第5章:俺と勇者
どうも、みなさんこんばんは。俺はアイン・トローペリー、モンスター使いのアイン(子持ち)だ。俺は冒険者生活20年を区切りに冒険者という立場を捨て、そろそろ田舎に引っ込もうと考えていたんだ。
それが今は何故か、地位の高い人しか出席できない特別な会合に来ている。他の人と比べてあまりにも質が落ちる服を着た俺は、ここにいてはいけない存在のような気がする。
先程から俺を囲むように貴族の連中が集まり、武勇伝や冒険譚を求めてくるが、彼らが欲しているような話など持ち合わせていない。
この場にいる他の冒険者たちと違って少し前までは中級冒険者という、石を投げれば割と当たってしまう確率でそこらへんにいる存在だったのだから。
少し離れた場所ではやたらとでかい男が、身ぶり手ぶりをしながら話をしてご婦人たちを楽しませている。慣れたもんだ。
こちとら着慣れていない正装な上に、これまで話す機会なんてなかった貴族からの質問責めで四苦八苦しているというのに。
さて、俺がどこにいるのかというと政府主催の『勇者の集い』という勇者と金持ちどもだけが参加できる食事会だ。
今回は食事だけではなく、ある催しも行われるらしい。それは新しく誕生した勇者の任命式とお披露目だ。
この世界において勇者とは国家間を越えた共有資産のような存在と言えば分かりやすいだろうか。
世界を破壊する魔王は突如として出現する。基本的に出現地点を領地とする国が討伐隊を編成し、そこに魔王を打倒する力、つまり一度魔王を討伐してる者をリーダーと配置する事になっている。
討伐隊だけで十分ではないか、と思うかもしれないが過去に錬度の低い討伐隊を大量に送りこみ全滅させてしまった国があったため政府が基準を定めたのだ。ちなみに勇者は現在12人いるのだが、魔王はその倍以上の数が出現している。
魔王の出現数と勇者の数が近いものでないのは、勇者が魔王を倒してしまうために新しい勇者が現れないことと、勇者であっても魔王に負けてその数を減らすことがあるためだ。
勇者=英雄というわけではなく、呼ばれたら魔王を討伐する都合のいいゴミ処理屋のようなことを担わされる意外とめんどくさい立場なのだ。しかし、それを帳消しにするほどの特権があるため冒険者の中でもなりたい奴はたくさんいる。
政府は新しい勇者が現れた場合、世界中に公表する。「こいつが勇者だから困った事があれば頼め」とね。
そんな勇者という地位なのだが、先ほども伝えたとおり新しく13人目の勇者が加わることになったのだ。
「えー、それではこれより、勇者任命式を執り行います。アイン・トローペリー殿は壇上までお越し下さい」
それでは、呼ばれたのでちょっと行ってきますかね。
◆
「いーやーだー、俺は勇者になんかなーらーなーいー」
自分の使役するモンスターたちに囲まれながら駄々をこねる。それ以外することがないからしている。
なりたくないものは、なりたくないのだ。
そもそも魔王を倒したのは自分ではない、モンスター使いの使役するモンスターが倒したのだから、お前の手柄だと言われても全然納得できない。
「ビチャビチャが勇者になればいいじゃーん」
「勇者の称号は、私を使いこなして魔王を小指で討伐されたマスターが貰うべきなんですよー」
「魔王を倒した奴が勇者なんだから、お前だー」
もう嫌だ、人龍の時といい今回のことといい俺は何の活躍もしていない。なのに、人龍を従えし者とか勇者なんて呼ばれなくちゃいけないんだ。
冒険者も辞めて可愛い娘と悠悠自適な生活を送ると決めたんだ。
「じゃあ、勇者はビチャビチャに任せて俺は転位石を買ってきて帰るから」
金の入った袋を片手に家を出ようとするがゲフネルとシャーウッドが体に巻きついてきて邪魔で歩けない。
