静かに燃える黒の魂(4)
お茶を用意している間で、殿下が護衛の二人にも席に着くよう許可を与えており、その場へ行くとなぜか空いているのは殿下の横だけだった。
「……では、私は床で」
「なんでそうなる?!」
実に晴れ晴れとした顔で隣を叩く殿下が、一瞬にして衝撃を受けたような反応をした。
それを二人がどこか朗らかに眺めるものだから、私まで子供扱いされている気がして納得がいかない。
本来ならばこういったおイタを窘めるのも仕事の内だろうに、近衛部隊の方々はどういった腹積もりなのだろう。彼らだけは、まっとうな白騎士だと思っていたのにな。
すると、私の考えが読めたのか、殿下に手を噛まれて痛がっていたガタイの良い赤毛の中年の方が、素直に座れと示しながら言う。
「部屋に押しかけたことは行き過ぎだが、殿下がこのようにお心を開かれるのは珍しいことでな。少なくとも私たちは、お前を責めたりせんよ」
「ここにいるのは王子じゃないんだろ? だったら、レオは絶対、お前たちも今だけはルーと呼べ」
「よろしいので?」
「言葉遣いも普段ので良い」
さすがに三対一では分が悪すぎるため、諦めて殿下の隣へ腰を下ろせば、膝に勢い良く乗られてしまった。
せめて一言欲しかった。もう一人の狼の目をした護衛の方が、耐え切れなった様子で吹き出しつつ、殿下の言葉に驚きながらカップへと手を伸ばす。
貴族相手にお茶を出すのは、もう何度目か。ジョゼット様から太鼓判を押されているが、それでもやはり毎回緊張してしまう。
三人が揃って口にしたことにより生まれた無言は拷問にも近い。特に今は殿下を膝に抱えているので、まだ平らな喉が上下する様子まではっきりと見える。
「……レオは、凄く良いか凄く悪いかのどっちかしかないのか?」
「それはどういう意味でしょう」
「驚くほど美味しい、ということですよね?」
そして、ポツリと零された感想には、本気の驚きが含まれていた。
しかし、その言い方はどうなのか。そこまで部屋の散らかり様がひどかったと? 拾い集めればあっという間で片付いたし、ゴミをそこ等に置いてるわけではないのにひどすぎる。
頬が引きつるのが分かり、誤魔化すように自分もカップに手を伸ばした。
いつもと同じで、香りも濃さも丁度良い具合だ。
「しかし本当に、並の侍女では比べ物にならない腕をしとる」
「好きが高じただけですよ」
「それだけで、一度飲んだら忘れられなくなるぐらいにはならないと俺は思う」
常日頃、高級なものばかり口にしている王子にそう言ってもらえるなど、光栄すぎることだろう。
しかし、どうせならば騎士としての腕を褒められたいものである。
「まあ、唯一の女らしさなのでしょう」
苦笑混じりに答えれば、殿下が何かを思い出した様子で、首を回して私を見上げた。
翡翠の瞳が目一杯の輝きを放ち、足が動いて脛を叩く。地味に痛い。
「そういえば、レオは黒騎士だって聞いた。なんでここに居るんだ?」
「今日の殿下のように、悪いことをしてしまったからですよ」
しかし、私が答えると、途端にふくれっ面を浮かべて無言になった。
「殿下……?」
「違う」
一体どうしてしまったのかと不思議に思っていれば、なんてことはない。殿下呼びと言葉遣いが気に入らなかったようだ。
とはいっても、いくら本人が許したとはいえ、さすがにそれは難しいものがある。
けれど思わぬところから、殿下を援護する言葉がかけられた。
「レオ自身が、ここに殿下はおられないと言ったんだ。誰とは言えないが、今日のことは目を瞑ると既に許しが出ている。もちろん私たちについても」
「その代わり、明日からしばらくの間は山ほど宿題が出るのでな、その苦労を汲んでやるのが大人というものだ」
「では、初めから押しかけるつもりだった、ということですか」
わざわざ小芝居までしたっていうんだから、ご苦労なことだ。
しかし、その予想は外れていた。
話によれば、エドガー様に謹慎を解くよう指示を出し、それから声を掛けてまっとうな場所を設けるつもりだったらしい。
そこに合鍵を持って現れた存在があり、ついでにそいつは殿下にいらん事を吹き込んだため、私は叩き起こされる結果になったとか。
三人共が頑なに正体を明かそうとはしないが、そうでなくとも聞くつもりは無い。聞いてしまえば最後、一発殴らなくては気がすまなくなってしまう。
