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扶桑一家の朝


『リツ、起きて。早く起きないと、シキさんに怒られるよ?』


 いつかと同じように、少年に語りかけるのは、いつかとは違う、窓辺の鉢植えに植えられた空の青さをその身に写す一輪の花だった。


「……う、う~ん……まだ、眠い、よ」


 そして、青く可憐な花からの呼びかけに応える少年は、いつかと比べ、その姿を大きく成長させていた。

 歳は15,6程であろうか。ベッドの中で寝返りを打つ身体は、同世代の人間と比べやや小柄なものの、若者らしい瑞々しさに満ちている。


『ほらっ、早く、早く!!』


「……むぅ~ぅ、あ~あ」


 肩に掛らない程度の、黒の内に僅かな藍を映す独特な色をした髪は乱れ、真黒な瞳を携える目の端には涙の粒を浮かべている。そんな不格好な寝起きの姿にも、中性的な魅力を覗かせながら、リツと呼ばれた少年はベッドから起きあがった。


「あ、ふぅ……。あ~、本当にいい時間だなぁ。いつも有難う、リズ」


 大きく背伸びをするリツは、安心し切った笑顔を青い花に向けている。10を数える歳になるまでの、シキという男に拾われるまでの間は、森の植物たちがリツの家族だった。木々に囲まれ、家族として肯定されてきた経験は、こうして人間の街に住むようになってからも、リツにとても朗らかで、自然な態度を植物たちへと向けさせている。


『どう致しまして。でも、お礼を言ってる暇があったら、直ぐに着替えて下に言った方がいいわよ。さっき一度シキさんが起こしに来てから10分ぐらい経ってるもの』


 まずいっ、と焦りながら、急いで着替えを始めるリツはまさしく、世話やきの姉に起こされた弟そのものだ。

 着替えが終わった途端、行ってくる!!と乱れた髪もそのままに寝室から飛び出す、不出来な弟を見つめつつ青い花は思う。6年前、初めて遭遇したリツ以外の人間、シキ。彼がリツを連れて行くといった時に、無理やりに付いてきて良かったと。

 やっぱり、リツに私がいなきゃ駄目だな、と無い首を折って心の中で頷く青い花は、朝日の燦然とした輝きを纏って、とても誇らしげに見えた。





「シキさん、お早う御座います!!」


「早くはないな。反対に、遅い。リツ、おかげでせっかくの朝食が冷めてしまった」


「ホント、ホント。まぁ、ボクはもう、タベちゃったケド」


 滑り込むように、居間に飛び込んで来たリツを迎えたのは、一人の青年と、一匹の幼獣。


「シキさん御免なさい。ナギはちょっとぐらい待っててくれたっていいじゃないか。シキさんは、こうして箸を付けずに待っててくれてるのに……」


 一睨みするように、視線だけをリツに向けるのは、シキと呼ばれた青年だ。20代も半ばといった完成された体躯は、優しさよりも厳しさが表に立つ。やや短めの黒髪を後ろに流し、細くつり上がり気味の黒眼は、厳しさの原因のとなっている鋭さを備えていた。

 対して、満腹のお腹を撫でつけながら踏ん反り返っている幼獣は、ナギ。鱗族の王たる龍を連想させる長く洗練された姿態を、雪のような白色を下地に淡い桃色と薄い水色の体毛が美しく彩り、幼い仕草が愛らしさを一層に際立たせている。そして何より、特徴的なものは頭上より角の如く突き出た二本の樹の枝であろう。己の身に樹を宿し従えているその姿こそが、ナギが樹獣と呼び称されているものの一体であることを如実に物語っている。


「まぁ、いい。早く座って朝食を取れ。俺もそうしよう。そろそろ、空腹が響いてきたところだ」


「す、すいません……ずいぶんとお待たせしてしまったみたいで」


 小柄な体を更に縮みこませて、席に着くリツ。そこへ投げ掛けられるのは、心の底からそう思っているのだろう自然体のナギから発せられる天然の挑発だ。


「オナカがスクのは、シカタがナイ。シキもボクみたいに、ガマンしナイでタベればヨカッタのに」


「ナギッ!!おまえも高位の樹獣の一体なら、シキさんを見習ったらどうなんだよ。そんな風に食い意地をはって!威厳も何もあったもんじゃないよ」


「リツはバカだ。こうしてヒトとハナせてる。ソレだけでジュウブン、ボクはコウイ」


 傍目から見れば微笑ましい、本人たちからすればいたって真面目な言い争いを繰り広げる一人と一匹に厳しさを増した視線をくれながら、シキは二人を戒めに入る。ふぅ、と溜息とも聞こえる空気の塊を吐き出すシキの顔には、これが常日頃から繰り返されている光景であることがはっきりと描かれていた。


