扶桑四季のお仕事 ―イリヤ邸にて―
『久しぶりにシキとお仕事。楽しみ、楽しみ』
ゆらりゆらりと揺れる馬車の中、荷台に置かれた鉢植えから、嬉しそうな囁きが零れている。それも一つではなく、小さな、微かな囁きが幾重にも重なり、早朝の小鳥たちにも勝る楽しそうな合唱を紡ぎ出していた。
『……1カ月と少しぶり、か。良い旅になれば幸甚だな』
『依頼主は、イリヤさんみたいよ。危険が少なそうで何よりだわ。リツが怪我なんてしたら大変だもの』
溌剌とした少女のような、落ち着いた青年のような、大人びた女性のような、三者三様の囁き。けれど、それは人間には決して聞くことのできない囁きだ。
「こらっ、リズ。僕はそう簡単に怪我なんてへまは犯さないよ。ちょっと、過保護過ぎるんじゃないかな、最近」
だというのに、その囁きの重なりに割って入る人間がいる。
「エアもオラトリオも、もちろん僕やナギだって今回の仕事を楽しみにしてるんだから、あんまり茶々入れるんだったら、花屋に預けていっちゃってもいいんだぞ」
正体は、世界に片手で数える程もいない、植物と会話する能力を持った人間であるリツ。彼は、絵本に描き込まれた妖精の談笑のような、触れることのできないからこその美しさを纏ったリズ達の会話に問答無用で言葉を差し込んでいく。
『はいはい。御免ね、リツ。……だから、私の鉢に手を伸ばすのは止めなさいね?』
『はははっ!相変わらず、リツとリズは仲が良いね。ああ~、私もシキとお喋りできたらよかったのになぁ』
『エア、無いものねだりは非生産的だな。だが、その意見は最もだ』
そんなリツの言葉に、鉢に植えられた3つの植物達は親しみを以て返事を返していた。
元々リツと一緒に居たくて大森海からついてきたリズ、シキが有する万化の樹であるエアとオラトリオは、リツのことを家族のように信頼しているのだ。
「もう、エアもオラトリオも、あんまり笑わないでよ」
『まぁ、私とリツの仲が良いのは、このコミュニケーションの賜物よね。貴方たちもシキと仲良くなりたいのなら、会話はできないにしろ、シキの思念の乗ったイリアステルをしっかりと感じて仕事で応えなさい』
植物同士の談笑という絵本の中の一場面にリツという人間が加わり、また新た談笑が続いていく。
植物の中に人間一人。ある意味不躾とも思えるリツ姿は、実際には何の違和感を感じさせることなく植物たちと溶け込んでいる。人間と植物が友愛をもって戯れている光景は、絵本を通り越して神話中の出来事のような、不思議と誰もが目を向けてしまう魅力を演出していた。
「随分と楽しそうに話をしているな、リツ。だが、そろそろ切り上げる頃合だ。もう直ぐイリヤの家に着く」
「ボクとしては、もっとハナしてクレててもヨカッタケドね。そのアイダ、ボクがシキをヒトリジメ」
神話の物語が進行して暫く、今度それに割って入ったのは、フソウ一家の大黒柱たるシキだ。続いて、シキに便乗する形でナギも会話へと入ってくる。
「はいっ、シキさん。お喋りはそろそろ止めにしときます。……ナギはもう少し遠慮を覚えると良いと思うよ」
『あらら、楽しいお喋りは、もう終わり?仕方がないわね。シキさんには聞こえないけれど、リツの気を散らせることにもなるし、私たちも静かにしときましょうか。ねぇ、エア、オラトリオ。』
その瞬間、リツは背筋をピンと伸ばして肯定を返し、会話に花を咲かせていた周りの植物たちはそっと無い口を閉じた。紡がれていた神話は幕を閉じ、現実へと引き戻される。
たった一言に皆が従う。やはり、この一家におけるシキの影響力は絶対なのだ。
「では、シキさん。仕事をどう進めるのかお話しましょうか」
「シキはイママデ、ボクとおシャベリしてたんだぞ。リツは、シズカにシててホシイ」
「ナギは、今までずっとシキさんと話してたんなら十分でしょ。ここからは僕の番。それに、ナギに仕事のことなんて難しい話はできないんだから」
「ナニ、ワケのワカラナイコトをイッテルんだカ」
「ナギこそ、ね」