「……分かった。ただし、今回のようなことが許されるのは、相手が私だからこそだというのも忘れないように。後、言葉遣いはさすがにいつも通りはまずいから、ある程度砕くだけにしておく」
「名前は?」
「ちゃんと呼ぶ。だって、ここに王子はいないからね。そうだろ? ルー」
お腹に腕を回しながら覗き込めば、本当に嬉しそうに殿下は頷いた。
とはいうものの、さすがに素は出せないので、民と接する時の態度を用いることにした。
私のせいで殿下の口が悪くなったなど言われでもしたら、たまったものではない。
「レオが黒騎士だって知ってから、ずっと聞きたかったことがあるんだ」
そう思っていれば、殿下が気を取り直した様子で、クッキーを取るため身体を伸ばしながら言う。
こうして見れば、本当に普通の子供と変わらないな。しかし、公の場で求められる姿は出会った時の威厳ある態度なのだから、王族に生まれるのも大変だろう。
……だからこそ、あいつは私との関わりを許したのかもしれない。ほんの少しでも良いから、息抜きが出来るように。
「黒騎士って、どんな感じ?」
「それは我々も興味がありますな」
変な勘ぐりをするのはやめよう。ひとまずは、この時間に付き合うだけだ。
そして私は、質問に答えるべく口を開いた。
「そうですね……。とりあえず、人を食べるかな」
「え?!」
「生き血を啜るという場合もあったりするね」
「は……? 待て、レオ。何の話をしとる」
「後は、剣を研ぐ際に血を使ってるとか」
「いや、それは逆に切れなくなるでしょう」
「そうそう、実は人間に化けた怪物だったり」
突然おかしなことを言い出した私を、三人が驚いた様子で眺め、次第に焦りはじめる。
それが面白くて笑っていれば、すぐに嘘だと気付き、殿下が振り返って強く肩を叩いてきた。
分かってる、分かってるから、そうむくれない。すぐに笑い止むから待って。
「ははっ! でも、これは全部、悪党たちが本気で囁いている噂話だったりするよ」
「俺でも嘘だと分かるのに……」
「それだけ恐れられているってこと。で、真面目に答えるとすれば、黒騎士団はすごく厳しい場所って感じかな」
「どんな風に?」
「毎日全身泥だらけになるし、辛すぎるって泣こうものなら、容赦なく怒られるよ」
実際は殴り飛ばされた挙句、訓練を倍近く増やされるのだが、さすがにこれは王子でなくとも子供相手に教えられるものではない。
これまで経験した数々のしごきを思い返せば、自然と胸が熱くなってしまう。我ながら思うが、よく耐えてきた。
「白い制服だったら、あっという間で真っ黒になるだろうね」
「だから黒騎士っていうことか!」
……そういうことにしておこう。頷いておけば、さすがにその理由を知っている目の前の二人が、同じように苦笑していた。
白騎士だって、まともな方たちはしっかりと頑張っていらっしゃるのに、なんだかすいません。今に限っては他意がないので、気にしないで頂ければ助かります。
そろそろおかわりを用意しようと殿下を一度下ろすも、動いている間だって質問は止まらない。それに答えつつ、クッキーも補充しておく。誰だか分からないが、準備しておいてくれて助かった。
「でも、何でそんなに厳しくするんだ?」
「そうしなければ、守るものを守れないからかな」
「守るもの?」
「白騎士が、王族の方々をお守りするために働いているのと同じで、私たちは民にそうしているから」
「それの何が違うの?」
純粋に尋ねてくる姿はとても無垢で、子供らしい好奇心に満ち溢れている。
きっと仕組みや働きそのものは教師から学んでいるだろうに、それでも殿下は相手の話を聞こうとするのだから、この方がこれから現実を知り歪んでしまわないことを願わずにはいられない。
比べて護衛の二人は、殿下に対してはどことなく誇らしげありながら、それでいて私へ試すような見定めるような空気を帯びているのだから困りものだ。期待するにしても、警戒するにしても、どちらも私にとっては分不相応としか思えず、流すほか取れる態度がなかった。
そして席に戻れば、すかさず殿下が飛び乗ってくる。
やっぱりか。諦めて相手をするしかないな。
「護衛する場合は、相手もある程度は騎士のことを考えて動いてくれるし、自分たちも手の届く範囲に控えられるけど、それを人々に求めることは出来ないからね」
