73 帰路旅情
七十三
帰りの鉄道は当日分の運行が既に終了していた為、駅街ホーリーゲートで一泊したミラ。朝早くに目を覚ますと昼の便を待ちながら駅の構内で土産物を物色中だ。
アリスファリウス聖国の駅街というだけあり全体的に白く神殿にも似た内装は、どこか清廉とした印象がある。だがその中身はといえば、それこそ活気に満ちており、朝早くとも利用客で溢れていた。
そんな構内に鐘の音が空気を震わせて甲高く響き渡り、運行状況を知らせる放送が流れる。それは左循環線の到着を知らせるものだ。
左循環線はミラの乗ってきた路線であり行き先はグリムダート方面。帰りとは逆方向であるので、今回は関係ない。
(随分と景気の良い音じゃな)
ミラは足元を揺らす地鳴りと鐘と汽笛の三重奏に耳を傾けては、蠢く波のようにホームへ向かう利用客を眺めていた。
左循環線の利用者の大部分が移動した構内は閑散とし、今が好機だとミラは店舗巡りを開始する。
まず訪れたのは土産物の店だ。アルカイト王国最寄の駅街シルバーサイドの店とは、その商品内容はがらりと変わり、聖国というだけあってか聖書や聖印の彫られたシンボルなども置かれていた。
「このようなものまで土産とは……」
慈愛の女神をかたどった像を手に取り、まじまじと目を凝らしながら呟くミラ。その像は桃色の長髪で天女のような衣を幾重にも重ね、慈愛という通り春の日向のように優しい笑顔を湛えた美女である。作りはとても精巧で、職人の技術がそこかしこに見て取れる、とても立派な出来栄えの神像だった。
ミラは像を少しだけ傾けて「白か」と呟き元の場所に戻すと、食品のコーナーへと向う。
アリスファリウス聖国では純白桃が特産品として有名で、それを使った菓子や飲料などが大量に陳列されている。
(何を買うのが良いかのぅ)
店内を一回りしたミラは、魔導ローブセットの製作に関わった者達にもと思い、純白桃のクッキーやジャム、ジュースといったものを全種購入する。他にもマリアナとクレオス、そして自分用やソロモン、ルミナリアなどの土産も選ぶ。支払いは約八万リフとなった。
それからミラは、気ままなウィンドウショッピングを始める。本屋を覗いては人に見つからないように高い棚へと手を伸ばしてみたり、前に買った漫画本で面白かった分の続巻を購入したりと、悠々自適に満喫した。
利用客が時間と共に緩やかに増え続けると、やがて右循環線の到着一時間前の放送が流れる。それを合図にして、ミラは飲食店のひしめく区画へと向かった。
「白いのぅ」
聖国という影響は食にまで現れており白い料理が多く、一通り見て回ったミラはこれもまた旅情と、珍しい生春巻き弁当を購入し、とっておいた容器に二百リフのお茶も注いでもらった。
準備万端整ったミラは、さてとホームへ歩き出そうとした瞬間、切符の購入を忘れていた事を思い出す。土産選びに夢中で、つい頭の片隅に埋もれてしまっていたのだ。
(そうじゃったそうじゃった)
メニューを開きまだ時間に余裕がある事を確認すると、ミラは悠々とした足取りで買いに行く。
切符の販売所に着いたミラは、優しそうな女性が受付をしているところに並ぶ。数人を待ってミラの番が来ると、財布代わりの皮袋を開きながら、受付の女性に声を掛ける。
「切符を買いたいんじゃが」
ちょこんと顔を覗かせたミラの姿は、おつかいに来たようにも見え、女性は思わず目尻を下げる。
「エコノミー、プレミアム、ファーストとありますが、どれになさいますか?」
「ファーストを……」
ミラは答えながら十万リフを支払おうとしてその手を止める。所持金が既に料金の十万を下まわっていたからだ。
(ぬぅ、使いすぎたか……)
財布を覗きながら唇を尖らせるミラ。行きのファーストクラスにカードゲーム、そして土産代と心当たりがミラの脳裏を駆け巡る。
「あー、エコノミーを五枚で頼む」
「はい、二万五千リフになります」
ミラは帰り三日分の宿代も考慮して、エコノミークラスの切符を五枚買うのだった。
『大陸鉄道の運行状況をお知らせします。右循環線が、まもなく当駅へ到着いたします。停車時間は、到着から一時間となっておりますのでご注意、ご了承下さい。──繰り返します』
切符を購入後まもなくして放送が流れると、ごった返していた駅構内から利用客が群のように揃ってホームへと向かい始める。
ミラは、そんな人々の中に紛れるようにして右循環線のホームへと辿り付いた。
(ほぅ……これがエコノミークラスの改札……か?)
