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悪魔の微笑を消す呪文  作者: 林 りょう
【白騎士】編
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棘を育てる青いバラ




 朝日が昇るより早く起きるのはいつもと同じだったが、この日は早朝の納品での人の出入りに紛れて城を出る。

 とはいえ、解放感を味わうのは、まだまだ先のこと。

 そして向かうのは、書類上は休日となっているアシル様の邸宅だ。そこで夜に向けての準備をする予定となっていた。

 大切な私物が入っている鞄を抱えながら、しばらく狭い樽の中で過ごす。

 「着きました」と声を掛け蓋を外してくれたのは、バリエ家に長年仕えている人物とだけ事前に説明されていた、醸し出される渋さがなんとも言えないご年配の方だった。


「ご気分は大丈夫でしょうか。いくら旦那様のお言いつけとはいえ、可憐なお嬢様をこのような場所へ押し込めてしまうなど、誠に申し訳ございませんでした」


 可憐なお嬢様…………。誰だそれ!

 すいません、対象の討伐数を率先して競うような、血の気の多い性格で。剣どころか、平気で拳を相手にめり込ませています。

 だから、そんなにも恭しく手を差し伸べてくれなくとも、一人で平気です。簡単に出れますから!


「さあ、お早く。遠慮はいりませんよ」

「………………はい」


 刻まれた皺によって下がった目尻で優しく見つめられて、どう断れるだろう。惨敗だった。

 恐る恐る手を重ね、樽の縁に体重をかけて一気に飛び出る。私には、これが精一杯の訴えでした。

 すると、一瞬だけ驚いた様子で目を丸くしてから、とても楽しそうに笑われてしまう。その仕草は上品で洗練されており、それでいて祖父がいたらこんな気分になるのだろうかと思わずにはいられない。


「これは失礼。本物(・・)の騎士様でしたか」


 ああ、好きだなこの人。せめて二十若ければ、恋に落ちていたかもしれない。

 だって、白騎士のお嬢様としっかり区別してくれて、さらには荷物を預かろうとしなかったのだから。


「私など、まだまだですよ。しかし、そうありたいとは思っています」

「そうですか。是非とも応援させて頂きたいものです。さ、こちらへ。旦那様と奥様がお待ちです」

「はい、お世話になります」


 周囲を観察してみると、目の前には立派な屋敷がどっしりと構えており、どうやら裏口に回っているらしい。使用人は働きだしているだろうが、誰ともすれ違わないよう徹底されていて、真っ直ぐに伸びた背中を黙って追った。