「リツ、早く食べろといった筈だぞ。ナギ、俺は食事前だ、あまり暴れて埃を立たせるな」


「は、はい、シキさん・・・・・・すみません」


「・・・・・・ゴメンなさい、シキ」


 金属を打ったように鋭く響くシキの声に、一人と一匹は直ぐに言い争いを止め押し黙る。全く同じ仕草で、肩を落としてシュンと小さくなる二人にとって、シキは絶対の権限を持った保護者なのだ。

 そんな小さくなった二人を気にすることもなく、シキは懐から胡桃に似た硬い外殻に覆われた樹の実のようなものを二つ取りだしながら、言葉を続けた。


「今日のスープは我ながらいい出来だった。そして、暖かい方が間違いなく旨い。リツも使うといい」


 突き刺さる視線は伏せられ、ぶっきらぼうなのに、けれど暖かく聞こえる声でシキは朝食の続きを促す。言外に示された許しの意味に、沈んでいた空気が緩んだ。

 途端、顔に笑の花を咲かせる二人。そう。リツとナギの二人にとって、シキは厳しい保護者である以上に、敬愛してやまない憧れの先にいる人なのだ。


「有難うございますシキさん。熱の万化の実ですね、頂戴します」


 さっきまで、戒められて沈んでいたことなど完全に忘れて、両手を差し出したリツの先では既に、シキが熱の万化の実と呼ばれた二つの樹の実の片方をスープへと落としている。

 瞬間、ジュッという小さな音が鳴り、冷め切っていたスープから湯気が立ち昇った。

 シキは暖かさを取り戻したスープにゆっくりと口をつけ、求めていた味を取り戻していることを確認すると、改めて残った片方の樹の実をリツへと差し出す。


 ―万化の実―


 その名の通り、万化の樹になる実のことを指す。

 数多存在している植物たちの頂点にして、万物の素たるイリアステルをありとあらゆる形へと創り変える変換機でもある万化の樹。世界中に満ち、全ての無機物、生物に関係なく宿っているイリアステルを溜め込み、それを樹の遺伝子に刻み示された、ある一つの固有形へと創り変える。変換されたイリアステルが取る姿は水、岩石など有形のものから、熱、衝撃といったエネルギーそのものまで、まさしく万化という称号が相応しい。そして、その変換後の結果が詰め込まれているのが万化の実だ。

 人類の文明技術の礎。唯一現存する魔法。

 様々な呼び名を持つそれの一つが、今リツが受け取った樹の実だ。シキがやってみせたように、硬い殻の内側に熱量へと形を変えたイリアステルが詰め込まれている。


「リツはズルイ。ボクがタベルトキには、シキはナニもクレなかった」


 口を尖らせながら、リツにだけ渡された万化の実を羨ましそうに見つめている。どうやら、自分が先に作りたての暖かなスープを食べきってしまっている事は、忘却の彼方に置いてきてしまっているらしい。


「ナギ、お前は先に食べ終えてしまっているだろうが、あまり文句を言うな。万化の実も只じゃない」


 早速そのことを咎められ、再び意気消沈するナギに、万化の実を自身のスープに落としたリツが、勝ち誇った態度で追い討ちをかけた。


「ほら見ろ、シキさんに注意された。ナギ、我が儘ばっかり言ってる名ばかり高位種はこれだから・・・・・・」


「黙ってたべろ、リツ。そもそもお前がもっと早く起きていればこんな面倒事は起きなかった」


「は、はいっ!・・・・・・何度もすいません、シキさん」


「許す。が、さっさと食べろ。ナギも食事中はおとなしくしてくれると助かる。今日の俺は、静かに朝食を取りたい気分なんだ」


 穏やかな笑顔の中で過ぎ去るが至高とされる朝食の時間は、結局その日、ぎこちない沈黙の下に幕を下ろした。

 しかし、いつもマイペースを崩さないシキと、その一挙手一投足に振り回されるようにコロコロ表情を変える一人と一匹、そして、彼ら3人を取り巻く植物たちで構成されている扶桑フソウ一家の一日は、まだ、始まったばかりである。









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