静かに燃える黒の魂(3)
――――バンッ!
深く沈んでいた意識が、突然襲った派手な音で心地良い空間から一気に引きずり出された。
「レオ!」
扉から真っ先に目に入るソファーの上ではなく、部屋の一番奥のベッドでしっかり寝ていたら、もしかしたら逃げ道はあったのかもしれない。
だから、責められればいくらか言葉に詰まるも、私としては十分すぎるほどの理由があってそこに寝ていたのであり、断じて面倒くさかっただけではないのだが、それは一先ず置いておこう。
とりあえず、誰もが納得するであろう主張はこれしかない。
王子が来るなど誰が思うか!
「殿下! お待ち下さい!」
もう遅いから。というか、なぜここに来るまでで止められないんだ。
それともこれは夢なのか? ああ、そうか夢だな。夢に決まってる。
ならば寝直すに限る。なんといっても謹慎を受けたまま、エドガー様からはまだお許しが出ていないんだし。休みの日は、惰眠を貪るのが一番だ。
「いやだ、待ちくたびれた! あ、レオ、寝るな!」
無理。いくら子供であっても男が、ましてや王子などいるわけがない。
「やっと捕まえましたぞ、殿下」
「はーなーせー!」
「離しません。さあ、今すぐここから出ますぞ」
「嫌だ!」
「あだっ! しまっ――――」
足元で丸まっていたブランケットを手繰り寄せている間も、この悪夢は消える気配を見せずに人の頭の中で好き勝手騒いでいる。
一喝して黙らせちゃ駄目かな。夢であっても王族へ暴言を吐けない自分の律儀さに涙が出そうだ。
「レオ、起きろ!」
「うぐっ」
せめてもの抵抗として頭まですっぽり隠れていれば、突然身体に重みが加わり呻いてしまった。ブランケットも一気に剥がされてしまう。
こうなってしまえば、起きないわけにはいかない。……いや、起きたかないが、激しく揺さぶられて無視し続けるのにも限界がある。
仕方なく、心情を察し抵抗を試みるまぶたを抉じ開け、身体の上に乗る鬼畜な人物と目を合わせた。
「おはよう、というよりもおそようだな」
「………………おはようございます、殿下」
すると、窓の外で高く昇る太陽のような眩い笑顔を浮かべた第三王子が、暢気に挨拶をしてくれた。
その背後には、部屋へ入りあぐねている殿下付き護衛の二人が息を荒げながら立っているのが見え、片方は親指の付け根を押さえている。たぶん、殿下に噛まれてしまったのだろう。
あなたも災難だとは思いますが、私はもっと最悪な気分です。
「どうやって鍵を……」
「秘密だ!」
どこで入手したのか、本来厳重に管理されているはずの合鍵が、小さな手の中で存在感を主張していたが、殿下は意気揚々と叫び楽しそうだ。
とりあえず、せめて身体を揺さぶるのだけは止めようか。でもって私は、寝起きの頭でこの怪獣を追い出すという、難易度が強烈に高い任務に就かなければならない。
しかし、人の苦悩をあっさりと虚仮にしながら殿下は言う。
「それにしても、レオの部屋は汚いな」
「……たしかに、女性にあるまじき状態ですな」
「私でもここまで散らかせませんよ」
大きなお世話だ! というか、立ち直ったんならさっさと殿下を回収しろ!
