いつぞやに救出した先輩が、悔しさ混じりに教えてくれた戒めだ。

 バーナバスさんの後を追い再び裏口を出ると、今度はそこに、荷車ではなく馬車があった。二頭立てで箱型の、市街でもよく見かけるもの。ただし、この家にあるにしては大分貧相だ。


「どうぞお手を」


 出来る限り姿を見られないよう、出入り口のぎりぎりまで横付けされているそれへ乗り込むため動けば、目の前に手を差し出された。

 朝と同じだ。けれど、違う。

 私は礼を言うこともなく、当たり前のようにそれを受ける。

 そして、恭しく一礼されて扉が閉められ、馬車はバリエ家から出発した。

 初めて乗った感想は、とてもつまらないものだった。

 厚いカーテンが隙間なく閉められている内部は薄暗く、外の景色を眺めて過ごすこともできない。出来たとしても、私は馬に乗る方が好きだと思うだろう。髪が乱れようが、獣臭かろうが、何事も自分でするのが性に合ってる。

 それにしても、これからエドガー様と合流するわけだが、あの人は本当に豹変しているのだろうか。いくら設定とはいえ、私たちの関係は水と油と自信を持って言って良い。

 しかしここで、とてつもなく重要な問題に気付いた。


「ちょっと待って。そもそも恋人って、どう接するものなのかしら」


 ……とりあえず、令嬢に徹するのは大丈夫そうだ。

 無意識のうちに呟いたというのに、いや――考えるのはよそう。そうしたら最後、この座り心地が微妙な座席につっぷして泣きたくなる。

 今の姿を知られた日には、黒騎士団の面子は大いに爆笑して、白騎士遊びなんてものをやり始めてくれるだろう。あまつさえ、五年は酒の肴にされる。

 ああ、違う。考えなければならないのは、こんなくだらないことじゃない。恋人がどういうものか、ということだ。

 盲点だった。自分の価値観がおかしいことは、とっくの昔に分かっていたはずなのに。

 誰か参考になる人は……。閉じた扇子の先端で、額を支えながら必死に考える。


「…………居ない」


 どうしよう。これはまずい。本気で困った。

 そもそもとして、周りは野郎ばかり。酒の席で聞かされるのは、妻の飯が美味いだとか、やっとモノにできただとか、そういった実に安い惚気話だ。

 女の立場としてアドバイスを求められたこともなく、それどころか振られたのが私であっても、相手の方に同情と共感を寄せるのだから腹が立つ。

 別れの理由が〝一緒にいると惨めになる〟や〝格好良すぎる〟ってのは、いくらなんでもないだろう。付き合う動機は不純でも、私だってそれなりに傷付くんですがね。

 それならまだ『俺がいなくても生きていけるだろ?』と言って、別にできた好きな女のところに行ってくれた方が、すんなりと次を探せる。つい二ヶ月前の話だが、そういえば彼らはうまくいっているのだろうか。