気づけば、そのシキを巡って、リツ対ナギのいつもの喧嘩が勃発していた。仕事中であるというのに、全く以て普段と変わらない光景を見せつける二人である。
「もう着くと言っているだろうに。あまり、騒がしくするな、リツ、ナギ」
一瞬にしてシュンとする二人。
そうしている間にも馬車馬はせっせと歩を進め、目的地へとフソウ一家を運び終えていた。場所はエントの一般居住区画の片隅、依頼主イリヤの住宅前だ。
馬車馬は馬車を家の玄関に寄せると小さく嘶き、軽快に地面を踏みつけ蹄を鳴らす。その姿は、先ずは自らの最初の仕事をやり遂げたことを誇るようでもあり、また、いつまでもグチグチとくだらない言い争いを続けているリツとナギを「おいおい、お前らもしっかりしろよ」と、窘めているようでもあった。
「さて、着いたか。降りるぞ、……ここからは仕事だ、シャンとしろ。二人共」
シキ達は馬車を改めて通行の邪魔にならない端に寄せ、馬車馬を一撫でする。そして木造の一階建て、やや古さは感じさせるがしっかりとした造りの、庶民の家の代名詞とも言えるイリヤ邸の前に立った。
嬉しそうに再び嘶く馬車馬の鳴き声を背中に、シキは躊躇いなく扉を叩く。その脇では、今から始まる仕事に高揚感と、一抹の緊張を隠せないリツとナギがお供のように寄り添っていた。
「は~い、誰ですかな~?」
「イリヤ、フソウシキだ。パレットから依頼を受けに来たぞ」
扉向こうから聞こえる声に、シキは慣れた様子で、聞き取り易いはっきりした声で名乗りを返す。
「あら~、シキさんですか。いつも有難うございます。さぁ、どうぞお入りくださいな」
コツコツと小さく杖を突く音が聞こえてから十数秒、扉を開きながらシキ達を出迎えたのは、仕事相手に見せるような態度ではなく、知己の客人を迎えるような温和な笑を浮かべている老婆だ。
身嗜みに気を遣っていることが良くわかる、小奇麗に纏めた服と、それに映えるウェーブがかった見事な白髪を揺らし、老婆イリヤはシキ達を自宅へと招き入れる。
「イリヤさん、ご無沙汰してます。こうして、依頼を受けるのは2ヶ月ぶりですね」
「はい~、リツちゃんもお久しぶりですねぇ。お元気にしてましたか」
「イリヤ、イリヤ。アイカワラズ、コシがマガッてる。クのジだ、クのジ」
「はいはい、ナギちゃんもお久しぶり」
リツ、ナギもイリヤの歓待を素直に受け止め、親しげな笑を返した。仲睦まじい祖母と孫(+ペット)を思わせるそのやりとりは、彼らがただの彩色士と依頼主との関係ではないことを如実に物語っている。
「また、アルマへ記憶の手紙を送りたいのだと聞いている。節句の挨拶か、近況報告か。どちらにしろ、毎回ご苦労なことだな」
それもその筈、イリヤはシキへの依頼人としては、長く続いている常連の一人なのだ。
信頼関係に重きを置く彩色士にとって、常連となった依頼主と親交を深めることは決して珍しいことではない。このシキにしても、いやシキは普通の彩色士以上に依頼主との関係性を重要視し、こうして気の置けない間柄を築いているのである。
「そうだ、イリヤ。新しく、リウマチに聞く薬を調合した。この間手に入れた、120年ほど前に名を馳せた名医の記憶にあったものだが、どうやら、人の免疫というものを抑制することで効果を及ぼすものらしい。人体実験というわけではないが、試してみろ」
「それはそれは、有難うございます~。有り難く、使わせて頂きますよ。シキさんのお薬は、本当によく効くものばかりですからねぇ」
「世辞はいい。ただの借り物、俺の功績ではない。過去の偉人に感謝するんだな」
それから、仕事の緊張感をまるで感じさせない世間話という名の交流が続いていく。
いたってマイペースなシキと、高揚感を隠せないリツとナギ、そして客人に喜ぶイリヤは、和やかな雰囲気の中に、言葉を重ねていく。
時にイリヤが悩みを呈し、シキが知恵を貸し、リツが盛り上げる。時にイリヤの思い出話にシキが興味を示し、ナギがかき回す。団欒と言って申し分ない光景が繰り広げられていた。
「……おっと、もういい時間だな。イリヤ、そろそろ依頼の話といこうか」