そこはファーストクラスの改札とは全てが違っていた。混みあう大人数を捌く為に多くの工夫がされており、半自動化されているのだ。列を成す利用客は、奥の方に数十と並んでいる柱のようなものの間を抜けてホームへと出て行く。
その場所は一般的な学校の校庭ほどの広さで、壁や天井、床の全てが白い石タイルで覆われていた。
ミラは、その勝手の違いに戸惑いながらも自然と出来ていく列に引き込まれるように並ぶ。右も左も多くの人で埋め尽くされており、ほんの数メートル先すら見えない。
本当にこれで合っているのだろうか。新入生として初めて教室の席に着き担任を待つような覚束ない心境で、ミラは一歩一歩と進んでいく。
並び始めて十数分。木を切り倒す時に入れた斧の痕に似た柱の隙間に、利用客達が切符を差し込んでいるのを確認できたミラ。それにより何をしているのかを把握すると、安堵するように強張らせた肩を下げ、ウエストポーチから切符を取り出して自分の番が来るのを待つ。
(自動改札と同じようなものじゃな)
完全オートメーション化した元の世界の駅を思い出しながら、それを参考にして作られているのだろうと納得する。
列が進み、とうとうミラの番が来る。同じようにすれば大丈夫だと自分に言い聞かせながら、ミラの背丈では若干高い位置にある隙間へと切符を翳した。すると僅かに光り、切符には魔法陣のような模様が刻み込まれた。
(ふむ。これはどういう意味があるんじゃろうな)
ミラは仄かな魔力を帯びる切符を見つめながら、後続に押し出されるようにして改札からホームへと抜けて行く。
エコノミークラスのホームは剥き出しの石造りで、質素な印象だが端から端までは四百メートル程。ファーストクラスに比べて遥かに広大であった。更に見てみれば、そのホームを二つに分けるように駅員が配置されロープで境界を示している。それは丁度、白線に沿うようにだ。
(良い活気じゃな)
線路のある方面には大きな空きが出来ていた。列車が到着すれば一度に数千人が乗降するので、その流れを円滑に進める為の処置である。
駅員が誘導するように声を張り上げる中、ミラは人の熱を全身で感じながらその指示に従い区切られた白線の内側へと入って行った。
少しして、汽笛の音が耳鳴りのように遠くから届く。それは回を重ねる毎に大きく強くなり、やがて存在を主張するかのように大気を震わせた。
鋼鉄の、何もかもを跳ね除けて進むという意思の篭った、それこそ剣闘士の冑のような先頭車両が顔を見せる。減速の為、金属を擦り合わせる甲高い音がホーム中に響き、まるで王者の凱旋を告げているかのようだ。
それから後続車両も次々と姿を現す。黒い車体は圧倒的で、その動きは緩慢に見えるが気流は激しく巻き上げられて、その場に居る者達の、髪を、衣服を無造作に撫で回していた。
「長いのぅ……」
停止する瞬間は静かに、掠れた空気の音を漏らす。ミラは端から端まで続く、まるで城壁のような車体を一望して堪らず呟いた。
列車は十両編成。先頭がファーストクラスで、続いてプレミアムクラスが二両、残りの七両が全てエコノミークラスとなっている。
ミラが、そんな迫力の光景に見入っている内にも乗客が次から次へと車内から溢れ出してきていた。あっという間にホーム全体が人の群で埋め尽くされると、二つの海流のように分かれて片方が改札へと流れ出ていく。
降車作業は数十分続いた。
乗客は相変わらず圧迫する程に多いが、先ほどまでの騒ぎを過ぎた今となってはまだましだと思える程度には落ち着く。
「係員の指示に従い、走らずゆっくりと乗車していただくようお願いします」
駅員が叫ぶようにして乗客の誘導を開始する。まるでイベント会場のような雰囲気のそれで、ミラは言われるがままに指示に従った。
エコノミークラスの車両の扉は幅広く、大人が三人は並べる程度の余裕がある。それが一両につき二箇所、車両の前後にある。導かれるままにミラは、五両目の前の扉から車内に入った。
木のような鉄のような、むわりとした匂いに迎えられると、入り口の正面には直ぐに階段がある。エコノミークラスも三階層に分けられていた。
やはり高いところの方が景色がいいだろうと、ミラは上の階へと煙のように上がっていく。