「邪魔するなー、もう嫌なんだよ。トラブルに巻き込まれるのはー」
「魔王と遭遇する以上のトラブルなんて起きませんよ。それに起きたとしても私がお守りします!」
「主よ、微力ながら己もお助けいたします」
「(自分の胸を叩いて自分に任せろというような仕草をするシャーウッド)」
「パーパ、ルー眠い」
確かに魔王と戦いになるくらいのトラブルなんか早々ないのは分かっているけど……。
腰にルーが抱きついてきたと思ったら、すぐに寝息を立て始めやがった。これでは、動けない。小さな悪魔に図られたのか。
「ルーちゃんよくやりました!……じゃない。ごほんっ、いいですかマスター。勇者というのは歴史上30人もいない、魔王を打倒した者のみが得られる名誉なんですよ!」
「だから何度も言わせるな、俺は倒していない」
「はじまりの魔王を倒した冒険者が最初の勇者となってから300年、10年か20年に一人現れればいいというような強者、それが勇者なのですよ」
「強くないし、むしろ弱いし」
「勇者になれば、政府から毎月お金が貰えます。生活に困りません! 国境通過料などすべて無料、政府に参画している国の中では英雄のように扱って貰えます」
「いらないから、元々そういう欲ないから」
「そんな欲のないマスター素敵です! キスしていいですか?」
「しね」
岩で出来たでかい顔を寄せてきたので払いのけた。
寝ているルーを抱えてリビングの長椅子に移動させる。
「貰ってない依頼料を受け取りにギルドに行ってくる。帰りに転位石を買ってくるから、荷物をまとめておけよ」
「本気なんですか、マスター」
返事をせずに家を出る。あいつと話しているとまた流されてしまう可能性がある。
「マスターが勇者になったらドラコちゃんも鼻が高いと思いますよー」
ドラコの話まで出してきやがった。無視だ、無視。会話をしたら負ける。さっさとギルドに行って買い物だ。
ギルドの入口に人が溜まっている。何かあったのだろうか。
向こうから紙を持った奴が歩いてくるが、あそこで配っているのか。
「号外! 号外だよー。新しい勇者が誕生だ。その名もアイン・トローペリー。先日、ゲイン鉱山に現れた魔王を単独で討伐した期待のルーキーだ。なんと職業は、モンスター使い。号外! 号外だよー」
号外を受け取った奴が何かを言っている。
「アインなんて聞いたことないぞ。この号外、写真も載ってないじゃないか」
「調べたがこれまで公の場に出てきていないんだ。ギルドの上級冒険者の名簿にも名前がなかった。政府から降りてきた文書からしか情報が得られないんだよ」
号外を受け取った連中は、それを聞いて「すげぇ、そんな奴がいたんだな」「魔王を単独で倒すなんて普通じゃないぞ」「おいおい、政府の秘密兵器か」「モンスター使い(笑)」と想像を膨らませているようだった。
そりゃこれまで何にも功績ないですよ。上級冒険者の名簿に名前がなくて当たり前ですよ、中級ですもの。
しかし、そのお陰でこれだけ騒ぎの近くにいても誰も、噂のその人だとは思っていないようだった。
さっさとギルドで用事を済ませてしまおう。ギルドの中へ進むと外の喧騒とはうって変わって静かなものだった。受付へと向かう。
「荷物配送依頼の達成金を貰いにきたんですけど」
「はい、依頼書を見せて下さい。えーっと、ゲイン鉱山からセントラルへの武具輸送ですね。はい、お店から完了したとの連絡を受けています。では、冒険者登録証をお願いします」
受付の女性に登録証を渡すと、目を丸くされた。何度も確かめるように見ている。何かおかしなところでもあったのだろうか。
「しょ……少々お時間いただけますでしょうか」
了承すると、女性は奥の中年男性のところへ駆け寄って行った。何かを確認しているようだが、俺の登録証に何か問題でもあったのか。
