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短編墓場で御座る

この足で迎えに行くよ

作者: 毎日三拝

 高校三年生の終わり頃、俺は事故に遭っている。

 信号無視して来た大型のトレーラーと自転車に乗ったまま真横から衝突された。

 あの日の事は鮮明に覚えている。

 晴れやかな空の下。俺は志望していた大学に受かり、自由となった心と体で付き合っている彼女を駅まで自転車で迎えに行く最中だった。

 彼女とは受験が終わった少し後に告白をして男女交際するに至り、文字通り人生最高の至福を味わっていて浮かれていた。だから気持ちが焦っていたのかもしれない。

 俺が確認した際に前方の歩行者信号は確かに青のランプが光っていた。左右を見回し問題のトレーラーも少し離れた位置で車を走らせ、徐々に速度を落とし止るものかと思っていた。それがいけなかったらしい。

 真横からスピードを落とす所か更に加速させて来た大型トレーラーに突然過ぎて反応出来なかった。

 体が吹き飛んだ後に俺を轢いた衝撃で途中で目覚めたらしい運転手がハンドルを左に切って電柱へ突っ込み、俺は更に引き繋がせていた荷台のコンテナにぶち当たったらしい。

 その後に運良く近くに在った緊急病院に担ぎ込まれ、手術を受けたそうだ。

 勿論はこれは事故の目撃者が話した証言を後々聞いたもので、早々に体を打ちつけた衝撃で意識を失っており覚えてはいない。

 一時昏睡状態に陥っていた俺が意識を完全に取り戻したのは一週間後だった。

 目覚めた瞬間に仰ぎ見た天井を微かに覚えている。

 薄く張られた膜が取り払われ徐々に鮮明な映像に切り替わり、白い景色が目の前に広がっていた。

 俺が住む部屋の天井は茶色い木目模様だから直ぐに自分の部屋ではないと気付く。

 暫く寝惚けたまま天井を見上げていると意識がはっきりと戻り、自分が現在置かれている現状を確認しようと体を起こしたり、首を動かそうとしたが全く動かない事と感触から何かに固定されていると把握した。

 首が固定されて満足に動かないので僅かに感じる体の痛みに呻いていると見回りに来た女性看護士さんが、俺の意識が覚醒した事に気付いてくれた。

 両親と対面したのはその一時間後だった。

 病室の扉が荒々しく開け放たれた。

 相部屋でなく個室なので同室の人に迷惑は掛からなかったがマナー違反だと天井を見上げたまま思考する。

「康弘っ!!」

「やっちゃん!!」

 親父とお袋が順番に俺の名前を呼び、ベットまで駆け寄る。

 覗き込む様に俺の顔を見る二人に対して俺は口を開いた。

「おはよう」

 小さく掠れた声。万全とは程遠く弱弱しい状態であったのでその声が精一杯だった。

 その返事だけでお袋は涙し、親父は口をへの字にして喜んでくれた。

 俺も嬉しかった。

 共働きで二人とも相応の地位で忙しいのに早々に会社を切り上げて俺の為に来てくれた事がどうしようもなく嬉しかったから久し振りに泣いた。明日も仕事があるだろうに面会時間が終わるまで二人は居てくれた。

 本当に似つかわしくない場所だが珍しく家族団欒としていたと思う。

 後日、俺を含んだ三人とも落ち着いた頃に俺は自分がどうなったのかを聞いた。

 自分で確認しようとも出来ない有様だったから。

 お袋は渋っていたが親父が

「いいか、気を、絶対に落とすなよ?」

 と念を押してから簡略して教えてくれた。

「実はな……」

 どうやら俺は二度と歩けないらしい。

「ははっ。大学どうするんだよ……」

 目の前が突然暗くなった気がした。


 結論から言うと俺は出席日数は足りているので高校は卒業出来るが、大学は怪我が治る頃には単位が足りなくなるそうなので留年になる、との事らしい。一先ずこれは安心した。

 その後で事件の詳細を聞きに来ていた警察に相手側の事を聞いたら相手は居眠り運転だったそうだ。序に相手は両親無しの独身で俺を轢いた後に近くに有った電柱に突っ込んで御陀仏らしい。