エコノミークラス三階の車内は、三人掛けの座席が四列で奥まで続き、ところどころに横への経路がとられている。宛ら旅客機のような配置であるが、内装は木と布と金具で整えられているので、どこか屋敷の待合室にも似た風情がある。
席は現段階でも随分と埋まり始めていたが、ミラはどうにか窓際の席を確保する事に成功した。
十分、二十分と時間が経ち碁盤のように席が埋まっていく中、一人の金髪の女性がミラの目の端に立つ。
「となり、いいかな?」
一人、窓枠に頬杖をついて、春の日向で満開に咲く桜のように人の目を惹きつけている少女に女性は声を掛ける。
年の頃は二十か少し下くらいだろうか、その女性は青と白のエプロンドレスを身に纏い、そこに白いケープを羽織っている。装飾というよりは、アクセントのような小物が縫い付けられたその衣装は、白兎のお供でもいれば不思議の国にでも迷い込めそうな印象であった。
「ああ、構わぬ」
ぼんやりと外へ投げかけていた視線を女性に向けて涼やかな声で答えると、ミラは少しだけ背筋を伸ばしてからその身を窓際へと寄せた。十分にあった座席の空きが更に広がる。
「ありがとー」
女性はその仕草にほうっと思わず溜息を漏らしてしまいそうになるのを堪えて、少女の隣へふわりと腰を下ろす。するとその衣装に煽られて、甘い、何か果物のような香りがミラの鼻先を過ぎった。
「貴女、可愛いね」
そう声にした女性は、人懐っこそうな笑顔で覗き込むようにミラへと顔を向ける。
「そうじゃろう」
最高傑作である自分の容姿に自信のあるミラは、そう悪びれる事無く答えて少しだけ嬉しそうに微笑む。だが、ミラもまたその女性を見つめては、窓から差し込む僅かな光でも宝石のように輝く青い瞳と、陽の光を織り込んだような髪に目を惹かれる。
「あはっ、貴女って面白い。わたし、テレサ。貴女は?」
「ミラじゃ」
「ミラちゃんか。あ、一枚撮っていい?」
無邪気そうに笑うテレサは、そう言いながら肩に下げた小さな鞄から黒い箱状の物体を取り出す。それには中心に突起があり、被せられていた蓋をテレサが取るとそこにはレンズが嵌っていた。
「ほう、それはカメラか?」
「うん、そうだよ。ダメかな?」
「いや、別に構わん」
写真というものがある事は知っていたが、この世界で初めて目にしたカメラにミラは興味を持って了承する。
テレサが「ありがと!」と笑顔を見せると、その顔を直ぐにカメラの黒い四角が覆い隠す。
「撮るよー」
テレサの声に、カメラを向けられたミラは堂々と、ダンブルフの頃のように格好つけてポーズをとった。
「あー、自然でいいからねー」
少女の可憐さには似つかわしくない振る舞いに、テレサは困惑気味に眉根を下げて言う。
「ぬぅ……」
結果、決めポーズをとれずに撮影されたミラの写真は、少しだけ不機嫌そうな表情で映るのだった。
「良いのが撮れたよ、ありがとー」
にこやかに、本当に嬉しそうに笑顔を咲かせて礼を言うテレサ。笑顔ではなく、つんと澄ましたミラの表情はバツグンで、確かな手応えがあったからだ。
「わたしね、マジカルナイツで広報の担当をしているの。今度、作品展があるから良ければ見に来て」
カメラをカバンに戻すと、それを膝の上に置いて座り直したテレサは、少しだけ首を傾けるようにしてミラにそう微笑みかけた。
「マジカルナイツのぅ……聞いた事の無い名じゃな」
ミラは視線を窓の外へと逃がしながら答える。
「えっとね、魔法少女風って呼ばれている、わたしが着ているような、こんな感じの服を扱っている、今一番流行の服飾店だよ」
言いながらテレサは服が良く見えるように両腕を広げてみせた。促されてミラも目を向けると、それは確かに各街中で見掛ける事の多い、方向性の同じデザインの服だ。
(なるほど、つまりは大本という訳じゃな)
ミラは、確かに狙いながらも緻密に散らされ見事な世界観を確立している魔法少女のイメージに呆れを通り越して感嘆する。
「ミラちゃんの服も、方向性は近いよね。オリジナルかな? つい惹き寄せられちゃった」
「まあ、そうじゃな」
ミラの纏う魔導ローブセットは、城の侍女が魔法少女風を基礎として総動員で作り上げた一品である。方向性という意味では同じだ。
『右循環線、発車いたします。揺れますので近くの手摺などにお掴まり下さい。繰り返します──』
