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山越え ―お騒がせナギ―


 あれから、丸一日。フソウ一家を乗せた馬車は、深山の中を進んでいた。

 途中の道のりも、馬車の車輪が石を踏みつけた際に、リツがリズを手から滑り落としそうになったり、凍喰狐を探そうと屋根上に昇っていたナギが墜落したりした以外は問題なく消化し、今はちょうど山の頂の部分に差し掛かっている。


「此処までくれば半分は走破だな。このまま順調に進めることができれば、明日の昼頃には山を抜けられる」


 涼しげな森の空気の中、自然の息吹が今にも聞こえてきそうな山道に、手綱を握る凛々しい姿を晒しているのはシキだ。


「そうすれば、セントリアまで目と鼻の先ですね」


 そして、実際に植物という自然の声を聞くことができるリツが、シキの言葉に返事をする。


「ムゥ、マダ、ジュジュウにアエてナイ……」


 最後に、その大自然の頂点に君臨する高位の樹獣であるナギが、文句一言ブゥたれていた。

 扶桑一家は旅中でも平和そのものである。


「後一刻もすれば、日が落ちる。今日はそこで夜を明かす準備をするぞ」


 時間を重ね、だんだんと暗さを増していく険しい悪路は、普通の人間にはまるで地獄の入口のようにも映ることだろう。静か過ぎて不気味、風の音さえも恐怖を煽る。


「はい、じゃあ時間が近くなったら準備を始めますね」


 しかし、ちょっぴり。いや、かなり変わった家族である扶桑さん家の皆にとって、それは自分の家の庭の延長上にでもあるかのように、動揺を誘われるものでも何でもない。

 反対に、人里離れた自然の中という今の状況を、遊びにでも来ているように楽しんでいた。


 ウキウキワクワクと気分が高ぶっていれば、時間の流れは驚く程に速い。

 気づけば、シキが予想した一刻という時間は、もう目の前に迫っていた。


「オナカスイタ~。シーキ、ゴハンがタベたい」


 そして、暗闇に支配された寂寥感溢れる情景を崩すように、気の抜けた言葉が響く。

 その中心に居るのは、両手でお腹を抑え、愛らしく首を傾げるナギであった。


「……はぁ、仕方がない。もう日没だ、この辺りで野営と行こうか」


 偉そうな物言いとは似つかない、マスコット街道を爆進する幼樹獣の我が儘を通す形でシキが折れ、ブラウンは力強く地を蹴っていた足を止める。直ぐに荷台から、野営道具を下ろし、設営に取り掛かった。

 シキが力仕事をこなし、リツが頭を下げながら草を分け小枝を広い、ナギが火を起こす。

 三者三様の働きで、準備は粗つなく終了し、扶桑一家はナギの待ちに待った夕食の時を迎えていた。

 湯気立ち上るシキお手製のオニオンスープに舌鼓を打つ人間二人と樹獣一匹。馬車馬ブラウンは干し草と野菜を、植物リズ、エア、オラトリオは山中の泉で汲んだ清涼な湧水を与えられ、それぞれが食事を満喫している。


「ふぃ~、ウマイ。ウマ~イ」


 当然、一番喜んでいるのはナギだ。お腹を膨らませ、更にマスコット模様に磨きをかけたナギが、四肢を振ってはしゃいでいる。

 暖かな薪の炎に照らし出される食事姿、その一家団欒の最たる光景はもう少しの時間続きそうである。


「……ん?」


 ―――続く筈、だったその団欒の時間は、しかし予想外に早く幕を降ろすこととなった。

 一家を預かるシキが急に警戒を強めたからだ。

 一瞬の内に張り詰めた警戒心が、電気が走るように空気を振動させ、警鐘を打って鳴らしている。


「アッ、トウジキツネだァ~!!チカイ、チカイぞッ」


 リツが息を飲んで緊張感を高め、ブラウンが馬蹄を振り上げて奮起したところで、またもやナギが気を抜けた声を上げた。

 ナギが喜ぶのはシキの警戒の先、すぐ近くの茂みから僅かに顔を出す凍喰狐を見つけたからだ。

 ふよふよと長い体をくねらせ、喜色を軽妙な動きで表現しながら、ナギはゆっくりと抜き足差し足ミッションを開始する。


「……不可解だな。山頂付近は凍喰狐の生活区からずれている筈だ。更に自身より遥かに格上のナギまでいるというのに、こんな近くまで何故……さて、どうしたものか」


「凍喰狐、久しぶりに見た……」


「オッ!?コイツ、ニゲナイぞ!!」


 シキが興味と警戒心を擽られ、リツが呆気に取られている隙に、ナギは目標に向かって着実な進行を続けていた。お相手の凍喰狐も、高位の樹獣を目の前に忘我の事態に陥っているのか、全く微動だにしない。


「オイ、オイ~。オマエ、ニゲナイなんて、ミドコロアルヤツだ」


 それをいいことに、ナギが更に距離を詰めることに成功し、ミッションコンプリートまで、後一歩といったところまで迫っていた。

 闇夜に美しく光を返す白い樹獣が、蒼く暗闇に溶け込む樹獣に身を摺り寄せる。

 傍から見れば、芸術的とも受け取れる光景であるが、ナギの纏うほんわか空気のおかげで、実際はどこか珍妙な雰囲気が漂っている。


「セッカクのデアイ、ボクのコブンにしてやっても―――アレ?」


 そして、最後の一歩を踏み出し、いよいよその小さな手を伸ばしたところで、今度はナギまでもが首を傾げて固まった。

 まるでお見合いをするぬいぐるみのように、動きを完全に忘れ去ってしまった樹獣二匹。

 草木が風に揺られていなければ、時間が止まってしまったのかと勘違されても仕方のないだろう光景が展開されている。


「どうした、ナギ」


 そこへ、どうせナギに危険は無いだろうからと、物思いにふけりつつ見守っていたシキが声を上げ、固まる二匹の下へと足を踏み出した。


「シキ、シキ~。コイツヘン。ドコもミテないみたい」


 頭上から降り注いだ声に、いち早く時間の流れに復帰したぬいぐるみの片割れが、困惑に揺れる瞳で何より頼れる声主を見上げる。

 さっきまでの陽気な態度は何処へやら、喋るにつれどんどんと沈んでいく声色と視線が、念願叶って出会えた樹獣が自分ではなくただ虚空を見つめていることに受けたショックを、これでもかと周りに伝えていた。