 それにしても、さすが貴族の家って感じだ。なんともいえない貫禄があって、それでいて嫌味ったらしくないのは主の人柄が出ているのだろう。

 ノックを三回と、一拍置いてさらに一回。おそらくそれが私を連れて来たという合図で、許可を待たずに部屋へと通される。


「ご指示通り、麗しの騎士様をお連れ致しました」

「おや? この短時間で、すっかりバーナバスと仲良くなったみたいだね」


 そしてそこで、この屋敷の主夫妻が揃って出迎えてくれた。

 そうか、バーナバスさんというのか。意味はないのに、思わず記憶してしまう。

 さておき、到着したからには気を引き締めなければ。とりあえず、バーナバスさんとは違い騎士の礼を取る。


「おはようございます」

「ここまで問題はなかったかい?」

「はい。お心配り頂いたので、危うく寝てしまうところでした」

「それは良かった。バーナバスを向かわせた甲斐があったね」

「お気遣い頂き恐縮です。ジョゼット様も、本日はお手数をお掛け致しますが、どうぞよろしくお願い致します」


 続けてジョゼット様にも挨拶をすれば、私の言い方に納得がいかないのか微妙なお顔をされてしまったが、今は仕方がないと納得してくださったようでお小言は免れた。

 これからかなり忙しくなるので、一切の無駄が省かれ話は進む。


「改めて、我が家にようこそ。用意が終われば最終確認をするけれど、しばらくは私も時間が取れないからね。問題があれば、バーナバスに言うように」

「了解しました」

「ではジョゼット、レオのことを任せるよ」

「はい、旦那様。期待していてくださいな」


 そして、すれ違い様に私の肩を軽く叩き、アシル様は退室された。

 団長として、これから最後の打ち合わせだったりなんだりと、しなければならないことは山ほどあるのだろう。敵を欺くためとはいえ、騎士団に赴けないので余計に大変そうだ。

 私ものんびりしている暇は無い。ジョゼット様が手を叩いたのに頷き、鞄を適当な場所に置いて指示をもらった。


「まずは湯浴みね。全身に手を加えるから覚悟してちょうだい。バーナバスは、アデラを呼んで来て。それと、用意してある物を全部、この部屋に運んでおいてほしいわ」

「かしこまりました。では、失礼致します」


 する事が決まっているとはいえ、鮮やかに場は整えられ、バーナバスさんがすぐさま行動に移す。その光景に、今さらながら自分の場違いさを感じ苦笑してしまった。

 そのくせジョゼット様は、奥方のお顔をしながら私の背中を押してくるのだから、初めての空間にも緊張をせずにいられた。


「さ、浴室はこっちよ。本当なら大きな方に案内したいのだけれど、今日は客室に備え付けのもので我慢してね」

「十分ですよ。ただ、ジョゼット様ご自身の手を煩わせるのは……」


 導かれるままに足を進めつつ、いつもならばまだお休みになられているだろう時間から協力してもらうことに一応謝罪する。

 けれどそこは、騎士の伴侶なのだから気にするなと一蹴されてしまった。むしろ、手伝えることが嬉しいんだとか。

 本当に仲睦まじい。ただ、次に告げられた言葉には、不穏な雰囲気を感じてしまう。


「それにわたくし、娘が欲しかったの。だから今日は、長年の夢を叶えさせてもらうわね。相手がレオちゃんだなんて、むしろこちらからお願いしたいぐらいだわ」

「あ、いや、お手柔らかにお願いしたいです」

「ふふ、実をいうとね、楽しみすぎて早く目が覚めすぎてしまったくらいなの」


 それぞれに思うが、ジョゼット様と殿下に接すると、毎回二人がそっくりに見えてしまう。嫌々でないのなら、こっちとしても安心して任せられるけども。


「さあ、脱いだ服はここに置いてね」


 部屋の奥の浴室の前に辿り着くと、すでに湯を張っているようで、微かな温もりが扉越しで伝わってくる。

 バーナバスさんが呼びに行ってくれたもう一人の協力者が現れたのは、上着を脱いでシャツのボタンに手を掛けている時だった。


「奥様、お待たせ――――?!」

「ああ、アデラ。昨日話したのがこの子で、レオちゃんっていうの。……アデラ?」


 落ち着きのあるデザインのお仕着せを身に纏い、薄い赤茶色のお下げを揺らす使用人らしきその人は、なぜか私を見た途端に言葉を失い口を開閉させた。ジョゼット様も不思議がって、彼女の顔の前で手を振っている。