二人がそんな事を話している間に時間も過ぎ、鐘の音が鳴り響いた後、発車を告げる放送が流れる。
ファーストクラスとは違いエコノミークラスは賑やかで、車内には冒険者の姿も多数ある。乗車は初めてなのか一部の者は、列車が動き出した途端に祭りのように騒ぎ出す。
軽く押されるような加速を感じながら、ミラはうるさくもどこか憎む気にはならないその声を聴いていた。
列車が走り始めてから暫く、二人は服について語り合う。とはいえ主にテレサが話しミラが相槌を打つ形であったが、魔法少女風が辿ってきた歴史は、この世界の情報がまだまだ不足しているミラにとって聞き応えのあるものだった。
「おいしそうだね」
「やらんぞ」
テレサはミラの生春巻き弁当を、とろりととろけたような目で見つめてはもの欲しそうに呟く。ミラはそれを一蹴すると、弁当を隠すように背を向けて、その小さな唇を開いて生春巻きを齧る。
ちなみに、テレサは既に自分の分を食べ終わっており、今はその箱の隅を名残惜しそうに突付いていた。
「まったく……、ほれ、これでも食うか」
しゅんと耳をしおらせて空の皿を舐める仔犬のようなテレサの姿に、ミラはやれやれと目尻を下げると、いつかに購入したマスカットクッキーを差し出す。
「ありがとー」
テレサはクッキーを躊躇い無く受け取ると、それこそ子犬のように喜んだ。
(長閑じゃのぅ)
森を見下ろすような窓から望む景色は深々と続き、空には白い絵の具を筆でぐいっと押し付けたような雲が散らばっている。しかし、それとは対照的に、車内の方は大いに盛り上がり酒の匂いも漂っていた。
「グリムダートの方にファジーダイス様が現れたみたいよ!」
誰が言ったのか判断は出来ないが、無数に飛び交う声の中に、ミラは聞き覚えのある名前を耳にした。その後は、黄色い声に掻き消されてしまったがそういえばと思い出し、ミラは『怪盗ファジーダイス』のカードを取り出す。
「ところでお主は、こやつの事を知っておるか?」
そう言いながらクッキーを頬張るテレサにカードを見せる。するとテレサは咀嚼したまま一つ頷き、バッグを漁り始めた。
「もちろん知ってるよ。怪盗ファジーダイス様。今すごく人気だよね。この間、丁度イベントがあったところだよ」
クッキーを飲み込んで口を開くとテレサはメモ帳を取り出して、そこから一枚の写真をミラに見せる。その写真には、正にカードの絵柄と同じ服装とマスケラを手に持った男女十名が並んで映っていた。いわゆるコスプレ写真である。
「これはなんとも……」
ど真ん中に映っていたのは、紛れも無くテレサであった。どう言えばいいか分からないミラは、そこに居並ぶ面々を眺めては眉間に皺を寄せる。
「まあ、その辺りは良い。して、こやつはどういう人物じゃ?」
写真については触れない事に決めたミラは、手に持ったカードを主張させるように押し出して問い掛ける。
「ミラちゃん知らないの? うーん、まあこの辺りには出現してないから仕方ない……のかなぁ。えっとね」
そう言って話し始めるテレサ。
テレサにしてみればもはや常識に近い知識である。しかしこの事に関しては謎の部分も多く、世に知られている情報は多くない。だが、そんなところもまた人気の一つだとも言う。
主観や妄想を交えた説明から結果としてミラが得られた知識は、怪盗ファジーダイスはどうやら義賊に分類されるというものであった。
「悪党を懲らしめる正義の怪盗とは、また酔狂な奴もいたもんじゃな」
「噂によると、孤児院に寄付しているって話だよ。素敵!」
テレサは恋する乙女のように悶え両足をバタつかせる。そんなテレサの姿を横目に映したままカードを眺めるミラは、女心は良く分からないと結論して目を伏せた。
そうこうテレサと何気ない会話を交わしながらも列車は進み続け、日が沈んで夜の気配が霧のように車内にも入り込んでくる頃、次の駅へと到着する。
駅街ホーリーゲートの一つ隣り、駅街イーストバラッドの駅前広場でテレサと別れたミラは、その足で宿を探し始める。残金からして予算は一万リフ以下である。
だが何度目かにもなる宿探しはもう慣れたもので、流れ唄という名の宿に決めると、食堂で弾き語りをする吟遊詩人の語る物語に耳を傾ける。
そうしてその日の夜は更けていった。