護衛まで神妙に頷くのだからやってられない。
ぐるりと部屋を見渡して目を丸くしているところ悪いが、身体を起こす動作に合わせて殿下の腹へ腕を回し、そのまま小脇に抱えて立ち上がる。
「うわっ?!」
「大人しくしていて下さいね」
「レオは俺が王子だと忘れている気がする!」
「とんでもない。ただ、王子殿下がこのような場所にいらっしゃるなどあり得ないので、いたずら好きなお子様から王子殿下へ、可及的速やかに戻って頂くだけですよ」
足元に転がる服を蹴り避けつつ、身柄を護衛に引き渡す。
しかし、二人共が目線をそれぞれで左右に逸らし居心地が悪そうにするだけで、まったく仕事をしてくれなかった。
「あ! しまった……」
「せっかく来たのに、まだ帰らないからな!」
おかげで殿下が暴れ、腕が緩んだ隙に部屋の奥まで逃げられてしまう。
頭が痛い。ほんっとーに、頭が痛い。
よし、分かった。ここに王族がいるなど万一にもあり得ない事柄だ。故に、このガキは王子じゃない。首根っこ掴んで放り出しても怒られるはずがないと、寝起きの私は判断する。
「いいえ、お帰り頂きますよ」
「捕まえられるならね」
その勝負、買いました。
ベッドの上で飛び跳ねる殿下へ足早に歩み寄り、腕を伸ばす。スルリと逃げられるが、舐めてもらっては困ります。
そのまま進行方向に足を出し、引っかかって転びかけるところを受け止めればすぐに終わるだろう。
と、思ってたわけだが…………。
「残念だったな!」
あろうことか殿下は、人の足を掴んでそのまま下をくぐり抜けてしまった。
なんというやんちゃ具合。出会った時の王子様らしい堅い態度は、どこへ行ってしまったのか。
「なあ、レオー。これって色々ごちゃ混ぜになって困らないの?」
「把握してるので大丈夫です。って、投げないで下さい」
「でも皺とか……」
「ならないように置いてるんです。だから触られると――!」
「かければいいのにー。あれでしょ、こういう人をズボラって言うんだよね」
「自分の部屋をどう使おうが自由……、っと、やっと捕まえた」
そうして始まった鬼ごっこは、ただでさえ物が乱雑する部屋をさらにひどい状態にしながらも、なんとか私の勝利で幕を閉じた。
下ろしっぱなしな髪をかき上げ安堵のため息を吐く私の小脇では、殿下もといクソガキが軽やかに笑っているが、もう付き合ってやらないからな。今度こそ引き取ってもらうぞ。
そう強く思いながら、再び扉の前まで赴く。
すると、そっぽを向いたままでさらに顔をほんのり赤くした護衛が、やっぱり仕事をせずそこにいた。
しかしなんだろう、この既視感は。つい最近も、この二人よりもっと派手な反応をされたことがあった気がする。
「とりあえず、コレを引き取って頂きたいのですが」
「コレとか言うな!」
「女性の部屋に許可なく、突然入ってくるような王子などこの世に存在しないので、コレで十分です」
「散らかし放題な部屋で、平然と足をさらしてるのを女性とは言わないと俺は思う!」
…………あー、うん。殿下の言葉で、よく分かった。またシャツ一枚だったな、私。
今日の護衛の二人は、近衛部隊の中でもかなり友好的に接してくれる方々だったから、気まずさが勝りそういう紳士的な反応だったのだろう。
大分年上の大人でこうなのだから、かなり恥ずかしい状態になっていたんだと思う。ベッドで寝ていたら、もっとまずいことになっていた。
申し訳ない。どうやったって羞恥が浮かばないので、申し訳ないとしか言えない。
ひとまず、小脇に抱えていた殿下を目の前に差し出せば、視線は逸らしたままで手を噛まれた人が受け取ってくれた。そして彼の隣から一言、ぽつりと乞われる。
「…………服を」
「すぐに着ま――――」
けれどそれは、近くから聞こえた音に邪魔をされた。殿下以外の三人共がハッと顔を上げ、咄嗟に腕を取って引き寄せる。
そのままの流れで、しばらく廊下の壁と仲良くしていた扉を閉めた。
全員で息を潜め、近付き――そして遠ざかる足音に耳を立てる。
あれだけ騒いでおきながらと言いたくはあるが、誰もが一階を嫌がるらしく、私の部屋の周りにはひとが入っていない。だからこそ、殿下もここまで来れたのだろう。
見られたら不味いという点では私も負けてはいないので、それは三人揃って必死にもなる。
「行きましたね」
「ですね」
「まったく、焦らせる」
そして安心できれば、一呼吸置いてから二人が勢い良く顔を背けた。
……そういえば、胸元もおもいっきり開けてるんだった。
「少しの間、壁を向いていてもらえますか?」
