94 礼拝堂の戦い
九十四
それは唐突だった。ミラの足が領域に進入したと同時、黒い霧は瞬く間に膨張して礼拝堂の床を覆いつくしていったのだ。
「ぬ……これはどういう事じゃ?」
そして変化はもう一つ。黒騎士と白騎士が霧に触れた途端、まるで腐敗したかのように崩れ落ちた。
「その霧は、精霊を蝕む呪いです。召喚した武具精霊も例外ではないのかもしれません」
そう天井側から声が降ってくる。
精霊を蝕む呪い。これがあるため静寂の精霊であるワーズランベールと水の精霊であるアンルティーネは近づく事が出来ず、聖剣に宿る友を助けられなかった。
どうやらその呪いは、術によって召喚された精霊にまで影響を及ぼすようだ。
少々不貞腐れたように骸骨を睨むミラ。このまま戦闘開始となれば、接近戦は免れない。聖剣の威力がどれほどのものか判明していない今は、極力避けたい事態だ。
だが、骸骨が動く気配はなかった。警戒は最大になったが、どうやらまだ射程外のようである。
それを確認したミラは、改めて自分の周囲に召喚地点を定める。黒い呪いの霧の影響で精霊系の召喚術は使えない。ミラはそれを考慮し、今の状況に一番あった者達を召喚する事にした。
【召喚術:ガルム】
【召喚術:アルラウネ】
【召喚術:ポポットワイズ】
三種三様の魔法陣が展開し輝いて、そこから頼もしい仲間達が姿を現す。
渦巻く炎の中から、のそりと進み出た狼が傍らで立ち止まれば、続いて空で弾けた光の中から小さな梟が舞い降りて、ミラの肩に留まる。それと同時に鬱蒼とした緑が広がり、礼拝堂の床と壁を藪のように覆いつくしていった。
狼のガルムは三メートルほどの体長で毛並みは黒く、尻尾はミラの腕よりも太い。
ガルムは敵であろう骸骨をじっくりと見据えたあと、ちらりと主であるミラに振り向いた。そして懐かしい主の姿に満足してから正面に視線を戻し、直後、また振り向く。魔力の性質、そして気配は変わらないが、容姿がまったくの別人であったからだ。
「ご主人、可愛い。イメチェン?」
少女のようなその声は、ミラの耳元から発せられた。隣では同意するようにガルムがしきりに頷いている。
声の主は小さな梟、ポポットワイズだ。賢いポポットという異名を持ち、ケット・シーと同じく言葉を話す、数少ない下級召喚獣である。
「まあ、そのようなものじゃ。というより、よくそんな俗な言葉を知っておるな」
「言葉、いっぱい勉強したの。魔法もいっぱい覚えたの。偉い?」
そう言って大きな目をぱちくりさせながら、小首を左右に傾げるポポットワイズ。
「ほぅ。そうかそうかお利口さんじゃのぅ!」
その余りの可愛らしさを前にして、ミラは孫を褒めるかの如くポポットワイズを胸に抱えて頭を撫で回す。
嬉しそうに目を細め喉を鳴らすポポット。それを羨ましそうに見ていたガルムは、誇示するように尻尾をぴんと立てて、そこから轟々と炎を噴き上がらせた。
急に生じた紅蓮の光と強烈な熱気に顔を向けたミラは、激しく燃え上がる炎の更に上、天井付近で炙られてわたわたしている精霊二人を目にする。
「これこれガルム。そう逸るでないっ」
張り切るガルムを慌てて宥めたミラは、水の膜の中でほっとため息をついている二人を確認して胸を撫で下ろす。
ガルムはといえば、しょんぼりとうな垂れ、子犬のように小さく鳴いた。
「しかし、今のは凄かったのぅ。お主も頑張っておったようじゃな。偉いぞ」
止めはしたものの先程のそれは見覚えの無い技であり、ミラは若干興奮気味にそう言ってガルムの鼻先を優しく撫でる。するとガルムは、努力を認められた事を大いに喜んだ。それは、ぶんぶんと振られた尻尾が逞しい風切り音を響かせるほどにだ。
と、その時だ。一本の蔓がミラに絡みつくように伸びてきて間に割り込む。その先端には、頭に花を咲かせた人形のような姿のアルラウネが居た。
「元気そうじゃのぅ」とミラが声をかければ、アルラウネは頭の花を摺り寄せて甘い香りをいっぱいに溢れさせた。
アルラウネの感情は、香りとして表れる。嗅覚の再現が出来なかったゲーム時代では分からなかった事だが現実となった今、それははっきりとミラに伝わった。
