下調べ、リツのお仕事
『リツ!!本当に危ないことは、しちゃ駄目よ!?ああ、どうして。イリヤさんの依頼なら、危険には巻き込まれないと思ってたのに……』
「大丈夫だよ、リズ。今僕がするのは、滞在準備と簡単な調査だけだし。シキさんからの命令があるまで大きく動かないよ」
一般冒険者用というには幾分立派な宿の一室で、少年の独り言が響いていた。
独り言、誰が耳を澄ましてもそうとしか聞こえない一室の声は、けれど本人からすれば立派な会話である。
『シキはよく面倒事を引き寄せる。今回は、セントリアの治安維持活動か。結構なことだな』
「そんな言い方して。そんなシキさんのことが、オラトリオも好きなくせに」
『事件か~。また、何処かで私の出番があったらいいなぁ~。ねぇ、リツ。シキによろしく言っといてね』
「はいはい、名探偵シキさんが活躍される時にはエアの力がいるだろうから楽しみにしてたらいいんじゃないかな」
それは、この世界で片手で数える程も存在しない、植物と交信する能力をもった少年リツと、彼の家族とも言うべき植物との会話だ。
リツのお姉さん役を務める青く美しい花はリズ、リツの保護者であるシキが有する二株の万化の樹はエアとオラトリオ。
リツは彼らに、先のレインズ公邸でアルマに聞かされたセントリアの事件についての説明と、それを受けてのシキの決定について説明していたのだ。
「という訳で、当初の予定よりもセントリアに長居することになったから、ちょっと入用の物を買い込んでくるよ。ついでに、街の植物達に最近の街の様子について尋ねてくるから」
『リツ!本当に気をつけてねっ』
「分かってる。先に街周辺の森に調査に行ったナギには負けていられないからね。朗報を期待しててくれると嬉しいな」
その説明も間もなく終わり、自分が出来ることをすべく立ち上がる。街を侵食しつつある怪事を解決したいという思いと、けれどそれ以上にシキに褒めて貰いたいという期待を抱いて、リツは勇み足で二人用の宿泊部屋を飛び出していった。
耳を澄ませば、ドタドタと走るリツの足音と、そんな彼に驚く宿のボーイだろう若い男性の声が聞こえてくる。ここは馬車預かりを行っているやや格式高い宿屋なのだ、周りの客や従業員にリツが白い目を向けられていることは想像に難くなかった。
『大丈夫かしら……』
『そうそう心配ばかりをしてやるな、少し過保護だぞ。リツだって懸命にやっている、それより成功を望んでやった方が余程喜ぶだろう』
『シキがついてるし大丈夫だよ、リズ。それに、ナギだっていざとなったら頼りになるんだから』
仲良く並ぶ植物3鉢、心配と期待とを無い胸に秘めてリツを送り出す。
例え、植物と人間という大きな垣根があったとしても、彼らがリツに寄せる思いは、まごうことなき家族に向けるそれであった。
・・・
・・
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陽光の角度からして午後2時頃だろう、一日の最も暖かな時間帯に、人々の活気が騒がしい程に満ちていた。そんなセントリアの街のメインストリートの一角で、人々の集まる露店や商店には目もくれずに、路肩の街路樹のそばでただ一人佇んでいるのはリツである。
「そうですか、特に怪しい集団や人攫いの現場は見ていないと。ふ~む、では、そういうことが行われそうな場所があれば教えて欲しいのですが」
『人間の子。この街のメインストリートは治安良く維持されています。そういった、後ろ暗いことが行われるなら、東地区の下級民居住区画がまず思い浮かびます』
「有難う。今度足を運んでみます」
『いえいえ。また、気が向いた時にお話してください。こうして、人の子と会話できるというのも、中々に楽しいものです』
