6 銀の連塔
六
日が沈み空には無数の星が輝いている。『アーク・アース オンライン』で見ていた夜空と変わらず、都会暮らしの者なら思わず感嘆の吐息が漏れてしまう光景だ。
ようやく目的地の街シルバーホーンに到着したミラは門番に手を振りながら開け放たれた門を通り、その街の変わり様に一瞬惚ける。
「三十年も経ってるとなれば当然じゃのぅ」
ミラは自分を納得させるのが最優先としてそう呟く。
だがそれも無理はないことだ。街を囲う壁は高く大きく広く成長し、ミラの記憶にあった街の規模の三倍は軽く超えていたからだ。唯一、中央に聳える街の象徴である九本の塔、通称『銀の連塔』だけが、この大都市をシルバーホーンであると証明している。
ミラは入り口から遠くなった塔を目指して、仕事帰りの住民が行き交う大通りを溜息混じりに突き進む。
月の灯りと街灯の作り出す火の揺らめきに照らされたミラの姿は、幼い顔立ちと相まって場違いな存在として人々の目に留まる。
そして本人は気付いていないがミラを視界に捉えた者は、夜遅くに出歩く少女を心配して声を掛けようとする者や、その蟲惑的な美しさに目を奪われる者達と反応はそれぞれだったが、一つ共通することは皆が振り返ったということだ。
それも仕方ないのかもしれない。ミラの容姿というのは理想の女性像という名目で創り出しただけあって誰もが息を呑む程のものであった。もちろん製作者本人と同じか、似たような性質の持ち主相手ではあったが。
きっと昼に別れた騎士達は、よく見惚れずに耐え抜いたものだと誰からも称賛されることだろう。
大通りを突き当りまで進むと四メートルほどの高さの壁と大きな門が行く手を遮る。その奥には月の光に照らされて堂々と浮かび上がる銀の連塔の姿があり、見上げると首がいたくなる程だ。
塔は円を描くよう正面から時計回りに『魔術の塔』『聖術の塔』『陰陽術の塔』『退魔術の塔』『召喚術の塔』『死霊術の塔』『仙術の塔』『降魔術の塔』『無形術の塔』と並んでいる。
銀の連塔の敷地内である事を示す壁の中へ入るには、この大きな門を通らなければいけない。しかしこの門は、部外者の立ち入りを禁止するために特殊な認証魔法がかけられているというのがこの塔の常識だ。
入るには、銀の連塔の管理局から発行してもらう回数制限のある通行証か、塔の研究者であることを証明する銀鍵、それか塔の最高位エルダーである事を証明する九本の杖が刻まれた塔鍵が必要となる。
この門があるため見張りなどは必要無く、塔の前に人はほとんど見当たらない。そしてミラが持つのはもちろん塔鍵である。
ミラがいつも通りに門の前に進み出るとすぐに異変に気付く。
今までは、近づくだけで自動ドアのように開いていた門だったが、今は何の反応も見せない。同じ感覚で進もうとしたミラは門にぶつかりそうになって慌てて後ずさった。
「どういうことじゃ?」
思わず呟くと門を見上げながらその前をうろうろと歩き、飛んだり跳ねたり遠ざかったり近づいたりを繰り返す。しかし門は、道化を笑わぬ可愛げの無い子供のように口を閉じミラを見下ろしたままだ。
「おかしいのぉ」
またも呟いたミラは、門の開き方について記憶を辿った。通行証、銀鍵、そして塔鍵。召喚術の塔のエルダーである自分が持つのは塔鍵。そう思い出してアイテムボックスを開くと、大事な物が収められた欄を表示する。
いくつか並ぶアイテムアイコンの中に塔鍵があることを確認したミラは、それを取り出してみる。取り出した鍵は差し込んで捻るタイプではなく、カードの形をしている。銀色の下地には九本の塔が刻まれ、その内の一本が金色に輝く。この輝いている塔がどこの塔鍵であるかを示していて、ミラの記憶通り初めて手にした時と同じ物であることが分かる。
指先で弄るようにしながら顎に手を当てると、何の脈絡もなく突如として門が音もなく開いていった。