(甘い香りは、確か親愛じゃったか。なんとも……美味そうな香りじゃな……)
召喚可能な者達についての知識には精通しているミラは、アルラウネのあれこれを思い出しながら、その甘い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
そうして久しぶりの顔合わせに誰もが喜び懐かしむ。その上では、突然和気藹々となった雰囲気に困惑する精霊二人の姿があった。
「さて、お主等にとっては久々となるじゃろうが、この組み合わせを覚えておるか」
ミラがそう聞けば、ガルムとアルラウネはこくりと頷き、ポポットワイズが「お化け退治なのー」と答える。ミラの体感してきた時間と違い、ガルム達にとっては三十年来の再会だ。当時の連携を覚えているかどうか気になったミラであったが三体の様子から、どうやら問題はなさそうだと判断する。
「では、いつもどおりゆくぞい」
ミラがそう口にすると、その言葉を合図にして三体の気配が明らかに変化した。
ガルムは正面に向き直り姿勢を低く構え、地鳴りのような唸り声をあげ骸骨を睨む。
周囲の緑に紛れ込んだアルラウネは、無数の蔓を礼拝堂中に張り巡らせていく。
そしてポポットワイズはミラの肩から飛び立ち、蔓の一本に留まると翼を広げたまま、ぎょろりと骸骨を一瞥した。
その謂れからか不死系には滅法強いガルムを前衛とし、アルラウネが戦場を死者の怨念が及ばぬ植物の生命力で満たす。そして夜の暗闇、つまり黄泉を狩場とするポポットワイズが戦況を逐一把握し呪詛に備え、遊撃する。
それはダンブルフ時代に編み出された、対不死系閉所専用の布陣だった。
各員が配置に付いた事を知らせるポポットワイズの声が響く。それを合図にミラが号令を出し、ガルムが先陣を切った。
ガルムは一足で骸骨に肉薄し、その鋭い爪を振るう。だがそれは、鈍く重い音を立てて止まる。いや、止められた。骸骨が掲げる聖剣から薄らと光の膜が現れ、風を切り迫る爪を完全に防いでいたのだ。
それでもガルムは構う事無く、低く唸り声をあげて腕に力を込めた。ちりちりと、まるでガラスが軋むような音を立てるが膜には傷一つ入らない。
すると骸骨がケタケタと笑った。それは聖剣の力に酔いしれているような、愉悦に満ちた声だ。
事実、それだけの力を聖剣は秘めていた。だがそこに慢心が生まれる。
直後、ガルムの背を駆け上がり、ミラが宙に飛んだ。そしてひらりと身を翻し、【仙術・天:錬衝】を放つ。
荒れ狂う衝撃波の渦は、光の膜の効果が及ばぬ骸骨の直上より更に後方から迫り、防御を抜けて直撃した。
全身を巡る強烈な衝撃に体勢を崩した骸骨は、唐突に叫び強引に聖剣を振り抜いてガルムの爪を弾き、大きく飛び退く。
その瞬間、がくりと骸骨の動きが宙で止まる。原因は、長く伸びた蔓だった。蔓が、骸骨を地に引きずり落とさんと足に絡み付いていたのだ。
それを一睨みした骸骨は、忌々しそうに唸り声を発し聖剣で蔓を切り落とす。それは反射にも近い、迅速な判断であった。
しかし、その僅かな時間が十分な隙となる。一足で骸骨の目と鼻の先にまで詰め寄ったガルムが、地を抉り大きく跳ね上げるように爪を走らせた。
光の膜で防ごうにも聖剣は慣性に従い大きく軌跡を描く途中であり、骸骨にその一撃を防ぐ手段はなかった。
硬質な衝撃音が鳴り響く。強烈な膂力で繰り出された爪は、的確に骸骨を抉り、更に高く打ち上げる。
立て直そうともがく骸骨だが、踏ん張りの利かない中空では体勢を整える事が出来ず、ただ木の葉のように踊るだけだった。
ミラはそれを上空で迎える。そして<空闊歩>で軽やかに宙を駆けて回り込み、その手を骸骨の後頭部に添えた。
【仙術・地:紅蓮一握】
ミラの魔力が収束し、術となって発現する。
爆音と赤い閃光が瞬く間に膨れ上がり礼拝堂を震わせれば、吹き飛ばされた骸骨が激しく床に叩きつけられ、鈍い音を響かせた。
『フレイム・バラージ!』
すると間髪入れずに、無数の炎弾が骸骨の落下地点に撃ち込まれ激しく火の粉を散らす。それはポポットワイズの魔法による追撃だった。