 怒りと憎しみが沸々と湧き出し、俺の人生を奪ったのだから殺してやりたいとも考えていたのだが、それを聞いて俺はすっかり怨む行き場を失ってしまった。


 確かに多くのものをたった一度の事故で失くしてしまったが当時の俺には微かに救いがあった。

 それは交際していた彼女が変わらず自分を好きでいてくれた事だ。

 あの日、事故を起こしてしまい駅まで迎えにいけなかった俺に対して怒る事もなく、毎日早朝と学校帰りに必ず病室まで会いに来てくれた。

 時には

「残り日数足りているから大丈夫だよ」

 と学校を休んで面会時間が終了する直前まで居てくれた。

 只管に彼女に感謝し、同時に俺は自分を恥じた。

 事故に遭う前、つまり交際し始めた頃。俺は彼女の気持ちを疑っていた。

 遠藤理子。

 彼女は高校から学校が一緒になったのだが、一年生の時は既に幾人か居る綺麗な子の一人だと学年中の噂になっていた存在だった。

 友人から誘われて彼女のクラスへと見に行った時に俺は初めて彼女の姿を目にしたのだが、一瞬で惹かれる。正直に言えば彼女よりも綺麗で可愛い女生徒は他にも居た。

 居たけれど、俺は遠藤理子にだけ心奪われた。

 少しずつ知っていった彼女の姿は現実の女子高生である等身大そのものだ。

 成績は中の上で普通だが運動神経も御世辞にも良いとは言い難い。

 性格も明け透けとして人が気にしている事を言うし、人に対して少し配慮が足りない欠点がある。

 それでも好きだった。

 だから、俺は友人に紹介して貰ったりして彼女に段々と近付き、二人の仲を深めて、やっと交際するに至る。

 告白の言葉は張り裂けそうな胸の高鳴りと顔色が青くなる程の緊張で何を口走ったのか覚えていない。

 そこで目出度し、目出度しとなる展開だったのだが、その頃の俺が抱えていた心内を素直に告白すれば、彼女も俺を好きでいてくれているのかが信じ切れなかったのだ。

 過去を振り返り何度も恥じたりして、自分を許せなくなっていく。

 優しくされる度に重くなる罪悪感が積もる。

 俺は思い切って彼女に謝罪した。

 首の怪我が治らないので固定器具が取れないから頭を下げる事が出来ないから口頭で伝える。

「告白したから今まで理子が俺の事を本当に好きなのかずっと疑ってた……ゴメン」

 彼女は突然の言葉に一瞬呆けた顔を晒したけれど直ぐに頬を膨らませていかにも怒っていますよアピールを向けてきた。

「へ~。そんな風に考えてたんだぁ?」

 それから俺に近寄って頬を人差し指で軽く突きながら

「いいよ。許す。康弘のことが好きだから」

 情けない無様な俺に花咲く様な微笑をくれた。

 嬉し過ぎて泣きそうになった。

 本当に理子には感謝し切れない。

 俺は彼女を幸せにすると心の中で誓った。


 数ヶ月の月日が流れ、怪我がある程度治癒した頃。

 俺のリハビリ生活が始まった。今まで味わった事のない苦難の連続が延々と続く地獄の様な毎日の幕開けである。

 医者の指導方針で車椅子生活前提のリハビリだ。

 まずベットの上で訓練が始まり、入院生活で落ちた筋力を戻す為に増強を促す訓練、車椅子を操作する訓練、床上での起き上がりや寝返りの訓練。いざという時に自分で車椅子に移れるよう腕の力だけで体を移動させる訓練に移る。トランスファーというらしい。

 ここまでが予定されている訓練内容だが、俺は密かに次のステップアップまで狙っていた。

 狙っているのは歩行を補助する装備を付けて歩く訓練だ。

 医者から絶対に二度と歩けないと言われていても俺は挑戦する前に諦めたくなかった。何としてでも歩ける見込みがあると認めさせる。そう決意していた。

 文字通り地を這う様な生活が始まる。

 最初に足を地面に下ろして動いたのだが、全く言う事を聞かない自分の足に対して激しく動揺し、俺は軽く絶望を味わった。

 しかし、諦めるまでには至らない。

 俺には夢がある。希望がある。絶対に成さねばならない誓いがある。

 大学が本格的に始まり忙しい中、毎日来てくれる彼女の応援を背に受け、それを根性と活力に変え頑張った。少しずつハードルを高くしながら進む訓練課程に必ずやれると実感を感じながらこなす。