かなり年季が入った古いものだから偽物だと思われているのか。でも、この間来た時は問題なく依頼料を貰えたのだが。
確認が取れたのか、女性が急いでこちらに戻ってきた。
「失礼いたしましたっ。えー、こちらが依頼の達成金になります。他にご用件などはございますでしょうか」
なんだ、この違和感は。これまでの対応と違う気がする。今までは言葉づかいは丁寧だったが、金銭の受け渡しを事務的に行うだけだった。
それが今の対応は、俺を何か敬ってくれている感じがする。
これは、まさか……俺に惚れているのか。子持ちの38歳のおっさんのどこが気に入ったのだろう。
「えっと、この間って言っても結構前になるんですが、冒険者の登録抹消願いを出してまして、それはどうなっていますか」
「抹消願いですか。えっ、まさか。か……確認して参りますっ」
再度、席を離れ奥の中年男性のところへ駆け寄って行った。
話を聞いた男性が「誰だ、受理したのは!」と叫んでいる。俺の抹消願いに問題があったのか。
一人の女性が、その男性に呼ばれて何か聞かれ始めた。男性のあまりの剣幕に女性は泣きながら何かを訴えている。
良く見ると俺がこの間、登録抹消をお願いした女性だ。手続きで問題があったのか、俺が何かやらかしたのだろうか。
急に男性の表情が変わった。笑顔になって女性に話しかけている。何があったらあんなに表情が二転三転するんだ。
満面の笑顔で中年男性がこちらに歩いてきた。
「お時間を頂いて申し訳ありません。抹消手続きの件ですが、アイン様の使役されているモンスター様が来訪されて取り消していった、と係の者から聞いております」
は?そんなことあいつらに頼んだ覚えなどないのだが。
「そのモンスターってどういった奴でしたかね」
「はい、ゴーレムだったと聞いております」
あいつか。考えたらあいつしかいないよな。この間、依頼を取りに来させた時か。
「そうですか。では、もう一度手続きをしたいのですが可能ですか?」
笑顔だった表情がまた変化する。なんだ、このおっさんの顔の筋肉どうなっているんだ。
今度は悲しみに溢れた表情で口元がおぼつかない感じになっている。
「あああああああ、あのあのあの私どもに何か不手際でもあってのでしょうか。申し訳ありません申し訳ありません」
突然、その場でひれ伏して謝り始めた。男性に続いて周りにいた人たちも同様に頭を床に付ける姿勢を取った。
なんだよ、これは。手続きを頼みたいだけなのに。
ギルド内にいた連中が一斉にこっちを見ている。晒しものにする気かよ。
「ま……また来ます」
とりあえずこの場から退散した方がいいと思ったので、走って逃げることにした。
異常なことが続いて頭が処理できていない。
「ありがとうございます。お待ちしております、アイン様!」
後ろを振り返ると今度は満面の笑顔でこちらを見ている中年男性が見えた。本当に表情が変わり過ぎだろ。
出口までたどり着くまでに「あいつが噂の」「昔からいるおっさんだろ」などの声が聞こえてきた。
鈍いと言われる俺でも気付いてしまった。そうか、さっきの受付の女性や中年男性の対応は、俺が勇者になる予定の人間だと知っていたからなのか。
こういった組織には政府から正確な情報が流されているんだろうな。
しかし、勇者というだけであんな対応になるのか。ただの中級冒険者だった時とは天と地ほどの差がある。
これは……悪くない! 悪くないぞ!
人のために戦ったり、魔王討伐に狩り出されたりするのは嫌だが、この権力は手に入れたい。
魔王なんて年に1度現れたらいい方だし、召集されても行かなければいいんだもんな。
そうと決まれば勇者任命式に赴かなければなるまいて!