情報収集。自分が周りの人から怪しい人物と思われないように、木陰で涼むふりをしながら街に生える木々との会話を繰り返し、リツはこの街で起こっている変わった出来事について調べ回っていた。今もまた、一本の街路樹と話し終え、軽く頭を下げて別れを伝えると、次の聞き取りの相手を求めて足を踏み出す。
「うむ、東地区か。でも、あまり治安の悪いところに僕だけでいくのは問題だな。滞在備品の買い出しもあるし、今日のところは中央区でも聞き取りに留めておこうかな」
そう独り言を零して街を闊歩する姿は、このような事態に慣れたような雰囲気を纏っていた。
焦らず無理をしない。飛躍的な事態の進展に固執せず、僅かな情報でもこつこつと積み上げる。
荒事が苦手なリツへ与えられたシキの教え、今日もリツはそれをしっかり守り、自分で対処できる範囲での行動に留めているのだ。エアやオラトリオがリズのことを過保護だと断じるのも、リツにこの行動基準が身に付いていることを知っているからであった。
「今度は、セントリアのパレット周辺にでも行ってみようかな。確か、中央区の南側だったよね。さて、じゃあそっちに行く前にさっさと買い物を済ましちゃおうかな。シキさんが帰ってきた時に、まだ終わってなかったら不味いし」
逸る気持ちを抑え、リツは先にメインストリートでやるべき事に着手する。
あくまでシキから頼まれたのは滞在の準備なのだ。その本分を忘れない内に、食料を始めとした消耗品の買い集めに足を動かすことにしたのだった。
「えーと……、先に保存食を買うとして、後はブラウンの餌は宿屋にお願いすれば良いし、後は水と――」
買うものを選別し、買う順番を考慮し、時には値切り交渉を混じえながら、リツは買い物を進めていく。
旅の買い出しはいつもリツの仕事だ。1時間もしない内に全てを買い終え、両手一杯に抱えた荷物を宿屋の受付へと預けるところまで完璧に勤め上げていた。
「これを部屋に運んでおいてください、お願いします――ようし、これで心置きなく情報収集に打ち込めるぞ。リズに心配させないように、日没までとして後3時間。ナギだけには負けないようにしないとね」
残された時間を少しも無駄にしない為にもリツは、気持ち新たに駆け出していく。
「こんにちは―――」
『こんにちは―――』
「こんにちは―――」
『こん、にちは―――』
「こんにちは―――」
『……こんにちは―――』
予定通り、セントリアのパレット施設がある中央地区南部に向かいながら、途中途中で再び聞き取りを繰り返す。
リズ達のように精細な会話が可能な古き木々達から、拙い単語を伝えるのが精一杯な道端の草花まで。元気満々、張り切って脚を動かすリツは根気良く耳を傾けて、事件に繋がる細い糸を手繰り寄せようと奮起していた。
「まだまだ、やれる。シキさんから褒められる為に、頑張れリツ」
一つ、また一つ、と糸を引く。例え引いた糸が千切れても、繋がっていた先が事件とは全く関係の無いことだったとしても折れず、次へ次へと木々草花達との会話を重ねていく。
「ああっと、そろそろパレットか。ふぃ~、集中してると時間が過ぎるのが早い、早い」
そして集中すること暫く。
いつの間にか長く引き伸ばされたリツ自身の影の先に、これまた、いつの間にか近づいていたパレットが掛っていた。
リツは大きく伸びをして体の強張りを取ると、溜息と共に緊張を吐き出す。意識を切り替えて、一度これまで耳にした内容を整理して思考を巡らせることにしたのだ。
「ええ~と……やっぱり本命は東地区かな。この辺りはまだ不穏な噂も無いようだし。ちょっと今日はハズレな感じだけど、仕方ない。少し休憩してから宿に戻ろうかな」
本日の聞き取り調査に、どうやら重要な内容は含まれていなかったと結論付けたリツは、立ち並ぶ商店への客の為に配置された長椅子の一つに腰を下ろす。
歩き回って、訊きに回って、思考を回して。
三遍回って煙草にしょ、と言ったものか、念入りに聞き取りを続けたリツは少しばかり体を休めることにした。