 だというのに周りの反応といったら、『ああ、分かるわー』その一択。そして決まって、そもそも私に常識的な恋人の姿を求めるのが間違っていると指摘する。

 そうだ、それを探してるんだった。またわき道に逸れかけた。

 一番最近そう言ったのは、確かロイドだったはず。

 ……だめだ。その後は、あいつ曰く武勇伝らしい私の話を延々と、自分のことのように語っていたんだった。


「どうしましょう。誰かいないかしら」


 早くこの気持ちの悪い自分に慣れる為、今度は意識して令嬢になりきり、もはや街頭のカップルで構わないと必死に記憶を掘り起こす。

 けれど、出てくるのはやはり、事件になったりなりかけたりの際物ばかり。

 そうこうしている内に馬車の速度が緩まり、完全に停止してしまった。


「到着致しました、お嬢様」


 バーナバスさんの言葉と共に、扉が静かに開いていく。

 しかし、沈み始めた陽の光が差し込む先にあったのは、まったく同じ造りで馬もそっくりな新たな馬車だ。御者の顔だけが違う。

 もちろん計画通り。乗っていたものから降りながら、ローブを脱いでバーナバスさんへと返す。

 すると彼は、エドガー様が乗っているであろう馬車の扉をすぐには開けず、私にだけ聞こえるよう囁いた。


「旦那様からのご伝言で、〝二人のことをよろしく頼むよ〟とのことです」


 なんと身勝手なお願いなのだろう。

 とはいえ、馬鹿正直にそう返すわけにはいかないので、扇子を開いて口元を隠し声を抑える。


「自らが原因で、どなたかを失うのだけはごめんですわ。重すぎて背負えませんもの」

「左様でございますか」

「そして、他人の責任もまた同じく。わたくしは、自分自身が可愛くてたまらないのです」


 吐きそうだ。が、なんとか堪え、扇子を閉じて自分から補助を頼み、素早く交わされた会話を知らないエドガー様と視線を合わせる。

 そしてそこで、この世の終わりを見た。


「ああ、僕のレイラ! やっと会えたね。君と離れている日々は、まるで地獄のようだったよ」


 ………………誰? いや待て、落ち着こう。大丈夫、しっかり覚えたじゃないか。

 おそらく窓の縁に肘を置き、頬杖をついていたであろう体勢からこちらを向いて、両手を広げ満面の笑顔で出迎えるレイラの恋人は、どこぞかの子爵家の跡取りな設定だ。愛称のみ決めてあり、エルとしている。

 そしてその正体は、エドガー様で間違いない。…………はず。

 エルは、全体的に白でまとめているが、ジェストコールに施された刺繍とジレをドレスと合わせて青にした、実に爽やかな衣装を身に纏っていた。

 しかし、あれだ。髪が濃い茶色をしていることを抜きにしても、エルがアシル様とだぶって見える。しかも、ジョゼット様と甘い空気を発するときのアシル様だ。

 そうか! 良いお手本が居た!


「まあ、エル様ったら」


 悩んでいのが嘘のように白々しく喜びながら正面に座れば、すかさず手を取られキスをされる。

 さらには、極めつけの言葉をエルは言う。


「今日の君は、まるで伝説の青いバラのようだね。独り占めできないことが悲しいよ」

「ではエル様は、そのバラを人々の手から守る茨になってくださいませ」


 すっかすかだけどな。少し気をつければ簡単にくぐって越えられるだろうから、自分で棘を量産してきました。

 にしても、これはまるっきりアシル様を真似ている。ジャン様の言っていた通り、もはや変装ではなく演技で別人だ。

 声の調子から表情の作り方、動作の一つをとっても何一つエドガー様と被らない。実は双子でしたと明かされて、信じない者はいないだろう。


「ところでレイラ、以前話していた物は持ってきてくれたのかい?」

「もちろんですわ。約束はしっかり果たしますもの」


 改めて馬車が動き出す。それでも、私たちは芝居を続ける。

 エドガー様の凄いところは、いつもならば素直な感情をありありと乗せている瞳までもが、完全に役になりきれていることだろう。視線が熱い。

 そして今から、その青い瞳へさらなる魔法をかける。私と違って、エルはまだ完成していないのだから。


「こちらですわ」


 ドレスのコサージュの中に隠し持っていたのは、小指ほどの大きさのガラス瓶だ。

 けれどエルは、興味深そうにまじまじと眺めはしても、手を伸ばそうとしなかった。

 だから私は、蓋を開けて自らの瞳へと持っていく。上を向いて瓶を逆さにし、底を叩いた。

 それから数秒まぶたを落とし、薬液をしっかりと馴染ませる。

 そして目を開けた時、そこには私を凝視して息を呑むエルの姿があった。


「素晴らしい……」

「色はしっかり染まっておりますか?」

「ああ、濃い茶色になっているよ」


 その言葉に微笑みながら再び瓶を差し出せば、今度こそエルの手へと渡り、彼は疑うことなく瞳を染めてくれた。

 これで本人は、自分の髪と瞳がジャン様と同じ配色になったと思っているだろう。

 だから、ぜひともエドガー様には、この言葉を送ってやる。

 敵を騙すなら、まず味方から。味方でもないあなたなど、利用するに決まっているではありませんか。

 そして私は、浮かんでいるであろうあくどい笑みを扇子で隠しながら、色を戻せる薬液を瞳に落とした。

 


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