年甲斐もなく全力で走って帰宅する。
力強く扉を開けて家の中に入ると、広間にみんな揃っていた。
「俺は勇者になる!」
こっちに顔を向けただけで、みんな言葉を失っていた。
それはそうだろう、ついさっきまでなるのが嫌だと駄々をこねていたおっさんが戻ったら、自分からなるとか言い出したのだ。
「早速準備いたしますね」
ビチャビチャが慌しく動き始めた。
もっとゆっくりと準備すればいいと思うかもしれないが、そんな余裕はない。なんせ、任命式は今日この後すぐなのだから。
◆
一通り任命の式が終わった後、司祭の中でも最高位に位置する人物が、俺の目の前に薄く金色に光っている登録証のようなものを置いた。
「こちらが勇者専用の登録証になります。非常に貴重な金属を使用してありますので複製はまず不可能です。魔力の登録を行いますので、指先をこちらにお置いてください」
登録証の中心、空白の部分に指先を置くと、俺の使っている魔力紋が現れた。ルーの額にあるものと同じだ。
「個人の登録が完了しました。政府からの連絡もこの登録証を通しますので、冒険者の登録証と同様に肌身離さずお持ちください」
これで勇者として正式に認められたことになるのか。俺を勇者だと疑う奴にはこれを見せ付ければいいわけだな。
「アイン、お疲れ様」
知っている顔が寄ってきた、バリトンだ。バリトンは俺の前に勇者になった。魔王討伐数は1だが、この間のように召集があった場合は積極的に動いているようだ。
しかし、同期で2人も勇者が出るなんてセントラルの養成学校は鼻高々だろうな。在学中、俺をゴミみたいに扱った教師どもはどう思っているのだろうか。
「最近すごいね。人龍に魔王に大活躍じゃないか。どうして今まで積極的に動かなかったの?」
こ……こいつは、普通は聞きにくいことを平然と聞いてきやがる。
「俺ぐらいになると、いつでもこれぐらいのこと出来るから敢えてしていなかったのだよ」
「そうだったんだ、そうだよね。でなければあんなゴーレムや人龍を使役することなんかできないよね」
眩しい。なんなんだ、この純朴さは。俺が失ってしまったものを持っているぞ。ここにいては駄目だ、俺の汚い心が浄化されてしまう。
「先輩たちに挨拶してくる」
「私も自分の任命式の時に挨拶できてなかった人が来てるらしいから、行ってくるよ」
そういって、バリトンは俺の後を付いてきた。
まずはどの人からいくべきか、今日の集いにはバリトンを除くと4人の勇者が来ている。悩んだ結果、自分より歳が上の人から行くことを選択した。
「あのー、はじめまして。今日から勇者になりましたアインと言います。以後お見知りおきを」
「ガッハッハ、堅苦しい挨拶などいいわい」
見るからに大雑把そうな大男はゴドル・ガッターナ、勇者になる前は討伐依頼専門の冒険者だった男だ。
一人でサイクロプスを倒したとか、地龍の甲羅を拳で割ったとか力自慢の話をよく聞く。突飛な行動を取ることで知られているが、変わったのが多い勇者たちの中ではかなりの常識人であるらしい。
「単独で魔王を倒したらしいな。モンスター使いということだが、強力な奴でも使役しとるんか?」
「いえ、普通のばかりですよ。ちょっと変わってるのが一体いるくらいで」
「それが噂のゴーレムか」
「知っているんですか」
「この業界に長くいると嫌でも色んな話が入ってくるもんでな」
もう隠し通せる物でもないし、言ってしまってもいいか。
俺自身が強いわけじゃないので、勘違いされて変な勝負を申し込まれても困るしな。
「ご存じの通り、自分の力では一切戦っていません。すべて仲間の力です」
ちょっと格好いいことを言ってみる。
「ガッハッハ、モンスター使いがモンスターを使うのは当然だろう。それにそれだけの連中を従えているということがお主自身の力でもあろう」
さっぱりしていて気持ちのいい人だな。強くても人徳もあるとは外見以外は民衆の考える勇者像にかなり近い。
「そう言って頂ける人が多かったなら、モンスター使いも不人気な職業にはなっていなかったでしょうね」