「ああ、もちろん」
「誓って守る」
律儀というか、堅いというか。そこまで必死にならずとも、別に気にしないというのに。
ちなみに殿下は、抵抗空しくしっかり目を押さえられていた。
その光景に苦笑しつつ、彼らの努力を無駄にしないよう、ベッドの端に乗っていた制服へと着替える。
二週間分の衣服は全て用意されたものであり、持ってきてもらった私物はこの前の鞄だけ。私服などない。
「もう結構ですよ」
さっと髪をまとめて縛れば、それで終わり。
周囲に散らばる服や勉強で使った紙を拾い集めながら声をかけると、よほど私の格好が見るに耐えないものだったのか、二人は心底助かったという様子で肩の力を抜いていた。
名前、なんだったかな。色々と詰め込みすぎたせいか、自己紹介された覚えはあるが見事に忘れてしまっている。
どうせ明日が過ぎれば二度と会わないだろうから、思い出さなくても大丈夫か。
「色々とすまんな」
「なんとかお止めしようと追いかけたんだが、逃げ切られてしまって」
「それよりもレオ、今日は午前中暇だから相手をしろ!」
「いいえ殿下、すぐに戻りますぞ」
「嫌だ! そもそもお前たちが、さっさとレオを連れて来てくれないからこうなったんだろう」
……それ以前に、追い出すのが先だった。なぜ普通に片付けを始めてしまったのか。
なし崩しに全員の侵入を許した形になっているが、これがエドガー様に知られればと考えるとゾッとする。今度は真剣で切られそうだ。
腕に持てるだけ拾った物をベッドの上に落としてから、窓を開けて外を窺う。
よし、問題はないな。
「それでは、大変恐縮ではありますが、お帰りはこちらからでお願い致します」
「レオ!」
「だめです。怒られるのは殿下だけではないのですよ?」
そもそも私は謹慎中の身だ。合い鍵を渡した者が何を考えているのかは不明だが、殿下の為にも追い出すに限る。
文句? 言える相手なら、用いれるだけの語彙で罵ってやるとも。
「大丈夫、遊んでもらえって言われたから」
「そんな迷惑なことを、どこのどいつが……」
「ひーみーつ!」
殿下の代わりに護衛を睨みつければ、二人してバツが悪そうに目を逸らした。
どいつもこいつも……!
私は子守りのために呼ばれたのか? それとも自分は平民だと、声高々にわざわざ宣言しなければならないと?
これで不敬だなんだと罰せられたら、意地でも逃げ切って、亡命でもなんでもしてやろうじゃないか。
「殿下、レオが困っております。さ、戻りましょう」
「レオが一緒に来てくれるなら良い」
「ですから何度も申し上げましたが、レオについてはエドガーとジャンに一任しておりましてな。彼女も勝手はできないのです」
「なら、俺がここに居る!」
「王子たる者、むやみに女性の部屋に長居するなど……」
「レオなら大丈夫だ! あにっ、…………あの人も、色々話をしてもらえと言ってただろ? アシルだって笑って頷いてたし」
今、殿下の口から、物凄く危ないワードが飛び出かけた気がする。いや、気のせいだ。気のせい。私は何も聞いていない。
それでもどうしてくれよう、この行き場のない苛立ちを。明日、全てを出しきる他ないか。
「もし追い出しても、俺はまたここに来るからな。今度は誰かに見られるかもしれないぞ」
「殿下!」
「それで一番大変な思いをするのはレオなんですよ?」
だんだんと声の大きさが増していく三人の攻防を聞きながら、結局私が出した結論は降参の二文字だった。
殿下なら絶対にやる。子供の体力が、鍛え抜かれた騎士をも凌駕するのは既に実証されている上、よっぽど私は気に入られてしまったらしい。
泣く泣く窓と、カーテンを半分閉める。
そして、設置されている小さなキッチンの棚から、さほど高価ではないお茶と保存が効くクッキーを取り出した。
時には諦めも肝心だ。特にこういった、どう転んだって面倒な事など。
「分かりました、午前中だけですよ」
「いいのか?!」
「ただし、その分しっかりと怒られて下さい。あと、ここに王子殿下はいらっしゃらない。よろしいですね?」
激しく首を振って頷く殿下は知らない。
戻った際には、前回二人で一緒に叱られた侍女から、恐ろしく諭されるであろうこと。そして私がその苦しみから逃れるべく、今まさに殿下を見捨てたことを。
まったく、嫌になる。子供に甘い自分は、いつだって最後には折れてしまうんだから。
「レオ、なんか怖い」
「気のせいでしょう」
護衛の二人から苦笑を頂きつつ、こうして作戦前日は騒がしく始まった。




