97 合流
九十七
「朝だよー、起きてー、おーきーてー」
それは水底に響いてくるかのような、淡い声。だがその声は徐々に大きく、そして近くなっていき、いよいよミラの意識まで届く。
「ぬぅ……なんじゃ」
精霊助けのために寝るのが遅くなったミラは、目を開きつつもまだ寝ぼけた様子で布団に包まる。
「もー、ほら! 日も昇ったし、早速出発しよう!」
そんなミラとは正反対に朝から元気なサソリは、そう急かすようにミラの身体を揺さぶった。
「騒々しいのぅ」
静かに寝ていられずむくりと起き上がったミラは、ワゴン内に掛けられた和モダンなデザインの時計を睨むように見つめる。
確認したところ、現在の時刻は六時を少し過ぎたあたりのようだ。
視線を窓に向ければ外は既に夜明けを迎えており、湖の水面がちらちらと朝日でハレーションを起こしたように輝いていた。
その眩しさに目を細めたミラは、しかめっ面で目元を手の甲でこする。
「うーむ……。早いのぅ」
そう呟いて再びミラが横になれば、サソリは「起きてー。飛ばしてー」と再度揺さぶり懇願する。
サソリが必死に起こそうとするのにも訳がある。ミラがガルーダを召喚しなければ動けないからだ。
「分かった、分かった」
目的地まではまだ距離がある。なのでこのままではゆっくり眠れないが、移動中ならばまだ眠れるだろうと考えたミラは布団から這い出て立ち上がった。
「どうだ、嬢ちゃんは起きたか?」
丁度その時、そう言ってアーロンが顔を覗かせる。
「あー……すまん」
そして直後、アーロンは失敗したと天を仰ぐ。その目で、ミラの白い素肌と扇情的な黒の下着を余すとこなく捉えてしまったからだ。
そんなアーロンの顔に向けて、サソリが座布団をぶん投げる。甘んじて直撃をもらったアーロンは、仰け反るようにしてワゴンから顔を引っ込めた。
そんなちょっとした騒動を経てから朝の支度を済ませた四人は、改めて幻影回廊を目指し飛び立っていく。
ガルーダのお陰もあり順調に目的地に近づいていく一行。そうして飛び続けること数時間。突如ガルーダが声をあげた。
「ぬ、何事じゃ?」
その声で目を覚ましたミラは立ち上がり、サソリ達の間を縫って御者台側の扉を開ける。上空でありながらも外はガルーダの力により風は穏やかで、遠くまで見晴らせた。
「あれは、どういう事じゃ」
その光景の先、進行方向の正面には、天高く雲まで貫き聳える巨大な竜巻があった。
相変わらず穏やかな陽光が降り注ぐ中、その一点だけに終末が訪れたかのような嵐が居座っている。それは明らかに自然現象ではなかった。
「どうした?」
そう言ってミラの頭の上からアーロンが顔を覗かせる。そして「なんだありゃあ」と同じような感想を述べる。
「なにあれー」
「不可解」
アーロンに続き顔を出したサソリとヘビも大して変わらぬ言葉をもらした。というより、それ以外の言葉が出ないほどに、それは圧倒的な光景だった。
「ってかおい。あの場所は幻影回廊じゃねえか?」
眼下にはどこまでも緑溢れる草原が広がっている。そしてきらめく清流が、それを分かつように流れており、辿れば遠く伸びる白い山脈が目に入った。アーロンは、それらの地形を確認したあと竜巻の根元あたりを見てそう口にする。
「ぬ……。確かにそうじゃ。見覚えがあるのぅ」
同じように周囲を見回したミラは、山脈と竜巻の位置を見比べて同意した。
見れば竜巻は幻影回廊の入り口どころか、その周辺すべてを覆うように渦巻いている。それは一目で容易に近づけないと分かるほどの規模と勢いがあり、幻影回廊は完全に封鎖されていると言ってもいい状態であった。
「それって、まずいんじゃないのかな」
サソリは真っ直ぐ竜巻を見据えて表情を曇らせる。