「お主が先駆者となって増やしていけばいいではないか! モンスター使いの力を世間に知らしめてやれ。勇者になったのならチャンスはいくらでも転がってくるぞ」
「戦わずにもっと楽にモンスター使いを増やす方法ないですかね」
「ガッハッハ、面白いやつだ。戦いとなればすぐに向かってしまう俺とは違うタイプのようだな」
ゴドルさんと話していたら、いきなりすごい力で肩を叩かれた。
「おう新入り! 俺のところに挨拶は来ないのか?」
俺にとってはとんでもない力だったが、相手からしたらちょっと手を置いた程度なのだろう。
この人はカツオ・ケイリー、ゴドルさんに負けないくらいの大男で膨れ上がった筋肉が着ている服を異常に盛り上げてしまっている。勇者カツオは魔導拳という魔法と武術を合わせた特殊なスキルを使用すると言われている。
ゴドルさんとカツオさん、そこにもう一人を加えた三人を冒険者の間では『三闘神』と呼んでいる。残る一人も勇者だ。
「おいおい、戦闘職じゃない奴にお前が触れるなよ。力の加減ができねぇ馬鹿なんだからよ」
「あぁ? 加減ができねぇ馬鹿ってのは俺のことかゴドルよぉ」
三闘神は仲が悪いってのは本当だったのか……。
ごつい男二人が接吻でもするのかってくらい顔を近づけて睨み合っている。
「てめぇの棍棒と俺の拳、どっちがつえーか決める時か? あぁ!」
「ここで始めようっていうのか? 折角の祝いの席なんだぞ」
本気で始める気かこの二人、何とか納めないと。
「あ……あの、魔導拳のカツオさんですよね。今日、勇者になりましたアインです。よろしくお願いします」
「おう! ちゃんと挨拶できるじゃないか。しっかし細ぇな、肉食えよ肉」
「肉食ってもカツオさんのような鍛え上げられた肉体にはなれないですよ。その上腕筋なんか、俺の腰ぐらいあるんじゃないですか」
「ん、お前は筋肉がわかる奴か? 今度、肉を食いに行くか。ベヒーモスとか狩りたてだと美味いぞ」
筋肉話になった途端、上機嫌になった。資料通りだな、カツオは肉と筋肉の話を好むと。出掛けにビチャビチャから貰った各勇者の趣味から初恋の話まで載っている『最新版 勇者のすべて』を読んでおいた甲斐があったな。
しかし、あの本は詳し過ぎだろ。どうやって調べたんだってことまで載っていた。
「ゴドル氏、カツオ氏、新人さんに気を使わせてどうするんですか。今日は彼の歓迎も兼ねているのですよ」
声がした方に振り返ると顔全体に黒い布を巻き、下着だけを身に付けた男が立っていた。完全に不審者だ。言い逃れできないレベルの不審者だ。
「あなた方は勇者というものをですね分かっていません。勇者とは清廉潔白で人々から信頼される正しき心の持ち主でなくてはならないのですよ」
そう言いながらすごい速さで腰を振っている。言っている事と行動が噛み合っていない。なんなんだ。
「相変わらず説得力がないぞ、ヘンリー王子」
この人がダブドリ王国の王子でありながら、勇者となったヘンリー・ダブドリなのか。勇者のすべてに載っていた写真と全く違うぞ。貴族然とした美青年だったはずだ。
「えっと、アインです」
挨拶するとヘンリー王子が徐に近寄ってきて、俺の股間を握った。
「よろしくアイン君! 私はヘンリー・ダブドリだ!」
そのまま握り続けている。むしろ、力が込められ始めた。
「あの、ちょっと……、股間。あの……」
「すまない! 握ってしまった」
謝っているのに離す気配がない。
「ところで君はスシという食べ物を知っているかね?」
突然、質問をしてきた。
「ええ、妻が最果ての方の出身なんで」
「妻っ! 妻がいるのかね。その妻は男かね?」
「違います」
「なんと!? 男ではないのか。それは残念だ」
理解不能な会話を繰り広げられている。どういう意図の質問なのか。
「アイン君、ヘンリーとまともに話すのは無理だ。諦めろ。歓迎はしているようだから大丈夫だ」
ゴドルさんのフォローが入った。
握っていたものを離すと爪先で回転しながらどこかに行ってしまった。