 たぶん、年下だと思う。しばらく使用人にあるまじき態度を取り続けたものの、特徴的な大きな瞳もさすがに乾きすぎたのか、まばたきをした拍子に我を取り戻したようだ。

 そばかすが可愛らしい頬を徐々に染めながら、震えた指が私へと向けられた。


「おおおお、奥様!」

「アデラ、声が大きいわ。あと、指でささないの。それで一体どうしたというの?」

「昨夜お話しされていたお客様とは、レオ様のことだったのですか?!」


 とりあえず、服を脱いでしまおうと作業を再開していれば、注意されたことでいくらか潜められながらも興奮した様子で叫ばれる。

 そこで、ふと思った。もしかして、アデラ嬢は平民なのだろうか。


「あら? アデラはレオちゃんを知っているのね」

「知っているもなにも、王都の住民で知らない者はおりませんよ!」

「いや、大勢いるから」


 やっぱり。納得しながら突っ込めば、アデラ嬢はおさげを大きく飛び跳ねさせながら、勢いよく頭を下げてきた。

 なので、下着姿なのが申し訳ないが、こちらも挨拶を返す。大事な日だというのに、緊張感というものがいまいち欠けている。

 今から気を張っていても身が持たないだろうから、これはこれで良いと思っておこう。


「あ、あの、お会いできて光栄です!」

「こちらこそ、今日はよろしくお願いします」


 ジョゼット様はいまいち状況が分かっていらっしゃらないらしいが、時間は待ってはくれないからと私たちを急かし、しかも浴室までついてくる気満々で腕まくりまでし始めた。

 いやだから、あなたまで働くのはどうかと……。

 とはいっても、ここで押し問答するわけにもいかず、任務のためだと割りきり浴室へと移動する。

 これからの時間、自分で出来る事は無いに等しい。


「アデラはね、レオちゃんと同じ平民出身なのよ」

「ありがとうございます。私のことを考えて下さってのことですよね?」

「あと、アデラ自身の勉強のためにもね。だからレオちゃんは、リラックスしていてくれれば良いわ」


 数回湯を浴びてから、勧められるがまま浴槽の中に身を沈めた。その心地良さに、自然とため息が漏れる。

 すると、ジョゼット様の指示の下、アデラ嬢が私の髪を洗い始めた。

 なるほど、だからジョゼット様も一緒なのか。練習台になると考えれば、いくらか気持ちがマシになる。


「それにしても、レオちゃんは戸惑ったりしないのね」

「ジョゼット様のおかげです」

「そう言ってくれると嬉しいわ。でも、無理をしていたりしないかしら。慣れていないと恥ずかしいでしょう?」


 恐る恐る、けれど一生懸命さが強く伝わってくるアデラ嬢の指を感じながらじっとしていると、実に楽しげな表情を浮かべたジョゼット様が、浴槽の縁に顎を乗せ覗き込んできた。

 だから、言葉を選びつつ答える。さすがに黒騎士になったことで、羞恥心をどこかに落としてしまったとは言えない。


「人に洗われるというのはくすぐったい感じですが、私たちは任務となれば、感情を置き去りにしますから」

「それだと無理をしているとも受け取れるけれど」

「あー……、そうですね。すいません。そうだ、ジョゼット様と、ジョゼット様がお選びになられた方なので、安心してお任せできると言えば信じて下さいますか?」


 初めは上手く伝えられなかったが、そう言うと二人揃って嬉しそうに笑ってくれた。

 これは嘘ではないから、信じてくれたのなら私としても喜ばしい。

 身体は既に洗って来たので、髪が終われば最低限の箇所にマッサージが施され始める。さらに深く身体を沈め、縁に首を置いて顔を上に向ければ、温かなタオルがかけられた。油断すると寝てしまいそうだ。

 しかし、意外にもこれが痛かった。私が呻くたび、ジョゼット様の忍び笑いが浴室に響く。


「綺麗になるのって大変でしょう?」

「これを、っ! 毎日?」

「慣れれば気持ち良くなるものよ。そうだアデラ、やりながらで良いから、レオちゃんの話を聞かせてくれないかしら。あまり自分のことを話してくれないから、お友だちにしてはまだまだ知らないことだらけなのよ」


 くそ、人が抵抗できない機会を狙っていたな!

 それでも抗議をしようとすれば、アデラ嬢がわざととしか思えない刺激を与えてきて、喉からは呻き声しか出なかった。

 さすがバリエ家。バーナバスさんといいアデラ嬢といい、使用人まで手強いときた。


「レオ様は、とても王都にお詳しいらしく、色々な場所にお姿を見せては沢山の人を助けて下さるんです」

「まあ、それは素敵ね」

「はい。本来征伐部隊の方は、黒騎士様の中でも特にこう……、迫力のある方が多く近寄りがたい雰囲気があるんですが、レオ様は全然そんなことはないし、小さなことまでお手をお貸しくださって。とても人気があるんですよ」

