セントリアと新たな依頼
ちょっとした小ハプニングに彩りを与えられながら山を抜け、目的地のセントリアに無事到着した扶桑一家を乗せた馬車は、エントの街よりも高く大きい建造物に囲まれたその街を闊歩していた。
「おお~、賑やかですねぇ」
セントリアは王都ヘイヴンズールの衛星都市の一つであり、王都や他の衛星都市どうしを繋ぐ交通の要としての機能を有している街である。当然、様々な物資が集まる交易の要としての一面も持ち合わせ、今日も華やかな賑わいを見せていた。
「単純な都市の規模で言えばヘイヴンズールには敵わないが、それでも十分すぎる程豊かな街だ。多少、煩すぎることもあるが」
「シキ、シキ~。アトで、イチバにイコウ、イコウ!!」
馬車の窓に張り付くリツとナギを後ろ目にシキは馬車を進め、仕事の仕上げをすべくある屋敷向かっている。イリヤの思いを受け取る相手アルマが住み込みで働いている場所にして、セントリアを治めるレインズ公の住まいでもある大邸だ。
街の中心に鎮座しセントリア一立派と称えられる邸は非常に目立つ。最初に屋根の一部が見えてから、実際に門の前に到着するまでに30分以上の時間が必要なのだから、その規模の大きさは推して知るべし、だ。
「いや~、やっぱり大きい」
「デカイ、デカイ!!」
「リツ、ナギ、分かっていると思うがあまり失礼な態度は取ってくれるなよ。流石に、レインズ公を敵に回したくはないからな。今後、イリヤの依頼を受けることが出来なくなっては困る」
巨大な門と、その奥に続く広々とした庭園、そして更に奥に聳える立派な邸。ようやく全貌が見える位置まで近づいたところで、リツとナギはその余りにも大きさに感嘆の溜息を零した。何度も訪れたことのある場所とは言え、やはり圧倒されるものがあるようだ。
二人が大口を開けて呆気に取られている間にもシキはブラウンに歩みを止めさせ、御者台から降りて門番の方へと向かっていく。そのままいくつか言葉を交わし、書面にサインをした後に、待機所から新しく出てきた使用人風の男を引き連れてリツ達のところへ戻ってきた。
「二人共、降りろ。いくぞ」
シキは戻るなり二人を促す。
二人が馬車から降りたことを確認したところで、ついて来ていた男がシキからブラウンの手綱を受け取り、馬車を移動させ始めた。
「では、宜しく頼むぞ。ブラウンは頭が良い、そこまで手間はかかりはしない筈だ」
このレインズ公大邸では、何か用件があって来た人間に対して、馬車を預かる等接待を行っているのだ。その為だけに、特別に使用人を雇っていることから、力の入れ様が伺える。
加えて他に、書面への記帳と身分を証明するものの提示を義務に、庭園の一般市民への開放も行っている。その証拠に、門をくぐった先では、いくつかの家族が庭園散策に勤しんでいる姿がちらほらと目に入ってきた。
手厚いサービス、一般市民への還元。この対応の良さが、上級貴族の余裕と懐の深さといったところなのだろう。
しかしそんな贅の尽くされたレインズ公自慢の美しい庭園には、興味がないと言わんばかりにシキはどんどんと歩を進め、代わりに頭に乗るナギが楽しそうに周囲を見渡している。
「こんにちは、……こんにちは。あっ、こんにちは」
そして前を行く二人に引き離されないよう必死に注意しながら、リツが庭園を彩る草花に挨拶を交わしてしていた。
『こんにちは』 『こんにちは~』 『コンニチ、ハ』
行く先々で様々な植物の声を聞くことが、リツの大きな楽しみなのだ。
自分の投げかけた挨拶に応え、耳を擽ってくる囁きに満面の笑みをお返しして、広大な庭園を通り抜けていく。
仲が良いのか悪いのか、一見するとチグハグで周りの視線を集める3人はそれぞれ独特な歩調で遊歩道を渡り終え、庭園前の外門と比べても遜色ない本邸入口に差し掛かる。
再び、扉を守るように構える小屋の前で立ち止まり、在中する初老の取次人へと話しかけた。