「相変わらず気持ちわりぃ奴だぜ。新人! あいつみたいになるんじゃねぇぞ」
絶対になりません。なろうとしても無理です。
あと一人、挨拶を残しているのに疲労困憊だ。なんで、こんな変わった人ばかりなんだよ。
「おーい、アイン。挨拶は終わった?」
「いや、あと一人だけ会ってない」
「もしかして、クタリさん?」
「ああ。バリトンが挨拶に行ったのその人なのか?」
「そうなんだけど、見つからなくて。会場に来ているって聞いたんだけど」
周りを見渡して見てもそれらしき変な人はいない。
ヘンリー王子が貴族らしき人を回転しながら応対しているのが見えたぐらいだ。
「いるぞ!」
なんか声が聞こえた。
「今のバリトンか?」
「いや、違うよ」
「いるぞ!」
また聞こえた。女性の声だ。
「ここだ!」
「あひゃ」
いきなり足首を掴まれて驚いてしまった。
足元を見ると影から手が伸びて足首を掴んでいた。
「うわっ、なんだこれ」
頭、肩、胴体と蛇が脱皮するように影から人が出てきた。
出てきた人物は、きっちりとした正装をしており、細身だがかなり鍛えられているという印象の体をしていた。
その鍛えられた体の上に乗っている頭は魚だった。
魚顔……、この人が二人の女性勇者のうちの一人、クタリなのか。
「忍魚のクタリだうぉ。アイン殿、よろしく頼むうぉ」
魚顔の人が握手を求めてきたので握り返す。
「バリトン殿もよろしく頼むうぉ。任命式には行けなくてすまんうぉ」
続いてバリトンとも握手をする。
結構驚いている俺とは違って、いつも通りの顔で対応できていた。
「あの、何故に俺の影に入っていたんですか?」
「そこに影があったからうぉ」
「そ、そうですか」
聞きしに勝る変人ばかりだ。この人たちが、現在世界に13人しかいない勇者なのか。
勇者のすべてに載っている情報だと、まともに見える人のが多いのだが。実際に会ってみると人っていのは違うんだな。
残りの七人も期待しないようにしておこう。
「じゃ、またうぉ」
近くにいた貴族の人の影に飛び込んで消えて行った。また影に潜ったのか。
予定通りとはいかなかったが、会場に来ている勇者への挨拶は何とか終わったようだ。
かなりの疲労感だ。予期しない出来事が続くとこれだけ疲れるんだな。
「えー、会場の皆様、そろそろアイン・トローペリー殿の任命式兼勇者の集いを閉会させていただきたいと思います」
司会役の神官が会の終わりを告げる。貴族連中はまだ話し足りないようだったが、勇者の方々は閉会の挨拶と同時に帰り始めた。
馬鹿丁寧に貴族の相手をしているバリトンに別れを告げて、俺も会場を去ることにした。
◆
家の近くの大通りまで馬車で送ってもらった。
馬車から降りたら、空は暗く道を歩いている人もまばらな時間になっていた。
疲れたな。ああいった式に慣れてないっていうのもあるけど、勇者の人たちの個性が凄すぎた。
家に着いたらすぐに寝てしまうだろうな。
少し重い足取りで家に向かって歩ていると、家の前に誰かがいるのが見えた。誰だ、家に遊び来るような友人など俺にはいないぞ。
家に続く道には魔力街灯が少ないため、かなり近づかないと誰なのか分からない。警戒しながら近づいて行く。
俺より身長が低い、それにかなり華奢だな。戦闘職ではないだろう。だが、念のため腰に装備しておいたナイフに手をかけておく。
「誰だ?」
声に反応してこちらに顔を向ける。暗がりな上にフードを被っているようで表情は見えない。
何かを手に提げたまま、こちらに走ってきた。
途中、風でフードが脱げて顔が顕わになる。俺の妻によく似た黒い髪の女の子だった。
「お父さん! 待ちくたびれたよ」
似ているのも当然だ。だって、この少女は俺の娘のドラコなんだから。
勇者の特権でいい思いをしようとしていた糞みたいなおっさんの所に健気で可愛い娘がやってきた。
継母の座を狙うゴーレム、姉になろうとするナイトデーモン、何してるのか意味不明なハイドエルフィンが娘に擦り寄る。
戦えアイン!娘を魔物から守るんだ!
次回予告
第6章:俺と謎の依頼