「これは……、ほほう、なるほどのぅ」
塔鍵をアイテムボックスに戻すと門が閉まる。再び取り出すと開く。今まではアイテムボックスに入っていれば有効だったが、どうやら出さないと認識されないらしい。ミラはそれに気が付くと何度かそれを繰り返し、門を弄んだ。
少し勝手が変わっていて戸惑ったが、分かってしまえば問題は無い。ミラは門を通り抜けると、手にした塔鍵をアイテムボックスに放り込んだ。
敷地内には芝生が広がり、疎らに見える研究員が塔から出てたり入ったりと忙しなく歩き回る。時間は終業時刻をとっくに回っているが、塔の研究員に気にした様子は無い。
ミラは自分の知っている時代から三十年も経っているのだから、どうなっているかと少しは不安に思っていた。しかしここはまったく変わっていなかったので、術士というのはいつの時代も盲目的だなと、呆れ半分安心半分に溜息を吐いた。
広い敷地には長大な九本の塔が円を描くように並ぶ。
グライアの言っていたルミナリアは魔術を極めたエルダーだ。つまりいるとすれば賢者の部屋と呼ばれる魔術の塔最上階が妥当だろう。
ミラは正面の塔に向かって歩き出す。途中で何人かの術士がミラの後姿を見つめて、その少女に魅了されたように不埒な思いを馳せる。
塔の門に鍵などは必要なく、ミラはそのまま中へと入る。
内部は完全な吹き抜け。開放感のあるその塔は、ドーナツ型の施設を上に上にと積み上げていった結果このような形になったのだ。そして螺旋階段が全ての階を繋ぎながら上へと続いていく。
人が増えるたびに増築を繰り返し、気付けば三十階にも到達した。流石にこれ程の高さを階段だけで登るのは時間がかかるという理由から、無形術を応用して塔の中心にエレベーターを作ったのはサービス開始から二年ほど経った頃だ。
そう、この塔はプレイヤー達で建てたのだ。
それというのもサービス開始から、まだ間もない頃。術の習得方法が確立していなかった時代まで遡る。
術士を選んだプレイヤーは最初から習得している術しか使用できず、パーティを組んでも序盤ならばともかく、初心者を脱する頃には足手まといにしかならない時代があった。
術士はハズレクラスという常識の中、最初の建国者が現れる。そして時代は建国ラッシュを迎えると同時に領土を巡る戦争が頻繁に勃発する時代へ突入する。
国主となったプレイヤーは、傭兵として活躍するプレイヤーを高報酬で雇い、国民として国に所属するプレイヤーも戦争に参加する。
プレイヤーはそれなりにゲームをやり込んでいれば一人でもNPCの兵士十人分くらいの活躍は出来る。
大国になれば国民になるプレイヤーも増え、そこから更に大金を積み上げ沢山の上位プレイヤーを囲い込めば戦争に勝ててしまう。そんな状況が大陸中で蔓延し、次第に問題視され始める。
そして大国と小国の差が大きくなると、建国した直後の小国に攻め込み属国にするなどという事態が発生し、新規が近寄り難い世界と成り始めたのだ。
そんな無秩序となった世界において、国主を務めるプレイヤー達が一堂に会し一つの条約が締結される事となる。
『国力ランク制』
そう呼ばれた国家間条約は、国の領土や経済力、軍事力などをランクとして五段階の格付けを行い、それに基づいて戦争に参加できるプレイヤーの数を制限するというものであった。
この条約の一番の特徴は、戦争時の最大プレイヤー参加人数はランクの低い国を基準とし、参戦できるプレイヤーはランダムで選出されるというものだ。
これには国民枠と、傭兵枠というものがあり、最大参加人数の七割は国民でなければならないという制限がかかる。
これによりNPCの兵士の存在価値が上がると同時にプレイヤー個人の実力が大きく戦況を左右する状況を作り出した。