「私は彩色士のシキフソウだ。後ろの少年と樹獣は私の供させている。この度はエントのイリヤ・スチュアートの依頼により、御レインズ公邸宅で従事されているアルマ・スチュアートに成人祝いの記憶を届けに参った。ついては、アルマ・スチュアートに取次をお願いしたいのだが、良いだろうか」
「これはこれは、フソウさん。お久しぶりですね、はい、直ぐにお取り次ぎしますよ。本日は、旦那様もいらっしゃいます。また、旅先でのお話や、過去の偉人の思想などお聞かせください。旦那様もシキさんのご来訪の際には是非お話をとおっしゃっておられです」
「私は、このアーケディアの国に名を轟かす大貴族であられるレインズ公と、親しく話ができる程教養のある人間ではないが、公がもしそう望むのならば謹んでお相手致す、とお伝え願えるか」
「はい、喜んで」
何度も交わされた定形文をまた繰り返し、取次人は品の良い歩き姿を以て邸の中へと消えていく。我らがシキも慣れたものなのか、中々堂の入った受け答えを返していた。緊張を感じさせないのは、単に本人の気性のせいなのかも知れないが。
ややあって、再び姿を現した取次人は笑顔で邸の扉を開き、やはり品の良いお辞儀をしながらシキ達を迎え入れる。
「さて、ではスチュアート様のもとへとご案内致します」
石造りの立派な廊下、これまた美しい中庭を超え、使用人達の住居となっている離れへとやってきた扶桑一家。やや粗野な身嗜みであることは否めないものの、途中すれ違う使用人にも丁寧に挨拶を交わし、ただの粗暴者でないことを示していく。
リツもナギもやればできる子、これもシキの教育の賜物か。
「こちらがスチュアート様が現在お使いになっております部屋に御座います。私は此処でお待ちしておりますから、どうぞイリヤ様の思いをお届けになってください。本人に話は通してあります」
「礼を言う。では、お言葉に甘えて、失礼させて貰うぞ―――アルマ・スチュアート、シキフソウだ」
軽くノックを4回繰り返し、挨拶と共に部屋へと入るシキ。一拍を置いてその半歩後ろにリツとナギとが並び、扶桑一家いつものフォーメーションを築き上げる。
「シキさん、この度はご足労頂きまして有難う御座います。また、祖母イリヤの依頼をお受け頂きましたことにつきましても、先ずはお礼を申し上げます。有難うございました」
それに恭しく頭を下げながら応えたのは若々しい青年だ。部屋の中心、礼儀作法の教科書の見本そのものの礼姿で出迎える青年。線の細い体つきをしているが、どこか芯の強さを感じさせるこの好青年こそが、件のアルマその人である。
「そう何度も、礼を言われることなどない。気にするな、いつものことだ」
「そうですよ、アルマさん。僕たちもイリヤの依頼が受けられて嬉しいんです。僕たちからもお礼を言わせてください。有難う御座います」
「コンカイのタビもオモシロイ、イリヤのハナシもオモシロカッた。ダカラアリガトウ、アルマ」
イリヤと同じく、知己の仲として親交の深いアルマは、返って来たリツ達からの言葉に照れくさそうに頭を掻きながらはにかんだ。
この、気を許した人間にのみ見せる、人を安心させる優しい笑みが、何より彼をイリヤの親族たらしめている。
「それに、礼を言うなら、せめてこれを受け取ってからにしてくれ」
「まぁ、もう礼はいらないが」と続ける間にも、シキは懐に大事にしまっていた万化の実を取り出し、アルマの右手へと差し出した。
「確かに届けたぞ、アルマ。これで、依頼は完遂。後はお前の望む時に開けばいい」
何か様々な思いが巡っているのだろうか。そっと手に握らされた、小さな外殻に文字通り目一杯の祝福と自身を案ずる記憶が込められた万化の実をアルマは暫く見つめ続ける。
「……はい。また、落ち着いてゆっくりと拝見させて頂きます。はははっ、婆様は相変わらず過保護だなぁ。こんな心配、両親もしてはくれない。―――けれど、いやだからか。やっぱり嬉しいですね、とても」
そして両手で愛おしそうに実を転がし、頬をやんわりと赤く染め上げた。
嬉しいやら、くすぐったいやら。成人したばかりの、完成されたというにはまだまだ若さが強く残る青年は、赤ら顔を誤魔化そうとせっかく上げた頭を下げる。そのまま、一度シキに釘を刺されたお礼攻勢を強行しようとしたところで、しかしリツの声に遮られた。