 壁は直ぐに訪れた。

 呼吸法や体力と筋力の規定値までの増加等まで進み、車椅子訓練を終えて、いよいよ床上訓練が始まったのだが上半身の力だけというのはきつ過ぎる。

 上半身を捻って寝返りを打ち、座ったままの状態で臀部を上げたり、腕の力だけで下半身を持ち上げるブッシュアップ練習。それを何度も何度も繰り返す。

 車椅子生活に困らないようになるまで毎日只管続ける。

 次にトランスファー訓練に移るまでに何度も止めたいと泣き言を親父だけに漏らしながらも頑張った。

 そして最後の訓練であるトランスファー訓練に移る。

 数々の訓練をこなし、腕を中心に上半身を鍛えた俺には難しい事ではなかった。

 それでも決して簡単ではなかったが。

 訓練課程を見事に消化した俺は担当医に気持ちを打ち明けた。

「どうしても自分の足で歩きたいんです」

 多少の障害が残ってもいい。補助器具が無ければ満足に真っ直ぐ歩けない状態でもいい。

 俺は車椅子で移動するんじゃなくて自分にある二本の足で歩いて移動したいと伝えた。

 先生は複雑そうに思案し

「正直に言って回復の見込みが少ない。訓練も更にきつくなるだろう……」

 それでもやるかい?

 その答えに俺は真っ直ぐ先生の瞳を見て首を縦に振った。


 経験した地獄が生温いと感じる程の壮絶な痛みと辛い日々が始まった。

 あらゆる可能性を考慮し、様々な治療法の経験を積み重ねていった。

 以前よりも泣き言を親父へと気が付いたら口にする回数が増えた。白髪が現れだした。

 それでもやる。

 心内だけれど彼女に誓った言葉を嘘にしない為にもやる。

 治療の効果が一向に表れず、疲労と苦痛だけが増していく。

 事故に遭ってから一年が過ぎ去った。

 車椅子は問題なく使えるので病院は一先ず退院し大学も一年送れて通ってながら通院している。

 歩ける予兆は見えない。

 それでも俺は諦めなかった。

 提案された新しい治療法を幾つか試す。

 何度か試す内に初めて俺の足に動きがあった。

 先生の見立てでもまた歩ける見込みが出てきた。家族全員と彼女で喜びを分かち合った。

 少しずつ、ほんの少しずつであるが補助器具を装備したままで移動する距離が増えていく。昨日は一歩。今日は一歩半。明日は二歩と。

 実感と共に歩ける喜びを味わい、俺は遂に遣り遂げる。

 補助器具ありであるが長時間普通に歩ける様になったのだ。担当医から奇跡の回復力だと言われた。

 気が付けば五年もの月日が流れていた。

 彼女は大学を卒業し、社会人一年目で今では立派な看護師になっていた。

 そして今日。

 俺は彼女に駅で待って貰っている。

 あの日のやり直しだ。

 他人には理解出来ないかもしれないし、この行動に意味はない。

 しかし、俺は思うのだ。

 事故に遭った日に俺が彼女を迎えに行けばあの日の続きが始まり、悪夢にも似た現実を真に受け止めて漸く前に進めるんじゃないかと。

 お袋に途中まで乗せて来て貰い、あの事故に遭った場所へと降り立つ。

 何時の間にか車から降りていたお袋が心配そうに此方を見ている。俺は安心させようと笑い掛けた。

 深呼吸してから前を見据える。信号機付きの十字路。電柱。何処にでもある風景が視界に入った。

 トラウマになっている風景に思わず吐きそうになるも無理矢理飲み込み、俺は赤から青に変わった歩行者信号機をしっかりと確認してから横縞に引かれた白線へ足を踏み出した。 

 

 それから二十分後。

「お待たせ」

 駅の外に出て寒さに震えながら待っていた彼女に後ろから声を掛けた。

 彼女は振り向き、俺を見て驚くような表情をしてから涙ぐみ抱き付いた。

 軽い衝撃だったが体の軸がぶれて倒れそうになるのを何とか踏ん張り、背中へ手を回す。

「遅いよ、バカ!」

 熱い雫が頬に流れる。俺も涙目になっていたのだが、彼女の言葉に耐え切れず溢れてしまったようだ。

 気持ちが溢れて消えてしまう前に俺は決意を込めて用意してきた言葉を伝える。彼女に告白した時と同じ真っ直ぐな言葉で

「理子好きだ。結婚してください」

 これが答えだとばかりに腕に力を込められた。

 あの事故から止っていた時間が静かに動き出した気がした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても読みやすい文体で、素敵だと思いました。 康弘、可愛いです。理子のために頑張っていて。止まっていた時間が動き出す、という表現も良いです。 リハビリの描写もしっかりしていると思いました。…
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