「どうして?」
「生活ができなくなってしまうからさ」
「あ、そっか」
「どうしても全てを防止できない以上、黒騎士はさらなる被害を食い止めるため、その原因を排除しなければならないんだ。対象はもちろん抵抗するから、そうなると待っているのは衝突で、私たちが負ければその矛先は再び罪の無い一般人に向かってしまう。だから強くあれるよう、必然的に厳しくなるんじゃないかな」
結局はそう、庇いきれないから叩き潰す。それが黒騎士だ。
守りきれれば大きな名誉を賜れる白騎士と違い、たとえどれほどの凶悪犯を仕留めたところで、私たちには必ずと言っていいほど非難がついてまわる。
なぜもっと早く、どうして被害が出てから、死んだ者は戻らないというのに――
本当はその言葉に顔を下げてしまわないため、心が折れそうなほどの鍛錬を強いられるのかもしれない。迷って、自分が死んでしまうことがないためにも。
「やっぱり危なかったりする?」
すると、殿下がこちらを窺うように呟いた。
どうやら心配させてしまったらしい。
「危ないよ、とても。けどそれは、白騎士も変わらない。それに危ないからこそ皆強くなりたくて頑張るんだから、ルーはそれを信じなきゃいけない」
「……でも、レオは女の人でしょ。しかも、初めてでたった一人の黒騎士って聞いた。それって凄いことだと思うけど、家族が心配してたりしない?」
「残念ながら、私には心配をかける存在がいないんだ」
大丈夫だと言ってやろうとも思ったが、やめておいた。すぐバレる嘘なんてもの、気休めにはならないだろう。
しまった、という表情を浮かべる殿下の頭を撫で、途中で止まってしまった手にクッキーを持たせてやる。
「もう会えないことはもちろん悲しいけど、その点では仲間より楽かもしれないね。もし生きていたら、ルーの言った通り猛反対されただろうし」
気にしなくて良いとつとめて明るく告げると、殿下がこちらを見てきたので、意識して微笑みを強くした。
そういえば、家族の話をするのはいつぶりだろう。いつも寄る辺がない身だと言えば、勝手に捨て子だと勘違いし話題を逸らしてくれていたので、それこそ両親が殺されて騎士学校へ入ってから初めてのことかもしれない。
「…………いつ?」
「さあ、もう忘れてしまったよ」
しかし、さすがに詳しい話をするつもりはなかった。
忘れるなど、誰ができるだろう。今日は早く帰ってくるよと、そんな他愛ない会話を朝に交わし、待ち遠しく思いながら友人の家へ遊びに出かけていた十年前の私は、夕陽に染まり始めた空を眺めながら帰路に就いた。
けれど、扉を開けた先から聞こえてくるはずの『お帰り』の言葉はなく、代わりに広がっていたのが外と似て非なる光景だった。床と壁一面、場所によっては天井近くにまで飛んでいたその色の中心で横たわっていた両親の姿は、まさしく変わり果てたと表現するに相応しかった。
さきほどから黙って私たちの様子を眺めている護衛の二人が、はぐらかしたことに気付き僅かながら眉を上げる。
それを見なかったことにして、殿下とだけ視線を合わせた。
「寂しくない?」
「とっくに慣れたし、それを感じる暇なく過ごしてきたから、今さらかなあ」
それからしばらく、殿下は黙って何かを考えていた。
だから、細くなめらかで綺麗な髪の影から、正面の二人を盗み見る。
彼らは真っ直ぐに、こちらを観察していた。さすがに年季が違うので、背中がぞくりと粟立つ。
よっぽど私は、重要な位置にいるらしい。元より巻き込まれた理由は建前だと気付いているが、お偉方は一体何をしようとしているのか。
国に忠誠を誓っている以上、やるべきことに手を抜くつもりはないけども、使い捨てられるのだけは勘弁願いたいところだ。悲しいかな、私の経歴はそうしても支障がないほど空白が目立つ。
なんにせよ、これで少しは牽制になれば良い。そう思うが、作戦決行が明日に迫っているのだから、お互いに今さらにしかならないか。とりあえず、いざとなれば剣を捨てることになるだけだ。
そうやって、大人が無言の駆け引きに忙しくしている間で、殿下は何やら悩みを解決させたらしい。パッと顔を上げると、突然元気良く言い放った。
「じゃあ、俺がレオの家族になる!」
……………………は?