「アルマさん、最近の調子はどうですか?従者を勤めながら、貴族としての振る舞いを学び取るのも大変でしょう」
「ええっ!……ああ、うん。大変、だけど、期待されてるからね。それに、大変とは言っても嫌じゃないから」
脈絡もない虚を突く一言。しかしながら、そこはレインズ公に鍛えられている従者である。予想外の出来事にも何とか反応し答えを返していた。
「イヤじゃない、なんてスゴイなアルマ。キゾクのココロがまえは、ただメンドウ。レイギサホウなんて、クソくらえだ」
「ナギ……」
「っゴメンなさい!!」
「シキさん、嗜める必要はないですよ。……ナギさん、実際のところただ堅苦しいだけじゃないんです。礼儀作法、その行動をとるに至った経緯、歴史のことですね。それに精神性。そういった深堀をどんどんしていくと意外に楽しくて。案外、私にあっていたようなんです」
「ほぅ、どういったことが面白いのか、是非聞かせて貰おうか」
「はいっ、では早速なんですが……」
最初こそ僅かに取り乱した様子を見せたアルマも、リツ達に急かされて饒舌に話し始める。どうやら、世間話が好きなところも、イリヤと同じらしい。
あくまで品良く、けれどどうしても滲み出る少年らしさを隠しきれない姿は至極自然体で。この青年の息抜きにリツ達との会話は一役買っているようであった。
「例えば、私はフットマンと言われている役職についていまして、これは歴史的には対外的に見せつけるための職業のようなもので、恥ずかしながら美青年が雇われるのが本来だったりするんですが。実際の仕事としては力仕事が多くてですね―――」
そもそも何故、レインズ公の屋敷で何故彼が働いているのか。
それはとても簡単な話である。単にアルマが地方貴族の一員で、貴族としての勉強をするためにより上級の貴族の家で従者をしているというだけのことだ。
何を隠そう、今回のシキ達への仕事の依頼主であるイリヤは、地方貴族スチュアート家の出自なのである。
「単純な力仕事なんて、此処にくるまでにもともと沢山こなしていましたから。実は、他の使用人達から頼られていたりするんですよ。あいつ、顔だけで選ばれた訳じゃないぞって」
巷に出回っている物語を探せば、掃いて捨てる程に出てくるラブロマンス。
貴族の娘と変哲もない庶民の青年との恋、だからこそイリヤは駆け落ち同然で家を飛び出したのだ。 その話をシキ達は、今回の依頼での会話も含め繰り返し聞かされてきた。それに続く、物語ではある意味使い古されたような、しかし本当の話も含めて。
「凄いです、アルマさん。イリヤさんも喜びますね」
「はいっ。それに先ほどシキさん達をご案内しておりました、ヴァレットさんもそうですが。周りの皆さんが本当に良い人ばかりで」
「だろうな。此処の人材育成、教育体制は整っている。今残っている昔ながらの使用人たちは出来た人間ばかりだろう」
「最初、跡取りがいないことを理由にスチュアート本家に引き取られて、しかもいきなりレインズ公邸で礼儀を学んでこい、と言われた時はどうしようかと思いましたが、何とかやっていけそうです」
良くある後継者の断絶問題から転がり込んできた、アルマのスチュアート本家預かりの話は突然だったそうだ。
「ガンバッテルな、アルマは。カンシン、カンシン」
「有難う御座います、ナギさん」
イリヤが捨てた貴族の地位を取り戻せる、それを知ったアルマの両親が掛ける期待は、生半可なのもではない。それに本家の直系とは言え、一度家を捨てた人間の血縁者なのだ。アルマが今置かれている状況は非常に難しいものである。だが本人はそれを悟らせぬ明るさを持って頑張っているのだ。
「成程な。順調なようでなによりだ。また、イリヤに良い土産話ができた」
小説におこされるような波乱万丈な人生の中に居て、笑顔を振りまける強さを忘れないアルマは、それこそ主人公になり得る稀有な青年なのだろう。だからこそ、シキの興味の対象として、こうして会話を重ねることができている。そんなアルマにリツやナギが懐いているのも、当然のことであった。
