92 推察
九十二
十数分ほど司令室を探したものの、これといって有益な手掛かりは残っておらず、ミラとヘビは死体検分組みの二人に期待しつつその場をあとにする。
作戦室では、アーロンとサソリが床にしゃがみ込んだまま、あれやこれやと議論していた。
「どうじゃ。何か手がかりでもあったか?」
サソリと合流したヘビが、なにやら話し合いを始めた隣で、ミラはアーロンにそう声をかける。
アーロンはちらりとだけ振り向いてから「まあ、見てくれ」と答え、床へ視線を促す。
そこには、キメラクローゼンの遺留品が並べられていた。不可思議な文様の浮かんだ短刀が三本、液体の入った数種類の小瓶、魔法陣が刻まれた布、八枚の地図、そしてダンジョンの許可証だ。
それらを確認したミラは、その中から一つを手に取った。
「八枚あるが、地図は二種類だけのようじゃな」
そう言って広げた地図は、ゲーム時代に使っていたものよりはるかに精細で、一瞬どこだか判別出来なかったミラは、僅かに眉をしかめて記憶を辿る。
「ああ、そのようだ。一つはここ、天秤の城塞で、もう片方は──」
「幻影回廊じゃなっ」
アーロンが答えを言うより早く、図面と一致するダンジョンに思い至ったミラは、目端を輝かせ鋭くその名を口にした。
「そうだ。キメラの連中はそれぞれを一枚ずつ所持していた。で、そっちがそこの許可証だ」
そう言いながらアーロンは床に置かれたカードに視線を向ける。
「四枚とも同じじゃと?」
ミラはその内の一枚を取り上げて疑問を浮かべた。グループで行動するなら許可証は一枚で十分だからだ。
「ああ、一人一枚だ。まあ、キメラの連中は個別行動が基本だからな。おかしな事ではない。そこの四人は、それぞれ単独で任に就いていたのだろう」
「なるほどのぅ。その方が目立たぬしな」
「そういうわけだ。っと、そういやそっちはどうだった。収穫はあったか?」
アーロンに期待を込めた顔を向けられたミラは、僅かに苦笑しながら並べられた遺留品の前にどかりと座り、小さく首を横に振った。
「特にこれといって、じゃな。あえて挙げるならば、柱に埋め込まれていたはずの球が消えておった事くらいかのぅ。じゃが、それがやつらの仕業かどうかは判断出来ぬといったところじゃ」
そう答えたミラは地図を元の位置に戻し、不貞腐れ気味にため息をつく。
「ふむ、柱……柱か……」
報告を受けたアーロンは、そう呟き唸る。そして暫く思考したあと紙の束の一つを拾い上げて「これを見てくれ」と言いミラに差し出す。
それを受け取ったミラは、ぱらぱらと紙をめくって目を通す。
「これはもしや、あの柱のスケッチか」
その束の全てには、見覚えのある風景が描かれていた。
そう、先程までミラとヘビが調べていた司令室の風景だ。それも、司令室の鳥瞰図から始まり角度や視点を変えて描かれたものが数十枚だ。しかも片隅に数字がふってあり、鳥瞰図と照らし合わせる事で、どこの視点から描いたものかが分かるようになっていた。
「そのようだな。球がどうこうなんてのは覚えていないが、やはりこの柱は精霊王となんらかの関係があるとみて間違いはないだろう」
そう言ってアーロンは、並べてあった紙の束を更に一つ手に取り、適当に捲る。そこにもまた似たような柱のスケッチが描かれているようだ。
「それにも同じものが描いてあるのじゃな」
アーロンが手にした紙を覗き込んだミラは、自身が手にしているものと見比べる。それは別人が描いたようで、画風や視点がそれぞれ違う。だが、数字が割り振られているという点は共通していた。
「ああ、残りの二冊もそうだ。この絵にどういう意味があるのかまでは分からんが、一先ず、これが俺らの手にあるという事が、何かしらの抑止になればいいが」
「そうじゃのぅ」
どのような用途であるかはまだ不明だが、スケッチは精霊王を狙うキメラクローゼンの目的に必要なものだろう。遺留品の前に屈み込んだミラは、紙の束を元の位置に戻してから、他の束にも目を走らせる。
どれも画風は違うが、柱のスケッチという共通点はそのままであった。
つまり、もっとも重要なのはこの共通点であるといえるだろう。
「ふむ、ちと確認してみるとしようか」
立ち上がったミラは、束を手にしたまま再び司令室に向かい歩き出す。アーロンは何か気づいたようなその様子に期待を込めて、無言のままあとを追った。
司令室を改めて一望してから、ミラはスケッチを精査する。数字を鳥瞰図に当てはめると、その位置に立ち見比べた。
当てはめ見比べる。そんな事を十分少々繰り返したミラは「なるほどのぅ」と呟いて、様子を見守っていたアーロンに対して、にやりと笑って見せた。
「なにか気づいたようだな」
「まだ推測じゃがな」