交流が続くこと暫時、昼飯時も目前という場面で、シキが遂に今日の訪問の目的たる依頼の話題に触れた。
「そうですね、是非そうしましょう!!今日はその為に来たんですから」
「シゴト、ガンバル!!シキ、ハヤくハナシをススメよう」
そこに旅に出たくてウズウズしていたリツとナギが前のめりに乗っかる。互いに頷き合い、絶妙に息のあった掛け合いでシキを促す二人は、何だかんだ仲が良いのだ。
「はい~、そうですねぇ。シキさん達との会話が楽しく、すっかり話し込んでしまいましたねぇ」
爛々と輝かせた目を真っ直ぐに向けてくる二人に、イリヤはパンッと両手を合わせ、一度区切りをつける。それは、二人にとって、待ちに待った瞬間が訪れたことを意味していた。
「では、お話しましょうか。今回孫が晴れて成人を迎えましてねぇ。是非、激励の記憶を送りたいと思いまして―――」
そうして優しくはにかみながら、嬉しそうに語り始める。
後ろに控えていたシキも脚を組み、リラックスした様子でイリヤの言葉に耳を傾けていた。ただ、リツやナギと違うのは、既に馬車から持ち込んでいたエアを視界の隅に収め、彩色士として自らの能力を発現させる準備を整えていることだろう。柔らかな周囲の雰囲気にはそぐわない、恐ろしいまでの集中力を覗かせる鋭い光を、静かに瞳に漲らせていた。
「孫は本当によく出来た子で―――、本当に、旦那様との駆け落ちで、家から逃げるも同然に出てきた私とは、全然違うんですよぉ。ああ、当然、旦那様と結ばれたことに、後悔はしてませんよぉ?」
ところどころ脱線を繰り返しながら、シキ達にとっては何度も聞いた話も繰り返しながら、纏まりのない、けれどどこか心地よい孫の自慢話をイリヤは紡いでいく。
それを聞く三人もただ相槌と合いの手を返すのみ。
話を自然と促され、先程まで続けていた談笑よりも饒舌に口を動かすイリヤの姿は正に独壇場であった。
「―――という訳で、私は孫におめでとうという言葉を送りたいのですよ」
うららかな、よく晴れた日の午前から午後と移り変わるお昼時。
「でもですねぇ、シキさんも知っての通り、私のこの体にもすっかりガタが来てしまいましてねぇ。こうして、また、代わりに記憶を運んで欲しいのです」
こうして、仕事というには平和すぎる時間の中にイリヤは語り終える。
あたたかな余韻を残す周囲の空気に浸るリツとナギに、満足そうな笑みを浮かべるイリヤ。そして―――
「良い話を聞かせてもらった。……では、始めさせて貰おうか」
片手にエアの鉢植えを取っておもむろに立ち上がるシキ。
記憶を司る万化の樹と彩色士の能力の行使が遂に幕を開けたのだ。
シキは軽く首を捻って小気味良い音を鳴らすと、それを合図に体中から己の内に眠るイリアステルを放出し、大気に紛れる僅かなイリアステルと同化させていく。
『ようやく私の出番!!さぁ、やるよぉ~』
リツだけの耳に入る小さな囁きを、けれどその場にいた誰もが聞こえたように、鉢植えに堂々と生える万化の樹に視線を寄せた。
そして、皆の注目を集めるエアは、周りに充満するイリアステルをその身へと溜め込み始める。
『うん、イリヤは優しいね。本当に本心からアルマのことを思ってる』
イリヤの話を思い出しながら、それをイリアステルに馴染ませて放出するシキに、受け取ったイリアステルから必要な記憶を拾い上げつなぎ合わせていくエア。一人と一鉢が、万化の実へと籠めるのは、優しいイリヤの心内だ。
――記憶とは、思いの残滓の集まりだ。
強く感情の篭った思いの残滓は人々の心に収まるに留まらず、周囲のイリアステルに溶けて大気を漂う。
そうして出来た、たくさんの人々の、たくさんの思いの断片を幾重にも重ねた分厚い波のような、しかし繊細でふわふわとした大気のイリアステルの中から、必要な記憶を拾い上げ、思いを紡ぐ。
最後に紡いだ思いを練り上げて、実という形に作って籠める。それがシキとエアの能力なのだ。
「頼むぞ、エア」
言葉とともに周囲に放出させていたイリステルを止め、シキは右手をエアへと添える。エアを優しく撫でながら、今度は、直接イリアステルを流し込み始めた。