精霊王を狙うキメラクローゼンが居るであろうそこに入れないとなれば、これは一大事だ。しかも自然発生ではなく作為的な意図が見え隠れするその竜巻は、キメラクローゼンの手による人払いであると容易に考えられる。
影で蠢いていた連中が、これだけ目立つ事を仕出かしたとなれば、表に出る事もいとわないという意思の表れだろう。
急ぐ必要がある。前方に広がる光景を前に、誰もがそう感じていた。
「ガルーダには風を操る力があると聞いたが、どうにかならないのか?」
頭上で悠々と翼を羽ばたかせるガルーダを見上げたアーロン。確かにガルーダにはその力がある。ゆえにワゴンは風で揺れる事もなく快適なのだが、ミラは竜巻の規模を確認しながら首を横に振った。
「確かにそうじゃが、限度があるのぅ。あれだけのものとなると御しきれんじゃろうな」
小規模な自然発生の竜巻ならば可能性もある。だが人為的に生み出され発生源の特定も出来ない災害級の竜巻は、流石のミラもお手上げだった。
「あ! ミラちゃん。あの川の、ぐにゃって曲がってるあたりに下ろして」
何かを見つけたのだろうか、ミラの隣から顔を覗かせ陸地の様子を見回していたサソリは、川の畔を指差してそう声を上げた。
「ふむ、分かった」
サソリが示す場所を確認したミラは、ガルーダに降下の指示を出す。
徐々に高度を下げていくガルーダは、草原と川面を激しく波立たせながらワゴンを着陸させる。
それと同時にサソリはワゴンから飛び出して、腰から抜いた短刀を真っ直ぐ地面に突き刺した。そしてその柄に黄色い布を巻きつけてから、目の前の森に向かって両手を上げたあと、右手だけを下げるという動作を行った。
「何の儀式じゃ?」
ガルーダを送還してからワゴンを降りたミラは、そのサソリの不可解な行動に眉根をひそめ、ヘビに問いかける。
「あれは、仲間への合図。こちらに危険はない。直接会って話したい、という意味」
どうやらそれはヒドゥン同士での符丁のようなものらしい。説明したあと、ヘビもまた森に向けて何かの合図を送る。今のはどういう意味かとミラが問えば『二人は仲間』という意味であるとヘビは答えた。
「あの森のあたりにお主らの仲間がいるという事じゃな?」
合図も見えなければ意味がない。つまり、正面の森にヒドゥンのメンバーが潜んでいるのだろう。だが見たところ緑溢れる木々の合間に人の姿はなく、仙術技能の<生体感知>も範囲外のようで、ミラはまったく気配を捉えられなかった。
「多分、場所から考えて、幻影回廊に派遣されたメンバー」
「なるほどのぅ」
幻影回廊担当のヒドゥンに話を聞ければ、今がどういう状況なのか分かるかもしれない。という事だろう。
背後では川のせせらぎ、正面は風にざわめく葉擦れの音、そして上空からは鳶のような鳥の声。ただただ長閑な自然の中に立ち、ミラは遠くで荒れ狂う竜巻に目を向けた。
すると不意に森の木陰が揺れる。それは明らかに風の仕業ではなく、注意深く見てみれば、そこから人影が飛び出す。
その者は、まるで地を這うようにミラ達に迫り、サソリの前で立ち止まった。
「とんでもない登場の仕方だな。サソリ」
空からやってきたワゴンを見つめながらそう言った男は、どこか表情に疲労を滲ませていた。
「やっぱりクモ君だ!」
サソリはその男の事をクモと呼んだ。どうやら彼がヒドゥンの一人のようだ。迷彩色のコートを羽織ったクモは、短髪で体格も良く実に軍人らしい顔つきをしていた。
「そっちは……ヘビか。残りの二人は誰なんだ?」
ミラ達に視線を向けて一見したクモは、そう言ってミラとアーロンを交互に見直す。明らかに戦士だと分かる男。そして一目で怪物レベルだと分かるガルーダを召喚した術士であろう少女をだ。