「急にどうしたんですか」
「これまた突拍子もない発言ですな」
エドガー様の時しかり、今しかり。この王子は、私の平穏をかき乱すことにことごとく長けている。少しは自分の発言力を自覚しろ!
全力で抑え込まなければ、すぐにでも喉から飛び出てしまいそうな本性と戦っている間も、殿下が二人に訳の分からない主張をし続けていた。
「だってそうしたら、俺が心配するからレオは無茶をしないでくれるだろ?」
「まあ、それはそうでしょうけど」
「レオもレオなりの信念があって仕事をしているわけですからなあ」
いや、いや、いや。そうじゃないだろ。論点が絶対に違う。そこは一言、無理だって言えば済む話だって!
この流れでこっちを見るな。期待して目を輝かすな。間違っても、王子の初恋相手なんてポジションを得るつもりはないぞ。
「そこまでしてくれなくても大丈夫だから」
「でも、レオってばせっかく美人なのに、危ないことしてたら傷が……。母上が言ってた。女の人はそうなったらお嫁に行けないって」
そりゃそうだろう。しかしそれは、あくまで淑やかさを求められる環境の中での常識であり、私とはまるで別世界の問題だ。
それに、今さら言われても……。しょうがないので、殿下の前に両手を広げる。
「ルーは、この手を見てどう思う?」
かれこれ十年間、剣を握り続けた手は、何度も肉刺が潰れて厚い皮に覆われていた。
けれど、私はこれを一度だって恥ずかしく感じたことはない。むしろ誇らしいほどだ。
殿下は小さく驚きの声を漏らした後、手のひらをつつきながら呟いた。
「かっこいい……。かっこいいと、思う」
「そう言ってくれて嬉しいよ。私はね、女である前にひとりの人間として、黒騎士でありたいと思う」
だから、と殿下を一人で座らせ、ソファーから下りて跪く。
そして、小指を差し出した。
「約束する。危なくても、ちゃんと帰ってくる。帰ってこれるよう、強くなるよ」
「……分かった。その代わり、いつか俺が強くなったら、ちゃんと相手してね」
「楽しみにしてる」
本来ならば、絶対に交わることのなかった指だ。それなのに、こうして約束までしてるんだから、おかしな気分になる。
だから、たとえ二度と気軽に会話ができないとしても寂しくはないし、良かったと思う。
騎士になって良かった。それは、もしかしなくとも初めて抱けた心境で、同時に後ろめたさも拭えないものだった。
「でもって、俺の分もレオが民を守って。そうか、それで俺がレオを守れば良いんだ!」
「結局そうなるのですな」
「良かったですね、レオ」
あっはっはっは!
ま、どうせ明日で終わりだし、よしとしておこう。
そうして殿下は昼食の時間となり、やっとお帰りになられた。
その後は、うって変わって静かに夜が訪れ、とうとう二週間の忍耐と努力の成果を披露する日がやってくる。
一日限りの貴族令嬢が生まれる朝は、とても早くに始まった。