「―――今度、私の方からも祖母へ手紙を送ってみます。まだちょっと、シキさんの万化の実の助けを借りるのは恥ずかしいですから、手紙でね」
朗らかという言葉がよく似合う、イリヤ邸での光景を彷彿とさせる談笑が続き、窓から差し込む陽光の角度が、一時間程の時間経過を伝えている。そして、軽快に口を動かしていたアルマの話が一段落したところで、呼吸音のみが空気を揺らす一瞬の静寂に場が満ちた。
使い通しだった喉を休ませるには心地よい寂寥感に身を委ねながら、面々は途中取次人のヴァレットが入れてくれていた紅茶に口を付け、ほっと一息つく。
「シキさん、私の話はこれ程にして……、少しお耳に入れておきたいことがあります」
平和な一日を謳歌している彼ら、しかしその和やかな空気に冷たい不穏を混じらせるが如く、低い声を上げたのは、今まで最も楽しげに語っていたアルマだった。
「最近、セントリアで出てきた噂、というより事件なのですが」
「噂?」
「はい。ここ最近、セントリアで行方不明者の報告が数名、そして、それと同時期に変わった幾何学模様が描かれた変わった衣を来た不審人物の目撃例が上がっています」
紡がれる内容は、今、セントリアの街に徐々に広まりつつある不吉の兆候である。レインズ公に仕える者の一人として、アルマはシキが訪れていると聞いたその時から、今回の事件について意見を求めようと決めていたのだ。それが、この瞬間の通り、場の雰囲気を壊すことが分かっていたとしても、である。
「行方不明者ですか?何やら物騒な話ですね」
「カンジワルイ」
「……面倒事、のようだな」
急に持ち込まれた話の内容に眉を顰める二人、そしてその横ではシキが右手を顎に添えて考えに耽っていた。団欒を崩壊させる話の転換に、けれど三人はアルマに話を止めさせようとはしない。
知恵の宝庫であるシキにとって、こうして依頼先で新たな問題を提示されることは希ではないのだ。身勝手な内容であれば、有無を言わさず断るのが常であるが、今のように真摯な瞳で意見を求められれば、耳を貸さないわけにいかなかった。
「はい、まだ、大事には発展しておりませんので、公の諜報機関を動かすには理由が足りませんが、嫌な予感がするんです。主レインズ公がシキさんとの話を望んでおられますのも、そのことと関係があると思います。」
「ただの噂では収まらぬ何かがある、なら……、俺はレインズ公のところへ行ったほうが良さそうだな」
急激に冷え、アルマの部屋は柔らかな一時を完全に忘れ去っていた。けれど、それを名残惜しむこともなく鋭い視線を巡らしたシキは、立ち上がると同時に左手で自身の髪をかき揚げる。
行動の開始を告げる合図だ。
「公の話を聞き、俺の方でも少し調べてみよう。アルマ、何か分かったら伝える。リツ、ナギ、お前たちは街へ行き、滞在の準備を整えておけ。―――ヴァレット殿はおられるか、至急レインズ公への取次をお願いしたい」
何より真っ直ぐに努力を重ねるアルマの、言外の頼みを聞き入れることに決めたシキの行動は早い。直ぐ様、半歩後ろに控えるリツとナギに指示を出し、自身もレインズ公に会うべく、ヴァレットを呼び出していた。
「分かりました、シキさん」
「リョウカイ!!」
リツもナギも、シキに続いて予想外の出来事にもまるで動じず、軽やかに身を躍らせる。この二人についても、旅先で巻き込まれるトラブル、ハプニングもすっかり慣れたもののようだ。
「有難う御座います。私にも協力できることがあれば是非おっしゃってください」
アルマのお礼の言葉を背中に受けながら部屋を出て行く彼らの姿には、エントの街のパレットでも優秀と評価される片鱗が見え隠れしている。
これでこの事件は解決に向かう、そう見送るアルマに安心感を与えながら、彼らは行く。
聞く人にとっては大きな、彼らにとっては茶飯を彩る一出来事かのような騒動が、開戦の火蓋を切ったのだった。