「待て、少し調べる」


 気落ちしたナギを拾い上げて頭の上に乗せ、固まったままの凍喰狐の診察を始めるシキ。

 ナギを気遣い片手は添えたまま、けれど細められた眼は鋭く、ギラギラと威圧的とも言える光を放っている。

 観察、考察、思案、診断。

 シキの頭の回転は、常人のそれとはまるで異なった速さと工程で行われる。

 アーカイブ、今まで溜め込んできた膨大な記憶の中から、知識を探り行われる収斂。偉人超人と呼ばれた人間が一生をかけて手に入れた経験をも、幾多持つ道具の一つとして利用し、正解を自分の元へと引きずり寄せるのだ。


「……反応が薄い。意識が無いのか、―――よし」


 時間にして、1分と少し。

 生きた人物伝記図書館シキは、その思考に区切りが着いたのか独り言と共に軽く頷く。そして、ナギに添えていた手を一撫でしてから離し、おもむろに両手を広げた。


「ッ!!?」


 瞬間、空気を弾く甲高い音が静けさを割いて響き渡った。シキが両手を叩き合わせたのだ。

 すると、どうだろう。今まで自我を欠如させた瞳を虚空に向けていた凍喰狐が、ひきつけを起こすように飛び上がり、目まぐるしく周囲を見渡し始める。

 今まで時間を止めていた瞳を、今度は激しく彷徨わせながら、ただただ慌てふためく凍喰狐。

 それを面白がって、ナギがシキの頭から降りたところで、ようやくその目線が固定された。正面へ突然舞い降りた白い樹獣へと、しっかりと意識が向けられている。

 ひと呼吸の沈黙が流れ、そして。


「キュッ!!?、キュイ!!!!???」


 次の刹那には全速力で逃げ出していた。

 脱兎の如く、という表現がよく似合う見事な全力疾走だった。


「シキさん、これは一体」


「人で言う睡眠時遊行症に似た状態だったようだ。全く、人騒がせな奴だ。しかし、残念だったな、ナギ。やはり凍喰狐程度では、お前に近づいて対話するには役者不足だったようだ」


 目の前で演じられたいきなりの逃亡劇に、ナギは目を丸くしてまたもや固まる。既に夜の山に紛れて消えてしまった凍喰狐を呆然と眼で追い続け、そして最後にはポテッと柔らかな音を立てて倒れ込んだ。


「ソ……ソンなぁあ~!!」


 思わず零れたナギの叫びは、無残にも木の葉を寂しく揺らすのみだ。

 膨らんで、萎んで、また膨らんで、やっぱり萎んで。

 気まぐれな風船のような期待感に振り回されたナギは、四肢を投げ出して力なく地面に横たわっている。


「アァ~、ウゥ~」


 暫くは、目を瞑ってだんまりとしていたが、ついには人語を止めて呻き声を漏らし始めた。

 拗ねるでもなく、不貞腐れるでもなく、項垂れる。どうやら、ショックで行動する気力が出ないらしい。


「ナギ、なんて可哀想に。でも、普段自分のことを高位だ、高位だと、自慢してるんだから、当然受け入れるべき結果だよね」


「……ムゥ~」


 リツの軽口にも、いつものように言い返すこともなく唸るのみ。手も足もどころか、言葉さえも出ないようだ。

 その異様な様子にリツも調子が狂ったのか、追口撃を加えることもできず、気不味そうに頬を掻いている。

 夜風が冷たい。急に寒さを思い出した扶桑一家を包むのは、何とも言えない山の静寂だ。

 そんな微妙な空気の中、不意にナギの目の前に差し出されたものがあった。

 熱の万化の実によって温みを取り戻した食べかけのスープだ。


「???」


 ナギがぐったりとした頭を持ち上げると、自分自身も再びスープを手に取り夕食を再開するシキの姿が目に写りこんでくる。ただ木製のスプーンを口とスープの間で行き来させ、視線だけをナギの方へとくれていた。


「……シキ」


 言外に込められた“普段通りに戻れ”という意を受け取り、体を引きずってスープに口をつけるナギ。それにつられるように、リツも食事を再開した。

 もくもくと続けられる食事の続きは、当初の団欒とは異なっている。


「……ズズッ、オイシ、イ」


 しかし、改めて美味しい料理を舌で味わいお腹を満たしていく内に、くたびれていたナギの表情に喜色が戻ってきた。スープの湯気に当てられて、周囲の様相も暖かさが増してきているようだ。


「オイシイ、ヤッパリオイシイ!!オカワリッ、オカワリ!!」


「焦るな、直ぐによそってやる」


 そして最後には、すっかり気分を良くして、元気におかわりまで要求している。凍喰狐が現れる前のはしゃいだ姿へとすっかり戻っていた。

 全く、単純且つ現金な樹獣なのであった。


「ああ~、シキさん!!僕も、僕もおかわりを所望しますっ」

 

 リツも調子を取り戻し、おかわり戦争へと参戦する。

 元通りの家族団欒、その中心で笑顔振りまくナギのお騒がせ事件はこうして幕を降ろしたのだった。




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