「ふむ。随分と頑丈じゃのぅ」
敵を挟むようにしてガルムの向かい側に降り立ったミラは、骸骨の姿を目にしてぼやく。回避も防御も出来ない程の連撃。どれもが、中級の敵ならば一発で消し飛ぶだけの威力があった。
だが骸骨は、それを受けたにもかかわらず五体満足のまま、なんの支障もなく起き上がったのだ。
想像以上の強者である。しかし、それを見つめるミラの口元には、僅かに笑みが浮かんでいた。
後方にミラ、前方にガルム、そして頭上にはポポットワイズ。骸骨はぐるりと首を巡らせてそれを確認すると、そのまま正面のガルムに向かって駆け出す。
ほぼ同時にガルムも地を蹴り飛び出し瞬く間に距離を詰め、鋭くその爪でなぎ払った。
骸骨は聖剣を側面にかざして、光の膜でそれを受け止めつつ、その身を更に滑り込ませ、勢いそのままにガルムの胴を蹴り上げる。
その鋭い蹴りは、猛烈な威力を持ってガルムを宙に舞い上げた。骸骨はそれを見据えたまま聖剣を両手で握り、力強く一歩を踏み込む。
先ほどとは逆に今度はガルムの腹部が、がら空きとなる。
そこへ吸い込まれるように聖剣の切っ先が突き出されたその瞬間、骸骨の両腕がぴたりと静止する。
アルラウネの蔓が両腕に絡みついたのだ。しかし、身体は骨だけでありながら強靭な膂力でもって、骸骨はそれをあっという間に引き千切ってしまった。
だが、そのほんの少しの時間がガルムを救い、今度は絶好の機会をミラ達に与えた。
『ストーン・バラージ!』
骸骨が動きを止めたのは一秒にも満たない、些細な瞬間だった。だが、それを見越していたかのように、ポポットワイズが無数の石礫を放つ。
礫とはいえ、弾丸の如き速度で飛来するそれは、ただの矢よりも遥かに脅威であろう。骸骨もそう判断したのか即座に聖剣を掲げる。
絶え間なく光の膜を打ち続ける石礫は、まるで土石流のような轟音を響かせて、小さな足音を掻き消した。
骸骨がそれに気づいたのは、暖かく小さな吐息を背に感じてからだ。
しかしもう遅い。骸骨の背後に立ったミラは、にやりと口端を吊り上げて骸骨の頭部に手を添えた。
【仙術・地:紫電一握】
術の発動と同時、目も眩むような紫の閃光が走り、破裂音が耳をつんざく。それは正に落雷のようであった。光は一瞬で消えたが、轟音は礼拝堂の中で長く反響する。
それは、莫大な電気エネルギーによる破壊を目的とした術であり、威力と迫力は、梁に避難していたアンルティーネが涙目になるほどだ。
そしてこの術、威力もさることながら、〈紅蓮一握〉〈烈衝一握〉とは違う特徴があった。
吹き飛ばし効果の有無だ。ゆえに今ミラの掌は、まだ骸骨の頭に触れたままとなっていた。
即座に次の攻撃に繋げられるというのが利点ではあるが、それは裏を返せば、反撃も受けやすいという欠点にもなる。
案の定、骸骨は聖剣を振り上げつつ、即座に身を反転させる。その動作に遅れはなく、微塵の損傷も感じさせないものだった。
しかし、その刃が振り下ろされる直前、雄叫びと共に飛び込んできたガルムの牙が骸骨を捕らえた。そして噛み千切らんとばかりに骸骨を振り回し叩きつけ、牙を深く食い込ませていく。
骸骨は、万力のように締め付ける顎から逃れようと聖剣を振り回して激しい抵抗を見せる。しかしガルムは、獰猛にして勇敢に牙を突きたて続けた。
ぎりぎりと骨の軋む音に、ふと小さく亀裂の入る音が混じる。その瞬間、骸骨は恨めしそうに絶叫して、頭上高く聖剣を掲げた。
すると、中空に無数の光の剣が出現する。そして、太陽の光を凝縮したかのように峻烈な輝きを放つ光剣は、骸骨が聖剣を振るうと同時に激しく降り注いだ。
「ぬぬ? これは、固有技じゃろうか」
その場から素早く飛び退いたミラは、その光景を観察するように眺めて興味深げに呟く。
固有技。それは武器専用の特殊な技の事である。聖剣や魔剣といった名のある武器にはたいてい付加されており、時として武器自体の性能よりも重視される要素だ。
そして目の前で繰り広げられる流星の如き光の雨は、武器専用であると証明するかのように骸骨の持つ聖剣に呼応して降っていた。