楽しげなアーロンにそう答えたミラは、そのままどかりと地べたに腰を下ろす。
「端的にいえば、このスケッチは球の嵌っていた位置を正確に把握するためのものじゃろう」
ミラは正面に向かい合って座るアーロンを、ちらりと見てから視線を手にした紙の束に移す。
「球の位置か。っていうとつまり、あの配置には意味があったという事だな」
「うむ。示唆され注目してようやく気づいたわい。わしの得意分野じゃった。どうやらな、あの柱は一本一本が精霊を表しておるようじゃ」
「精霊を表す、か? 何かしらの意味があるとは思っていたが、どうもピンとこないな」
アーロンは、スケッチの柱を睨みながら眉間に皺を寄せて唸る。見て覚えるという天賦の才を持つアーロンであったが、目に見えない精霊についての知識は疎い傾向にある。だからこそ、それを追求するために五十鈴連盟に協力していた。
「まあそうじゃろうな。わしとて最初は気づかんかったしのぅ。じゃが良く見れば、わしにとっては馴染み深いものじゃった」
アーロンが気づかないのも当然だろうと、ミラは得意顔で説明を続ける。それは戦士では見る事が出来ないものだ。しかし召喚術士であるミラは、何度も見た事があり、同時に頭を悩ませたものでもあった。
「ときに、スキルツリーというものを知っておるか?」
本題に入る前、ふとミラはそう問いかけた。
スキルツリー。それはゲームなどではお馴染みの、幾重にも分岐して複雑になるスキルの流れを分かりやすく表にしたものである。
「スキルツリー、か? 頭の良さそうなやつらが、そんな事を口にしていたような気もするが、俺はさっぱりだ」
アークアース・オンラインでも一部で存在しているものだが、どうやらアーロンは知らないようだ。ミラはその言葉を受けて「やはり知らんか」と呟いてから、紙の束を適当に開いて正面に置いた。
「雑に言ってしまえば、下位から上位に至る複数の道筋を、視覚的に分かりやすくしたものじゃ。それを踏まえて、これを見ると良く分かる」
そう言ってミラは、スケッチの中にある柱の穴を指し示す。
「召喚術士は、契約した精霊の潜在能力を、スキルツリーという形で把握出来るのじゃが、見てみれば、この柱の穴の配置とスキルツリーの形が一致しおった。まあ、幾つかは知らぬものも交じっておるが、わしも全ての精霊と契約しておるわけではないからのぅ」
そこまで説明したミラは、すくりと立ち上がり「これが風、これが火、これが水」と、司令室の柱に触れながら巡っていく。
「で、こいつとこいつ、あとこいつも知らん!」
最後にミラは、三本の柱を悔しそうに手のひらでひっぱたいた。精霊を従える召喚術士として、まったく把握していない精霊が居るというのが我慢ならないようである。
畑違いであるがどことなく理解出来る、そんなミラの矜持に同意しながらも、アーロンは『把握している』と示された精霊の数に驚嘆した。
把握しているという事は、つまり契約しているという事だ。ミラは既に、それだけの数の精霊を従えているという意味になるのだから。
「まったく、広いよなぁ」
アーロンは、そう心底嬉しそうに呟いた。
柱の穴の配置には意味があった。ミラとアーロンはそこから更に話を詰め始める。
十分弱ほど意見を交わした二人は、精霊王の影響を抑える結界は、球だけでなく、その球をどのように配置するのかも重要であると予想した。
球を奪ったか、または同じものを作ったものの、結界が正常に作動しなかった。そうした経緯からこの穴の配置の意味に気づき、それを把握するために人員を送り込んだのだろうと。それならば、柱のスケッチの意味も納得出来る。
そう結論したミラとアーロンは作戦室に戻り、その事をサソリとヘビに説明した。
「スケッチが四冊あったのは、確実性を増すためだろうな。俺達の妨害を想定してたはずだ」
アーロンはそう締めくくりながら、周囲に転がる焼死体を見回して「これは想定外だったろうがな」と苦笑する。
「どれもが本命で、どれもが予備だったんだね。キメラは単独行動が基本だけど、同じ任務で動いているって事もあるわけだ」
四冊あったスケッチの意味を把握したサソリは、そう言いながら一番近くで横たわる死体を見下ろす。
状態は酷いものの遺体は真新しい。それは他の遺体も同様であり、ほぼ同時刻に殺害されたといっていいだろう。同じ任務で同じ時期にこの場を訪れたこの者達は、同じ人物の手により葬られた。結果、予備もろともスケッチはキメラクローゼンのもとに届かず、精霊王を封じる手段は完成しないはずだろう。
「さて、どうするか。スケッチが届かなければ、また新しい人員を送ってくるはずだ。それを待って、今度こそ捕らえるという手もあるが」