『来たよ、来たぁ~!!』
シキのイリアステルを存分に吸い上げ、仕上げの時とエアが張り切る。
途端に枝先から小さな実が生みだされ、瞬く間にその身を大きく成長させていった。
無から有を作り出すような、
真っ白のキャンバスに絵の具を走らせ何かを描き込むような、
そんな、芸術性と神性を感じさせる光景が今まさに繰り広げられている。
「本当に、いつ見ても凄いや……」
「キレイ、だなぁ」
それを傍らで見守るお供二人、リツとナギはただうっとりと溜息をつく。
シキに付いて、これまで何度も経験した、見慣れた光景である筈なのに、だと言うのに感動が溢れ出てくる。人々にとって常識的な光景である筈なのに、奇跡だと思えて仕方がない。せり上がってくる感情のままに、感嘆の呟きを零すことがやっとだったのだ。
「……ふむ、完成だな。今日も今日とて上手くいったようだ」
誰もが息を呑む感動の嵐の中、それを切り裂くように言葉を発したのは、やはりシキだった。口の端を僅かに上げ、直径3 cmの硬い外殻に包まれた万化の実を掌で転がしながら、ゆっくりと周りを見渡していく。
「……有難いことです、本当に。こうして、私の記憶が実を結ぶ、何度見ても素晴らしいですねぇ」
幻想的な一幕を見せつけられ、この場において最も感動で打ち震えていただろうイリヤが、シキの視線を受けて、思わず手を合わせていた。感謝を通り越して、信心に溢れた敬虔な宗徒のようなその姿に、リツとナギも仕切りに頷き、同調している。
「そう、いつも拝んでくれるな。俺はただイリアステルを垂れ流しただけだ。過剰な感謝は背中が痒くなる」
柔らかく表情を崩しての、照れ隠し。
これもイリヤとの仕事ではお馴染にとなっている光景だ。扶桑四季教は本日も平常運転中である。
『私とシキの合作は完璧!!もっと褒めて、もっと崇めて~』
「……せっかくの良い場面なんだよ?僕にしか聞こえないとは言え、少しは空気を読んで黙ってようよ、エア」
コソコソと行われるこのやりとりを含めて、全く以て平常運転である。
それから感動の余韻に浸ること数分、客室の壁に掛けてある振り子時計が正午を告げる鐘を鳴らしたところで、シキが口を開いた。それは、この温かなイリヤ邸での会合を終える出立の合図だ。
「では、俺たちはもう行く。街を出るなら早いほうが都合が良いからな」
「そうですかぁ。残念ですけど、アルマによろしくお願い致します。では、これが今回の報酬です。シキさん達を信用していますから、先にお渡ししておきますよ」
突然の出立の言葉にイリヤは心底名残惜しそうな顔を向けながらも、既にエアを小脇に抱え、リツ達に指示を出しているシキを決して引き止めようとはしない。目の前の青年が、自分の行動を邪魔されることを何よりも嫌うことを知っているからだ。
強く聡明で、優しいのに、子供のような身勝手さを持ち合わせる目の前の青年と、彼を敬愛してやまない少年と高位の樹獣の幸せそうな家族模様。
その一端を共有できているだけでこんなにも楽しいのだ。もっともっと、と強引に割って入って雰囲気を壊す必要もないとイリヤは思う。
「今日は良いお話をお聞かせ頂きまして有難うございました。シキさんの久しぶりの仕事の感動をイリヤさんと分かち合えて良かったです」
「バイバイ。またな、イリヤ」
「はい、リツちゃんもナギちゃんもお元気で。また依頼をお願いしますから、次に会える日を楽しみにしていますよ」
次の機会は1ヶ月先か、2ヶ月先か。それとももっと先なのか。
「あぁ。また次の依頼の時にな。それまでに、今日に渡した薬が効いて少しでも体が楽になってくれていると幸甚だ」
その時にまた、この変わったフソウ一家の団欒に加えて貰えたらどんなに楽しいだろうかと、早くも今後のことを想像しながら、イリヤは杖をつき、シキ達を見送りに出る。
我が家の玄関で繰り広げられている日常劇、そして、先ほど話していたアルマへの思いを胸に収めて、やはり、家族というのはとても良いものなのだと、温かい気分に包まれながら、イリヤはシキ達が見えなくなるまで手を振り続けた。