「ふぅ……」
目を瞑り、全身を長椅子へと投げ出す。やや赤みを帯びてきた陽の光を瞼の上から受け、程よい暖かさに身を緩ませた。
「光合成……なんちゃって」
そうやって自然に溶かし込むように、周囲に自分を委ねる行為がリツは好きだった。こうして、今も口から冗談めいた言葉が出てきてしまう程には安らいでいる。
「スゥゥ……、ハァ……、スゥゥ……、ハァ……、ん?」
疲れた体を労わる様に深く呼吸を重ね、二酸化炭素――ではなく酸素を全身へと行き渡らせる最中、微かに耳を打つ何かにリツは気がついた。
『……!!!、……!!!』
視覚を閉じたことで反対に繊細さを増した聴覚が捉えるのは、小さな小さな植物の囁きだ。どこか興奮したように、言葉にならない心内を気配に乗せるその植物が居る場所を特定する為に、リツは更に耳を澄ます。
どうやら、声の発信源は直ぐ近く、それも地面の傍のようだ。リツは目を開き、改めて当りをつけていた声の方へと、視線を向けた。
『……メテ、ハジメテッ、アンナノ!!』
果たして、そこに生えていたのは、リツの寝転ぶ長椅子の脚に寄り添うように咲く、一輪の小さな花であった。
普段至って穏やかな筈の植物には似つかわしくない高揚をみせ、頻りに「ハジメテ」と繰り返す。明らかに異常な反応を示していた。
「どうしたの?そんなに慌てて」
『ニンゲン、コトバツタワルノ?コレモ、ハジメテッ!!』
「僕は君達植物と喋る力を持っていてね。それで、できればで良いんだけど、さっきから言ってるはじめてが、何の事なのか教えてくれないかな?」
『ソウソウッ!モノスゴイ、イリアステルヲカンジタノ』
「っ!!……おお~、それは凄い!」
イリステル。
飛び出たその単語に、リツは息を飲む。そして、今まで休んでいたことを忘れるように、相手の花と同じく気分を高揚させながら話に飛びついた。
『アンナノ、ハジメテ。スゴクコイ、ナノニヤワラカイ』
植物の王者たる万化の樹がイリアステルを取り込み変質させることが出来るように、植物という種全体がイリアステルに殊に敏感だ。世界を漂うイリアステルに揺られながら、そこに含められる波長のような個性を感じ取る。人間の五感のように、世界を識別する一項目として、植物はイリアステルを捉えているのだ。
「変わった人間や樹獣でも見たりしたのかな」
リツは今まで数多くの植物達と会話をしてきて気付いていた。そんな植物達が、特に、彩色士や樹獣のそれのような自らの意思で作り出されたイリアステルに強い興味を見せることに。
シキがリズ達にリツの保護者であるということや、自身を扱う主人であるということ以上に認められているのも、彼を彩色士として優秀と位置付ける強大なイリアステルがあったからだ。
そして、今、目の前の小花が見せる昂りは、かつて初めてシキと出会ったときに、森の植物達が見せた反応にそっくりなのだ。その時のことが一瞬頭を巡り、有用な情報を持ち帰れるかもしれないということ以上にリツを興奮させていた。
『ニンゲン、ノ、オンナノコ』
「女の子、というと、僕と同じかそれよりも下ってところかな。そんな年齢で、君をそれ程魅了するイリアステルを持ってるなんて、本当に驚異的だよ」
『ホント、スゴイ』
「その女の子を何時ぐらいに見たのかな」
『マダ、タイヨウガ、アノヤネニカカルクライ』
「一人だった?」
『ウン、ヒトリ。デモ、ウシロカラ、ミテルニンゲンハ、イタヨ』
「つけられてる? ……穏やかじゃないな。それじゃあ―――」
めり込むように、小花との会話に没頭していくリツ。
日没までに宿に戻ろうと考えていたことなどすっかり失念し、意図せず訪れたこの事態を幸運だと感謝しながら、貪欲に情報を引き出し続ける。
このことが、独り言を延々と呟く怪しい少年の目撃報告として、レインズ公を通じてシキの耳に入るのは、暫く後のことだった。