そう言ってアーロンは、窺うようにミラ達に視線を巡らせる。今回の五十鈴連盟の任務は、キメラクローゼン幹部の捕縛である。だがそれは第三勢力の介入により標的を殺害され、失敗に終わった。
次は、どう動くか。それは作戦を任された、ここに居る四人の総意で決まる。
新たな幹部が送られてくるには、まず作戦が失敗した事にあちらが気づく必要がある。その判断は、期日を超えてもスケッチが届かなければ下されるだろう。
その間、時を無駄にするよりも、スケッチを届ける先にいるであろう受取人を捕縛するという手段も考えられた。そしてその届け先は、地図と許可証の存在により、ほぼ確定出来ている。
「幻影回廊に行くべきじゃろう。許可証を持っていたとなれば、奴らはここから直接向かう予定だったという事じゃ。ならば丁度良い、わしらが代わりに届けてやるのも一興ではないか」
ミラはスケッチを一冊手に取って、その容姿とはかけ離れた真っ黒な雰囲気を漂わせて薄っすら笑みを浮かべる。
「ああ、そうだな。それが一番かもしれん」
アーロンもまたミラとおなじように口端を吊り上げ、狡猾そうに笑う。ヘビはといえば、幻影回廊の地図を広げ、既に構造を確認中だ。
「でも確か、幻影回廊に五人行ってるよね。任せちゃってもいい気がするけど」
最深部に精霊王の居城があるとされる幻影回廊。今回の任務は、そこも含め計三ヵ所に五十鈴連盟の精鋭であるヒドゥンが送り込まれている。サソリの言葉は、そんな仲間を信頼しての発言だった。
「そうしたいところじゃが、少しばかり状況が動いておるようじゃ。スケッチを直接、幻影回廊に届けるとなれば、そこで最後の仕上げをするという事じゃろう。もう奴らの手は精霊王の目前まで迫っておるのかもしれぬ」
「だな。ここで探っていたのは、間違いなく精霊王の力を封じる手段だろう。ミラの嬢ちゃんの言うように、キメラ共の作戦が終盤となれば重要性から考えて、相当の使い手が複数護衛についていてもおかしくはない」
アーロンは幻影回廊の地図を拾い上げ、それを広げながら言う。
状況は随分と進んでいる。それこそ、あとはスケッチが届けば準備完了というところまでだと想定出来るほどにだ。ミラとアーロン、そしてヘビはそれを遺留品から読み取った。
「えっと。つまり、戦力が集中するから、五人だけじゃ対処しきれなくなるかも、って事かな」
説明内容を極めて簡潔に理解したサソリは小首を傾げて、答え合わせを求めるかのようにミラとアーロンへ視線を向ける。
「まぁ、そうだ」
肯定したアーロンはスケッチの一冊を手にすると「こいつが四冊だけという前提での話しだがな」と続け、もう一つの推論を口にする。
「四人を囮にして一人が逃げていた場合、もう一冊ある事になる」
スケッチを処分してしまえば、キメラクローゼンの思惑を阻止出来るだろう。だが用心深く、現状でもこれだけ周到に予備を揃えていた。もしかしたら、本命が既に届けられているかもしれない。アーロンは、そう考えたのだ。
作戦室の床に散らばる四人分の死体。それらをざっと見回したミラは、それを作り出した原因を脳裏に描いた。
「考えられる事じゃが、五人目の線は薄いと思うぞ」
「ほぅ、その根拠は」
ミラが言うと、アーロンは興味深げに聞き返す。
「空の民とかいうあの男、わしらが敵でないと分かると、律儀にも情報を寄こしてから帰っていったじゃろう。ヘビに聞いたのじゃが、あの者は神官で殺生はご法度のようじゃ。しかし、それでもなお、己の手を血で染めておった」
五人目は居ない。その根拠となる情報を伝えたミラは、長衣の男の顔を思い浮かべながら「あの男の表情を覚えておるか」と付け加える。
「……なるほどな。一人でも逃げていれば、悠長に俺らと話していなかったって訳だ」
氷のように冷たく剣の如き鋭さを持つ目をした長衣の男の顔。アーロンが思い返したその表情には、確かに納得出来るだけの殺意が秘められていた。
「そういう事じゃ」
ミラは感心したように頷くアーロンの様子を見て、得意顔でふんぞり返った。
そうして次に向かう先が幻影回廊に決まったあと、一行はキメラクローゼンの遺留品を処分した。
精霊に害をなすために作り出された短刀は、サソリが小さな白い木槌で粉々に砕き、ヘビは死霊術を使いキメラクローゼンの死体を淡々と爆散させ、アーロンはその爆炎の中にスケッチを放り込む。
作業を三人に任せたミラは、司令室の中央にある台の前にいた。それは、天秤の城塞から脱出するための緊急避難装置である。
利用するには、五つ以上の精霊の加護が必要という厳しい条件があり、見た限り最近使用された痕跡はない。司令室の探索中にそれを確認していたミラは、この事も含め、キメラクローゼンに五人目はいないと言ったのだった。