ガルムは、嵐のように荒れ狂う光の剣に貫かれる。そして、その強烈な衝撃によってガルムの顎が緩み、骸骨が拘束から抜け出した。
一度は捕らえた獲物に逃げられたからか、少し落ち込んだ様子でミラをちらりと見つめたあと、ガルムは骸骨に視線を戻し忌々しげに睨みつけ唸り声を上げる。
(喰らい付いたガルムを振り解くとはのぅ。相当なものじゃな)
聖剣と聞いた時点で固有技があると予想していたが、その威力は予想以上だったようだ。ダメージを確認したミラは、感心しながら【召喚スキル:博愛の癒し手】でガルムを回復させていく。
正確には、傷ではなくガルムを防護する障壁をだ。
召喚術の特徴として召喚された幻獣は、召喚中に怪我を負う事はないというのがある。それは召喚陣に防護と強制送還の術式が組み込まれているからだ。
そしてそれは安心して強敵の矢面に立たせられる理由でもある。
回復が終わるとすぐさまガルムは再び猛然と突撃し、骸骨に向かって爪を振り下ろす。その一撃は恐ろしいほど迅速で、そして正確に骸骨の首を狙ったものだった。だが、前回と同じ軌跡を辿ったそれを、骸骨は咄嗟に見切り反応してみせる。
骸骨は光の膜を展開せず、聖剣を斜めに構えて刃先を合わせ、見事にガルムの爪をいなしたのだ。
軌道を逸らされ、爪が深々と床を抉ると同時、姿がぶれたかと思えば骸骨は聖剣を軸として飛び跳ねガルムの側頭部に膝をめり込ませた。
ガルムの防護に亀裂が入り、その黒い体躯が強烈な衝撃で弾き飛ばされる。
間を置かずに、反対の側面より火球が骸骨を襲った。それは絶妙なタイミングで放たれた、ポポットワイズの魔法だ。しかしそれを骸骨は空いた手で受け止め、絶叫と共に握り潰す。
すかさずその背後、完全な死角からミラが迫る。だがその時、骸骨は宙で身を捻るとミラを真っ直ぐと両目で捉え剣を振り上げた。
(これほど早く対応してくるとはのぅ。あの悪魔より格上か)
先読みしたかのような無駄の無い骸骨の動作にミラは苦笑し、いつか戦った悪魔と比較しながら挙動や反応速度を見極める。そしてその目に空より深い蒼、<真眼>を宿らせて、彼我の間に白い塔盾を出現させた。
両足が地に触れると共に骸骨は全身を一気に躍動させて、聖剣を持った手を一息に振り下ろす。途端に閃光が奔り、聖剣の刃は白い盾を容易く両断し、無数に降り注ぐ光の剣が驟雨の如く打ち付けた。
その殲滅攻撃は、面の制圧力をもってミラが居た場所を周辺もろとも破壊する。
だが、爆心地にミラの姿はなかった。
その圧倒的な破壊は、易々とかわせるものではない。そのため直撃を確信していた骸骨は、僅かに狼狽した姿をみせる。だが即座に周囲へと視線を巡らせ、冷静に目標の位置を探る。
直後、その目が捉えたのは、両側より再び迫る火球とガルムの牙であった。ミラの存在に気を取られ反応に遅れた骸骨は、既に回避する機を逸していた。
ゆえに聖剣をかざし、もっとも脅威であるガルムの牙を光の膜で防ぎ、火球は掌で受け止める。だが今度の火球は先ほどよりも大きく骸骨の腕は激しく軋んだ。加えて獰猛に喰らい付くガルムの牙は一切の弛みも許さず、骸骨をその場に釘付けにする。
「ようやく捕らえたわい」
両側に大きく広げられた骸骨の片腕に、小さな両手が添えられる。その手の主であるミラは不敵に微笑みそう囁いて、聖剣を持つ骸骨の腕を両手で握り締めた。
【仙術・地:烈衝一握・二重】
術が発動すると、これまで以上の魔力が渦巻き一瞬のうちにミラの両手に収束する。
小さな掌から生じたのは、荒れ狂うような暴虐と破壊の衝撃波であり、それは礼拝堂の空気を伝い全体を震わせた。
一箇所に集中したその威力はこれまでの比ではなく、骸骨の腕を粉々に砕くほどであった。
身体より切り離された手から聖剣が零れアルラウネの茂みにカラリと落ちる。それとは逆に、軌道を変えた火球は天井に飛んでいき、そこで爆散した。
礼拝堂が赤々と照らされ、爆音がこだまする中、骸骨の絶叫が響き渡る。
少し余裕が生まれてきました。
それはもう趣味の漫画が、ちらほら読めるように。
しかし、気づけば積み漫画が300冊超……。