そして、この条約により術士は完全に居場所を失ってしまう。貴重な国民枠にNPCの兵士五人分にも満たない術士プレイヤーが選出されてしまっては勝てる戦も勝てなくなってしまうからだ。
こうして術士プレイヤーの迫害が水面下で進行していく。
前提として、国に所属していないプレイヤーには様々な制限が掛かり、国の恩恵も受けることが出来なくなってしまうというのがある。
まず、死亡によるアイテムボックス内の全アイテムロストという極悪なデスペナが発生する。更に、強衰弱状態となり丸一日はまともに戦闘ができず、国境を越える際に通行料がかかり、これもまた安くない値段だ。
国に所属していればアイテムロストもせず、衰弱も自国で休息すれば数分で回復、通行料はお駄賃程度、そして国営の施設を無料で使うことが出来る。
だが、もちろん良い事ばかりではなく、ちゃんと国民税というのが発生するが、それでもやはり恩恵は大きかった。
どのプレイヤーもゲーム開始時には三つの国から一つを選びスタートする。この国は初期三国とよばれているが、一定のランクに達すると国を出なければいけないという制限があった。最初は皆、その鬼のような仕様に様々な反応を示していたが、次第に『アーク・アース オンライン』ならしょうがないな。という風潮に変わっていく。
しかし、そんな根無し草が常識として納得したところでの建国だ。つまりは、初期三国から出た後にも、所属国の恩恵を受けられるという飴が与えられたのだ、飛びつかないわけが無いだろう。
大陸南東にあるアルカイト王国は、そんな戦乱の中で生まれた小国だった。条約の中には、建国から四ヵ月以内の国に戦争を仕掛けることを禁止するという項目も含まれていたため、すぐに戦争に巻き込まれる事は無い。しかし、周囲には大国とまではいかないが、中小多数の国があり、そのままでは格好の餌食となるだろう。
しかし、国の命運は尽きなかった。アルカイト国王ソロモンとダンブルフは、オープンβからの友人だったからだ。
術士の立ち位置が微妙になった時、それでもダンブルフを自国に誘ったのがソロモンだ。
それからというもの、どこからか術士を受け入れてくれる国があると聞きつけた術士プレイヤーは、次々とアルカイト王国に民権を求めて集まってきた。
ソロモンというプレイヤーは、ずっとダンブルフを見ていたため術士プレイヤーの苦労も知っているし、それ故の向上心も把握している。
ソロモンが全ての術士を受け入れると、ある面白い現象が起き始める。
それは、仲間意識を持った術士同士の情報交換だ。ただでさえ分かり辛い術の習得方法。誰も知らない術を発見すればそれは自分の絶対的な優位性となる。情報が高値で売れる時代だ。
だが、ここに集まった仲間たちはその術の習得法や効果を教え合ったのだ。
ソロモン自身は戦争については諦めていたのだが、国民は諦めていなかった。国を追われた自分たちを受け入れてくれたアルカイト王国の役に立ちたいと、術士は自身の優位性を捨てて個でなく全としての力を求め力を合わせる。
ソロモンはそこに勝機を見出した。
領土の一部を術研究のために貸し与えると、集まった術士はそこに術の種類毎に九つの施設を建造する。これが後の銀の連塔の原形となり、小さな国であるアルカイト王国が大国の侵攻すら阻む最高戦力となる集団が誕生した瞬間だった。
この世界では、それはもう三十年前の出来事である。感慨に耽ると、ミラはそのままエレベーターに足を踏み入れ最上階である賢者の部屋を目指す。
このエレベーターというのは、現実のエレベーターとは違い、透明なチューブの中を魔法陣の描かれた薄い円石が浮き沈みするというものだ。階毎にエレベーターまで通路が伸び、見上げると立てた魚の骨のように見える様子から、フィッシュボーン式エレベーターと呼ばれるようになったのも、また三十年前の出来事だ。
20話分くらいまでのプロットが完成。
休みが240時間あればいいのに……。