「今回の作戦メンバーだよ。おっきいのがアーロンさん。ちっちゃいのがミラちゃん」
くるりと振り返り二人の傍に寄ってから、サソリはかなり大雑把に、だが自信満々に紹介する。
「アーロンだ。よろしくな」
「ミラじゃ」
アーロンが眼光鋭くクモを観察するかのように見つめて余裕の笑みを浮かべれば、ミラは大胆不敵に微笑んでふんぞり返る。
「なかなか、濃いメンバーだな」
経験に裏打ちされた猛者の気配を纏うアーロンと、見た目にそぐわぬ圧倒的な術を操るミラの二人を、クモはそう称して笑い飛ばした。
「って、ミラっていうと捕縛一号の件の協力者と同じ名前だが……。もしかして本人か?」
ミラとアーロン。二人の名前を記憶に刻んだクモは、ふと元から記憶していた名前とミラの名前が一致する事に気づき声を上げる。
時に獲物である精霊すら捨ててまで、逃走する事を第一としていたキメラクローゼン。だがある日、その一人が協力者の手助けにより捕縛された。
捕縛一号とは、初めて捕らえられたキメラクローゼンの事であり、五十鈴連盟が一気に攻勢に出る好機となる要因となったものである。
その協力者であるミラの名は、五十鈴連盟全体に伝わっているようだ。
「うん、そうだよ」
サソリが頷き答えれば、クモは感心したようにミラを見つめ、そして「なるほど」と小さく呟く。可愛らしく非常に整った容姿でありながら、ガルーダのような怪物を召喚するのだ。それならば油断する事もあり得そうだとクモは納得した。
「というか、確か本部からの報告では天秤の城塞に向かったって聞いてたんだが……。なんでここにいる? 場所間違えた、なんて言わないよな」
「その事なんだけどね、色々あって」
そう前置きしてから、サソリは天秤の城塞であった事を話して聞かせた。
「なるほどな。それでここにか」
サソリから経緯を聞き終えたクモは、今一度四人を見回してから得心したように呟く。
「そういう事。で、今度はこっちが質問。アレなに!?」
まくし立てるようにそう言って、サソリは森の奥の巨大竜巻を指差す。
「あー、あれなー……」
心底疲れきった表情を浮かべながら竜巻に目を向けたクモは、一つため息をついてから、森に向かって手を振った。
数秒後、木陰から音もなく修験者のような衣装を纏った女性が姿を現す。
「はいはい、説明すればいいのね」
どうやら話は聞こえていたようで、その女性はクモと同じように疲労困憊といった様子でそう言うと、竜巻について説明した。
その竜巻は、チームがこの場に到着した頃には既にあったのだという。
そしてミラ達の予想通り、自然現象ではなく人工的なものであるらしい。だが発生源は調査の甲斐もなく、未だに特定出来ていない。
クモのチームは到着してから今まで、あらゆる手段を用いて進入を試みたが、どれも失敗。サソリが詳しくその方法を訊けば、確かに現状で実行出来るであろう、あらゆる手段であった。
出来る事といえば、もうキメラクローゼンのメンバーの出入りを監視するくらいしかないようだ。
だが、そもそも人が誰も近づかないため、結果、チーム全員で途方に暮れていたらしい。
「ふーむ。どの道ここにいても仕方がないじゃろう。一先ず近くで見てみぬか?」
八方塞で悩む面々にミラはそう声をかけてから、返事も待たずに歩き出す。
「そうだね。そうしよっか」
新たに四人が加わった事で打つ手が見つかるかもしれない。それを確認するためにも、まずは近くまで行って状況を目で見て把握する事が重要だろう。そう考えたサソリが頷きあとに続けば「まあ、そうだな」とアーロンも踏み出していく。
ヘビはといえば、既にミラの斜め後ろにくっついていた。
そんな四人の様子から、何となく力関係を垣間見たクモ達は、黙って四人を追いかけるのだった。