「たとえば?」

「迷子の親を一緒に探してくださったり、しつこい男性をわざわざ追いはらってくれたり。ですから、私たち市井の女性は皆、感謝していると同時にとても憧れています」


 恥ずかしい。嫌ではないが、とにかく恥ずかしい。

 タオルで顔が隠れていてよかった。絶対に今、赤くなっていると思う。私がいないところでなら、思う存分語って良いからと言ってしまいたい。

 だというのに人の気も知らず、頭上ではさらに私の話で盛り上がっていく。


「なにより黒騎士様、ことさら征伐部隊の方々は、民にとって英雄なんです」

「そうなの? でも、どうしてかしら」

「私たちの声を聞いてくださるのが、黒騎士様だからです。そして、そんな方々の精鋭が征伐部隊の皆様。レオ様たちは、誰よりも命を懸けて戦って下さっておりますから」

「レオちゃんは、凄いところでお仕事してたのね」


 買い被りだという言葉は、取り払われたタオルの先にあったアデラ嬢の表情により、呑み込まざるを得なかった。

 それを皆が求めるならば、きっと私たちはそうあるべきなのだろう。

 けれど、一先ず湯船から出て、今度は腕や足のマッサージ他もろもろの手入れをされながら、アデラ嬢に打ち明けられる。


「それでも正直、レオ様のことを誤解しておりました」


 その時私は、背後に回って髪を乾かし始めたジョゼット様に気を取られており、よく聞いていなかったので首を傾げた。

 すると、思わず口を出た言葉だったのか、アデラ嬢が俯いたまま顔を上げない。ジョゼット様に叱責されてやっと、彼女は再び口を開いた。


「申し訳ございません。出すぎた真似を」

「気にしていないから。私相手であれば、いくらでも失敗して構わないよ。その代わり、中途半端にはしないで欲しいな」


 まだまだ新人で、せっかくの機会だからと、ジョゼット様はアデラ嬢を選んだのかもしれない。

 全てが終わってから、私も経験した地獄を彼女は味わうのだろうが、だったらそれが一度で済むよう、この時間で失敗できるだけ失敗するべきだ。


「その……」

「うん」

「レオ様がどうとか、そういうことではないのですが、女性でありながら唯一の黒騎士様にして征伐部隊というにはあまりにもお綺麗な上、身体つきも普通より女性らしいほどなので……」

「ああ、なんだ、そんなことか」


 しかし、あまりにも言い辛そうにしているから何かと思っていれば、言われ過ぎて今さらな感想だったので、申し訳なさそうにしているところ悪いが吹き出してしまった。


「それってつまり、騎士っぽくないってことかしら?」

「いえ、とんでもない! ただ、盗賊など野蛮な相手と戦うのは、そのぅ……」

「なぜ精鋭なはずの征伐部隊に選ばれているのか、分からないってことですよ。しかも私の場合、入団当初からでしたので」

「まあ、レオちゃんって大胆ね」


 アデラ嬢の言葉を引き継ぐと恐縮され、逆にジョゼット様は好奇心一杯な反応をなされる。

 どちらに対しても、そんな大それたことではないと思うが、二人が求めているのはそういうものではないのだろう。

 だから、肩を竦めてなるべく朗らかになるようつとめた。


「良く言われるんですよ。お前なんかに騎士が務まるか、身体を使って団長に取り入ったんだろ、と。今ではさすがにそういったものは聞かなくなりましたが、それでもまだ頼りない、弱そうとは言われますね」

「すいません……」

「責めてるわけではないよ。それに、アデラ嬢は勘違いしていたと言ってくれたわけだから、今日で何かが変わったわけだろう?」


 微笑みながら尋ねると、アデラ嬢が作業を止めて私の手を取り指で示した。

 それは、殿下がかっこいいと言ってくれた場所。世話をしてくれている途中に気付いたのだろう。

 さらに視線は、死ぬまで消えることはないだろう、全身の至るところにある傷痕を走る。


「そういえば、ここは逆に女らしくないと文句を言われますね」

「レオちゃんの手、わたくしは好きだわ。旦那様と同じ、強い人の手をしているもの」

「そう言っていただければ、頑張ってきた甲斐があります」

「私も、奥様と同じに思います! それに、お触りして気付いたのですが、やっぱり鍛えてらっしゃるんですね。無駄がないというか、私のお腹周りとは全然違う……」

「レオちゃんの場合、お肉は全部お胸にいっちゃってるのね。羨ましいわ」


 どうやらアデラ嬢は、落ち込みから回復してくれたようだ。しかも、いきなりそんなことを言うのだから、可愛すぎてたまらない。

 ジョゼット様まで似たような反応をみせ、それから後は、ひとしきり二人の女性らしい悩みを聞きつつ、長い入浴を終えることになった。

 一日限りの貴族令嬢が出来上がるまでには、まだまだかかりそうだ。




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